結局のところ使う人間の問題よね
すまない。またしても生成AI関連の記事なんだ。
このエッセイで触れるのは三度目だけど、正直もうその話題おなかいっぱいだよ~! と思っている人もいるだろう。何より僕自身がそうだ。
だから、もうよっぽどじゃない限り、生成AIに関する話題はこれを最後にしたい。次はなんかもっとガハハと笑える感じのオモロなやつにするよ。約束する。
とりあえず前提として、生成AIに言及した過去の記事を貼っておくね。
上の記事を読んだ人の中には「とどのつまり永元千尋って、総論としては生成AI賛成派なの? それとも反対派なの?」と思っている人もいるかもしれない。だから、はっきり言っておこうと思う。
僕は「賛成とか反対とかそんな白黒で簡単に語れるなら誰も苦労しねえんだよ!」派です。
ここからちょっと、僕の子供の頃の話をさせてほしい。
僕ね、昔からめっちゃ憧れてたんですよ。AIっていう存在そのものに。
たとえば、昔懐かし特撮ドラマの〔ナイトライダー〕ってあったでしょ。
ほんとに、K.I.T.T.みたいなクルマが欲しかった。いや、なんなら自分のものじゃなくてもいいから、一度でいいから、直にK.I.T.T.と話してみたかった。友達になってみたかった。そのくらい憧れてたんだよね。
あと〔テラホークス〕のゼロ軍曹も好きだったな。
知らない人向けに軽く説明すると、サンプル画像の下に金属製の丸っこいロボットがいるでしょ。あれがゼロイドっていうAI搭載のロボットで、ゼロ軍曹はそのリーダー格……いや、そんな話はどうでもいいか。
人間のように思考し、会話し、人間の良き相棒として共に戦う機械。そんなのSFや特撮の中にしか存在しなかったし、少なくとも自分が生きてる間には実現しないと思ってた。
だから、はじめてChatGPTを使った時は、そりゃもう興奮したワケよ。
未来キター!!!!!! と思ったよね。
今はまだハルシネーションその他の問題を抱えているから使いどころは難しいけれど、小説のアイデアを捏ねるレベルでの相談相手とか、作中に登場する架空の専門用語とか造語を作る時のネタ出しとかなら、現状でもとんでもなく頼りになるからね。だって「鷹という名詞について古英語とデーン語と古ノルド語とエスペラント語でそれぞれ何て言うか教えて?」とか訊いて、文字通り秒で答えが返ってくるんだもん。
いや、別にWeb検索とかで代用できなくもないけどさ。会話調で問いかけて会話調で回答があるってのがホントに有り難いわけ。そして、相手が人間じゃないってところにもうゾクゾクワクワクしちゃうわけ。
……ただなー。
AIが生成したイラスト。あれはあかん。
悪いけど、どうしても好きになれない。
データセットを作成する上での機械学習に法的あるいは倫理的な問題があるとか、そういう話は置いといてさ。これは完全に僕個人の好みの問題になるんだけど、そのイラストで何を伝えたいかの意図がボケボケなのに、ただただひたすら緻密で上手いってのが生理的に気持ち悪いんですよ。
AIの生成したイラストって、画面の中の強弱(疎密)が乏しいでしょ。どこもかしこもゴリッゴリに描き込まれてる。あれが個人的に苦手でたまらんの。
もちろん、プロンプトを工夫するなりLoRAを使うなりすればその辺りもコントロールは可能だし、僕自身、ラフ画っぽい生成イラストをプロが描いたものだと思い込んでブクマしたりいいねしたりしてたこともあるよ。ただ、なんか……ほんと個人的なお気持ち表明で申し訳ないんだけど、こういうのってまんまと機械にだまくらかされてるような気がしてしょうがないんだよね。
それだったら、デッサン狂ってようが、絵柄が古かろうが、生身の絵描きさんが実際に手を動かして描いた絵を見ていたいと、僕は思う。
