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Moulin Rouge! - 2024 Opening Night

 「貴方には何も感じない。何も」

 2幕、サティーンがクリスチャンを突き放すために言った台詞-
 大変残念ですが、2024年のMoulin Rouge!初日に対する私の偽らざる感想です。

 昨年、13回観劇し、時間をかけて感想をあげたくらいには「楽しく狂った」演目に対し、ここまで何も感じないとは思いませんでした。
 「虚無」ではありません「無」なのです。

 昨年の感想は以下をご参照ください。
 プロダクトが深化する過程にフォーカスしたため長文です。

Disclaimer
 初日が開いてすぐ、大半の人が観劇していない今の段階でネガティブな投稿を上げることについてとても迷いました。
 演出が変更された結果、not for meであったという程度のものであれば、私はこの感想を観劇後すぐ上げることはなかったでしょう。昨年と同じものを観たいというわけでありませんから、変更の結果がnot for meであったなら「去年のバージョンが好きかな」のひとことで終わるものでした。

 今回「何も感じない」との感想に至った要因の大半はテクニカルなものであり、調整によって改善、乃至、解決可能であると判断したため、意を決して書くものです。

 2023年からの改善点は「Crazy Rollingの見切れ問題」が解決したこと。
 上手の最奥にクリスチャンが座り込むところからスタートしていた場面が、幕ひとつ分手前、センターよりから始まったことで見切れ問題は改善していました。
 こんなも簡単に演出変更が許されるならば昨年変えればよかったのにというのが本音ですが、悲しむ人が減ったことは喜ばしいことです。
 照明はオートメーションではありますが、このシーンのスポットは人力であてられていること、また直前のシーンのセットの移動を考えても変更はそこまで難しいものではなかったのではないかと推察されるためです。

 以下、私が初日に感じた問題点を列挙します。

音響の劣化

 昨年、プレビューから週を追うごとに音響が良くなり、8月に入ってからは音響セッティングは完成形をみたはずでした。
 にもかかわらず、音響をゼロベースで再構築した結果、2024年初日の音響は低重音がスカスカ、空洞化していました。
 昨年のプレビューは1階席ライブ会場、2階席普通のミュージカルといった風情だったものが、本日の2階席は録音を聴いているのかと耳を思うほど音が薄く、スネアドラムが椅子を揺らすのみでした。
 昨年の千秋楽付近を100点とした場合、プレビューの音質は1階席で75点、2階席で50点でした。2階は50点としましたが、通常帝国劇場で上演されているミュージカルよりも音質は遥かによく、帝劇でこのような音が聴けるのかと驚いたことをよく覚えています。
 演目に求められる音として考えたときに、綺麗にまとめられすぎていてライブ感が足りないというのが2階の音響でした。1階のライブ感を2階では体感しづらいというだけで、昨年のプレビュー段階での音はとても綺麗でしたし、音楽が伝えるべき要素を受け取ることができるものでした。
 しかし、2024年初日の2階席は20点、すなわち昨年のプレビュー時の半分の水準にも至っておらず、まるで録音を聴いているかのようでした。さらに、音楽としてのまとまりがない…いや、音楽を構成に必要な要素がそもそも抜け落ちたかのような音となっており、20点でもかなり甘い採点だと我ながら思います。

 初日の音響の甘さは長い観劇経験から理解しています。観客が入ると響きがまるで変わってしまうということも。ただ、同じ会場での、それも直近=昨年のプレビューのクオリティより低いというのは流石に想定外です。それは昨年上演した際のデータ蓄積のアドバンテージが消えたということを意味するものだからです。
 なお、参考までに昨年のプレビューで座した席と今年の初日で座した席は2列違い5席上手寄り、すなわちほぼ同エリアでした。

