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世の中そんなに甘くないよ、と言われる世界の一部でありたい

“Be the change that you wish to see in the world.” 
(あなたが見たいと願う世界の変化に、あなたがなりなさい。)

マハトマ・ガンジー

という言葉が、ふとした瞬間に頭に浮かぶ。
(あ、ちなみにガンジーは完全無欠なようで、人間臭いところもたくさんあった人だというのも、ここでちょっと書いておく。気になる人は、COTENラジオのガンジー回をぜひ聞いてみてください。)

私はどんな世界の変化を見たいと願っていて、そのためにどんな自分であれるのだろう?ということを考えるとき、最近自分のなかのテーマとして上がっているのが、「きく」ということだ。

***

話すこと、話してもらうこと、きくこと、きいてもらうこと。そこからは、たしかになにかのエネルギーが生まれるし、どれが欠けても"それ"は生まれないような気もしている。

こらえて閉じ込めていた言葉が口から押し出されて、話しすぎちゃったかなぁという淡い不安と、ちょっとこしょぐったい気持ち。だけど同時に抱えているのは、話をきいてもらえたことの高揚感。このときに得た安心感のような安全基地のようなものが、いくつもいくつも自分の中に積み重なっていくうちに、少しずつすこしずつ、外へひらけていく勇気になる。

たとえ誰かに「そんなのどうでもいいじゃん」と言われても、「それは違うじゃん」と否定されても。その安全基地を得た瞬間が心の中にある以上、「おぉ、なんだか波が来たなぁ」と思いながら、「そっか、あなたはそう思うんだね」と受け止められる気がする。

自分が大切にしていることを、弱さを、やわらかく脆い部分を自分と同じように「そっかぁ」と受け止めくれる人たちがいること、「なんだかひらいてきているよね。たくさん話してもらえて嬉しい。」と言ってくれる人がいること。そんな人たちとの出会いで、私はどれだけ強くなれたんだろう。

やっぱり私は、どれだけそれが甘いと言われようと、そんなふうに話をきいて、話して、きいてもらえる関係性をいろんな人が、その人の居場所で持てるようになったらいいんじゃないかと思うし、それだけで社会はもっと生きやすい場所になるんじゃないかと思う。

そしてそのはじまりは、東畑さんが『聞く技術、聞いてもらう技術』のなかで書いていたように、「きく」ということなのかもしれないと、最近ふつふつと考えている。

今、目の前のあなたに関心を向けているんですよと伝えること。見せること。

大学生の頃から今まで、たくさんの人に出会って、たくさんの人に自分のモヤモヤや弱さや、嫌なところもうんうんときいてもらった。一緒に、同じ景色を見ようとかがんでもらった。

その「ちょっと深くて脆いところ」を覗きあって、受け止めあう関係性が広がればいい。そして、それは案外と素性も知らない人同士でも成り立ったりする。
(自己紹介もしないではじまる、西村さんのワークショップを経て思う。ワークショップのことは、言葉で残したいと思いながら言葉になりきっていないけれど、あの時間と空間で得たものは、私のなかで芽吹きはじめている気がしている。)

ただ、それが誰とでも成立するかというと、そうでもない。どうやったら、そうなれない人たちとそんなふうにきいて話す関係性を築いていけるんだろうか。それは、両親との間で打開策をなかなか見いだせない私にとっては、重い問いでもある。

だけど、まずは自分が「自分の見たい世界の変化であること」が一歩だと信じて、「きくひと」でありたいと思う。意外と、世界はそんなちょっとのことで、少しずつ変わっていくものなんじゃないだろうか。

まずはその一歩に、自分がなろうと思うこと。そんなことを考えながら、ちょっぴり覚悟も込めながら、最近やっとこさ更新したプロフィールは、何度見直してみても、これまでで一番しっくりきている。

それが、とてもうれしい。



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