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Fate/SR雑記 応刀、天命、自己■定 【雑多に日記#2401-1】

ガイドラインへ対応するためにサムネイルにネタバレを含むことを明記しなければならないので適当に文字貼っつけたら微妙にダサくて草

1月の日記を書こうとして、気付いたら個々の話題のボリュームが2000字ずつとかになっていたので、これは小規模でも分けた方が読みやすいやつだな? となり、個別記事と相成った。
この記事はその1本目、今更サムレムよもやま話だ。なお分けた後に追記していったら8000字とかになった。なんで?(好きなシリーズの楽しかったゲームの感想だからじゃないですかね…)

ネタバレはバリバリの込み込みなのでまっさらな気持ちで遊ぶ予定ある方は回れ右で頼みます。ストーリーラインの話はあんまりない気がするけれど、ネタバレ話の展開のネタバレより「キャラの根本とその解釈」にぶち当たる方がショックつよい、というのが個人的な経験則であり、今回はその類の話ばかりするのでな!


専門用語がわかる人向け一言でわかるサムレム感想

剪定世界が「発展性を失うなどして打ち切られる世界」なのってつまりこういう事を指すんだなと思わされた作品だったし、それでもそんな世界に生まれた間の悪い男がゲームセットを目指して足掻く様はあまりに輝いてたと思うんだよ、セイバーもそう思ったんだよな……?(最後尾読み手面)

Fate/SR、全ED完走した

FGOのイベントきっかけで別のゲームやコンテンツを摂取する機会について、なんか去年の8月にも、同じようなことがあった気がしないでもない。(妖精國アフターことサバフェス2は別にホロウそのものではないぞ!)
今回はもう全然ギリギリで始めてしまった為にイベント開始には間に合っていなかったが、とかく完結までに伊織とセイバーの旅路を見届けられたので、それで良しとしよう…。

サムライレムナント、こと『Fate/Samurai Remnant』、凄く面白いゲームだった。あんまりアクション制であってもRPGを遊ばない、そもそもコーエーテクモと縁がなかった、といった中でのプレーだったがどうにか適応し「Fateらしさ」を味わっていけたと思う。
敵がわらわら出てきたところで無双系を想起させるも、尋常ならざる怪異や腕利きの剣客が混ざっていて、そいつらに隙を見せたらやられる。やられるのだ、普通に。そんなただびとがサーヴァントを相手にしようものなら……という絶望感と、ゲームを進めるごとに太刀打ちできるようになっていく手応え、そこに混ざる末恐ろしさ、全部がリンクしていてゲームとしてまず楽しかった。
世界観も新鮮だった。よく考えたら「EXTRA」ほかその派生も全然遊んでないので、Fateシリーズで3Dマップを駆け抜ける体験自体初めてだったし、その練り歩く舞台が昔の日本、江戸の町並みだったのも何より良かった。時間さえ許せば通行する人々と同じように全部歩き移動でやっていきたいぐらいだった。ただでさえ自分も楽しいのに、セイバーが逐一(特に食事に、だが)目を輝かせる反応をしてくれるのが、風景に慣れてきた頃の自分に染みた。

だからだろうか。正直なところ私はクリアしてから数日間、専ら “鬼” を殺す術ばかりを考えて、上の空になっていた。

手の届かない「運命」と向き合う

でも無理なんだよなあ……。。。いやでもさあ〜〜〜…………とコラボイベントを進めつつも結構長く悶々とした。
”鬼” を殺すもしも話なぞ、口だけならどうとでも言えるわけで、それはオープニングアバンの経緯であの時「生まれ」てしまった「宮本伊織」の存在を殺す事となんの変わりもない。人災による災害、災害のような人災という違いこそあれ、来歴はそれこそ元祖主人公、衛宮士郎と重なる部分がある、と。あらかたルートを巡り終えてから、ふと思った。重なるだけで色々致命的に違えてはいるのだが。

今作、直近に発売20周年を迎えたFate/stay nightへのオマージュが多分に盛り込まれている事は大抵の方ならご存知でしょう。しかしどういう部分に繋がりを感じて、どのような場面を好きになるかは当然、千差万別。
私にとっては他人の感想の可食部でもあるその点を述べさせていただくと……死にながらにして生き長らえるか(焔/光エンド)、満ち足りて死ぬか(剣鬼エンド)の二択「しかない」という事実が、私達の選択の届かない所に横たえられているところに刺され続けているようで。物語が始まった時点では決して変えようのない根本、起源とも近しい生来の因果が戦いの果てに問われるところ……どうも、私はFateのそういう所が好きだったなあと思い知らされた。