 低重音が響かないだけではなく、特定の楽器の音ばかりが聴こえ、管楽器などは聴こえてこないという謎の現象も発生しており、音質の悪さに衝撃を受けました。ドラムもスネア以外の音が極端に小さく、どのような音響のセッティングになっていたのかが気になります。
 写真を比較したところスピーカーも配線も変更がないように見えますが、天井に取り付けられたスピーカーから音が全く聞こえてこなかったように感じましたし、舞台上に設置されたリアスピーカーの効果も実感できませんでした。なお、配線やケーブルの変更によって音質が変わるというのはホームシアターにおいてもあることですし、風車や象が少し変わるだけでも完全に同じ設定にすることは無理でしょう。ですが、基本的な配置やケーブルに大きな変化がないのであれば、近しいところまでもっていくことはさほど難しいことではないのも事実です。
 クリスチャンが幕を上げる動作から始まる生演奏の第一音のベース音からしてみぞおちを殴られるような感覚がなく、びりびりと空気が揺れることもありませんでした。その肩透かしは残念なことに終幕に至るまで変わることがありませんでした。
 また、オープニングが終わり、クリスチャンがモンマルトルへ向かうところで台詞の後ろでBGMとしてLa Vie en Roseが流れているのですが、なぜかひどく軽く浮いた音として聞こえてきたのも音響に対する違和感を感じるきっかけのひとつとなった出来事のひとつでした。

 なお、音響をゼロから再構築することになった、若しくは再構築せざるを得なかったのは初日前日の囲み取材で強調されていた「芝居が深まった」ことと無縁ではないと考えています。この件は後述します。

(2024.6.23 追記)
 1階1桁列上手サブセンターにて観劇。
 前方に座ったことで、多少の改善は見られましたが1階と2階の違いもあり、判別は付けられないと思います。昨年のプレビューで下手側ほぼ同位置で観劇した際のことを考えると、やはり静かになったとの印象です。
 ただ、前方に座っていたにもかかわらず舞台から音が飛び出してくる感覚はなく。紗幕の向こうで音が渦巻いているようなイメージ、すなわち、舞台上から前に音が飛び出してこない感覚でした。
 空気が震える感覚はなく、スネアドラムが強く音を出しているときだけに椅子が揺れるというのは初日と同じでした。

指揮のタイミング

 オーケストラの関係では、音が入るタイミングが、4分の1~半拍早く、間が悪いシーンが続きました。
 ほんのワンテンポのことのように思われるかもしれませんが、この間の悪さが終始続いていたのがとても気になりました。間が悪いということは音が求められる型にはまっていないということを意味します。

 役者が指揮を探りながらパフォーマンスをしている、すなわち役者が音楽に合わせにいく形を採用していたがために、全体的に歌が小さくまとまってしまい窮屈でした。特に平原さん等はグルーブ感やその場での感覚を反映させながら歌うことが多く。楽譜の拍数に収めるようにコントロールしているところなどに特にその窮屈さを感じました。

 パフォーマーとオーケストラの方向性が一致していないこと、すり合わせができていないことがこのちぐはぐさの要因だと思われ、私には歌も音楽も気持ちよく響きませんでした。
 どのようなミュージカルでも指揮者やオーケストラの構成員によって、大きく印象が変わります。ただ、アップテンポのダンスに歌にと忙しいこのミュージカルショーでここまで方向性が合致していないというのは致命的ーどこかでハレーションが起きるのではと勝手ながら危惧しています。
 オーケストラとパフォーマンスが噛み合ってこない、混然一体とならない感覚が私にはあり、あたかも不協和音のように感じました。

 全体として、集団でのシーンは爆発力がそがれ、役によってはのびやかさやおおらかさといったものが失われてしまっていました。結果、歌によって空間が染め変わる瞬間がなく、世界が広がらないが故に、メリハリがつかないという現象が起きていました。

(2024.6.23 追記)
 歌におけるタイミングはあってきたように感じましたが、台詞とのタイミングはもう少しお願いしたいところでした。
 ただ、歌唱に関しては望海さん、甲斐さんはじめ比較的楽譜に忠実に歌唱するメンバーの組み合わせでもあったため、平原さんでどうなっているかは気になるところです。

