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アイドル冠番組の役割について:『日向坂で会いましょう』のこと

 このnoteを始めた当初、私は乃木坂46の他に、日向坂46も追っていました。プロフィールにも未だにそう書いてあります。
 しかしながら、今はほぼ追うのをやめています。その原因は2つで、
①曲がピンと来ない。
②冠番組を面白いと感じなくなった。
 です。

・曲のこと

 私が一番好きな曲は『ドレミソラシド』で、MVも含めた飛び切りの明るさと、ストリングスのサウンドが好みでした。
 しかしながらその後は、クール路線、ブリブリ路線と来ていて、どうも私の好みには嵌りません。『青春の馬』は結構好きですが、直近の『君しか勝たん』という題名を知った時は、あまりのしょうもなさに脱力してしまいました。
 乃木坂46、欅坂46という先駆者がいて、そこと同じことをやっていても仕方ないのは分かりますが、これだ!という曲にはなっていないように私は感じていますが、これは私の選り好みのせいでもありますので、あまりゴチャゴチャ言う気はありません。

・冠番組のこと

 最大の問題は冠番組で、私にとってはむしろ曲よりも重要です。『ひらがな推し』時代からとても楽しんで見ていたのですが、徐々に番組のノリに嫌気がさしてしまい、全く見なくなり、既に一年程経過しています。

 思い返すに、最初のきっかけは、オードリーとの距離を縮めようという企画の回、正確にはそれを契機とした妙な企画への偏重傾向の始まり、でした。
 メンバーには世代的に分からない例えをする若林に対するクレームが濱岸から寄せられ、分からなくても続ける、と若林が開き直っていました。

 その回自体は面白くて大好きなのですが、そのうちに、メンバーに分からないキン肉マンネタを何故かメンバーに勉強させる、という変な企画が行われました。
 キン肉マンのたとえツッコミを繰り返すメンバー達、というこの回は私は全く面白くなくて、途中で見るのをやめてしまいました。
 どうやら評判が良かったようでしばらく続いたキン肉マンネタは、齋藤京子さんの番組内でのクレーム(「キン肉マンネタ、もう良いです」みたいな感じだったと思います)で無くなりましたが、そうした色が強くなって行くきっかけの一つであったと思います。

 そして、オードリーのプライベートネタ、MC(主に春日)イジリ、過去の番組内でのやり取りやネタ(ぶりっ子等)の執拗な繰り返し、それらが多用されることによる、内輪ウケ的なノリが定着してしまったように見えました。

・内輪ウケと番組独自のノリ

 どんなバラエティ番組でも、その番組独自のノリは存在します。それが長年続き、認知を得た長寿番組であれば、見る側がそのノリを学んで来い、という態度も許容される余地があります。
 私が見ていた番組で例を挙げれば、『ガキの使いやあらへんで』『アメトーーク!』あたりで、他にもたくさんあるでしょう。
 しかし、まだ広く定着もしていないのに独自ノリで突っ走れば、それは狭い範囲での内輪ウケと堕すことになります。『日向坂で会いましょう』は間違いなく、まだ定着していません。放送局数もまだまだ少ないのですから。

 内輪ウケの何が問題かと言えば、まだまだファン層を広げるべき段階なのに、ノリに付いて行けない新規のファンが入って来にくいことです。
 そして、オードリーが大笑いして引き立てて、さも面白いかのように番組を構成し、内輪のファン達がTwitterで盛り上がったとしても、外に出たらほとんど通用しないことも、大きな問題です。
 当人達も当然、外に出たら通用しないことは理解していると思います。初対面のMCをイジったりはせず、自分達の内輪ネタをぶち込んだりはせずに、きちんと対応していると思います(ほとんど見ていないので分かりませんが)。