全サムレムプレイヤーの心臓を凍らせた一幕
(正直一割ぐらいの確率で“ある”かと思った)

さて、こういった結末にFGOへのコンバート(コンバートではない)が救いになるかと言われると、自分はNOだと思っていた。というのも「どんなストーリーを経由してもそれはうたかたの夢なのだから、本編そのものの救いではない代わり、本編の結末自体を否定するものにはならないだろう」という気楽なスタンスでいたからだ。
なので、肯定はおろか結末自体を閉じて持ち込ませず、記録を持ち込まなかったという選択が私たちにとっての救いになるとは思ってもみなかった。物語的にも戦に次ぐ戦、選択に次ぐ選択を経てようやく我欲が善性を凌駕する男は格が違った……。
無論本編プレイを促す意図を、こう見せてくるとは、と感心もしてしまった。中途半端に並行させなくても良かったかもしれないと思いつつ、並行したからこそ感情を支配された面も感じている。

全ては応刀の為に

せっかくなのでプレイスタイルの話でも記録しておこう。とある音ゲーマーがサムレムに出会うとどうなるかの話を。
伊織殿に(デザイナー陣をして“色気を表現した”と言われ実際初めて二次元の男性に色気を感じたかもしれん)カヤちゃんに(春になったら、3人で、品川の桜を見に行こう──)ドロテアに(食わされた心の贅肉分の働きがしたいので蛇神討滅ルートが好きです)ほか様々な登場人物と彼らの言葉に脳をじりじりと焼かれながらも、いの一番に脳を焼かれたのが……『応刀』システムだった。システムに脳を差し出すな。

応刀とは、端的に言えばジャスト回避反撃である。そして気質として私は、回避反撃が良ければ良いほどゲームが楽しい。
サムレムにおいては、基本的にどの敵が相手でも反撃可能な攻撃が用意されている。が大抵は近接攻撃に合わせやすくなっている、と思う。射手や魔術師相手にはほぼ決まらず、拳士相手だと何故か決まりやすい。呼吸が大事だからか…?

応刀が決まった時、初期のセイバーからは「運が良かったな、イオリ?」とのコメントを戴ける。勿論伊織本“体”からすれば心外ではあろうが、本“心”からすれば躱せたのは本当なので嫌味とも思わないだろう。「君がいなくても結果は変わらない」と言われて「であれば俺は変わらず戦うのみだ」と答えるような奴は本心で真正面から言の葉を受け止めるはずだ。

ちなみに信頼度が上がると褒めてくれる そんな素直になってくセイバーがすきだよ。

話が逸れた。つまり応刀が必然の反応であったとしても、プレイヤーの私としては「そうか、運が良かったのか」と思っておける。そして反対に、応刀に失敗してダメージを食らっても「今のは運が悪かった」「間が悪かった、次に向けて調整しよう」と切り替えられる凪いだ精神を得ることが出来ていた。
100点満点が存在するが自分がそこに届く事は無い、そんなゲームばかりやってきた自分であっても、期待を持たないことは健康なゲーム生活には本当に大事だと、この場面に限らず思い知らされている。それはそうと応刀への挑戦は辞められないので健全かどうかは分からないが……だって外殻ゲージがゴリっと削れるの最高じゃんね……。

求道者と自己否定

「運」の話から派生して、もう少し伊織殿の話をしたくなった。
この項では特に、自己肯定感の無さの話を。謙遜や譲歩、自虐があまりに多い彼の言動について、未だ道半ばの未熟者、という自覚だけでは語り尽くせないものだと思ったもので。

『伊織、お前は生まれる時代を間違えたのだ』

例えば回想、例えば独白。武蔵が幼少期の伊織に放ったこの言葉は、度々作中に登場する。あるいは “師匠の剣” と初めて相見えた際に、いの一番に彼の脳裏を過ぎったのも、上記のセリフだった。

