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46万回のありがとう #131 願って忘れるということ

これはワタシが46万回のありがとうを言うまでの奇跡の記録。

131日目。
先週は、横須賀〜逗子〜鎌倉と15キロ歩いて自然を満喫。楽しければ、距離は関係なくなぜか体が軽く感じるし、足は勝手に動く。

数日後、野暮用で近所を歩いたら、たった1キロぐらいの道が苦痛でしかたない。先週の15キロの時と同じ靴だったし、気温はむしろ涼しいくらいなのに、足も体もまあ重いのなんのって。

気持ち次第でこんなにも変わるのかと、自分の体の声に耳を傾けて気付いた。

そして。
昨日も気づいたことがある。

ありがとうを言い始めてから執着が減ってきたことを、またしても『結果』が手元に来て初めて気付かされたのだ。つまり無意識に執着なしになっていたようで。

ワタシは仕事で、セミナー講師をすることがある。言わばフロントセールス的なセミナーなので、本商品を申し込んで来れた方は無料で参加できるセミナーだ。
そうでない人は有料としている。

会社としては、もちろん1円でも利益が出た方が良いので有料参加者は多ければ多いほどよい。

不定期開催で告知はメルマガのみ。

今まではいかに有料顧客をとるか、そして、本商品申込者の人数もたくさん取れるかに躍起になってたワタシ。

でも、世の中のほとんどがコントロールできないことに気づいたので、今回は、もはや誰も来なくたっていいさ、と投げた。

そう、ほんとに投げた。
投げたのは匙ではなく、チャンスを人に投げた、与えたという感じ。
ワタシはただ投げるだけの人。
あとは受け取った人が決めること。

そしたら、たった一回のメルマガ告知で有料申し込み者が2名あった。無料申込者も2名とんとんと。

数字だけ見たら大したことないけど、今まで力んで最善尽くしても有料申込者は一度も来なかったのに。

請求書発行にあたり、電話したら、

「いつもメルマガに励まされてる。これからも楽しみにしています」

とおっしゃられる。

メルマガでは、歴史オタクぶりを発揮してグロい戦争の話とかしてるんだが。

いったい何がどうしたのやら。

仕事のインスタも然り。

フォロワー増やそうとしてた時はむしろ減っていってたのに(ってそれ全然ダメなやつ、笑!)、今はフォロワーが地味に増えてる。なぜなら力を入れず作ることを楽しんでるから。

あれ?

でもnoteのフォロワーは増えてない🤭
それはそれでオモロい。
こっそり思いの丈を綴り続ける女、尊いではないか。

それから。
先日の投稿に続き、なぜかお金が減らないんです。

感覚的には今までよりむしろお金を使ってるんだけど、気分よくお金を出してるから心の充足感が違うのだろうか。謎で仕方ない。

今朝は彼と、彼の日本のビザの件で、あれこれ話す。

周りの人の結婚の失敗を目の当たりにして(1番身近なのはワタシか?笑)結婚が信じられない彼。アフガニスタンに戦争で行って、人間の怖さを知って、自分すら信じられないという。

そんなワタシと彼の間には見える確実な将来は何もないんだけど、ビザとか全く関係なかった日本人の元旦那と結婚してたころには味わったことのない充実感が毎回会う度にあるのだ。新鮮とはまた違う何か。まじ、何ですか、コレ、と思う。それくらい表現が難しい。

スティーブ・ジョブズや武士のように、死ぬこと意識したらありがたみが増す、みたいなことかもしれない。

終わりがありるから美しいのか。

そんなわけで、もちろん彼とは一緒にいたいけど、未来を心配するよりも、かけがえのない今を一緒に過ごせることのほうがキラキラの純度が高い。

一瞬の尊さたるや。

結局はあなたの好きにしてね、だって所詮、他人はコントロールできないものだから、と心から言えてしまう自分にびっくりしているのだ。

もちろん、一緒にずっといたい気持ちもあるから、びっくりしてるのはその自分なんだろう。

こうしてどこか俯瞰できるようになったのも、ありがとうを言い続けて、この世の仕組みがわかるようになってきたからだと思う。

その上で、次に何が来るかとワクワクしては忘れる。
忘れるって大事なのね。
願って忘れる。

読んでくださる方にありがとう。
スキくださる方にありがとう。
素敵なマリア様の画像にありがとう。

ありがとうは言われた側にも徳が積まれていくそうです。

最近はそんな感じで生きてます。

福江島に行きたい今日この頃です。

Have a nice day👋





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