三重興絶と六重相対と三大正法

法華玄義の巻第二上に見られる「三重興絶」の説から解説をはじめる。「三重興絶」というのはわたしの造語なのであるが、それは中古天台の四重興廃説の発想の原点となったといわれている法華玄義の文章を指している。なぜその部分を「三重興絶」と呼ぶかについては後で説明することにして、法華玄義の当該部分をまず引用しておこう。菅野博史さんによる現代語訳も引用しておく。

“絶は是れ妙の異名なり。〔中略〕又た、妙は是れ能絶、麁は是れ所絶なり。此の妙に麁を絶するの功有るが故に、絶を挙げて、以て妙に名づく。迹の中に、先に方便の教を施せば、大教起こることを得ざるが如し。今、大教若し起こらば、方便の教は絶す。所絶を将て、以て妙と名づくるのみ。又た、迹の中に、大教既に起これば、本地の大教は興ることを得ず。今、本地の教興らば、迹の中の大教は即ち絶す。迹の大を絶するは、功、本の大に由る。迹を絶するの大を将て、本の大に名づく。故に絶と言うなり。又た、本の大教若し興らば、観心の妙は起こることを得ず。今、観に入りて、縁寂せば、言語の道断じ、本の教は即ち絶す。“
(菅野博史訳注『法華玄義(上)』〔第三文明選書1〕、第三文明社、2016年、pp. 196-197)
“絶は妙の別名である。〔中略〕また、妙は絶する主体【能絶】、麁は絶する対象【所絶】である。この妙に麁を絶する働きがあるので、絶を取りあげて妙に名づける。迹[門]のなかで、先に方便の教えを与えれば、大教が生起することができないようなものである。今、大教がもし生起するならば、方便の教えは絶する。絶する対象によって、妙と名づけるだけである。また、迹のなかの大教が生起する以上、本地の大教は興起することができない。今、本地の教が興起するならば、迹のなかの大教はすぐに絶する。迹の大を絶するのは、その働きは本[門]の大による。迹を絶する大を、本の大と名づけるので、絶というのである。また、本の大教がもし興起するならば、観心の妙は生起することができない。今、観に入って条件【縁】が滅すれば、言葉で表現する手だては断ち切られ、本の教はすぐに絶する。絶は観による。この絶の名を、観の妙と名づける。“
(菅野博史訳注『現代語訳 法華玄義(上)』〔東哲叢書 仏典現代語訳シリーズⅠ〕、東洋哲学研究所、2018年、pp.174-175)

上の文章を素直に読めば、この部分を「三重興絶」の説と呼んでよいことは明らかであろうと思うが、念のために説明しておこう。この部分は「~興らば、~絶す」という基本構造の積み重ねであることが明らかであり、その基本構造を「興絶」と呼ぶことにはまったく問題がない。そして、その基本構造は三重に積み重ねられているので「三重興絶」と呼ぶのが妥当である。「○○興らば、△△絶す」という意味のかたまりを「○○>△△」というように不等号で表現してみることにすると、上の法華玄義の文章は、「観心>本門>迹門>方便教」と要約することができる。ここでは「>」が興絶を意味するから、興絶は三重である(不等号は3つである)。興絶は三重であるから、そこで段階的に出てくる「麁」は3つ(方便教、迹門、本門)であり、「妙」も3つである(迹門、本門、観心)。だから、法華玄義では上記の文章のすぐ後に以下のように述べているのである。

“今の三絶は竪に円教に約す“
(菅野博史訳注『法華玄義(上)』〔第三文明選書1〕、第三文明社、2016年、p. 197)

以上で法華玄義の三重興絶説の説明をおわる。ちなみに、中古天台の四重興廃というのは、例えば、『一帖抄』の表現でいえば「迹の大教興れば爾前を廃し、本の大教興れば迹の大教を廃し、観心の大教興れば本門の大教を廃す」というものである。この表現は『五人所破抄見聞』(http://www.mitene.or.jp/~hokkekou/yousyuu/yousyuu4_1.htm)にもみられるが、『一帖抄』の作者が本当は誰なのかというような未解決の問題があり、伝日蓮遺文の真偽を論じる際によく論争の種になっている。しかし、ここでは、日蓮が『一帖抄』の四重興廃説を受容していたかどうかはあえて問題としない。日蓮の真撰遺文である『報恩抄』の文から明らかなように、日蓮が法華玄義の三重興絶説を受容していたことは明らかであり、そのことさえ確認できれば、以下の議論を展開するのに十分であるからである。まず『報恩抄』の該当部分を引用する。

“又仏滅後一千五百余年にあたりて、月氏よりは東に漢土といふ国あり。陳・隋の代に天台大師出現す。此人の云く 如来聖教に大あり小あり。顕あり密あり。権あり実あり。迦葉・阿難等は一向に小を弘め、馬鳴・龍樹・無著・天親等は権大乗を弘めて、実大乗の法華経をば或は但指をさして義をかくし、或は経の面をのべて始中終をのべず。或は迹門をのべて本門をあらはさず。或は本迹あつて観心なしといひしかば、南三北七の十流が末、数千万人時をつくりどつとわらふ。“
(『報恩抄』、https://genshu.nichiren.or.jp/documents/post-2285/id-2285/)

日蓮は『報恩抄』のこの部分で、チギの他宗批判の原理を「観心>本門>迹門>方便教」という形で理解しているといえる。よって、日蓮は法華玄義の三重興絶説を受容しているといってよい。日蓮はかなり法華玄義を読み込んでいるので当然といえば当然であるが。

