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地の塩、世の光、アイドル

 もっと私たちは、愛について、希望について、平和について、話しをしなくちゃいけないのかもしれない。

 アイドルについて思いを巡らせる時、私が目の前のアイドルを応援していることと、愛、希望、平和、そういった人類が希求するすべてのものは繋がっているのだと感じざるを得ない1年でした。

 2023年、私の応援するアイドルや関係各位ほかには(あえて丸めた表現にします)、2022年には考えられなかったような苦難があって、私自身もちょっぴり苦しい日もあって、アイドルから目を背けた日もあって、でもその苦しさを救ってくれたのは、苦しくても苦しくてもステージに立ち続けてくれたアイドルでした。

 2020年末をもって、私が人生の半分以上応援しているアイドルは、無期限の活動休止に入りました。あの時も、私はただただ苦しかったことを思い出します。流行病はなかなか終わらなくて(過ぎ去ってみれば2020年末で流行病が終わるわけもなかったけれど)、最後のコンサートは全て無観客で終わってしまいました。
 もし、もしも初動の行動制限がきちんと働いていれば?流行病が何度も繰り返さなければ?もっと箱が小さかったら?活動休止前の最後の日のコンサートで、あなた達に救われたたくさんの人からの愛と歓声を、その目と耳と身体のすべてで受け取ってほしかったと心の底から思っていました。もちろん今となってはそれは自分のエゴでしかなかった、それでも、あの時の辛かった私を、それで良かったんだよと抱きしめてあげたいと思います。辛かったのも、世界のすべてを憎いと思ったのも、全部私にとってはほんとうのことだったんだから、自分でそれを嘘にしなくていいんだよ、と。でもあの時、ハリネズミのようにトゲを周りに向け自分を守ろうとしたことは、よくなかったから、くれぐれも気をつけて生きようね、と。

 そういうふうに思えて、こういう風に言語化できるようになるまで、私の場合は、3年の時間が必要でした。でも最後、あと一歩のところで私の背中を押してくれたのは、Chapter IIのSexy Zone、人生の第二幕を生きるSexy Zoneの姿、だったのだと思います。それは「でも、それでいいと思うんだよな」という白馬での彼の人の言葉を体現したような、愛と寂しさに満ちた3大ドームツアー。それを、自分の目と耳と身体のすべてで感じることができた私は、ほんとうに幸せでした。寂しさで胸をぎゅうっと縮こまらせながら「チャプツよりハイライトのほうが多幸感に満ちていて好きだった!でも結局全部好き!」などなどと好き勝手言って、あの頃の私にとっての未来を生きている今が幸せでした。

 ありがとう、Sexy Zone。ありがとう、嵐。ありがとう、私が応援するすべてのアイドルたちへ。2023年も、愛を、希望を、平和を、まっすぐ歌ってくれてありがとう。何が嘘で何が本当かなんて問う必要がない、ショービジネスの世界に救われている私にとっては、ステージの上にあって見せてくれる姿だけが、真実です。

 今年もきっと、私はアイドルが大好きです。