芝居フォーカスによる音響への影響

 昨年、日本版MR!は悲劇度が高いと評されたからか、随分と芝居に振り切ったとの印象を受けました。

 昨年のプレビュー時、望海さんが芝居を重視し(平原さんのパンチ力のある歌との差別化を図るためにしたことだと思っている)音と動作を意識的にずらすことに挑戦していましたが、今回の芝居重視は全体的にちぐはぐした印象を受けます。もちろん、芝居が深まった、心情がより理解できたというシーンもありました。
 ただ、芝居を重視することと、ミュージカルの歌を楽譜通りに歌うこと、芝居歌を歌うことは本来異なる象限にあるべきもの、つまり同時に成立できるもののはずですが、これらが混同した結果、ジュークボックスミュージカルの疾走感がなくなっていました。
 また、芝居に振り切るならば。間を持たせて心情を伝えるべきシーンにおいて、音楽を主軸とした昨年と同じ間で演じたがために、芝居全体のテンポがちぐはぐになり、観客が完全に置いてけぼりになっていたように感じました。ただ、音楽の力を使って登場人物のパワーを引き出す演目において、芝居にフォーカスするというのはとても困難なことだと思います。実際昨年の望海さんも開幕から10日のうちには音にはめる方向にシフトしていました。

 芝居にフォーカスした結果、引き起こされたのは冒頭の音響問題、すなわちマイク設定の問題ではないかと考えられます。
 マイクが全体的に地声を聴かせる方向、すなわち、エコーがないに等しいセッティングとなった結果、低重音を抑えて歌声を聴かせるという悪循環に入っていたというのが私の推測です。

 なお、エコーがないため昨年言葉がビジーで聞き取れなかった歌詞は全てクリアに聞きとることが出来ましたが、私個人としてはMR!という演目に求めているものでは全くありませんでした。
 MR!の歌詞はそもそもがポップス的なつくりとなっており、通常のミュージカルのように歌詞を必要以上に明確に聞かなくとも成立する作品だと思っています。
 エコーのないセッティングが悪いわけではなく、この作品においては相性が悪いと感じたものです。

 なお、日本版MR!における悲劇性の高さとはマッシュアップの英語歌詞を日本語訳したことに起因するものだと考えています。英語では各々の原作者の作詞でしかなかったものが、日本語訳をした際に歌詞に一貫性のあるストーリーが生まれました。ひとつひとつの歌が物語において何を意味するものかを訳詞者それぞれがしっかりと対峙し、深掘りした結果、物語のストーリーラインが英語よりも浮かび上がりました(但し、英語であったなら楽しめた歌詞のダブルミーニングや行間を読む楽しさがなくなったという側面もあります)。
 そのことで、歌詞をしっかりと表現していくことが結果的に芝居を深めることに繋がり、悲劇性が増すという仕組みです。
 芝居をことさら深めようとの努力をせずとも日本版MR!は英語版に比して芝居としての側面が強くなりやすいMR!なのです。
 芝居を深めようとの試み自体はいいものだと思います。ただ、そのことによって歌・ダンス・芝居のバランスが著しく崩れてしまうのであるならば、昨年の黄金比を維持するべき=日本語の歌詞を大切に届けることで伝わる芝居を大切にした方がいいのではと考えます。
 それが「Moulin Rouge!」という演目であるからです。

照明

 全体的に白みがかった明るさとなり、舞台全体があっけらかんとした印象に変わりました。言葉を選ばなければ「情緒がない」がシックリくる表現のように思います。昨年はいい意味でくどいくらい赤い世界が広がっていましたが白みがかかったことであたかもフィルターがかかったようになり、彩度が落ちているように見えました。
 Nature Boyのシーンについては全体が明るくなったように思われます。ムーラン・ルージュのきらびやかな世界の間に挟まれたパリの路地の暗さがクリスチャンの気持ちと呼応しているシーンですが、ひどく明るいのです。
 サティーンの死のシーンが明るくなり、クリスチャンやサティーンの表情がはっきり見える一方、Material Girlsなどで足元からの強烈な光に照らし出されることで表現されていたサティーンの絶望的な決意が照明が弱まったことで見えづらくなってしまうといったことも起きていました。

 また、ショーアップして観客の心を躍らせたり不安に思わせるべきところの光量が抑えられているのでメリハリを感じられず。
 昨年の照明のタイプがライブ寄りのショーであったならば、今年のそれは芝居用にシフトしたことで舞台の魅力が半減したと言わざるを得ません。
 最初に感じたのは、サティーンがブランコから降りてきたシーンでした。サティーンのドレスに埋め込まれた幾百ものスワロフスキーの上品であるのに鮮やかに眩しく輝くことがなかったのです。
 ロクサーヌのラスト、クリスチャンが跪いて絶叫するように歌うシーンなどは眩しくて目を開けていられないほどのライトで視界がホワイトアウトし。クリスチャンのシルエットが綺麗に浮かび上がることで、直後のデューク邸との対比が浮かび上がっていましたが、そういったものも弱くなっていました。
 鮮烈な赤や深い青、はっきりとしたピンク、青の中に存在するグリーンといった色がどれもこれも色褪せた色に映りました。
 このショーには退廃的な空気感が必要です。
 ただ、それはあくまでも根底に流れるものであり、表現の全てにその退廃は不要です。退廃と退廃を感じさせない強烈な光の対比構造が消失したことは時代の空気感の喪失にも繋がっています。

