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かくて救世への道を往く(7)

冗談じゃない


「全員、叩き潰してみせるわ。完膚無きまでにね」

 綾が言った瞬間、包囲網の中にいる敵のESP能力者たちが一斉に騒ぎ始めた。攻撃しろ、連中に投降の意志はない、今も戦う気でいる――。

 しかし、もう遅い。

「みつき、お願い」
「ほいよっ」

 みつきは指を突き出し宙へ小さな円を描く。と、そこに透き通ったレンズのようなものが生まれた。

「? 何だ、これ……」
「久瀬さんは触っちゃダメ。サイコキネシスで空気ひっかき回して作ったかまいたちなの。手、切っちゃうよ」

 ところが、注意を促したみつき自身がかまいたちに触れた。これに綾と瑤子も続く。中心が真空に近いかまいたちは三人の指先から滲む血を吸い上げて赤く染まり、直後に消失。混ざり合って宙に浮いた血の滴を綾が素早く指先に絡め取り、それぞれ綾自身、みつき、瑤子の眉間へ押し当てていく。
 普通なら指先の形そのままの跡が残るはずだが、綾の持つごく弱いサイコキネシスに導かれた血は任意の形に固定されていた。三者三様、それぞれ違う紋様。

「折角だから、久瀬さんにもお裾分け」

 綾は、久瀬の額にも血のついた指を押し当てる。

「何なんだ? これは……」
「大サービス。あなたの紋様は神、あるいは救世主を意味するの」
「は?」
「私の祖先に、強制収容所に入れられた者がいたという話はしたわよね。……ロマの一族だったの。中世の頃から迫害されつつ各地を放浪して。占いやまじないを生業にしていたのだけれど、私も一通り受け継いでいるの。ちなみに、みつきは光あるいは太陽を意味する紋。私は夜あるいは月。瑤子は現世あるいは大地。これにあなたの紋を合わせたら、この世界全体を象徴することになるわ」
「いや、その、突然オカルトの話をされても……」
「そう毛嫌いしないで。人類は有史以前から自分たちに秘められた不可思議な力に気付いていたし、非科学的ながらその力の概念付けと研究を連綿と続けてきたわ。実際、魔術や呪術の法則を母体として超能力研究はスタートしたのだし、古い文献の中には今も通用する知識がたくさん眠っているの」

 久瀬はただ、戸惑うしかない。

「何をウンチク垂れ流してんのよ……。久瀬さん、オカルトオタクの戯言は適当に聞き流していいよ」

 横合いからみつきが言い、久瀬はそちらを向く。

「……な」

 傷つけた指先を舐めているみつきの顔が、ぼんやりと光を放っていた。目の錯覚かと思ってしきりに目を瞬かせたが、確かに光って見えている。

「あ、すっかりお礼言うの忘れてたけど、背広、ありがと。でも、もうちょっと借しててね。大丈夫、ぜえええったい穴とか空けないから」

 みつきが背広のボタンを留め、袖をまくっていく。そこから見える二の腕も光っていた。

 その隣に、瑤子がいる。

「まだ、春で――んね。あたしも、ちょ――寒――」

 まだ春だし夜中の風は少し寒い、と言いたいらしいが、声が不自然に途切れている。
 いや、おかしいのは声だけではない。姿も。まるでコマ落ちした映画のフィルムを見ているように、瑤子の動きがところどころ飛んでいるのだ。

 さらに、綾も。

「あら、あちら様もようやく行動を起こし始めたのね」

 久瀬は確かに、綾の方を向いてその声を聞いた。

 そのはずなのに、綾が、その場にいない。

 いや、よく目を凝らせば、綾は確かにそこにいる。これほど近くにいる彼女の姿をうっかり見落とすところだった。光を放つみつきとは逆に、彼女の姿が闇に溶けていくような錯覚すら覚える。
 故に気付く。綾の背後に展開している特殊部隊の包囲網。連中の装備している狙撃銃が、繰り返し繰り返し火を噴いているのだ。

「う、うわっ……」
「大丈夫だよ、久瀬さん。ちゃんと防いでるから」

 みつきが上を向く。非致死性兵器を装備したアパッチにも攻撃命令が下ったようだ。攻撃手が電磁波を照射するスイッチへ手を伸ばし――。

「ふんっ、何度も同じ手が通用するかっ、あほっ」

 鼻で笑ったみつきが三度、伸ばした指先を空へ突き出す。繰り出された弱い破砕波が金属板の中央を直撃して小さな穴を穿つ。実にあっけなく非致死性兵器は沈黙、慌てたアパッチはこれ以上の攻撃を受けないようそれぞれ全力で回避運動を取り始めた。

 しかしみつきは、アパッチが攻撃を仕掛けようとした瞬間をどうやって察したのか。最前は電磁波を受け始めるまで気付きもしなかったし、ESP能力者の綾も全く指示は与えていないのだ。

「みつき。引き続き物騒なヘリはよろしくね」

 綾が言いつつ、歩き出す。埠頭の方へ。
 その先には、ESP能力者の部隊がいる。

「――ンパイ、あた――のみます、気をつ――さい」

 瑤子も歩き出した。こちらは綾と逆の東京湾側、ペイブロウが着陸している方向へ。ただ歩いているだけでEXが発動しているらしく、その姿が明滅を繰り返している。

「さーて、そんじゃ……行きますかッ!!」

 みつきは仁王立ち、声を上げて拳を握りしめた。
 どおん、と腹の底に響く重低音と共に、みつきから放射状に衝撃波が放出される。それと同時に地面が揺れ始めた。震度にして二、三、四。あっという間に揺れが強くなっていく。底力の解放。
 側にいた久瀬は足をすくわれ、地面に尻餅をつく。

「ひ、日向っ、地震が………………っ?!」

 久瀬はまたも己の目を疑った。少しずつ空へ浮かび上がっていくみつきの身体の輝き、すなわち強力なアクティブ・キャリバーの奔流が円環を伴いながら爆発的に広がって、やがて頭上に一対、左右に一対、足元に一対という特に強く輝いている場所が現れたのだ。