宮本伊織の精神は、常に自己否定に満ちている。
ただしその否定は「生まれるべきではなかった / 生きているべきではない」というタナトスに紐づくことはない。読みが的外れでなければ彼が持つソレは、生き辛い程度で曲がる本性でもなければ、生き辛い程度で成長ごと自身を止められる性格でもない筈だ。ただ抑えつけていなければ、泰平の世では生きることすらままならなかっただけで。
「生まれる時代を間違えた」。
すなわち「運が無かった」というのが、本人も師匠も導き出したこの世界の宮本伊織の結論なのかもしれない。

ふと目に付いた挙動 昂りが“無意識”にしかなりえない程に、本性は深く潜在していたのだろうか

宮本伊織の至上命令はあくまで「剣の道を極める事」だ。その目的と違えない限り、善き人間としての言動が剥がれる事はない。
また「誰も彼もに勝つ」事が念頭にあるとはいえ、彼が戦わずして勝てる弱き民草を、徒に斬らなかったのは事実だろう。
何なら災いとして残したかったのは伝説としての盈月で、今の危険な盈月を無力化出来る算段がつくまで、我欲をおくびにも出さなかった (と、思っている。これは爺さんへの『ありがとう』が心からの感謝だった、と信じたいが故の印象ではあるが)。

善を為すことは今を生き抜く手段であり、目的にはなり得ないと彼は言った。私達だって目的意識を持って呼吸している訳では無いから、言いたいことは解る。
でもなまじ呼吸と比喩するのなら……余分を捨ててなお「斬る」ことより平穏を保つことが優先されるなら……伊織の心はとっくに、どんな道を選ぼうと立ち行かないものだったんじゃないか。そういう解釈でもって哀しさを得てしまうのは、私の考え過ごしなのだろうか。

考えるほどに行き止まりな生を、肯定の中で終えられるならば

いや考え過ごしなわけがあるか?(反語)
珍しく断定口調になってしまうほど、考えれば考えるほど伊織の心は矛盾に押し潰される寸前の所まで来ていたとしか思えない。振り返るこちらが辛すぎて、いっそ誰かに反論して欲しい。
1周目を読んでいる時、2週目を読んでいる時、コラボシナリオを読んでいる時、全てを踏まえて自分で静かに考えている時。その全てで伊織殿への印象が二転三転して、勝手に人格の叙述トリックを食らっているような気分にさせられた。
それこそタイトルひとつとってもプレイ前には「江戸の世に残る侍の残党的な?」と軽く捉えていたのが、3周を経て「そうか……余分とは……残滓とは」と悟りを得た気になり、このnoteを書いているうちに「残滓だったのか、その本性さえも………………」と、そう言い残して絶句した。

きっと今考えていることはサムライレムナント(侍の残滓)の名に違わない。
でも、そう捉えてしまうのであれば、どうしようもなく、詰んでいることを認めることになる。認めたくなかったからこそ、以下の三行の台詞を解読するために、1週間掛かったのかもしれない。皆さんもどうか私と一緒に朗読して見て欲しい。

己の我を殺し、欲を殺し
泰平の世の空気を拒んだ
ーーそれこそ、息をしない屍のように

剣鬼としての伊織の印象に阿るのであれば、我と欲を殺すことは太平の世の空気を受け入れることに繋がる筈。
なのに「拒んだ」と、彼は言う。思えば人として正しくあろうとすることを呼吸と例えた時点で、逆説的に正しさを取らないことが「息をしないこと」に、文脈としては繋がるとなぜ気付けなかったのか。

今回、私見としてこう読み替えた。
この時の伊織は、友の願いを叶えてやりたかった我欲を制してまで、呼吸の如き善行を止め、剣の道を望んだ、と。その道を選んでも、いずれ息が詰まって倒れるかもしれないのに。
鬼になり切れないほど鈍っていたと言いたい訳ではない。正雪が感じた剣の鬼気を疑うこともない。ただこの先渇きを満たす魔人兇刃、師匠やセイバーには出会えまい。キャスターの言を借りると、最早「おまえの願いは決して成就しない」状況に、最も近しかったのは伊織だったのではとも思う。