 また、ピンスポを照射する精度の甘さも気になりましたし、ピンスポでの輪郭をわざと甘くするシーンが増えたことで、舞台の締めるべきシーンが締まらず、結果メリハリが失われているというのが今回起きたことです。

 なお、演出上重要な役割を果たしていたロクサーヌにおけるクリスチャンとサティーンのサスライトが楕円に変更され、更にクリスチャンのライトが中央に留まるという演出がなくなった点は私にとっては改悪としか言いようがありませんでした。

 以下、昨年の感想より抜粋。

 前方上手からクリスチャンが、後方下手からサティーンがまっすぐ平行に舞台を横切る。真っ赤に染まるライトの中、歩くふたりを四角い白のライトが舞台上空から追いかける。

 舞台中央ですれ違うとともにデュークの声が響く。その声をきっかけに、クリスチャンのライトのみが2つに分かれるのだ。舞台中央に残るライト、そして歩き続けるクリスチャンを追うライトに。

 サティーンと邂逅した場所で立ち止まったままのクリスチャンの心、そしてデュークによって身体的に引き離されていくさまを表現したシーンはシンプルながらに美しく。

 多彩な照明技術が用いられているこの演目の中でひときわシンプル、だからこそ掴まれるものがあった。

Moulin Rouge! the Musical - Summer 2023 Japan

(2024.6.23 追記)
 1階1桁列上手サブセンターにて観劇。
 昨年と比較しても赤さが足りない、漆黒がありませんでした。
 デューク登場のシーンなどは、昨年はどれだけ前方で目を凝らしても見えないほどに真っ暗だったのですが、今年はジドラーが照明を落としたタイミングで位置につくデュークが見えるほどには明るいです。彼が突然舞台上に現れたことに驚く瞬間が失われていました。
 赤については、客席全体の照明が明るくなっており、舞台上についても同様と思われます。
 また、客席上で黄緑の光をサーチライトのように出しているライトや、Elephant Love Medleyのクライマックスのピンクも光の筋が柔らかくなっていました。
 全体的にコントラスト不足を感じる理由が分かったように思います。


 「再演で稽古期間は少し短かった。その分、セリフの一言一言を見直すなど濃度は高かった」

 カーテンコールにおいて平原さん井上さんからこのような挨拶がありましたが、私の印象はこの作品の肝であるオケとの音合わせがしっかりとできていない、すなわち、稽古不足であったというものです。
 小屋入り後については細かいところの調整が全くできていない状況と言わざるを得ません。

 マイクを含めた音響のスイッチング失敗は数知れず、そのたびに気持ちが途切れました。
 井上さんに至っては明確なマイクトラブルが3回。細かいところまで入れると二桁近くあり…そのたびに椅子からずり落ちそうになりました。これまで、MR!以外のミュージカルで全体的に音の設定が甘い上演回に遭遇したことはありますが、ここまでトラブルの多い音響は初めてでした。
 なお、昨年の13回の観劇でマイクトラブルや音響トラブルと呼べるようなものには1度も遭遇しませんでした。今年は昨年より4日早く幕が上がりましたが、4日あったら昨年のクオリティまで調整できたのだとすれば、この4日早い開幕はミスジャッジと言わざるを得ません。
 ここまでくると物語の世界に没入することはできないですし、またトラブルが起きるのではないかと思いながらの観劇に疲弊しました。

 オーケストラも、何故こんなところで音が歪むのかというところが多く、特にFireworksでサビに移行する直前については、私の中では許容できる範囲を逸脱していました。人間が演奏しているものなのでミスは仕方がないと思います。ただ、ここまでミスが多発していると「仕方がない」とはいえないというのが本音です。
 全体を通して言えることは明確に準備不足であり、プレビューではなく本公演として観客に披露するクオリティに達していなかったということです。