「な、んだ……後光? 翼……? 光の……」

 その姿は、六枚の羽根を持つ熾天使のようだった。あるいは千手観音、如来の後光か。

「な、にが……どうなってる……んだよ」

 人それぞれ色も形も違うというオーラの輝き――アクティブ・キャリバーの余剰分が見せるパターンの一つに過ぎないのだが、これは久瀬に察しがつくものではない。
 ただ、光り輝き空へ浮かび上がっていくみつきの姿を、呆気にとられて見ているだけだった。



 ユニゾン。
 血の紋様を額に描く行為を、みつきたちはそう呼んでいる。

 この一種の儀式が三人の潜在能力を限界まで引き出す原理は、一切わかっていない。かつての研究所でも解明はされておらず、みつき、綾、瑤子らにとっても「こうすれば、こうなる」という経験則以外のことは全く知らなかった。

 ただ、テレパシーを用いた意志の交換が基礎となるのは、ほぼ間違いないのだろう。

 テレパシーによる通信は、他者の思念を脳で直接受け取ることで成立する。これは通常、よほど親しい者同士ですら強い不快感を伴うし、そもそも人の思念や感情の起伏は個人差が激しい。言語ほどには共通した概念や理論を持たないから、全く誤解のない意思疎通を成り立たせるのは困難だ。
 テレパシーなら誤謬のないコミュニケーションができるはずだと考えるのは、完全な素人論なのだ。喩えるならば、設計もOSも全く違うパソコンを強引に繋ぐようなもの。それでネットワーク成立するなら誰も苦労はしない。
 が、極めて親しい間柄の者同士が一種の覚悟を持てば――ある程度のプロトコルが成立し、己の身を傷つけてでもテレパシーを受け入れるという覚悟を経たならば、例外的に潜在意識下へ一種のゲートを設けることが可能になるのかもしれない。指先の傷が癒えて額の紋様が消えるまでは、互いに深く強く繋がることを許し、ゲートを通ってきた他者の意識を全面的に受け入れてよい、と。そうした一種の催眠暗示になるわけだ。

 また、血の紋様を描いたのが額、正確には眉間のわずか上だが、この位置にも大きな意味があるのかもしれない。
 人間の急所の一つであり、古今東西、神通力を持つ者に備わるとされてきた第三の目が存在する場所。瞑想状態や理想的な集中力を得ている時に脳波が集中するのも、やはり眉間の付近である。

 そうして、個々の思念波が高密度かつ誤謬なく交感され続けた副次効果として、三人の潜在能力が限界まで引き出される。
 おそらくはそういう理屈である。

 故に、超能力者ではない久瀬にとって、ユニゾンは何も意味をなさない。
 だから今も、三人に何が起きているのかなど、久瀬には全くわからない。何も感じられない。ただ漠然と想像するのみだ。
 久瀬の殺害を装って三人を分断しようとした敵の作戦意図も、このユニゾンを封じることにあったのだろうかと。

 そんなことは、今、久瀬の眼前で繰り広げられている戦いの様子を見れば、誰にだって察しがつく――。



「ほらほらほらっ、こっち来なさい、こっち! あんたら存在自体が危ないんだから!」

 久瀬の元から空へ舞い上がったみつきは六枚三対の輝く翼を羽ばたかせて飛び続け、陸地から数キロ離れた東京湾上へアパッチ五機を誘い出していく。
 いや、誘い出すという表現は適切ではない。サイコキネシスを遠隔で送り込んで力ずくで引っ張っているのだ。ヘリの構造上あきらかに不自然な動きを強いられ、アパッチ機体上部のメインローターと後尾部のテールローターは過負荷に悲鳴を上げていた。
 ちなみに、フル装備のアパッチ一機の総重量は十トン強。これを時速三百キロ超で飛行させるローターの出力すらも今のみつきは容易くねじ伏せていることになる。物理法則などあって無きが如し、神話の神々もかくやというほど桁外れの超常現象だ。

「だいぶ陸地から離れた……もういいかな」

 その位置は、東京湾アクアライン上、海ほたるパーキングエリアから北東に十キロメートル。高度にして三百メートル。まさに東京湾のど真ん中で、みつきはアパッチの拘束を解いた。

「逃げようったってそうはいかないからね。こっちはアッタマ来てんだから。一機残らずブッ潰す!」

 幸い、と言うべきか。各部に故障が認められなかったアパッチは、自由になった途端に体勢を整え編隊を組み直した。直後、チェーンガンを一斉に発射。最大で毎分650発の30ミリ機関砲弾をばらまく銃身が五つが唸りを上げ、凄まじい量の弾丸がみつきに向かって殺到する。

 今までなら、障壁の一つも張るところだが。

(楽に避けられるわ)
(半歩右で充分です)

 どこからかそんな声がして、みつきは軽く身を捻る。
 高熱を帯びた弾丸が、久瀬に借りた背広の脇を紙一重で通り過ぎた。光の翼には命中したが、これはとめどなく放出され続けるアクティブ・キャリバーの余剰分にすぎず、空いた穴はすぐ塞がってしまう。また、躱すのが難しい弾丸はあらかじめ撫でる程度のサイコキネシスを送り込み、弾丸の軌道を変えていた。

 これこそがユニゾンの真骨頂。みつきの持つパッシブ・キャリバーが敵の殺気を確実に把握できるほど研ぎ澄まされている上、地上にいる綾と瑤子も状況を頭の片隅で把握し続けているから、どう対処するのが最善かという相談と決断がみつき自身の判断のように共有されるのだ。
 まさに究極のチームワーク、完全無欠の阿吽の呼吸。

 だから、アパッチ五機がチェーンガンを諦めてロケット砲での攻撃に切り替えたところで、結果は全く同じ。みつきに向かっていく火線は途中でねじ曲げられて数百メートル下の水面へ一直線。重なり合ういくつもの爆発が大きな水柱を上げるのみ。

「はーい、残念でした。で、次はどうすんの?」

 搭載兵器がどれも通用しない以上、取るべきオプションは決まっている。
 アパッチは一斉にみつきへ背を向け、全速力で一目散に逃げ始めた。

「逃がさないって言ったでしょーがっ!!!!」

 吠えたみつきが、わずかに逃げ遅れた一番近くのアパッチへと猛然と飛びかかった。

 その速度はなんと、アパッチが発揮しうる最大速度の倍以上。
 ほとんど音速。

 光の翼を残像のようにその場へ置き去りにして、みつきは数百メートルの距離を一気に詰めた。瞬間移動も同然だし、コンマ数秒で遷音速寸前まで加速する人間を捕捉し続けられる火器管制システムやレーダーが存在するはずもない。アパッチはみつきの接近を認知することもできなかった。