剣の道は、潰えていたんだ
だが、剣として、おまえに打ち壊された
まさに望んだ通りの人生だ

正直もう自分でも何を書いてるか分からない。ともあれそのように彼の生き様をなぞっていって、可惜夜の結末がどれ程の幸運に満ちていたのかだけは理解できたと思う。
運に見放されてきた剣士が、運命に出逢えた。
セイバーと師匠をはじめとした多くの猛者に出会い、尋常ならざる儀を勝ち抜いた。その果てに剣鬼としての自分、理解して受け入れる友と出会えた。友は剣を交わしたいという願いも、客観的善性にして陰中の陽、これまでの自分の在り方さえも肯定し、自分に結末をくれた。
剣の道は潰え、人の道をなぞって生きても発展性の無い「宮本伊織」という人間の物語の中で、剣として生涯を終える結末こそが最上の人生の完遂(ゲームセット)なのだろう、と。ちょっと長すぎる思索になってしまったが、それこそ盈月剣風帖も相まってようやく腑に落ちた気がする。

ただ依然諦めきれないのはハピエン厨の性分なので仕方ないとする。こう……聖杯戦争の勝者として、春に帰る未来とか……前向きな理由で理想に背を向けるルートとか、ないかな……ないな……。。

応刀の剣と、繰り出さなかった燕返し

伊織本人の話は一旦終わりにして…もまだ話足りないのかとちょっと自分に引いているが、どうしても、最後に演出の話だけしたい。あまりにくどいので後々全体にカット入れたいよな……。

前提として、『可惜夜に願う』というルートの文脈自体には、過不足のない美しさがあることはしっかりと認めておきたい。
ただゲームとしてのこのルートは、引き継ぎゲームで選択肢を選ぶだけの簡単な条件の割には、また前述の様なトゥルーエンドとしての位置づけ感を出しているし、得られる割には……おまけで隠しな、アナザーエンディング感がすごく強い気がする。

可惜夜に分岐してからは、ただ一つの死闘、ラスボス戦があるのみとなる。他2つのルートにあるような江戸全土を巻き込む霊地争奪戦もなければ、派手なラスボス専用ステージも宝具による決着もない。
勝負に勝つのはセイバーなのに、剣鬼に堕ちようとしている伊織殿をセイバー操作で介錯する形式でもない。これに関しては同じ浅草寺で、ある種似通ったモーションのボスである武蔵ちゃんからの実質的な連戦は流石に…と思ったのでは?  などと邪推している。章の区切りも会話もムービーも挟まっているから私は気にしなかったろうとは思うが。
そして折角伊織殿を操作するのなら、開帳したばかりの(2週目前提なので開帳したばかりではない)燕返しを打つのか?!  と期待すると、それがそうでも無い。ゲームプレイ上ではともかくムービー演出上では、大技の打ち合いには発展しない。闘いは力押しや技の巧さでなく読み合い、心の在り様によって決着する。

見たものを言葉にするとなんとも美しい、美しいが、どうしても、呆気なさと無情を感じてしまうから…!  せめて燕返しを打ち破るという展開ではなかった理由だけでも、自分の言葉に落とし込みたいんだわ…!!  
解が人の数、思考の数だけある問いなので、ここからは更に二次創作強めな読み物として、まあ話半分で聞いてほしいし、考えておいてほしい。 “あれは武蔵を破るための剣だから以後の使用は野暮” とかも、それはそう、になるだろうし。
そうして思索した結果、結論としては巷で囁かれる「剣鬼伊織殿が作中の伊織殿の中で一番弱い」という説にも少し引っかかることになる。

『英霊剣豪七番勝負』より

伊織本人の心理や理屈の話なんて分かりっこないので、ここでは燕返しを“象徴”として扱う。すなわちなぜ、演出としての燕返しはセイバーに放たれなかったのか、またも意図の話だ。

武蔵の二天一流を元にしながら、小次郎の秘剣にも至った剣士である宮本伊織。彼に宿る二つの剣は、彼の剣士としてのスタンスにも現れているように感じられた。
多くを理解し、多くの刀に応えて斬る剣。それは斬り方の“正解”は人の数だけあると多様性を認めているようにも見えれば、それぞれの相手を斬る唯一の“正解”を探っているようにも見える。武蔵ちゃんはFGOで『自由自在、数百数千の対応が二天一流の真髄』とも語っているので、目指すところとしては案外親和性があったのかどうか。識者ではないので滅多なことは言えないが…。

