超難問

三浦俊彦という人の本を読んでいたら、「私はなぜ他の誰でもなく、三浦俊彦なのか」という問題を取り上げて、これは一部で意識の超難問と呼ばれているが、実際は単なる言語上の混乱にもとづく形而上学問題もどきなのだと書いてある。この本は青土社から出ている「多宇宙と輪廻転生」という本である。面倒な議論の続く本なのでまだていねいに読んではいないが、この「私はなぜ他の誰でもなく、○○なのか」(○○には読者が自分の名前をいれればいい。)という問題は三浦氏が気づいていないもっと深い意味があるように思われる。この問いの元になっているのは「私」という存在が前提とされていることである。わたし(筆者)はこの「私」というのはでっち上げられた構造物であり、実は存在しないものだと思っている。だから、この問いかけは、実は自分が作り出したものであり、本来的には存在しないものなのだ。例えば、ここに箱があって、中にリンゴが入っていたとしよう。ある人がその箱を見てなぜここにリンゴが入っているのかと疑問に思ったとしよう。ところが実はそのリンゴはそのある人本人が自分で入れたものなのだが、それを忘れてしまっていたのだ。つまりこの人は一種の認知症になっていたのだ。それと同じように「私」というのは本来自分ででっち上げたものであって、それはあなたの「思い」の中にしか存在しないものなのだ。したがって、このような問いかけをするということは、自分が病気であることに薄々気がついてきた証拠であると言える。だから、この問いに対する答えが治療となる可能性が高い。

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