これさ、血の滲むような思いで努力を重ねてきた生身のアスリートが汗みずくになりながら走って跳んで競い合ってるスタジアムに、バイクやジェットで割り込んできたようなものだと思うのよ。
AIが生成するイラストは確かに凄い。今後どうとでも進化していくだろうし、すでにプロが描いた絵と見分けがつかないとこまで来てる。でも、お前らが性能的に凄いのはそういうふうに作られたからであって、ぶっちゃけ凄くて当たり前なんだからよそでやれとしか思わないわけ。
棋士の藤井聡太さんが日頃のトレーニングにAIを活用してるからって、藤井さんの頭越しにAIと羽生善治さんと戦わせようという話にはならんでしょ。そもそも土俵が違うんだ。そこを一緒くたにするから話がややこしくなる。
ていうか、イラストの話はいったん脇に置きましょうよ。
写実的な画像とか動画の生成精度はヤバすぎるでしょ。
この分野はもはや「誰がそこまでやれといった!」って叱りたくなるレベルじゃん。実際ディープフェイクとかで社会的な大問題になってるしさ。
中でも特に最悪だと思ったのは、思春期のアホなガキが同級生の女子の裸をディープフェイクで合成して仲間うちで回してズリネタにしてた、みたいな話。
これがニュースになった時、ある人がいいこと言ってたんだよね。
「AIを名乗るなら、その画像なり動画なりが生成していいものかどうかくらい自分で判断できるようになってからにしろ」
これは言い得て妙だと今も思う。
AIってつまりArtificial Intelligence(人工知能)の略なんだけど、もう一歩突き詰めると、Intelligenceには「行間を読む(能力)」っていう意味があるんだって。まァこれは文脈にもよるんだけど、日本語にすると「察する」とか「悟る」みたいなニュアンスになることすらあるんだとか。
だとするなら、今の生成AIはIntelligenceと呼ぶに値しないんだよね。善悪の区別もつかず、基本的には使う人間の言うまま、データセットを利用して存在しないナニカを捏造しているだけなんだから。「お前なんぞにAIなんて名前はもったいない、データセッターくらいで充分だ!」って思ったものでした。
だから、いわゆる反AIの人たちの気持ちも、ちょっとわかるんだ。
生成AIそのものをこの世から消し去らんばかりに憎んでて、生成AIのユーザーを見たら「お前なんか人間じゃない!」くらいの勢いでヘイトぶつけてくる手合い、けっこういるじゃないですか。
やってることそのものは正直ドン引きなんだけども、実際問題、これからの人間社会に生成AIって必要なものなのかどうか。そこのところがね、正直、僕にはよくわからんのです。
結果、永元千尋はどうしたか。
1:「自分の表現物には生成AIを直接的に使用しません」と宣言
2:生成AI絵を日常的に使用するアカウントはミュートor非表示
3:かといって生成AI反対派にも関わり合いになりたくない
とまあ、こんな感じになりまして。
こないだもSNSのタイムラインに流れてくるAIイラスト相手に、孤独な戦い(≒ミュートor非表示)を続けてたんですよ。
荒野をわたる風 ひょうひょうと ひとりゆく ひとりゆく…
そしたらね。なんかね。〔葬送のフリーレン〕のめちゃくちゃ上手いファンアートが流れて来たのよ。いやほんとすげー上手いの。シャレにならんくらい。
まずは身構えたよね。どうせまたAIだろうと。
でも違った。メディア欄を見たら投稿頻度は1~2ヶ月に絵1枚くらい。ラフから清書に入るタイムラプスもUpされてる。
国外の人っぽいけど、間違いなく手描き! 生身の絵描きさんだ! これは「いいね」に値するッ! なんならブクマもするぞッ!
