日蓮の曼荼羅は密教のマンダラではない

日蓮の曼荼羅を密教のマンダラと混同している人がほとんどであるようだが、日蓮が描いた曼荼羅は浄土変相図(以下、変相という)の一種であって密教のマンダラではない。以下、このことについて説明する。

まず、基本的な事実を確認しておこう。変相はインド、チベットでは「マンダラ」とは呼ばれないが、日本人はそれらを含めて「曼荼羅」と呼んでいる。日本においていつ頃から変相を「曼荼羅」と呼ぶようになったかについてまでは詳しく知らないが、遅くとも寛喜元年(1229年)の3月の時点ではすでに浄土変相図が「曼荼羅」と呼ばれるようになっていたことは確実である。それは、寛喜元年(1229年)3月に証空が当麻寺の変相のことを「曼荼羅」と書きつけた古柱が発見されているからである(森英純さんの論文を参照)。

“ さて此の最初の当麻曼荼羅の拝見が何時の事であつたか『縁起』にはそれを明かにしていない。然るに昭和十六年七月に当麻寺の宝庫から、その昔西山上人が自ら寄進文を書きつけられた古柱が発見された。その文字の半ば以上は磨滅して全文は読み取り得ないが、その文中に「右件田者」「奉当寺参詣然間拝見化人蓮絲曼荼羅」「往生極楽之」〔中略〕「弥陀仏」「寛喜元年巳丑三月廿六日 沙門(花押)敬白」等と云う文字が判読せられる。『縁起』に引用された文は僅かに一字相違する丈で、他は皆一致し、其の前後の文字も寄進の趣意を知るに足る程に読み取られ、殊にその年月日が判然としておる。“
(森英純「初期の西山流における当麻曼荼羅の流伝」、『西山学報』通号13号、1960年7月、p. 10)

日蓮が曼荼羅を描き始めた文永8年(1271年)の時点では、すでに変相も曼荼羅と呼ばれるようになっていたのであるから、日蓮が自らが描いた変相を「曼荼羅」と呼んでいても全くおかしくない(むしろ時代の流れからして自然である)。

そうなると、日蓮の曼荼羅が密教のマンダラであるかどうかは、その内容によって判断するしかないだろう。密教のマンダラに詳しい研究者は、以下のようにいっている。

“このような浄土変相図はインド、チベットでは「マンダラ」とは呼ばれない。〔中略〕また、「南無妙法蓮華経」の題目を組み合わせて日蓮が書いた「板曼荼羅」も、インド人やチベット人は「マンダラ」と呼ぶことはないだろう。“
(立川武蔵『マンダラ―神々の降り立つ超常世界』、学習研究社、1996年、p. 27)

密教のマンダラとはどういうものかをよく知っている研究者からみれば、日蓮の曼荼羅は密教のマンダラとはいえないということである。さて、密教のマンダラとはどういうものであるのかについての専門家の解説をもうひとつ引用してみよう。

“あるいは仏教特有の絵としては、日本の寺院によくある地獄・極楽図を思い浮かべることもできる。そしてこれらの宗教画には、いずれもストーリーがあり、また一場面の中に、あるいは場面と場面との間に、時間の経過を予想させるものを含んでいる。
 だが曼荼羅には、物語と時間の経過がない。〔中略〕それを見ただけでは、それがなにをわれわれに語りかけようとしているかをただちに判断することはむずかしい。叙述的な要素を、まったく欠くからである。
 曼荼羅を宗教画として見れば、そこには通常の宗教画にとって不可欠のストーリーがないということが、分からぬという感じをもたれるまず第一の理由であろう。“
(松長有慶『密教』〔岩波新書・新赤版179〕、岩波書店、1991年、p. 185)

上の説明においては、「地獄・極楽図」が変相を指し、「曼荼羅」が密教のマンダラを指していることは明らかである。もしも日蓮の曼荼羅が密教のマンダラであるとすれば、それは「物語と時間の経過がない」「ストーリーがない」ものであるということになる。はたしてそうだろうか。日蓮じしんは、以下のようにいっている。

“其の本尊の為体〈ていたらく〉、本師の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士は上行等の四菩薩、文殊弥勒等の四菩薩は眷属として末座に居し、迹化・他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月郷を見るが如し。十方の諸仏は大地の上に処したもう。迹仏迹土を表する故也。是の如き本尊は在世五十余年に之無し。八年之間、但、八品に限る。“
(『観心本尊抄』、https://genshu.nichiren.or.jp/documents/post-2285/id-2285/)

日蓮のこの文章は、じしんが描いた曼荼羅についての説明であるとみて間違いなく、このことについて異論のある研究者はいないだろう。そこにおいて日蓮は、「是の如き本尊」が過去にあったのは釈尊在世中の「八年之間、但、八品に限る」といっているのであるから、日蓮の曼荼羅が法華経の八品の中で展開されるストーリーを再現的に図顕したものであることは否定のしようがないであろう。つまり、日蓮の曼荼羅は明らかに「時間の経過を予想させるものを含んでいる」のである。よって、「物語と時間の経過がない」「ストーリーがない」密教のマンダラではないということになる。八品で展開されるストーリーを再現的に図顕したものであるから、正しくは霊山浄土変相図の一種ということになる。