「ほんっとに、呼びもしないのに虫みたく湧いてきて!」

 みつきは身体を一捻り、高速回転するメインローターの基部へ鮮やかな回し蹴りを叩き込んだ。そこから爆発するように衝撃が広がる。形容しがたい轟音が空気を震わせる中、ローターは先端部までもが一枚残らずひしゃげて吹き飛び、あるいは引き裂かれ、ゴミクズとなってぼろぼろと落下していく。

「まだまだあっ!」

 続けて素早くヘリの後部へ移動。テール部に手刀を叩き込み根本からへし折った。二度と空を飛ぶことのない巨大なスクラップの出来上がりである。

 浮力を失ったただの鉄の塊など、放っておいても地上に落下して終わりなのだが、みつきはむんずと掴んでこれを止める。

「うりゃあ! じゃいあんとすいーんぐ!」

 その場で三回転半した後、ぽいっ、と海面へ向けて無造作に放り投げる。
 自由落下の方が、まだましだ。
 凄まじい勢いで激突すれば、それが水面だろうとコンクリートに覆われた地面だろうと大差はない。スクラップは乗員を乗せたまま砕け散って東京湾の藻屑と消える――と思いきや、なぜかスクラップはヘリの原型を留めて着水し、静かに沈んでいく。

 水面へ落ちる直前、みつきが多少なりとサイコキネシスを送って減速させたのだ。パイロットとガンナーも無事だ。慌ててハッチを開けて外へ逃れるも、しばらくは海上を漂い続けるしかない。

「爆発炎上させられなかっただけでも感謝しときなさいっ! ……はい、次っ!」

 言って、二機目のアパッチに向き直ろうとする。

 その二機目は、仲間が撃墜されことに気付いたのだろう。自分が殿となってこの場にみつきを足止めし、仲間を安全に逃がさなくてはならない。まさに決死の覚悟で攻撃態勢を整えていた。
 みつきが向き直る前に、チェーンガンが火を噴く。大量の弾丸を狙いも付けずにばらまいていく。弾幕だ。それと同時にロケット弾を発射。弾幕でみつきの行動範囲を狭めつつ爆風で身を焼こうとしたのだ。アパッチの現装備で考え得る最高の攻撃手段である。

 しかし、それでも甘い。甘すぎた。

 パッシブ・キャリバーを限界まで引き出している今のみつきに、搭乗員の悲壮感溢れる決意が感知できないはずもない。彼女は向き直るのを途中で止めて急上昇、そこで初めて身を翻して次の相手に向き直る。上空から余裕を持って見下ろしている格好である。
 アパッチの鈍重な運動性能ではこんな急な動きに追いつけない。ばらまいたチェーンガンの弾丸もロケット砲も、誰もいない場所へ虚しく飛んでいった。

「……さーて、どうして欲しい?」

 するりとヘリの背後に回り込んだみつきが、ポキポキと指を鳴らしながら問いかける。
 これに気付いた操縦士が、アパッチを慌てて回頭させる。
 が、もう遅い。どうしようもない。
 一方的にドツき回されて、スクラップになるだけだった。

「はい、二つ目おわり! あと三つ!」

 再び光の翼を大きく大きく広げたみつきが、空を舞う。逃げる三機を追いかける。
 アパッチの搭乗者たちは今後、本国の教会で天使の絵や像を目にするたび、今夜の恐怖を思い出して震え上がることになるのだろう――。



「ユニゾンで潜在能力を引き出せると言っても、疲労が軽くなる訳でなし……。昨日といい今日といい、頭痛に悩まされる日が続くこと……」

 ぶつぶつと愚痴を呟きながら、綾は静かに移動を続ける。
 歩いてはいない。足は地面からわずかに離れていて、宙を滑るように進んでいく。
 ユニゾンの影響で綾の持つごく弱いアクティブ・キャリバーも限界まで引き出されているから、己の身を浮遊させる程度のサイコキネシスなら辛うじて使いこなせるのだ。

 それにしても、今の綾の姿は傍目に気持ちの良いものではない。

 みつきが引き起こした地震の中を平然と移動し続けている上、解放された極過型のパッシブ・キャリバーがブラックホールのように周囲の思念波を取り込んでいくのだ。武術の達人が己の気配を殺した状態をもう一歩先へ進めたものだと思っていいが、これが第三者に綾の姿が闇の中へ紛れていく錯覚を与えてしまう。特に今はゆらめく長い黒髪や頬の痣も相まって、まるで呪怨を振りまく悪霊だった。
 実際、綾の姿を見失った特殊部隊の連中は「Ghost」だの「Spector」だの「Grim Reaper」だのと口走っていた。狙撃銃の銃弾も最小限度の動きで躱してしまうし、地震の揺れが狙いを狂わせて、迂闊に発砲した銃弾が味方に命中する事態が頻発する。これがまた、幽霊呼ばわりされている綾のせいにされてしまうのだ。

 ただ移動しているだけで、敵を恐怖のどん底に突き落とす。
 それが今の綾だった。

「ついでに、あの連中も私を怖がってくれていると楽なのだけれど……」

 綾は己の進む先にいる敵、八人のESP能力者部隊を睨み付ける。

 彼らは全員、地震で足元が定まらないながらもしっかとその場に立ち続けていた。
 綾の姿を見失うこともない。彼らなりに鍛え上げた能力は、希薄になった綾の気配を捉え続けているようだ。

「……まあ、そうでないと面白くないわ」

 綾が笑う。ひどく楽しそうに。

 そして、地震の揺れが少しずつ収まりを見せ始めた。震度にして一か二。みつきが東京湾上へアパッチを引っ張っていったために震源地が遠退き、共振現象の影響が薄れたのだ。

 綾の足が地面に着いた。
 扱い慣れないアクティブ・キャリバーを封じて、全神経をパッシブ・キャリバーに集中させる。

「さあ、始めましょう。リターンマッチよ」

 八人のESP能力者たちも、地震が収まった直後に動き出した。
 徒歩から早足、駆け足、全力疾走へ。徐々に速力を上げつつ綾との距離を詰める。

 悠然と構える綾へ最初に挑んだのは、テレパシーを応用した精神攻撃で瑤子のEX発動を防いだ黒人女性だった。先刻は気絶するほどのダメージを受けた彼女だが、あれから相当の時間が経っている。身体の動きにも澱みはない。手にしたナイフが描く軌跡はESPに導かれ、綾の頸動脈を確実に狙っていた。

