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所有する、とは 、大人になる、とは

いろいろのものを手放したい
最近よくわたしの中にやってくる気持ち

そこにあるものがわたしに所有されている
、、、
これがどうもむずがゆい、なんかいや
手放したい衝動に駆られる

一方で
所有させないで欲しいというのは
責任逃れな気もする
そもそも所有しているという考え方も少々傲慢だなと思うのに
わたしのものではないままそこにいて欲しいなんて
わがまま極まりないよなあ
少女漫画に出てくるあの最後に成敗される悪い男と同じだなあ
なんて思う
わたしの相手は人ではないのだけれど

知らぬうちに
なにかの背負わなくてよいものを
勝手に背負っているのかもしれない
その反動かしら

とにかく“持っている”ということから逃れたい

大学時代に手放したはずの
“わたしがなんとかしなきゃ”思考が
最近また顔を覗かせていて
そういう時にいつも
いろいろのことから解き放たれたくなる

わたしが所有しているものや
わたしを所有しているものから
距離を置きたくなってしまう

それでも人はやっぱりひとりでは生きていかれないから
煩わしさを包み込める大人になりたいのです
その器がまだわたしには育ちきれていないのだとわかる

もういい歳だっていうのに、
わたしはまだ大人になることを躊躇っている
何かになってしまいたくないと願っている
何者にもならずに老いていく選択肢を捨てきれない

複雑さに耐えながら
この世界の有難さを踏みしめて
たくさんのいきものと
たくさんのひとりと交わりながら生きる
そんなただのひとりでいたい

他人のために花の世話を出来るひとになりたい
たんばさんみたいな大人になりたい
↑最近話題の『季節のない街』山本周五郎作品、よかったらぜひ


月桃をはじめて
本を読む時間が増えた
そして
しぜんに
考える時間が増えた

するとnoteはいつもこうやって重たくなる
困ったな
風が心地いいね〜、夏だね〜
とかそういうこと書きたいんだけどな

最近は人さまを私の思考に巻き込むnoteやってます

0616


追記
読み返しながら気づいたけれど
図書館という場所は
わたしのものではないのに
まるでわたしのもののような顔をして
そのままそこにいてくれる

所有する責任から解き放ってくれるから
だから好きなのかもしれないとふと思ったりした

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