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「〇〇しなくちゃ!」っていつも思ってる。

謎の使命感


昔からの癖でしょうが、何か考えるときや実行するときに「〇〇しなくちゃいけないから~」と、別の事を先取りして考えることがあります。
例えば夜、眠る前に「あー、明日仕事言ったらコレをやってから、あ、そういえばこれも頼まれてたから逆算して何時に着きたいから何時に出て~…」と、明日の事を頭の中で予習するように布団で考えてます。
これはもう完全に癖ですね。

考える事自体悪くないと思いますが、睡眠前に考え事をすると余計な考えも後から追いかけて来るのが厄介です。

「でも万が一悪い事になったらどうしよう…」

提出期限が守れなかったり、初めてやる仕事が失敗しないかどうかを深く考え、モヤモヤした気分のまま入眠する。
こんな気持ちのまま眠れば、すっきりするどころか夢見まで悪くなりそうですよね。リアルな夢、会社や学校に遅刻する夢を見た日には飛び上がって時計を確認しますが、大体そういうときほど目覚ましが鳴る1時間も前に何度も起きてしまうのが六花です。

この謎の「しなくちゃ使命感」はいったい何時から考えていたのでしょうか?私も謎ですが、ちょっと思い返してみました。


使命、というほどでもないのかな?


記憶を辿ると、いい思い出だけでなく悪い思い出もあります。
特に強烈に失敗した記憶なんかは、未だに覚えていたりしますが、そういうものはとりあえず引き出しの奥に封印して、「しなくちゃ使命感」に関する思い出を検索します。

私は子どもの頃、それはそれは活発で社交的な人間でした。
うんと小さい時は全然知らない子どもたちの輪の中に機関車のように突っ込んで、まるで最初から友だちかのようにはしゃいでました。周りの子どもたち困惑。今のように人見知りするような子ではなかったそうです。

しかし、年月の変化とは恐ろしいもので、いろいろな出来事が六花を人見知りにさせました。この話はまた今度するとして___そんな六花が小学生になってから苦手なものが一気に増えました。元から苦手なものも含めると以下の出来事です。

  • 宿題(夏休み、冬休み込み)

  • 自由研究

  • 親に見せるプリント

  • 机の整理整頓

  • 次の日の勉強道具の用意


誰しもが課せられるものですね。
私はこれらが苦手でした、特に提出物や集金袋なんかは親に出すのをすっかり忘れていて提出期限ギリギリだったり、学校から親に連絡が行ってたこともありました。(電話は中学生の時だったかな?)
とにかく、考えることがいっぱい。遊んでばかりだった幼い頃の記憶の中にあった苦手なことたちです。

沢山怒られて怒られて、「〇〇しなさい!」「〇〇やってないでしょ!」と言われ続けました。そんな風に育った結果、何とか次の日の勉強道具や、ある程度の宿題もギリギリでも提出できるようにはなりました。

けれど未だに苦手なのは整理整頓です。部屋が散らかっていない日を数えたほうが早いかもしれません。机に至っては物置代わりにしていたせいで末っ子の兄弟が勉強机を買ってもらえなかった!!と怒っていたこともあります。

これだけ聞くと「なんだ大したことないじゃん」と思いがちですが、私は事あるごとに怒られている記憶ばかりが頭の中に残っています。
記憶に残るほどいろいろな事で怒られました。時にはそれで親だけでなくいろいろな人に迷惑をかけていました。

別のお話でもしたかもしれませんが、私はよく「他人に迷惑をかけないように」と教えられてきました。それが積もりに積もると「あ、迷惑をかけちゃうから早めにやらなくちゃ」になります。
ここまではいいのですが、六花はこれを「絶対にやらないようにしなくちゃ」と何度も何度も、自分で自分に暗示を掛けてしまっていたのです。

そうするとどうなるか、忘れっぽい私は何度も何度もその言葉を繰り返します。行動も繰り返します。それがいつの間にか「何においても他人に迷惑をかけないようにしなくちゃいけない使命」へと変化していったのです。

ちょっと大げさじゃないか?と思いますよね。でも、確かに心のどこかにまだその使命感がしっかりと残っています。社会人となった今では「私がその仕事をしないと大変な迷惑をかけるからやらなくちゃいけない使命」になっているのです。


使命を果たさなければ生きてられないなんて事はない


「私がその仕事をしないと大変な迷惑をかけるからやらなくちゃいけない使命」へと謎の進化(進化なのかこれ)を遂げたそいつは、常に私の頭の中で、まるで家訓や教訓のように丁寧に額縁に入れられて掲げられています。

(ちなみに私が小学生ぐらいの頃、祖父に贈られた言葉は「やる気、げん気、こん気」です。)

