高校で積分を教わった時、面積を微小な長方形で分割してそれを足し合わせることで全体の面積ができると教わった。 だが、重要なのはその無限に小さな長方形に分割してからそれらを足すということを一々やっていたら大変で、実際には積分関数の両端の差という一回の引き算だけでその面積が出てくることだ。だが、このことはあとで教わるのである。これは魔法みたいな方法でなぜそんなことができるのかを十分納得するようには誰も教えてくれなかった。 もちろん式を追っていけばわかるのだが、例えば微積分の基本
「悟った」という状態がどのようなものかについて、 ある覚者と思われる人の文に次のようなものがあった。 「すべての存在との一体感を持つようになります。草木や花、小鳥や虫、石ころに至るまで、それは自分自身と何も変わらないのだと実感するのです。自分も他人もなくなり、すべてが自分であるとわかるのです。森羅万象、宇宙との一体感です。そのため、相手とのへだたりが消えますから、とてつもなく深い慈愛の気持ちに満たされてきます。自分がいないので、自分にまつわるいっさいの悩みも苦しみもありませ
高学歴の多くの日本男性は女性に対する態度が未発達状態で止まっている。知らない女性に対してアプローチするということをしていないためである。そもそもそのような発想がないのだ。結果としてモテるために努力するということが何か恥ずかしいことのように見られている。 このため男磨きという言葉は特に知識人や高学歴の人たちの間では使われることは稀であり、違和感や反感さえ呼び起こす。彼等にとって大事なのは見た目ではなく教養であり、知識であり、頭の良さである。だが、これらで女性にモテると彼等は
美女やイケメンがモテるのは外見という表面的な理由である。これは外見であるから、遺伝的な優秀性とは直接関係がないだろうと思われる。だから、女は優秀な遺伝子を求めているからイケメンにこれほど惹かれるのだという理屈にはかなり無理があるように見える。だが、人類史の99%を占める狩猟採集時代を考えれば、美しい男というのはより健康で、獲物・食糧獲得能力が優れていて、栄養状態がよく、健康な子供を産みやすいという背景があるとみなされてきた。これが現代でも後を引いていると考えられる。進化的ミス
AIによる職業侵食が進んでいけば、人間に残された最後の職業は最も古いとされる最初の職業、つまり売春になるだろうとある人が述べている。これは極端な見方だが、より一般的にして、AIとBI(ベーシックインカム) のおかげで恋愛活動が人間の最後に残された活動になる可能性はあるだろう。ビジネス、スポーツ、芸術、学問研究・・・いずれの分野であれAIが人間よりも成果を上げるようになれば、人間が種として生き延びるための根幹となる恋愛活動が最も重要なものとして浮上するようになる。なぜなら全
これは危機に際して能力が発揮されることのたとえである。 よく若くして経営者として成功した人の話というのがあるが、共通点は実行力のすさまじさである。何がなんでも成功してやるという強い思いがその原動力になっているのだ。だがその強い原動力というのは一体どこからやってくるのだろうか? それは危機意識である。 危機感がなければ人は動かないのである。その危機意識はこれができなければ死んでしまうと思うほど強烈でなければならない。したがって貧困、屈辱、孤独といった要素が大事になるのだ。だ
女性は男性よりも貴重な存在であるという見方がある。これは女性しか子供を産めないからだ。男は種を出すだけの存在である。確かにこのような見方には一理ある。 だが、集団共同社会では国と国との争いが避けられずこれまでの有史以来の人類の歴史は戦争の歴史だったといえる。これは農耕定住生活が確立してから、領土問題が死活となりこの問題は戦争によって決着が付けられてきたからである。 共同社会が生き残るためには戦争に勝つためまた、獲物を獲るために男性の存在がより重視されたことにより、これま
ぬるま湯につかったような安楽さが最大の危機である。つまり危機のなさが最大の危機である。だから危機がなければ危機を作り出す必要がある。人間の能力は生命さえ脅かしかねない危機に直面することで初めて出てくるものだからだ。 過去の人類は疫病、飢饉、戦争といった危機に直面しそれらを乗り越えることで今日の文明を築き上げてきた。 個人レベルで言えば貧困、孤独、屈辱、絶望といった厳しい状況こそが人を奮い立たせるバネになる。成功した経営者たちのほとんどが失敗を重ねたあげく成功を成し