日蓮の曼荼羅は八品のストーリーを再現的に図顕したものであるので、構図としては、上空から霊山を俯瞰したものではありえない。大地より菩薩が涌出する場面を含むストーリーを描くのに上空から霊山を俯瞰した図を描くはずはないからである。八品のストーリーによれば、主人公である釈尊の視線の方向は、宝塔の中から外を見ている向き(西向き)であろう。日蓮の曼荼羅は、釈尊と正対する視点から見た構図になっているだろうから、曼荼羅を拝する人の視線は必然的に宝塔が出現している東を向くことになる。釈尊から付嘱をうける上行菩薩も釈尊と正対しているから同じく東を向いている。上行菩薩は釈尊と正対していないと主張している人をたまに見かけるが、四菩薩は地より涌出して、(扉が開いた状態の宝塔の中で宝塔の外の方を向いて座っているところの)釈尊の前に住し、釈尊を観て合掌して問訊しているのだから、上行菩薩が釈尊と正対しているのは経文から明らかである(以下の経文を参照)。

“是の菩薩衆の中に四導師あり。一を上行と名け、二を無辺行と名け、三を浄行と名け、四を安立行と名く。是の四菩薩其の衆中に於て最も為れ上首唱導の師なり。大衆の前に在って各共に合掌し、釈迦牟尼仏を観たてまつりて問訊して言さく、世尊、少病少悩にして安楽に行じたもうや不や。度すべき所の者教を受くること易しや不や。世尊をして疲労を生さしめざる耶。“
(「従地涌出品」からの引用①)
“爾の時に弥勒菩薩及び八千恒河沙の諸の菩薩衆、皆是の念を作さく、我等昔より已来、是の如き大菩薩摩訶薩衆の地より涌出して世尊の前に住して、合掌し供養して如来を問訊したてまつるを見ず聞かず。“
(「従地涌出品」からの引用②)

そもそも、上行菩薩が釈尊と正対して東を向いているのでなければ、上行菩薩が曼荼羅の中で中尊のすぐ右側に描かれていることの説明がつかないであろう。上行菩薩は東を向いているので、右尊左卑の原則に従って中尊のすぐ右側に描かれているのである(上行は四菩薩の中でも最上位だから釈尊により近い位置でかつ他の菩薩よりも相対的にはより右にいるはずである)。宮田幸一さんは、曼荼羅を「絵像、木像にした場合、二尊以外の向きをどうするのかということがすぐ生じる」というが、上行菩薩像を釈迦像と対面する形で右側に配置しても何の問題も生じないであろう。上行菩薩像が背中で語ることになるだけの話である。

“ただ問題もいろいろあり、曼荼羅では釈迦多宝の二尊だけがこちら側を向き、その他の衆生は妙法蓮華経ならびに釈迦多宝のほうを向いているのだが、絵像、木像にした場合、二尊以外の向きをどうするのかということがすぐ生じる。日蓮宗の一塔両尊四士の安置様式は、全員こちら側を向いているようだが、そうなると曼荼羅では右尊左卑を表して上行菩薩は向かって右側に配置されているが、全員こちら側を向いている場合、上行菩薩を曼荼羅に合わせて、向かって右側に配置するか、それとも右尊左卑の原則を守り、向かって左側に配置するのかという問題まで生じてしまう。“
(宮田幸一「『本尊問答抄』について(5)」、http://hw001.spaaqs.ne.jp/miya33x/paper15-5.html)

以上述べた通り、日蓮の曼荼羅は、霊山を上空から俯瞰する構図で描かれたものではない。それに対して密教のマンダラは、上空から俯瞰する構図で描かれるものなのであるから、その点においても、日蓮の曼荼羅は密教のマンダラと大きく異なると言える。浅井円道さんが日蓮の曼荼羅と密教のマンダラとの相違について述べていた文章のなかでもそのこと(「正面からの立体図」対「俯瞰的な平面図」)がふれられていたので引用してみよう。

“不可見の理を可見の図として凡夫に観ぜさせるという着想は確かに真言密教の事相にヒントを得たに違いない。しかし相違もある。梵字化に対して漢文字化、上からの俯瞰的な平面図に対して正面からの立体図等であるが、根本的に違うところは、五大院安然の用語を借りれば、真言宗の曼荼羅が本来一仏の理を図化したに対して、日蓮は、安然が真言宗に対すれば教相においては劣るとした天台宗の開会一仏をかえって拾い出して、これを曼荼羅化したと見ることができる。“
(浅井円道『日蓮聖人教学の探求』〔浅井円道選集第1巻〕、山喜房仏書林、1997年、p. 257)

浅井さんは「不可見の理を可見の図として凡夫に観ぜさせるという着想は確かに真言密教の事相にヒントを得たに違いない」というのであるが、日蓮の曼荼羅は内容的には浄土変なのであるから、「真言密教の事相」にではなくて、むしろ浄土教の曼荼羅(変相)にヒントを得たという可能性もあるだろう。

以上で、日蓮の曼荼羅は密教のマンダラでなく霊山浄土変であることの説明をおわる。

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