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キルロードに「おつかれさま」と言いたくて

 この記事は、2023年10月に投稿したものの続きになる。

 僕は前回の記事を「いやあ、今から楽しみですな!」という文言で結んだ。応援してきた競走馬キルロードの活躍を信じきっていたからね。せいぜい半年ほど前のことなので、その頃の高揚した気分はよく憶えている。
 
 けれど現実は、僕が期待したようにはならなかった。
 
 簡単にまとめると。
 地方競馬(南関競馬)へ移籍したキルロードは、都合2度のレースを走り、そのどちらも馬券に絡むことなく、引退、登録抹消となった。
 
 そしてその後、同馬がどうなったのか僕は知らない。
 どんなに調べても情報は得られなかった。
 
 それはそうだ。結果的に見ればキルロードは一度も中央の重賞を勝っておらず、地方に移籍したあとも結果らしい結果を残していないのだから。
 かなり濃い競馬ファンの間でも「2022年高松宮記念、三連単278万馬券の立役者」という文脈でしか語られない。あの日あの時、来るはずがなかった馬が3着に飛び込んだ。世評としてはそれでおしまい。
 
 あまりに厳しい勝負の世界。
 結果を残してスポットライトを浴びるごくわずかな馬の影で、何千頭、何万頭という馬が、誰にも知られずひっそりと姿を消していく。
 キルロードもまた、そうして姿を消す一頭だった、ということになる。

 
         ○
 

 以下、地方移籍後のキルロードの歩みについて、僕が知っている限りを書き残しておく。

 
2023/06/23

■大井競馬場・的場厩舎所属となる
■地方競馬(南関競馬)での現役続行が判明
 なお、僕がこの情報に気付いたのは8月19日になってから。それ以前は「神奈川で乗用馬になるらしい」という噂だった。

 
2023/09/22

■南関競馬の調教試験をクリア
■ダ1200(1:15.1)馬体重530kg
 前走の第53回高松宮記念が馬体重502kgだったので、およそ半年の間に+30kg近い馬体増があったことになる。当初から地方で現役続行の予定だったとは考えにくいので「引退後は乗用馬」という噂はおそらく本当だったのだろう。


2023/10/19

■11/3開催のJBCスプリント選定馬として地方所属馬9頭に名を連ねる
 まったくの私見ではあるが、僕はこの頃「キルロード陣営は重賞やG1の獲得をまだ諦めていないのではないか?」と思っていた。

 
2023/10/26

■船橋競馬11R カムイユカラスプリント(ダ1000)に出走。
■2番人気:4着(1:00.2)馬体重524kg

 これが南関競馬デビュー戦。JBCスプリントを回避しての出走だが、直前までどちらのレースの出走馬名簿にもキルロードの名前があるという状態だった。馬体重を見るかぎり「この仕上がりではJpn1に出ても勝ち目がない→急遽カムイユカラスプリントに出走」となった可能性が大と思われる。
 直線では伸びを欠いたが(馬体重を見ればそりゃそうだ)スタートダッシュの鋭さは中央の芝を走っていた頃となんら遜色がなく、ダートでも問題なく戦えることは証明した……ように見えた。少なくとも僕の目には。
 また、キルロードにしては珍しく、この時のパドックは2人牽き。環境が変わってかなりナーバスになっていたのかも?

 
2023/11/07

■転厩 的場直之(大井)→稲益貴弘(船橋)

 
2023/11/23

■転厩 稲益貴弘(船橋)→米田英世(大井)
 この短期間で、大井→船橋→大井、と転厩を繰り返した理由は全くわからない。馬は繊細な生き物だという一般論に即して考えるなら、安定しない環境は過大なストレスだったろうと思う。

 
2024/01/25(9歳)

■'24 ウィンタースプリント(ダ1200)
■3番人気:15着(1:17.9) 馬体重510kg

 馬体重だけを見ると中央所属時に近付いているのだが、一部の情報通はパドックの時点で「腹が巻き上がり気味」だと評しており、不調を見抜いていたもよう。
 事実、レースでのキルロードはスタートこそ良かったものの道中で急激に失速。「すわ故障か?!」と青ざめたほどだった。