・冠番組の役割

 ですが、特に坂道グループでは活動の土台であるべき冠番組で、何を目指してこんなノリを続けているんだろう、というのが疑問でした。
 もちろん、番組の企画に積極的に取り組むこと自体は称賛されるべきですし、アイドル番組も広義で言うバラエティ番組なわけですが、お笑い芸人が集う番組と同じことをする必要はないはずですし、お笑いだけをやる必要もない。むしろメンバーの個性に合わせて、企画をするべきです。
 その場での笑いがアイドル番組界で最高だったとしても、大した意味はありません。仮に日向坂46が、番組間の壁を超えることが出来るスーパーお笑い集団であるなら、内輪の笑いで終わらさずに外部に撃って出られるでしょう。しかし現実には、そんな集団は存在しないと思います。

 ではどうするべきかと言われれば、歌、ダンス、演技、運動能力、美術能力、趣味、その他パーソナルな部分に光を当てて、その個性をファンや関係者に見せること。そこからメンバーの人気の獲得や、外仕事に繋げて行く。冠番組の存在意義はそこのはずです。

 私が『日向坂で会いましょう』に関して完全に「もういいや」と見切ったのは、一年程前の演技力企画がきっかけでした。
 もう記憶が曖昧ですが、普通に演技力を見れば良いのに、若林が全く繋がりのないアドリブ指示札を出してふざけ始めた時点で、心底ガッカリしたのを覚えています。

・演技という武器

 演技は、アイドルにとっては重要な武器になり得るものです。
 バラエティという分野には芸人達がひしめいており、あまりにも過当競争です。
 その点、演技、特に舞台演劇は、卒業後にやって行く余地が比較的ある分野で、これは乃木坂46のOG達の活動を見れば明らかです。その演技力を試す場を、おちゃらけの材料にして一時の笑いを取ることを優先するとは、一体どういうつもりなのか、全く分かりませんでした。

 日向坂46は時折テレビドラマをやっていますが、グループとして枠を取っている内輪ドラマであって、独り立ちするための経験の場としては不足です。どんどん外の場に出ている乃木坂46に比べれば、雲泥の差です。
 もちろん、冠番組の演技企画程度で演技力が劇的に向上するはずがありませんが、場数が足りない彼女達にとってはそれなりに貴重な場ですし、ほとんど出番を得ていないメンバー達のアピールの機会にもなったはずなのです。
 まあ、途中で見るのをやめてしまったため、うまくアピール出来た者もいたかも知れないのですが、一事が万事この調子だったので、もう見るのはやめました。

・内輪の支持の危険性

 現在の路線がある程度の支持を得ているのも確かなわけで、この流れは変わらないのでしょう(もう見ていないので、路線が変わっても分かりませんが)。
 しかし実際のところ、放送する地方局は増えず配信はひかりTVで、坂道3番組の中では明らかに小さいプラットフォームでしかありません。
 2ch、Twitter等では盛り上がっているのかも知れませんが、それが実態としてどれほど底堅い支持なのかは慎重に判断するべきです。
 私には、内輪のファンの贔屓目評価としか思えません。

 今の路線を続けて、グループ在籍中は内輪のファンに持て囃されたとしても、卒業してからバラエティで成功することは非常に困難でしょう。二十名以上いる中で一人いれば上々、二人いたら奇跡的な成功と言えます。
 では他の分野、演技で、ファッションで、歌で、誰かの支持を得られるだけの力量、実績が、今の活動で備わるでしょうか。私には、到底そうは思えないのです。

・今後について

 まず基本に立ち返って、メンバー自身の個性を延ばす冠番組を目指すべきだと思います。
 ただ番組制作スタッフは、面白いテレビ番組を作るのが仕事なので、メンバーの得意分野を探すことに主眼を置かないのは、ある意味当然です。
 この点の舵取りは、運営の仕事でしょう。特に坂道グループは常設の劇場を持たず、毎週の冠番組こそが活動の土台です。そこが土台として機能せず、悪ふざけの内輪ウケの現場になってしまっているのは、状況としてはかなり悪いと思えてなりません。

 もちろん、エンターテイメントにおいて未来を予見するのは困難ですし、所詮は私の意見です。日向坂46がバラエティを席巻する可能性も、ゼロではありません。
 こうした考えが正しいのか否かは、時間が判断してくれることでしょう。もし正しかったとすれば、分かった時には手遅れですが…


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