 台詞の改変も気にはなりましたが(特にニニの「バーカ」が「豚」に変更された点は英語の上演台本「Who doesn’t, pig?」からニュアンスが変わってしまっており残念)、そこについてきちんと整理できないくらいに、没入するための最低限の環境、特に音響が整っていませんでした。

 昨年、私はMR!のチケット代を高いとは欠片も思いませんでした。
 象や風車にお金を払う演目と揶揄されてもいましたが、精緻に作られた世界とパフォーマンスの高さ、帝国劇場、いえ劇場という場所では実現不可能と思われた音響がムーラン・ルージュの混沌としたカオスの渦に没入させてくれるお祭りのような演目でした。
 そのことに私はお金を喜んで払っていました。
 私にとってそれは価値があるもの=payする対象であったのです。

 残念ながら、今日はパフォーマンスを含めたすべてにおいてその価値を見出せず、心がひとかけらも動くことがありませんでした。正確にはパフォーマンスに集中させるための音響環境が整っておらず、ムーラン・ルージュの世界の入り口に立つことができませんでした。
 The Sparkling DiamondやSHUT UP AND RAISE A GLASSの歌い出しなど、何か所かここから世界に没入できるかもしれないという瞬間はありましたが、其れが長続きすることはありませんでした。
 また、今日のパフォーマンスにおいては出演者が浮き足立ってしまっており、観客をムーラン・ルージュの熱狂の渦に巻き込むことができていなかったようにも感じました。また、出演者のテンションの高さとは裏腹に、前述したとおり窮屈な歌唱が続いたことも地に足がついていないようなチグハグさを感じる要因であったのかもしれません。

 舞台とは総合芸術であり、何もない空間に様々な「技」を駆使して物語の世界を現出させるものです。物語の世界を現出させるにはセット、光、音、転換などなどー様々な「技術」が必要です。その上で役者にどのように演技をさせるのかを調整していくのが演出だと思っています。
 何が欠けても、物語の世界には真の意味で没入できないのです。
 何かが零れ落ちていた時に、他の技がその零れ落ちたものを拾って余りあるものを見せてくれる瞬間はありますが、零れ落ちたものが多すぎてはそういったことも不可能です。
 すべてが噛み合ったムーラン・ルージュの世界を知らなければ楽しめたのかもしれませんが、今年は零れ落ちたものが目から耳から多く入ってきたのです。
 昨年の感想で「このショーを作った人たちが真にプロフェッショナルだと思うのは」と書きましたが、少なくとも今年の初日からはプロフェッショナルの仕事を感じることができませんでした。

 兎にも角にも諸悪の根源である音響の改善を第一に、そして演者がパフォーマンスしやすい指揮を。現在の状況は指揮者が目指す方向性とパフォーマーの蓄積してきたものの間に大きな乖離があります。
 なお、オケとの音合わせがきちんとできたならばおのずと改善されるポイントかもしれませんが、演者においては今一度、型にはめるべきポイントを再確認して頂きたいと感じました。
 芝居を深めることと、要所要所を型にはめることは全く異なるものであり、共に重視すべきポイントであるはずです。

 次回の観劇で大幅に改善されていることを切実に願います。
 照明については好みの問題もあるかとは思いますが、少なくとも音響設定の改善は急務です。

 もう一度、精緻に作りこまれた舞台を観られることを願って、最後に昨年の感想の一部を載せます。
 これが「Moulin Rouge! the Musical」の真髄であるー私はそのように感じているからです。

 「ムーラン・ルージュ」という作品は実は特別な演目ではない。
 ストーリーはシンプルだし、演出も破綻はないが、かといって特筆すべき点は特に思いつかない。
 お金をかけた究極の娯楽作の物語にー
 深淵があるのかと尋ねられれば、否と答えるだろう。

 豪華で繊細な舞台セット。
 細やかな配慮がなされた衣装。
 華やかな照明。
 ライブの舞台とは思えぬほどの音響。
 そして、圧倒的な演者の実力。

 その上にしか成立しない舞台だ。 

Moulin Rouge! the Musical - Summer 2023 Japan


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