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ただひたすらに観る

先を生きる者がいて道を先導してくれる、そんな規範をもった生き方がある。一方で、自己責任を規範とし、個性のままにあるを美徳とする生き方もまたある。個を活かすための多様性とは、その「どちらでもない」または、「どちらでもよい」ということ。

散歩した朝。わたしはゆっくりと自分に語りかける。

わたしだけが自分を理解し、わたしだけが自分にとっての道を示してくれる。これから先がどうなるかなど誰にもわからない。ただ、今どうあるべきかをわたしは知っている。生とは吸った息を吐くこと。只其れだけだということ。

今を愉しんでごらんよ。そういわれたって難しいだろう。だから、ずっとシンプルに今をただ観ることだけに集中してみるのがいい。ロマンスを観る、悲劇を観る、ヒロインになり、ヒーローになり、泣き、笑い、ドラマを観る。それが生命の本質的な在り方だから。

不毛な未来予測に嘆いてみても、楽観した未来に笑いつづけても、甘くみていた過去を後悔したとしても、なににしても、なにをしなくても、それらはみな今起こっている。全ての妄想は過去でも未来でもない、今起こっている。だから、どうせならば善く妄想せよ。妄想を作り出しているのはあなただから。今この瞬間、恵まれた環境に置かれている人も、不遇な環境に陥っている人も、無限に続く相対の比較に生きる限り現実はどこまでも不平等で過酷なものであり続ける。不安や恐れは今もずっと心が生み出している。

だから、今をただひたすらに観てごらんよ。

引き寄せの法則などというものはない。それは現実を生み出しているのは己そのものだということの事実にすぎない。それをわかった上で、自らの引き起こした世界の側面をそう呼んだっていい。妄想はあなたを狡猾な老婆にも、バカ正直な青年にも、愚直な幸せ者にもする。

人は歓喜の中に自他の別が薄くなる。エゴが薄れ、自己が消え、幸福感が増していく。だから、自分は不幸であるとエゴは主張する。エゴはなにより自分が消えることを恐れるから。より強い不安を描き、生のプロセスに取り込もうと努力する。あなたが生物的に死を恐れるように、エゴもまた自他の中に消失する喜びを恐れている。

起こることをただ観ること。起こることをエゴに晒さないこと。起こることを判断しないこと。今に在るとは、そのように今を観ること。

今をただ愉しみ、今をひたすらに直視し、今にあれ。今はいつまでも永遠にあるから。

りなる




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