 けれど綾は、その致死性の攻撃をするりと躱す。
 まったく無駄なく、紙一重。
 撫で切られた長い髪だけが、一房、宙に散った。

「容赦がないのね。命令自体は私の捕獲が優先でしょうに。自分の力を試したいの? 私を殺せばあなたたちの方が上だと証明できるから? そうすれば軍の中であなたたちの待遇も上がるの?」

 思念波の揺らぎが、綾にそんな推測をさせる。
 図星だったのか、相手は血相を変えてナイフを振るい続ける。
 しかし、綾はことごとく躱し続ける。

「欲や焦りで感覚が曇っているわ。隙だらけ」

 ナイフの一閃を躱した直後、相手の身体が伸びきって動けなくなる瞬間を狙いすました。
 すっと伸ばした指先が、黒人女性の額に触れる。

「精神攻撃のお手本、見せてあげる」

 手の思念波を把握して完全に同調させ、意識の奥深くへ己の思念波をでたらめに叩き込む。黒人女性の身体が大きく痙攣、ナイフを取り落としてそのまま倒れ込んだ。
 しかし、綾には全くダメージが返らない。黒人女性の精神が極度の嫌悪感に満たされるその前に、素早く思念波の同調を断って逃げおおせたのだ。

 さらに続けて、二人、三人とESP能力者たちが斬りかかってきたが、結果は同じだ。場違いにも美しさすら感じさせる無駄のない綾の動きは敵の攻撃を確実に躱し、指先を額へ触れさせて精神攻撃を送り込み、反動が返る前に思念波の同調を断ち切る。

 八人いたESP能力者たちが半数の四人に減るまで、一分とかからなかった。

「我ながら上手くいくこと。ユニゾン様々、ね」

 あっという間に仲間が半分に減っても、ESP能力者たちは怯まなかった。綾の逃げ道を防ぐように周囲を取り囲んだ残りの四人は可能な限り気配を殺し、己の動きを読みづらくした上で腰のホルスターに手を伸ばして拳銃を掴もうとする。
 四人がまったく同時に拳銃のトリガーを引けば、極過型のESP能力者である綾でも逃げ道は塞がれる。二射、三射と連発するうちに命中するはずだった。

 しかし、つい先ほどまで確かにそこにあったホルスターが消え失せていた。

 綾はこの隙を見逃さない。驚き、半ば反射的に腰の周囲を手で探る四人に駆け寄って間合いを詰め、次々に敵の額へ指先を伸ばしていく。

「あと三人、あと二人、そして……最後」

 わざと残しておいた。
 拘束された瑤子を肩に担ぎ上げていた、大男。

「あの時、瑤子を蹴ったのも、私の頬を殴りつけたのも、あなただったわよね。……高くつくわよ」

 不敵に笑った綾へ、仲間を全て失った大男は自滅覚悟の体当たり。

 が、走り出した途端、彼は顔からまともに地面へ突っ込んだ。

 鼻を打って血だらけになった顔を跳ね上げた彼は、何故転んだのかまったく理解できていない。自分の足が突然消え失せたような違和感のみ。
 見ると、足はあった。両方とも。
 しかし、手で脛から腿に触れてみて絶句した。感覚が全くなくて、他人の足を触っているようだった。そして、少しずつ確実に膨れあがり変形を始めている。バットか何かを何度も何度も叩きつけて痛めつければ、あるいはこれと近い状態になるだろうか。

「瑤子、骨に異常がなければいいというものではないのよ。少しやりすぎ」

 姿の見えない仲間を窘めるも、綾が直後に取った行動は言質とまるで逆。思い切り反動をつけ、大男の傷ついた足を蹴飛ばしたのだ。
 断末魔のような大男の絶叫が上がる。

(……このサディスト)

 ふいにみつきの意識が伝わって、綾は苦笑する。

「楽に気絶させてあげようと思ったのよ。下手に精神を鍛えているというのも考え物ね」

 ぼろぼろと大粒の涙をこぼし始めた大男の前に屈み込んで、頭をそっと撫でる。

「お疲れ様。ゆっくりお休みなさいな」

 精神攻撃。そして彼も気絶。
 怯えきって硬直した彼の心は信じられないほど脆かった。

 これで、八人、全滅。

「研究所が壊滅してたった三年……それだけの間によくもこれだけの能力者を集められたこと。何千という候補者からふるい落とされてきた精鋭部隊なのでしょうけれど……」

 綾は立ち上がって、意識を失った十二人のESP能力者を冷ややかに見下ろす。

「その力、根こそぎ刈り取らせてもらうわ。二度と私たちに楯突けないように」

 綾は、自分以外では決して解くことのできない強い暗示を十二人全員に与えるべく、己の精神を極限まで研ぎ澄ませていった――。



「……綺麗」

 ふと足を止めて上空を見上げた瑤子は、サイコキネシスでアパッチ五機を捕らえて東京湾上へと移動していくみつきの姿をじっと見つめていた。

「センパイ、すごく綺麗……」

 大きく広げられた光の翼と、そこから抜け落ちた羽根のように周囲へ散って空を舞う光の粒子。みつきのアクティブ・キャリバーが顕在化したこの姿は、彼女の心の美しさそのものに違いないと瑤子は思う。

 いつまでも、いつまでも。
 飽きもせず、長い間。
 瑤子は、美しい光の翼を見つめ続けた。

「……いけない。やるべきこと、しておかないと」

 瑤子はみつきから目を離す。

 その途端に、時間が動き出した。

 みつきは五機のアパッチともども物凄い速さで飛び去って、思い出したように地面がぐらぐらと揺れ始める。

(綾さん、さっきテレパシーで教えてくれたこと、間違いないんですよね? 私たちのデータを取ってる人が近くにいるらしいって話)