我、二天の果てに零と無限の螺旋を見出す者也。

剣鬼が我欲に目を濁らせた結果、強みを捨てた姿だとして、私はそれを「相手を理解しようとしなくなった」とは考えられなかった。検証と選択による対応は二天一流の本分。その前段階にある筈の理解が抜け落ちるとは、とても。
ムービー中の打ち合いでも伊織は八岐怒涛の初動、セイバーの動きを読み切り、技そのものの発動、動きの選択肢、逃げ道と多くの手を塞ぎ、勝利を確信するかの如く本来 “正解” なのだろう一手を打った。二天一流の動きとしては、完璧だったのだろう。
二天一流の志による動きだけならば。

結論から言うと燕返しの不在を、可能性の欠如として捉えることで、私は一定の納得を得た。

人には人の斬り方の正解がある。その正解を検証の果てに“零”へ導く。だがその“零”にさえ、“無限”の可能性はあるやもしれぬ。ならばその発展を検討し、対応する“零”をまた導き直して……。
こればっかりは自分なりの「螺旋」解釈ではあるのだが、問題はこの螺旋は選択、あるいは可能性に対して盲になれば即座に崩壊することにある。
正解に、勝利に目を眩ませて、セイバーの手で生み出された可能性を見落とした。ただそもそもセイバーの理解が無ければ、ありえない展開だった訳で……少なくとも宮本伊織は、瑕疵があるとも知らずに挑んで自滅した、愚か者では決してないと思うのだ。

まあうだうだ言ってきたけれども、やっぱりこの話は本題にはならない。
敵に選択肢を押し付ける王者の剣で打ち砕かれたのではなく、自分の心を理解した上で打たれた一手だと友に告げられたら、そりゃあ己の未熟云々を抜きにしても、これ以上はどうしようも無くなるんじゃないかなと思うし、そうであったと信じたい。彼は幸運に恵まれたと、さんざ宣ってきた身としても。

というわけで今度こそ感想おしまい! 長くなってすみませんでした。

おまけ:カスタムについて

最後に申し訳程度の備忘録をば。
実は1週目時点ではおにぎりを飲む伊織君ネタを全然分かっていなかった。というのも即時アイテム使用のコマンドが分かってなかったこともあり、回復はおしなべて貴石による回復魔術頼りだったからだ。なので未だに、セットしているのは燃費の低い魔術ばかり。一気に全回復するより火の型を使いつつ少しづつ回復した方がいいとか、半分持ってかれたら直ぐに半分回復した方がいいとか考えているし、攻性の魔術は危険攻撃を止められさえすればいい、と……この体たらくなので、逸れ直伝の技もまだ全然使えていない。

共鳴絶技はというと、もう少しまともに色々試している。そろそろ巻き込み型の技を上手く使えるようになりたいもの。
カービィ勢的にはこう、つよいアイスバーニングこと熱雲を愛でたい気持ちがあるのだが!  これまたみみっちくもポイント消費の少ない絶技ばかり使っている(そもそも危険攻撃の予兆に対して反射的に絶技を打つ体になってしまったので)ため、やはりランダムで手持ちの技を繰り出す協力技システムに、活躍の場を頼っている。ちなみにデバフ枠こと水狗は応刀タイミングが分からなくなるのでそんなに使わない。

絶技が分からなければ、魔術拵はもっとわからない。特定エネミーへの特攻効果は果たして効いているのか?  もしかして神速回避って応刀判定の緩和ではないのか?  回復効果そろそろ焼け石に水だなこれ?  などと煩悶した結果、辿り着いた真実は「これゲージ増加乗せておくのが一番効果実感できるな…」だった。(※個人の感想です)

とはいえ望みの効果を持ったパーツが上手いことドロップしない事もあり、現状はこんな感じになっている。いずれ回復と回避を別のものに変えていくつもりだが、色合いが纏まっており見た目で気に入ってしまった。PvPがある訳じゃなし、気長に見繕っていきたい。

いやあ見た目、実際大事だと思いますよ。
可惜夜に初めて突入した時に伊織殿が白妙の柄を使ってたせいで、正面から見ればこう、清廉潔白なのに、君って人は……などと二割増の絶望の嘆きを深夜に響かせましたからね私は。


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