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〜ティブ思考 ‐ 心の傾向を観る

しない・をするというのは意外とむずかしい。具体的にはどうすればいいのかなんてことをしばしば考えるのだけれども、それをかんたんに言葉でとらえるなら「する」ではなく「観る」ということかもしれない。

お釈迦さまの教えもね、いちばんは正しく観るということからはじまります。ありのままの現実を観ることができれば行動は変わってくる。現実のあり方が変わるからです。だから、ありのままの現実を観ることができれば8割ゴールしたも同然だとわたしは思っています。

ところが、ありのままの現実をただ受け入れましょうと言うとき、「受け入れる」 という結果ばかりが先立ってしまうと、そこに在るあべこべな現実に困惑してしまう。「観る」というステップがすっかり置き去りにされていませんか。

評価している自分を知ること

自分が現実にどのような評価を下しているのかを知らなければはじまりません。目の前の現実を評価してしまうのは反射的なクセのようなものです。「ありのまま受け入れなさい」「現実を評価してはいけない」といわれて、ああそうですかというわけにはいきません。むしろそのクセこそが「自分」という人格の外郭をつくっているのですから。

はじめに観るとは、目の前の現実に対して「あなたが」どのような評価をする傾向を持っているのかを知る、ことではないかと思います。

あなたは、現実に対してわりと過小評価するタイプでしょうか?過大評価するタイプでしょうか?よくネガティブ思考だとか、ポジティブ思考だとか言います。ネガティブ思考の人は現実に対する自己評価がとても低いケースが多いですね。「私なんて」とか「どうせうまくいかない」とか。

逆にポジティブ思考の人は過大評価をしていることが多いかもしれません。「なんとかなるっしょ。」「あとは成り行きでいい感じに。」なんて。

いずれにしてもポイントは「実際に起こりうる現実はその評価どおりにはならない」ということ。評価よりも良いことが起こるかもしれないし、悪いことが起こるかもしれない。


だから、ネガティブ思考とポジティブ思考のどちらが良いとも思いません。それこそ現実の行動に対する結果だからです。それは観るというステップを飛び越えた先を見ています。

例えば、ポジティブ思考をすることで未来への不毛な不安から開放され、今をより穏やかに暮らすことができるのは確かです。でも、ポジティブ思考で考えて実際に起った現実が期待した予測したものよりも過小であったらやっぱり落ち込むのです。細かいことは気にしない思考が綿密性を欠いて今を取り逃すことだってあります。

一方、ネガティブ思考は予測していた最悪の期待よりも好ましい結果であることが多いので安全な復旧対応が取れます。仕事や組織での重要な計画にはこのようなマイナスの知性が向いています。かといって、起こるまでの過程で常に最悪を期待しているのですから、ネガティブ思考でい続けることは人生の多くの時間を不安の中で不毛に過ごすことになるでしょう。

どちらも色眼鏡なのです。ただだからといって、色眼鏡をはずしましょうといって、簡単にはずせるものではありません。それこそが「自分」の本質だからです。その色眼鏡がどんな色をしているのか。本当に色がついているのか、サングラスなのか、伊達メガネなのか?むしろ、近視用の度付きの眼鏡だったら外す必要がないかもしれない!?だからこそ、「見えている」対象を見る前に、「見ている」自分そのものを観ることがとても大切です。

心の傾向を知る

なによりもまず自分の心を観察することです。

落ち込んだとき、不安にかられているとき、それはワクワクするときの環境や状況と何が違うのだろう?

そして、無理やりそのワクワクする環境を作り出そうとする努力もやめる。自分を知らずにポジティブ思考を自分に押し付けることをやめる。自分を知らずにネガティブ思考を押し付けることをやめる。

現実に自分がどのような評価を下す「傾向があるのかを知る」のです。

ですがそれは、いうほど簡単なことではありません。みんなに共通の答えが無いからです。

例えば、「バーカ」と言われるだけで頭に血がのぼる人もいるいっぽうで、あなたはそのくらいではなんとも思わないかもしれません。代わりに「おまえ、使えねーな」と言われたらイラっとするかもしれません。または、○○さんに言われてもなんともないのに、□□くんに言われたらカチンとくるかもしれません。朝だったらいいけど、夕飯時はNGかもしれません。

心の傾向が、特定の単語に反応しているのか、人に反応しているのか、環境に反応しているのか、またはそれらが複合的に絡んでいるのか、ひとそれぞれ全く違います。その観察はとても繊細な作業です。心の傾向を観察するのはその無限にあるパターンの中から、あなたの心の外郭を削り出す作業だからです。

それでも未来はわからない

そのうえで、それでも未来はわからないのだということを改めて受け止めてみる。自分が現実をどう評価しようとも無条件に未来はやってきます。

自分がどのように現実を受け止める傾向があるのかも知らずに、ありのまま現実を受け入れるというのは、そんなに簡単なことではありません。無条件にやってくる未来をただ闇雲に「ありのまま受け入れろ」だなんて、むちゃな話です。

どうせ未来はわからない。

いまこの瞬間の現実だって良し悪しなんてわからない。今この現実にある苦境は未来の成功につながっているのかもしれないし、そうでないかもしれない。いやいや、むしろ未来ははじめから決まっているのかもしれないし、未来とか過去とかいうもの自体が存在していないかもしれない。考えてもわからない。

ただ、どんな未来が来てもそれを評価するのは、その未来がやってきた今という現実のなかにある自分の心でしかないのです。

りなる


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