 その質問の答えは、すぐに返ってきた。

(わかりました。確実に潰しておきます)

 そしてまた、時間が止まる。

 自分以外に何一つ動くもののない静寂の中、瑤子はこの世界に君臨する小さな女王として、ただ一人歩き続けた。

 瑤子は、ユニゾン中のこの時間が純粋に好きだった。
 誰にも気兼ねなく動けることが嬉しかった。
 研究所の人間たちは、才能に恵まれた瑤子を指して『次世代の人類』と称したこともある。だが、今の世の中では度の過ぎた異端としか映らない。瑤子は女子校でも周囲から浮いた存在にならないようわざとテストの回答を間違え、体育の授業も真剣な演技しながら手を抜いている。面倒臭いし気も疲れるが、そうしなければ周囲はやがて自分を妬み、僻み、敵になる。幼い頃から何度繰り返してきたことか。
 だから、曲がりなりにも一つの自由を得て、みつきや綾のように自分を受け入れてくれる今の環境は、瑤子にとって何物にも代え難いのだ。
 それを脅かす者は、誰であろうと許さない。絶対に。

「凄い……。たったあれだけの間に、こんなに」

 先刻、綾と思考の交換を行っていたのは実時間にしてほんの数秒。瑤子の姿を第三者が認知できたのもその間だけだった。なのにこの場を取り囲む何人かの特殊部隊員は瑤子に狙いをつけ、手にした狙撃銃のトリガーを引いていたらしい。円錐状の小さな鉛の塊がいくつも宙に浮いている。
 ただ、もし仮に瑤子が時間を止めていなかったとしても、その内の一発たりとも彼女に命中しなかったろう。みつきの圧倒的なアクティブ・キャリバーによって引き起こされた激しい地震の中、正確に狙いをつけられる狙撃手など存在するはずがない。次々に引き起こされる超常現象に怯え、恐怖にかられて闇雲に撃ち続けているというのが実情だ。

「あ、これ、内調のお兄さんに当たるかも」

 ふと目にした一発の銃弾が、背後の久瀬へと向かっている気がした。ならば、まず確実に弾丸は久瀬に命中する。瑤子の空間認識力は桁外れなのだ。
 放っておいても、致命弾は綾のESPが確実に感知、みつきのサイコキネシスが遠隔で送り込まれて弾道をねじ曲げるだろうが、アパッチとの戦いで忙しいみつきの手をあまり煩わせたくはない。

「よっ」

 ハンカチを巻いた拳でこつんとその銃弾を叩く。時間が動き出せば、ここで加えた力が作用して銃弾の軌跡は確実にねじ曲げられる。

「これも当たりそう……念のため、こっちもかな」

 こつん、こつん、こつん。
 宙に浮いた弾丸を叩いて歩くうち、瑤子は狙撃手の包囲網へ辿り着く。

「ちょっと借ります」

 狙撃手の一人が手にしていた、スコープ付きのM16A2小銃を握った瞬間、周囲の時間が動き始めた。狙撃手は慌てる間もなく銃を取り上げられて、またすぐに時間が止まる。

「たしか、ここをこう……。それで外れるはず……」

 以前、本屋で立ち読みした軍事関連のムックを頼りに銃のマガジンを外し、残弾を確認。あまり残っていなかった。ぽい、と放り捨てられた弾倉は、瑤子の身体から離れるごとに時間の経過がゆるやかになり、地面へ落ちる前には宙に留まって動かなくなる。

「この人、予備とか持ってないのかな」

 また時間が動き出す。
 放り投げた弾倉が地に落ち、銃を取り上げられた狙撃手も動き出した。
 一体何が起きたのかと慌てふためくが、瑤子は素早くその首筋に手刀を叩き込む。気絶。一歩間違えば頸椎を損傷させて命を奪いかねないのだが、その辺りの力加減を誤ったことは一度もない。瑤子は倒れ伏した狙撃手の身体を探り、7.62ミリ口径の銃弾二十五発が収められたマガジンを五つほど手に入れる。
 その左右、仲間の一人がやられたことに気付いた別の狙撃手が、慌てて瑤子へ向けて銃を構え直そうとする。しかし、その時はもう時間が止まっていた。

「えーと、切り替えスイッチ……」

 手に入れた小銃のスイッチを捻り、設定を変える。トリガーを引けば弾薬の続く限り機関銃のように連射を続けるフルオートモードにして、瑤子はまた歩き始めた。

 目指すのは、埋め立て地の片隅に着陸した大型ヘリ・ペイブロウ。

「? 何だろう、この人たち」

 ペイブロウの脇に控えていた白衣の連中である。
 どうやら撤退命令が出たらしく、彼らは開かれたハッチへ慌てて駆け込もうとしていた。

「白衣の人って、嫌いなんだよな……」

 それが医者だろうと研究員だろうと、自分の身体を玩具のように弄られた記憶しか残っていない。町医者ですら、瑤子を題材に論文を書けば学会で有名になれると目の色を変えてきたこともあったのだ。

 何だか腹が立ってきた。

 時間を止めたまま、苛立ち紛れに片っ端から首筋へ手刀を叩き込む。ついでに頭もぽかりと軽く殴っておいた。

「よっこいしょ、と」

 かなり高い位置にあった乗降口に手をかけ、よじ登るようにしてペイブロウの中へ入り込む。
 綾によると、このペイブロウは先刻からしきりに電波の送受信を繰り返しているらしい。通信の内容までは読み取れないが、みつきたちが潜在能力を引き出して凄まじい超常現象を見せつける中、このペイブロウに搭乗している何名は全く驚いておらず、むしろ嬉々としてヘリに搭載された無数の機器を操作することに没頭しているという。

「……さすが綾さん、ドンピシャです」

 ペイブロウの積載空間に入った瑤子は思わず顔をしかめた。
 あちこちに積み上げられた電子機器。そこから伸びるコードを辿ると、壁面いっぱいに設置された無数の大型液晶モニターへ辿り着く。映し出されているのはつい先刻までの自分たちの姿だ。
 久瀬を抱えて東京上空を逃げまどうみつき、エージェントの乗る自動車とカーチェイスを繰り広げた瑤子と綾、ユニゾンを行う自分たち。
 そして、ここにも白衣の連中が数名いて、モニターが示す数値やグラフをを食い入るように見つめていた。