さて、この「使命感」の進化の仕方はかなり厄介なものでした。
実際、私は休職をする前まで無意識に近い形でその「使命感」を忠実に守っていたのですから。「使命」を果たす、守るためには「状況を予測して、常に相手の行動を先読みして動く」ことが最善だと行動していました。

いつでも誰かに認めてほしかったのでしょう。
常に自分の仕事を抱えながら「あの人はこれを使うから用意しておこう」「あ、この人飲み物会に行くなら次いでだから私が代わりに行こうかな」なんて…そんなことばっかり考えて動くようになりました。
「気を使わなくていいよ~」なんて言われたこともありましたが、この時の私のもっぱらの返事といえば「いえ、大丈夫ですよ!」です。

無意識だったので、その時は疲れなんて感じていませんでした。むしろ仕事をもらえて嬉しい、ぐらいにも考えていた時期もあります。
でもこれが私の不調の原因でもありました。
そりゃあ自分の仕事にも、人の事にも「使命感」を持って臨んでいたら全力投球しているのと同じですよね。これに気が付くのに毎度毎度壊れかけるまでかかりました。

相手の事を自分の事のように思っていたんです。
よくも悪くもその結果は見事に私のうつ病を何度も呼び起こしました。


自分の為に、ということの難しさ


「貴方はすごく真面目な性格だから」
これは仕事についた時、勉強している姿勢など、第三者からよく言われていたことです。本人は至って真面目にやっていたつもりはありません。ですが、他の人から見れば何でもかんでもやってしまう私は「真面目な人間」に見えていたんです。

多くの人は美点だと捉えてくれて本当にありがたいことですが、自分の身にとってはこの真面目さは時として仇にもなりました。
真面目にやりすぎて疲れる。自分が思った以上の体力や気力を使っていたことに、すべてを費やしてから気が付くんです。気が付いた時には仕事に行けずに車の中で休んでいました。休職したい旨を会社に伝えていました。これまでの仕事は、正社員ではないし1年も続いたことの無い仕事もあったので休職という手続きすらなく「やめるか、やめないか」の究極の2択を私はいつも選択していました。

休むときも、思考はとまりません。「今日出来なかった、明日今日の分もやらなくちゃ。ああ、この人にも迷惑をかけることになる」
そんなことばかり考え続けていました。頭も休めと言っているのにもやもやが止まりませんでした。

そんなこんなで休職に入った私。当初は2か月の予定でしたが、今も行けずにいます。仕事をしに行こうと職場に車を出すと、気持ちを落ち着けようとしても呼吸が荒くなります。人間関係も良好でとても恵まれた環境だったのに、私はそれを受け入れられずにいます。迷惑をかけている、と思っているからです。

そんなときに通っている病院の先生に相談しました。仕事に行けないことを。先生はこう言いました。

「人生長い中、ずっと動いていたうちのちょっとしたお休みの期間だと思って。長く休めることなんてめったにないんだから」

人から諭されて私は初めて「あ、休んでいいのか」と思いました。
上司が親身になって相談に乗ってくれた時には「迷惑をかけていてすみません」と誤っていてばかりだったのですが、この時ばかりはなぜかストンと言葉が入ってきました。

でも、ちょっと待てよ。休むってどういうことだ?具体的に何をすれば休みなんだろう。
応えは結構簡単で「〇〇しなきゃと思わないこと」でした。
でも今まで使命感として持っていたその信条を曲げられるか?と思いました。そんな時に出会った本の中にこんな言葉が書いてありました。

「だったらこうしてみたら?」

つまり、発送の転換です。
これは北海道赤平市にある植松電機という会社の植松社長の著書に載っていた言葉でした。

六花は本を読んでから唐突に思いました。「〇〇しなきゃ」→「〇〇してみたら?」に変換してみようと。そうしたら、ちょっとずつ、ちょっとずつですが、使命感だったものは「〇〇してみたら思考」に変化していきました。

例えば「洗濯もして食器も洗って、ああ、買い物も行かなくちゃいけない」を、「今日は天気がいいからとりあえずすぐ必要なものだけリストアップしてみたらいいのでは?そうしてから洗濯するか、食器を洗うか考えてみよう」に変えてみました。
すると、本当に必要なものは特に今すぐには無くて、洗濯する元気はあったので洗濯も終えて、時間があまったから「食器も洗ってみた」になりました。
買い物をしなくちゃは別に明日でも良かったんです。でも今まで「後で面倒くさくなるから今やらなきゃ!すぐにでも!」と思い込んでいたんです。この違いだけで「心身を休める」という私の休職期間の過ごし方は、だいぶ経ってから少しずつ出来るようになりました。