 
2024/02/03

■競走馬登録抹消

 
 憶測でモノを言うのは避けたいのだが、こうして公開情報を追いかける限りでは「地方移籍後のキルロードは環境に恵まれていなかった」と評して差し支えないと思う。
 少なくとも、中央所属時に現役時代の大半を過ごした田村康仁厩舎ほどには、レースに集中できる状態ではなかったろう。
 
 しかし、結果というのは残酷なまでにのしかかる。もう9歳だしな。ダートに適性がない。この馬はもうダメ。そんな呟きがSNS上には溢れていた。
 これらの大半が「22年の高松宮記念の再来」を期待する素人馬券師たちで、キルロードという馬に長年注目して応援してきたファンの声でなかったことだけは申し述べておきたいのだが……。
 
 地方移籍後、わずか2戦で陣営がキルロードの引退を選択し、競走馬登録を抹消されたというのは、単なる事実である。

 
         ○
 

 僕は、キルロードの戦績がこんな形で幕を下ろすなんて、まったく想像もしていなかった。
 勝ち負けは時の運だから度外視するにしても、地方移籍後は一度たりと万全の状態で走っていないのに、あっけないほど簡単に「切られた」というのが、そして、その後の情報が「何もない」というのが、言い様のないほどのショックだったのだ。

当時の自分のつぶやき

 最後のレースとなった'24 ウィンタースプリント、道中での急激な失速が、結局のところ単なる調整失敗でバテた結果なのか、それとも故障の類だったのか、それすら僕は知らない。そもそも情報が発信されていないのだろう。地方競馬のオープン戦、しかも15着に終わった馬の情報を、わざわざ記事にするメディアなんて存在しないだろうしね。
 だから、キルロードのその後については、もう推測に任せるのみだ。
 最良のケースで考えるなら……無傷で競走馬を引退したのなら、23年春の時点で囁かれていたとおり、競走馬引退後は再教育→乗用馬というコースを歩んだのかもしれない。
 だが、最悪のケースで考えるなら……命に関わるほどの故障ではなかったとしても、飛んだり跳ねたり走ったりすることに支障が出るようなことがあったなら。乗馬として再出発する選択肢が消えてしまったのなら。9歳セン馬がその後も元気に暮らしていく道は、残されているものなのだろうか。
 
 馬主さん宛てに一筆したためて、キルロードのその後をお伺いしてみようかと検討した時期もあった。
 けれど、実行する勇気は出せずじまい。
 馬というのは経済動物である。最終的には情でなく「儲けが出るか否か」が問われる。地方移籍後の経緯を思うと、馬主さんが「まだ走れるなら可能な限り稼いでほしい」と判断しただけかもしれない。登録抹消も同様、今後の維持費との費用対効果で決まったことかもしれない。
 仮に、キルロードの去就がこうしたドライな判断によるものだと知ってしまった場合、ある意味で同馬に自分自身を重ねながら応援していた僕は、そのウェットな感情に、行き場のない想いにどう折り合いをつければいいのだろう……?
 
 だから、この記事を書くまで、ずいぶん時間がかかってしまった。
 
 最初からわかっていたことだ。
 そこまで含めて競馬なのだと。この世の中は「そういうもの」だと。
 ただ、呑み下すのに少しばかり時間が欲しかったのである。
 
 そうして。
 僕は以後、競馬そのものから距離を取るようになった。
 
 我ながらナイーブだなと苦笑いするしかないのだが、ギャンブルそのものは元からそんなに得意ではないのでご容赦願いたい。少なくとも僕にとって、競馬は勝馬を予想するためのものではなかったし、名馬と呼ばれる存在を追いかけ愛でるためのものでもなかった。たまたま好きになった馬を一生懸命応援する、そのこと自体を楽しむためのものだった。
 だから、キルロードの存在は、自分の心に刺さった小さな棘として、これからもずっと残っていくのだろう。その痛みがあるうちは、少なくともキルロードのことを憶えていられる。それでいい。
 
 ありがとう、キルロード。
 君を応援していた間は、本当に楽しかったよ。
 おつかれさまでした。

2024/04/09

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