「やっぱり、超能力研究は継続されてるんだ……」

 馬鹿馬鹿しいと思う。呆れもする。胸の底から嫌悪が湧き上がる。
 こんな連中がまた、自分の人生に土足で踏み込もうとしている。

 唇を噛んだ瑤子は、手にした小銃の安全装置を素早く解除。
 腰溜めの姿勢で構えて狙いを付ける。

「死にたくなければ退いて下さいっ!」

 そう叫んだのと、時間が動き始めたのはほぼ同時だった。
 遠くから観察していたはずの瑤子がいきなり姿を現し、自分たちのすぐ側で戦争映画のヒーローよろしく銃を構えて立っているのだから、白衣の連中はもう顔面蒼白である。

 転瞬、瑤子がトリガーを絞り込む。

 耳を劈く銃声がペイブロウの機内に響き渡り、ばらまかれた弾丸が液晶モニターや電子機器に片っ端から穴を開けていく。弾倉が空になると予備を手にして素早く着脱、チャンバーへ新しい弾丸を送り込む。ベテランの職業軍人も舌を巻く鮮やかな手並みだ。白衣の男たちは皆一様に頭を抱えてその場に蹲り、破壊されていく電子機器から降り注ぐ火花を浴び続けるしかない。

 瑤子が携えてきた銃弾を全て撃ち尽くした頃には、もはや動作している電子機器は何一つなくなっていた。

「……これでよし、と」

 一仕事を終え、時間を止める。
 ペイブロウを出てふと遠くを見ると、綾が八人のESP能力者たちとの再戦を始めようというところだった。

「お手伝い、してこなきゃ」

 瑤子は綾のところへ駆け出した。
 その途中、宙に浮いた銃弾をこつんこつんと叩きつつ、特殊部隊の連中に当て身を食らわせつつ――。



 ――まさに、圧勝。
 久瀬が見ている間に周囲の特殊部隊員はバタバタと倒れ、周囲を飛び交う銃弾は一発たりと掠りもしない。アパッチを引き連れて夜空の彼方へ飛び去ったみつきも健在のようだ。豆粒のように小さくなった光の翼がUFOのような急上昇・急下降・急転進を見せる度に轟音が響いてきて、何かが東京湾へ落下して巨大な水柱を上げているのだった。

「あれが……多分、最後の一機か……」

 たまたま近くまで来ていたのだろう。東京上空を覆うスモッグの上でチェーンガンとロケット砲を乱射しているアパッチの姿が見えた。が、そこに、アパッチの機体よりもはるかに大きな光の翼が飛んでくる。わずかな時間差で轟音が響いてきて、墜落、水柱。

 久瀬の記憶が確かなら、アパッチは日本の自衛隊でも運用されているはずだ。その調達価格は一機当たり四十億円を超える。つまり、軍事資産と見なした場合のみつきの価値は、二百億円を軽く超えてしまうことになる。

 超能力、オカルト、裏の歴史と情報機関。
 そんな久瀬に理解できない話は、無視していい。
 今は、目の前の現実だけが全てだ。

「逃げる者まで追おうとは思わないわ。早く帰りなさい。そして、あなたたちの上官に伝えて。二度と私たちに手を出すな、とね」

 綾の勝利宣言が風に乗って聞こえてきた。敵は互いに助け合いながら這々の体でトラックやマイクロバスへ乗り込み走り去っていく。ペイブロウも手近の特殊部隊員を可能な限り回収して離陸を始めた。
 今までアパッチに牽制されていた海上保安庁の巡視艇も、サーチライトを巡らせながら少しずつこちらへ近付いてくる。もはや秘密裏に何かを成せるような状況ではなくなった。上空を漂っていた光の翼も消え失せていて、震度一から二を行ったり来たりしていた地震も収まっている。これまでの騒動が嘘のように、周囲は静まり返っていた。

「本当に、完膚無きまでに、か……」

 諸手を挙げて喜ぶべきかもしれない。

 しかし。

 久瀬の眉間に、皺が寄る。唇を噛み締める。

「……冗談じゃ、ない……」

 久瀬は、官僚なのだ。
 体制側の人間なのだ。
 この状況を、喜べるはずがない。

「終わったみたいですね」

 いつの間にか、久瀬の傍らに瑤子が立っていた。額の紋様を手で拭いつつ、嬉しそうに微笑んでいる。そこに綾も戻ってくる。ペンダントの薬入れを胸元から出し、トランキライザを掌に取って飲み下す。顔色も悪くなっているし、足元も定まらず今にも転びそうなのだが、それでも爽やかな微笑みを浮かべていた。

「終わりよければ全て良しね、我ながら良く保ったわ……。目を閉じたらすぐに気絶できそう」
「あたしも、明日はベッドから起きられる自信ないです……。へとへとだし、膝も笑ってます」
「あらあら、お互い酷いものね」

 綾と瑤子は、本当に朗らかだった。
 そこに、上空からみつきも戻る。満面の笑みで。

「あースッキリした! ざまーみろって感じっ!」
「お疲れ様です、センパイ」
「あっはっは、私は全然疲れてないけどね!」
「あなたと来たら、本当に元気だこと……」
「丈夫なだけが取り柄だもーん」

 三人は互いの労をねぎらい、ぱちん、ぱちんとハイタッチを繰り返す。

「はいはーい、久瀬さんも……あれ?」

 ただ一人、三人に背を向けている久瀬に気付く。

「どしたの? まさかどっか怪我したとか?」
「……いや」
「なーんだもう脅かさないでよー。あ、そうだ」

 借りていた背広を脱ぎ、ぽんぽんと叩いて埃を落とし、丁寧に畳んで。

「有り難う。いろんな意味で助かりました。はい」

 久瀬は差し出された背広を受け取るが、袖を通しもせず、みつきの目も見ず、声もかけない。
 さすがにみつきも、久瀬の様子がおかしいことに気がついた。綾も、瑤子も。

「ちょっと、久瀬さん……どったの? ねえ」
「みつき? ……久瀬さん?」
「内調のお兄さん、どうかしたんですか?」

 久瀬が、三人の方をゆっくりと振り返る。

「……判断ミス、だったんだ。何もかも……」

 日向みつきは、化物だ。

 もちろん、昭月綾も、大地瑤子もだ。

 極過型超能力者は人間ではない。それは久瀬の確信だった。今なら断言できる。なりふり構わずあらゆる手を使ってきた連中こそが正しかったのだと。

「な、によ……。睨むみたいな……」
「日向、話がある。昭月と大地もだ」

 綾は眉を顰め、瑤子は目をぱちくりさせて久瀬の方を見る。
 その、改めて自分に向けられた三人の視線に、胸が早鐘を打ち始めた。

 恐怖ゆえに。

 これから自分は、彼女らの神経を逆撫ですることになる。もし怒りを買って敵視でもされたなら、つい今しがた完膚無きまでに叩きのめされた連中と同じ目に遭うだろう。そのくらい、今から言おうとしているのは危険な話だろうと自覚していた。