ほんの少し、発想を変えるだけ。
でもそのほんの少しに至るまでが長いのが、うつ病になった六花には考えもつかないほど難しいことでした。

私にとって自分の為にやっていたこと、遊ぶことだったり休むことだったりは、家族から見たら「ただ怠けているだけ」「手を抜いているだけ」に見られていて、仕事をしている私は「出来て当たり前」なんです。仕事を見に来たこともない、ましてや同じ仕事をしたこともないけれど、仕事って出来て当たり前だと思われているんです。どんな内容だということも知らずに。

だから、家族にとって六花が自分の為に「休む」ことと言えば、布団に入ってぐったりとした様子で寝ていることを指します。人は同じ状況になって初めて「ああ、こういう事だったのか」と気が付くのです。だから、本当の意味で他人を理解することは難しいことなんです。

それと同じぐらい、私は「自分の為に休むこと」が難しいと感じています。でもちょっとだけでも「こうして休んでみたら?」と自分に言い聞かせています。そうじゃないとちょっとも回復しないから。


しなくちゃを、してみたらにした結果、ちょっとだけ眠りが良くなりすぎた。


さて、六花の中で「しなくちゃ使命感」さんが「してみたら?」さんに入れ替わりはじめたのは、実は結構最近です。
今までになかった気圧の変化に身体が動かない、頭が痛い日も新メンバーとして加わりながらも、六花は猛烈に休むコマンドを押してうまくやり取りしています。

結果、どうなったかというと…なんでしょう、眠くなる時間が増えました

これは今、投薬治療しているお薬の効果なのか、それとも「してみたら?」さんとのタッグのおかげで負担が減った分なのか、まるで今までの睡眠を取り戻す勢いで眠る時間が増えました。ちなみに夢は見ている時が多いので基本浅い眠りですが、時々深くすっきり起きることが出来ています。

夢については、ノンレム睡眠、レム睡眠などが関わってきます。調べてみましたが、すごく専門的な話がたくさん出てきたので何とも言えません。

(六花が調べた、夢についての出来事が載っているホームページはこちらでした。↓)


ちなみに六花が見る夢は、おそらく明晰夢と呼ばれるものの類なのでは?と思うほど、触覚だったりがはっきりしています。はっきりと覚えているときは、お昼までその出来事が「現実に起こったことだ」と錯覚しているときもあります。この話を友人にすると爆笑されますが、真面目に起こった出来事です。



休職に入る前後、私は悪い夢ばっかり見ていました。時にはぞっとするほどのサスペンス劇場を見せられたり、現実で怒られたり遅刻したり失敗したりのような夢も見ていました。何度も何度も朝方に起きたり、起きたらまだ2時間も経っていないなんてしょっちゅうありました。

ですが、今はアラーム5分前に覚醒したり、時々はアラームを何度か繰り替えすぐらいには時間通りに起きられています。悪い夢も見なくなりました。(むしろ推したちがいっぱい出てくる夢を良いところで打ち切られるように起きるので二度寝をしようとするぐらいです。)
今の目標は、夢も見ないぐらいスッキリと眠れるようになることですが、それには寝具を替えたり、とお金の出費がえらいことになる、というまたメンタルにくる問題があるのでいったん見ないふりを決め込んでます。
うん、お金が入る、入ってから考えてみたら?です。
それからでも遅くありません。むしろ入ってみてから考えたほうが、いろいろと良い寝具に巡り合える可能性もあるかもしれない。

夢の話が盛り上がりすぎました。
とにかく、めちゃくちゃ眠たいです。コーヒーでのごまかしもそろそろ効かなくなってきているので、眠る時間を早めたり少し運動になるようなことをしたり、先生と睡眠について相談したり、今まで雑にやっていた月経周期を気圧の分かるアプリを使いながら自分と相談しています。

それでもダメな時はもうひたすら寝ています。
眠りながら何かをやっていて事故につながるほうが危険なので、もう開き直って「寝てみたら?すっきりするかもよ?今しか沢山眠る機会なんてないよ?」なんて甘やかしてやります

そんな日があったっていいんです。意味はあります。自分の身体を休めるという意味が。昨日これだけやれたからいいんだ。
うつ病は、やれることが少なくなるほどエネルギーを使った人がなりやすいものだと六花は思います。
前と同じことが出来なくなってても可笑しくはない。ならばそのエネルギーをチャージするために、私は「寝る」コマンドをひたすら選ぶのです。

だって選べるのだから。休息したらまた進める。人生ゲームだってそう、1回休みがたまたまサイコロの出目で出ただけ、それだけなんです。


今日のお話はここまで。
誤字、脱字の乱文長文となりましたが、何卒ご容赦下さいませ。
これが誰かの何かになりますように。

最近見た夢は「推し4人と同じ高級ホテルに泊まるも、部屋を2つしか取ってなくて誰と同じ部屋になるか決める」夢だった六花でした。



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