さて、ここから六重の相対の話にうつる。「六重の相対」もわたしの造語であるが、このことはすでに説明したので詳しくは以下を参照されたい。

六重の相対というのは、従来の五重の相対のうちの第五の相対の意味を「本門の文上と文底とに相対して文底の一念三千(観心)を取る教判である」と理解し、その上に第六の相対を設けて、「一念三千の修行法を相対して、有相行である五字の受持(事の一念三千)を取る教判である」と説明する教判である。

わたしは第六の相対を「事理の相対」と呼んでいるのだが、この第六の相対にずばり相当する日蓮の遺文として『富木入道殿御返事』(別名『治病大小権実違目』)の文章を挙げておく。

“一念三千の観法に二つあり。一には理、二には事なり。天台・伝教等の御時には理也。今は事也。勧念すでに勝る故に、大難又色まさる。彼は迹門の一念三千、此れは本門の一念三千也。天地はるかに殊也こと也と、御臨終の御時は御心へ有るべく候。“
(『富木入道殿御返事』、https://genshu.nichiren.or.jp/documents/post-2285/id-2285/ )

六重の相対のうちの第三から第五までの相対は法華玄義の三重興絶説を再整理したものであるといえる。つまり、第五の相対までは天台学の継承である。よって、第六の事理の相対こそが日蓮独自の教判なのである。

日蓮は、「天台・伝教のいまだ弘通しましまさぬ最大の深秘の正法、経文の面に現前なり」(『撰時抄』)といい、仏が3つの正法を末法のために留め置いたのだという。

“ 問て云く 天台伝教の弘通し給はざる正法ありや。
 答て云く 有り。
 求めて云く 何物乎。
 答て云く 三あり。末法のために仏留め置き給ふ。迦葉・阿難等、馬鳴・龍樹等、天台・伝教等の弘通せさせ給はざる正法なり。
 求めて云く 其形貌如何。
 答て云く 一には日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂宝塔の内の釈迦多宝・外の諸仏・竝びに上行等の四菩薩脇士となるべし。二には本門の戒壇。三には日本乃至漢土月氏一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず、一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱ふべし。“
(『報恩抄』、https://genshu.nichiren.or.jp/documents/post-2285/id-2285/)

この3つの正法は「三大秘法」などと呼ばれているが、ここでは「三大正法」と呼んでおく。要するに、三大正法とは、本門の本尊、本門の題目、本門の戒壇の3つであるが、これが「事の一念三千」の正体ということになる。日蓮のこの三大正法という考えは、おそらく、仏教の伝統的な帰依三宝の形式に依拠しているのだと思われる。すなわち、仏への帰依の対象が「本門の本尊」(寿量の仏)、法への帰依の対象が「本門の題目」(五字)、サンガへの帰依の象徴が「本門の戒壇」(サンガに入ることを許可するシステム)ということであろうと思う。

日蓮には法華経(経)と寿量の仏(仏)を一体と見る思想があるから、五字をそのまま寿量の仏と見る考えもある。この考えに立って日蓮の曼荼羅をみるなら、中尊の五字を寿量の仏とみることになるだろう。この点については、小林正博さんの以下の意見に賛成である。

“図顕本尊の中央にある南無妙法蓮華経は、法華経の心・体であり肝要である。と同時に、釈尊の悟りの内容であり、「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す」(「観心本尊抄」昭定七一一頁・御書二四六頁)とあるように題目にすべてが包含されているのだから、本門の仏そのものを表しているといってもよい。“
(小林正博『日蓮の真筆文書をよむ』、第三文明社、2014年、p. 215)
“したがって、本尊の議論でよく対比される「報恩抄」の「本門の教主釈尊を本尊とすべし」(昭定一二四八頁・御書三二八頁)と「本尊問答抄」の「法華経の題目を以て本尊とすべし」(昭定一五七三頁・御書三六五頁)とは、表現は違っているが、同じことを言っていると捉えて会通すべきだと思う。すなわち、二つの表現を統合・包含しているのが図顕本尊に他ならないのである。“
(小林正博『日蓮の真筆文書をよむ』、第三文明社、2014年、pp. 215-216)

もっとも、小林さんが同書で述べている【曼荼羅正意が日蓮にとっての本意である】という主張には賛成しない。五字が「本門の仏そのものを表している」のだとしても、日蓮じしんは「文字として書かれた五字だけが本門の仏を表しうる」とは考えていないからである。例えば、『宝軽法重事』では「寿量品の釈迦仏の形像」の現出を期待している。よって仏像形式本尊と曼荼羅形式本尊の優劣を単純に論じることはできない。もちろん、仏像の場合には「法華経を心法とさだめ」ることが必須となることはいうまでもないが(『木絵二像開眼之事』を参照、https://genshu.nichiren.or.jp/documents/post-2285/id-2285/)、仏像に向かって五字を唱えるならば、それは法華経全体を読誦していることになるから、五字を唱えるという行為じたいが法華経を心法とさだめることになる。ゆえに、仏像に向かって五字を唱えるならば、その仏像は「寿量品の釈迦仏の形像」になることになる。このことについてはすでにブログで述べたことがあるので詳細は省略する。以下を参照されたい。

一念三千の法門によって開眼された釈迦立像と五字の梵音声
http://fallibilism.blog69.fc2.com/blog-entry-42.html

以上で三重興絶と六重相対と三大正法の関係についての説明をおわる。



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