 だが、見て見ぬふりはできない。

 久瀬は意を決し、あえて一番危険なみつきに向かって話し始める。

「……君らは、超能力研究所とかいうのを叩き潰して自由になった、とか言ってたよな。三年前に」
「ん? ああ、確かに言ったけど?」
「首都圏大震災の発生も三年前だ。……あれは一般に局地地震なんて言われてるが、実質的には異常地震と言うべきものだったんだ。震度七クラスの地震なら関東全域に多大な被害が出て当然だが、実際には都内のごく限られた範囲が強烈に揺れただけ。千葉、神奈川、埼玉にも影響は出たが、これは主に都心の機能が麻痺して被害が波及したものだ。だから三年で都市機能がここまで回復したんだよ。気象庁の連中も首を傾げてたよ。震源地の推測もできないってな」
「……ふーん、そうなんだ。で?」

 小鼻を掻きながらみつきが先を促すと、

「君じゃ、ないのか。日向」
「は?」
「首都圏大震災の震源は君じゃないのか。おおかた、研究所とかを壊滅させた余波だろう。……君の本当の力はしっかりこの目で見たし、そう考えると辻褄も合う。たとえば君のお節介だ。あの震災で大勢の人間を殺してしまった罪滅ぼしじゃないのか?」
「…………」
「何で黙ってるんだ。図星か」

 たたみかけるように言われたみつきは、綾と瑤子の方へ向き直る。
 そして。
 半ば呆れ、半ば苦笑した三人は、それぞれ手を横に振りながら久瀬の話を否定した。

「そもそも研究所って都心にはなかったですよ? 上恩方の山の奥です」
「想像力が豊かなのね……言われてみると、微妙に繋がって見えるけれど」
「考えすぎだってば。ハゲるよ久瀬さん?」

 そう、言ったのだが。

「信用できない」

 久瀬の即答。

「君らが口裏を合わせているだけだろ。それに、君らは既に一度、俺を騙してるからな」

 これに、みつきが顔をしかめる。

「誰が久瀬さんを騙したのよ、人聞き悪いなぁ」
「本当にか?」

 久瀬は、みつきを真っ向から睨み返す。

「君らは言ったよな、内調は味方なんだと。山形参事官は自分たちの手助けをしてくれていると。だが違う、違うな。君たちを……特に日向を民間に置くというのは、核爆弾に等しい化物が東京をうろついているのと本質的に何も変わらないんだ。これを看過する役人がどこにいる」
「ひっ、ひなたセンパイを化物扱いしないで下さい! 失礼じゃないですか!」

 瑤子は思わず言ったが、久瀬の弁は止まらない。

「俺の見たところ、内調が君らに与している本当の理由はこうだ。……君らの機嫌を下手に損なえば、第二、第三の首都圏大震災が起きかねない。東京全体が人質に取られてるせいで、言いなりも同然で味方になるしかないんだよ。そして同時に、超国家的な軍事的資産を一手に任され管理していた研究所とやらを叩き潰した罪にも問われない。だから今夜、諸外国の情報機関は、動くに動けない日本の立場を勘案した上であえて無茶な作戦を実行させたんだ。違うか?」

 一時の、沈黙。
 綾が目を伏せ、こめかみに指を当てる。

「……その点に関してはおおむね正解よ。そういう面も無くはないわ」
「冗談じゃないっ……!!」

 久瀬が顔をしかめて、吐き捨てる。

「百歩譲って過去はチャラにしても、君らみたいな危険な連中を民間に置いて野放しにはできない! 絶対にだ! 最低限国の監視下に置いて、その力を好き勝手に使わないよう制限する必要がある!!」

 久瀬の言葉は、正論すぎるほど正論だった。

 大きな力を持っている人間が、他の誰からも自由であることは有り得ない。必ず第三者から管理や制限を受けているのだ。そして、これを受け入れることが、力を行使する際の前提でもある。自動車の免許にしろ、法律上は凶器と同等に見なされる格闘技経験者の拳にしろ、国家権力を握る行政、立法、司法の三権分立もだ――ただの一つも例外はない。

 そうでなければ、この世界は、人間社会は成り立たない。
 圧倒的大多数の無力な市民が安心して日々を暮らしていけないのである。

 まして、みつきたちは軍の兵器よりはるかに強力だ。何かを壊し誰かを傷つけるなど論外で、勝手に能力を使うだけで相応の罰が与えられる体制が必要になる。それこそ、自衛隊や警察がたった一発の銃弾すらおろそかに扱わず、使用済みの空薬莢すら厳重に管理しているように。

「だいたい君らのその力は、超国家的な研究機関によって与えられたものだ! だとしたら、その力の用途を決めるのは政府以上の超国家機関以外に有り得ん。それが道理って言うんだよ!」
「……黙って聞いてりゃ、好き勝手なことをべらべらとよく喋るわね、あんたはっ!!」

 とうとうみつきが堪えきれなくなった。

「こんな力、欲しくてもらった訳じゃないのよ! だいたい道理って何よ、どう使えばいいっての?!」
「いくらでもあるだろうがっ! 大地震、森林火災、タンカーの座礁やトンネルの崩落、未解決のまま時効を迎えようとしている殺人事件……君らがいるだけでどれほどの人間が助かるか!!」
「そんな、十年に一回起きるかどうかみたいな大事件、ボコボコ起きてるみたいに言わないでよっ!」