と思ったんだが。
虫の報せって言うんですか? なんか嫌な予感がしてね。
BIOから辿って、その人の個人サイトとか見に行ったんですよ。
その人ね。SNSにUpしてるめちゃくちゃ上手いその絵をさ。シルクのキャンバスに印刷して売ってんの。結構なお値段で。
当然、版元には無許可。
そっ閉じ、したよね。
イラストを手描きしてるからって、良い人ってワケじゃねェんだよな。当たり前の話なんだけどもさ。
逆に、AIで絵を生成してるからって、必ず悪い人ってワケでもない。これまた当たり前の話。
でも現実には、イラストを手描きしているか、AIで生成しているかだけで安易にラベリングして、こっちは良い人、こっちは悪い人、と短絡的に判断するケースが山ほどある。残念ながら僕自身もその一人だったわけだが。
前の記事で、僕はこう言った。AIが生成したコンテンツを使ってアクセスやPVを稼ぐという行為は、本質的な意味で海賊版商売やアフィカスと何も変わらないんだと。
でもこれって、二次創作だけで生活できるくらい収益を上げている同人作家にも同じようなことが言えてしまうんだよね。
前者は現行法の整備や取り締まりが追いついていないだけで、道義的・倫理的にあきらかな問題がある。後者は社会通念的に“お目こぼし”されることが多いものの、法的に見れば完全にNGだ。
どこで線を引くか、どこまで許容するかは、結局のところ、人間の側の都合でしかない。けれど、それでいいのだ。そうでなくちゃいけない。
ぶっちゃけ僕は人間の表現物とAIの生成物を同一線上で考える必要はないと思っている。そもそも現行の著作権法やそれを取り巻く倫理観って、作者が生身の人間であることを前提としているものだしね。
問われているのは何よりまず、人間社会の秩序を脅かすような「AIの悪質な利用」を防ぐこと。生成AIの何がダメで、何ならOKなのかを人間社会全体で冷静に議論し、定義して、社会的同意を得ていく。そこから導かれる現実的で合理的な法規制と倫理基準なしには生身の人間の表現物は守られないし、同時に、今後のAIの進歩もない。
現に、この分野のトップランナーであるOpenAI社自体が、生成AIの悪用に対して適切な法整備や防止策が必要だという姿勢なのだ。
生成AIを特別視して、闇雲に持ち上げるのも、怖がるのも、どちらも等しく間違っている。かつては存在しなかった、近年新しく出てきた技術であって、それ以上でもそれ以下でもない。
使う人間の側が、生成AIをどう「定義」して「運用」していくか。法整備も社会通念の形成も、まだ始まったばかりなのだ。感情的に罵り合って拒絶し合うのではなく、膝をつき合わせ、相互理解を深めながら話し合っていく以外に手段はない。
だとしたら。
僕は、尊敬する水木しげる大先生の遺した名言をもって、結論に代えたいと思う。
けんかはよせ 腹がへるぞ
2024/09/16
改訂:2024/10/29
追記:
この記事の初稿を書き上げた時には知らなかったんだけどさ。
世間が画像生成AIに注目して騒ぎ始めるよりだいぶ前、2021年の時点ですでに、人類最高峰と言っても過言ではない巨匠の名画をAIが修復してみせるほどのポテンシャルを秘めていたんだね。
このAI、レンブラントの修復用に専門的なチューンがされた状態だったらしいけど、その基礎技術に関しては、僕らがいま日常的に使うことができる画像生成AIと同じものらしい。
ホントさ、いまさらAIは人間を超えるか超えないかみたいな話してんのバカらしくなってくるよね。 少々乱暴に言うならAIはすでに(ある意味において)人間の能力を超えているのだ。奇しくも「生身のアスリートが競い合ってるスタジアムにバイクやジェットで割り込むようなもの」と評した僕の見解は的を射ていたことになりそう。
で、そんなAIサマと一緒くたに並べられると俺たち人間はマジ大迷惑だから、今後はAIの生成物と人間の表現物ときっちり区別した上で「生成AIが存在する社会と倫理をどう構築していくか」を議論するターンに入ってるのだと。そう考えた方が現状把握としてより正確なんだと思う。
ほんと、SNS上で肯定派と否定派が繰り広げてる終わりなきAI論争なんて無意味だよ。ピントがズレてる上に周回遅れでまったく話にならない。
だから、もう一度、同じ言葉を繰り返そう。
けんかはよせ 腹がへるぞ
2024/09/17