男がある女性にアプローチして断られたとする。その後に男が気まずい風を全く 見せずにその女性に対して接したとする。これは君に振られても全然気にしていな いよという余裕を示すためである。するとどういうことになるかというと、女性の がむしろ断ったことで相手の気持ちを忖度してその男を少なからず意識していると きにその男が全く気にせず、アプローチしたことすら忘れているぐらいの態度を見 て、女の方はこの男に逆に自分が振られたかのような気分になるのだ。余裕のある 男に女は惚れ
人類歴史上最大の革命が三つのリンゴにより象徴されるという人がいる。 (井上智洋氏による『純粋機械化経済』という本)紹介すると、 一つはアダムとイブが食べたリンゴで、これは狩猟採集生活から定住生活への変化をもたらした農耕革命を象徴している。 二つはニュートンのリンゴである。これは科学革命を象徴する。 三つ目はApple社のリンゴである。これは情報革命を象徴する。 井上氏は考察していないが、 では四つ目のリンゴは何になるだろうか?という問題を考えてみたい。 おそらく人類
2冊の本、『究極の男磨き道・・・ナンパ』と『ナンパが最強のソリューションである』を最近読んだが、非常に感動した。この10年で最高の本だと思う。ひどいコミ障の若者が5年間の引きこもりから立ち直ってプロのナンパ師にまで成長していく過程をリアルに描いているこれらの2冊は下手な文学作品よりもはるかに胸を打つような内容であり、ひょっとしたら後世に残るような作品である。 感想は一口には言えないほど色々あり、今後少しずつ書いていく予定だが、ともかく70過ぎの私にとっては衝撃的な内容であっ
「生まれてこないほうが良かった」 ・・・存在してしまうことの害毒 というタイトルの本を見つけた。 David Benatarという大学教授の哲学論文だ。 序文を読む限りなかなか面白く説得力もかなりある。 三浦 俊彦の「多宇宙と輪廻転生」という本もなかなか面白い。 両者はいずれも「私」の存在を前提としているために解決できない迷路に入り込んでいると思われる。 「私」という前提がなくなれば「存在」自体がなくなってしまうことに気づく必要がある。 「存在」というのは「私」が
例えば、「限りなく近く」という日常語はわかりやすいのだが、厳密にいうと曖昧である。このために数学では論理的に厳密な定式化をする。 もともと「限りなく近づく」という表現がなかったら数学もこの点で厳密な思考ができなかっただろう。 同様に、論理学は日常言語の曖昧さを指摘するのに熱心だが、しかし、日常われわれが使用している言語が存在して初めて論理学もできてくるのだ。 ちょうど、応用技術が先にあって、理論が後についてくるという現象も同じことの例である。
人間の歴史は、先入見、偏見や誤りが是正されてきた歴史ともいえる。これらは何の根拠もなしに我々が無意識に受け入れてしまっていた考えである。現在から見ればありえないような愚かな行為を我々の祖先たちは無数に行ってきた。もちろんその祖先たちのおかげで今日の我々がいるのだが。死屍累々の多くの犠牲を払いながら試行錯誤を繰り返してきた祖先の人々のおかげで現在の我々がいるのだ。では現在ではそのような偏見や誤りはなくなった、少なくとも大きなものはなくなったといえるのだろうか? もちろんそうでは
今日は雪が降った。しかし、午後8時ごろには止み明日のあさに雪道で苦労することはなさそうだ。明日は晴れという予報である。 ある論理学の本の帯に、「論理はすべての知の基礎である!」と書いてあった。これは文法が言語の基礎であるというのと同じで、誤っており、誤解を招く。通常用いられている言語のパターンを列挙し、用法を整理したりして文法が出来上がってくるのだが、論理も通常の話の展開のパターンを整理したりして出来上がってくるものであって、その用途は議論の展開がやや複雑になったときに混乱せ
微積分というのは史上最大の発明ではないだろうか。微小なものを積み上げていって眼に見えるような面積や体積ができるのはわかるが、その具体的手順の発見は驚くべきものだ。ところで、数学的にはわかっていたのだが、現実世界の物質も眼に見えないような微小な素粒子によって出来上がっているのがわかってきたのは20世紀になってからだ。この両者には直接的には関係はなかったはずである。これは偶然とは思えない一致である。微積分の本質はまだ解明されていないのかもしれない。