 思わず言うが、こめかみに指を当てたままの綾が溜め息混じりに口を挟む。

「……みつき。この人が例に挙げたような事件はね、日常的にいくらでも起きてるのよ」
「へっ? え、嘘。そうなの?」
「そうよ。みつきはまともにニュースを見ないから、ピンとこないでしょうけど……」

 これに、久瀬は愕然とする。

「日向、君は……何なんだ、一体……」
「な、何よ……」
「ふざけるなっ、少しは立場を自覚しろ! 自分の力をどう使うかくらい常日頃から考えておくべきだろうがっ!! そういう義務が君にはあるはずだっ!!」
「…………」

 みつきは黙ったまま、久瀬を睨み付ける。
 そして、唐突に背を向ける。綾と瑤子の方を見る。

「……帰ろ、みんな。疲れてるでしょ?」
「みつき……」
「瑤子も明日、学校あるんでしょ?」
「センパイ……」
「手、握って。夜のうちに、飛んで帰ろ」

 右手を綾に、左手を瑤子に、それぞれ差し出して。

「っ……待て、待てよ、日向っ!」

 久瀬が慌てて駆け寄り、みつきの肩を掴んで引き留める。
 振り向かせようとしたが、みつきの首は久瀬の方を向くことを拒んだまま。

「……いい加減にしてください」

 瑤子だった。

「センパイのこと何も知らないで、よくも」

 声が怒りに震えていた。久瀬の手を掴み、みつきから払いのける。
 それで久瀬は初めて、喉が痛むほど怒鳴り続けていた自分に気付いた。恐怖心の裏返しだ。これではどんな正論を言ってみても届きはしない。

「……すまない、言葉が過ぎた。でもな、俺は別に、君らが憎くて言ったんじゃない。これは個人的な感情で覆るような話じゃ……」
「それ以上あたしたちに話しかけないで下さい。あなたの声なんか聞きたくもない」
「…………」

 久瀬は一縷の望みを託し、綾の方に向き直る。

「昭月にも意見を聞きたい。俺の話は、君なら理解できたはずだ」

 綾が答えるまで、しばらく間があった。

「あなたの話は正論でしょう。至極真っ当。常識的」

 これに久瀬は胸を撫で下ろす。が、しかし。

「でもね、私たちはそんな理屈には従わない。あえて言わせて貰うわ。糞食らえ、よ」

 久瀬の顔が凍り付く。

「ど……どういう意味だ、それは」
「言ったままの意味よ」

 綾はみつきの手を取る。これに瑤子も倣う。

「私の車、品川に置いたままなの。運転くらい出来るから、そこまででいいわ」

 みつきは黙ったまま、その言葉に頷く。
 そして、三人の身体が宙に浮いていく。

「……そんなに、管理されるのが嫌か」

 久瀬が言う。怒りを押し殺して。

「自分たちの力がどれほどのものか自覚する気もないのか。自分の力に責任を持つ気もないのか。自分勝手な自由を満喫していたいのか。君らの本性は、そういうことか」

 綾は大きな溜め息を一つ、みつきに目で合図して、一度地面に降りた。

「わかって、くれたのか」

 一瞬笑顔を見せた久瀬に、綾は気怠げに前髪を手で掻き上げる。そして。
 彼の横っ面を、平手で思い切り引っぱたいた。

「少しは目が覚めたかしら?」

 思わず頬を押さえる久瀬に、綾は言う。

「あなたの語る正しさなんて、しょせん、私たちを除いた普通の人間にとっての正しさ。ご都合主義の空論よ。あなた、本当に視野も狭ければ思い込みも激しい人なのね。それでよく私たちを、いえ、みつきのことを悪し様に言えたこと」
「何を、っ……」
「もう一つ。私たちの力は確かに、上手く使えば大勢の人々のためになるでしょう。でも、それが何だというの? そもそもこの世の中で起きる事件は、普通の人間には解決できないものばかりだとでも言うつもり?」
「…………」
「私たちが自分の力をどう使うかは、私たち自身が決めることよ。誰にも指図されない」

 そうして再度、綾はみつきの手を握る。

「二度と私たちの前に現れないで。もしまたさっきのような世迷い言を繰るようなら、死ぬよりも悲惨な目に遭わせるから」

 綾の最後の言葉は、ぞっとするほど冷たい目と共に、久瀬を貫いた。

 そして、三人の身体が宙に浮く。空に向けて加速していく。
 いつからか立ちこめてきた雲が月明かりを遮り、三人の姿は闇に満ちた空に紛れる。

 暗い地上に、立ち尽くす久瀬だけが残された。



 綾の車は、幸運にも路上に放置されたままだった。人の気配がない裏路地を選んで地上に降り立ったみつきたちは、徒歩で車まで移動して車に乗り込む。

「酷い夜だったわね、本当に」

 運転席に座った綾は手櫛で髪を整え、車内に置き忘れていたバレッタを拾い上げて簡単に結い直す。ルームミラーを掴んで向きを変え、自分の顔を映して後れ毛を整えた。

「口元の痣が消えるまで、しばらくは家に引きこもりたいところ……あら?」

 綾が急に上を向く。その頬に、雨粒が一つ。

「瑤子、悪いけどラグトップを閉じてくれる?」
「あ……はい。降ってきちゃったんですね」
「みつき、ラゲッジに工具箱があるの。フロントガラスの穴をテープで塞ぐから……」

 綾は上体を捻って後部座席の方を向く。

 みつきはシートの背もたれに背を預け、俯いたまま。

 それを見た綾は溜め息を一つ、前に向き直る。指したままのキーを捻ってエンジンをかけ、車を出した。

「あの、センパイ……」

 心配した瑤子がみつきに声をかけようとするが、綾が手を伸ばして肩を叩いてきた。そして静かに首を振る。
 仕方なく、瑤子は前を向いた。

「……どうせ……」

 みつきの呟き。
 自分以外の誰にも聞こえない、小さな声。

「どうせ、化物ですよ、だ」

 けれどその声は、瑤子の耳には届いてしまう。

「あの、センパ……」

 瑤子がまた、振り向こうとする。
 そしてやはり、先と同じく、綾に制止された。

 仕方なく、瑤子は前を向く。

「いい人なのかと、思ったのに……。男の人って、わからないです」

 瑤子の呟きには、誰も、応えてくれなかった。

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