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おひさまは今夜も空を飛ぶ(2)

持つべきものは友達だよね


 翌朝早く、愛用の縁なし眼鏡にジャケット、ブラウス、ジーンズにズックという格好のみつきが、杉並区にある高級マンションを訪れていた。
 出入り口は指紋の認証とパスワードを併用した電子ロックだが、みつきはそれらをあっさり通過、広いロビーでも迷うことなくエレベーターに乗り込み最上階へ上がる。そして[昭月]と表札のある角部屋の玄関先でインターホンのスイッチを押した。

 だが、いくら待っても応答がない。

「……絶対居る。居ない訳がない」

 五秒待って押す。応答なし。次は三秒待ち、二秒待ち、一秒。とうとう切れ目のない連打になった。
 と、ドアチェーンが外されて、扉が開いた。

「朝早くからごめんね、綾。用事が……」

 言いかけたが、現れた部屋の主を見て絶句する。
 その二十代半ばの女は艶やかな黒い髪を長く伸ばし、切れ長の目、高い鼻。胸は大きく誇らしげに上を向き、手足も細く長い。掛け値無しの美人だが、黒のガータベルトにシースルーのスリップという下着姿で、胸元や脇腹に残る幾つものキスマークを隠そうともしないのだ。妖艶なことこの上ない。

「もう少し静かになさいな……。昨夜はあまり寝ていないのよ、私……」

 気怠げに言うその声がまた、ひどく艶めかしい。
 彼女が、かれこれ十年近い付き合いになるみつきの古い友人、昭月綾だった。

「なんて格好で出てくんのよ、あんた……」
「みつきの方こそ、その眼鏡。似合わないからやめなさいって何度も言ったのに」
「私には私の深刻な事情があんの。つーか、せめてガウンの一つも羽織んなさいな。もしも大家さんや宅配便の人だったらどうする気だったのよ」
「来たのがみつきでなければ居留守を使ったわよ。こういう時だけは自分の能力が恨めしいわ……」
「……ねえ、部屋にまだあんたの彼氏、居るの?」
「あら、そういう風に見える?」

 見えるわいこんちくしょう、ちっとも羨ましくなんかないやい、と、みつきは心で呟いてから、

「ごめん、出直す。昼頃にまた来るよ」
「どうして遠慮するの? お入りなさいな。みつきさえよければ、一緒に……ね」
「へ? 一緒に?」
「そう。三人で、一緒に」

 綾は潤んだ目で、誘うように微笑む。

「……帰る。空飛んで帰る。今すぐ帰る」
「ああもう、冗談よ、上段。うちの彼は常識人だもの、そんなの嫌だって言うに決まっているから」
「なら、まかり間違って彼氏がOKしたら?」
「…………」
「考え込むな。想像するな。にやけるな」
「ねえ、みつき。いっそ私と二人なら……」
「やっぱ帰る。絶対帰る。意地でも帰る」
「だから、もう。冗談よ、冗談」
「ええい、しなだれかかるな、耳元に息を吹きかけるな。愛情と友情はちゃんと区別しなさい、こら、放せ、とにかく彼氏が居るんなら帰るってば」
「大丈夫よ、本当はね、今は私一人。彼は少し前に仕事で出て行ってしまったから」
「……本当なんでしょうね」
「中に入ればわかることよ?」
「ま、信じるけどさ……」
「さ、早く入って。あなたが昨夜会った背が高くて髪は短めの笑顔が似合う素敵な彼の話は、シャワーを浴びて着替えた後でゆっくり聞くから」
「…………」
「あら、当たったの? みつきが好きなひとのタイプを適当に並べてからかってみただけなのに。本当よ、頭の中を覗き込んだ訳ではないわ」

 部屋の中へみつきを迎え入れつつ、綾は心底楽しそうに笑っていた。
 彼女もやはり超能力者で、先に述べた超能力研究所を壊滅させた三人のうちの一人だ。アクティブ・キャリバーはそう強くなくサイコキネシスもごくわずかしか使えないが、物質の状態やエネルギーの流れ、感情の変化を読みとるパッシブ・キャリバーを得意とし、これを応用することでESPを発動、予知や過去視、透視、遠視、テレパシーなどを可能にする。その上、世事に長けており洞察力もあった。みつきが最も信頼を寄せる親友である。
 ただし、みつき本人は〝親友〟の前に〝条件付きで〟と付け加えるのが常なのだが。




 2LDKの綾の部屋は、アンティーク調で趣味良く統一されていた。高価な一品物の工芸品や絵画も多く、本棚にはオカルティストが垂涎の眼差しを向ける呪術儀式に関する古書がずらりと並ぶ。古来、巫女やシャーマン、預言者として扱われてきたESP能力者の一人として、スピリチュアルな方面へ向きがちな彼女の嗜好が反映された結果だった。
 ただ、何よりみつきの興味を引くのは、これだけの蒐集にどれほどの金銭が必要なのか、である。

「いつも来る度に思うけど、二十代半ばの女が一人で住む部屋じゃないよ、これ……」

 リビングで座り心地のいいソファに身を沈めつつ呟く。朝のワイドショーにチャンネルを合わせたままのテレビまでもが木目調で、しかも三次元音響を備えた最新のSED型だ。他の家電製品も安価な普及品は一つも見当たらなかった。

「あら、これで案外お金はかかってないのよ。大抵は蚤の市で探してきたものだし。ついでに言うと、電化製品は彼が勝手に買い換えちゃうのよ」

 コーヒーを淹れつつ綾が言う。シャワーを浴びて着替えを済ませた彼女は、白の長袖シャツに黒のジャンパースカートという控え目な服装で、長い黒髪も結い上げてバレッタでまとめてある。その上、表情や仕草までもが楚々としたものに変わっていた。
 良家の令嬢と言われても、疑う者はまずいない。娼婦と見紛う先の雰囲気が嘘のようだ。

「どっちが本当の……ううん、どっちも本当の綾なんだけどさ」

 みつきにとって、綾は単に幼馴染の友人というだけでなく、自分の理想像を体現した存在でもあった。

「なあに、みつき。聞こえなかったわ」

 コーヒーを運んできた綾が、みつきの向かいに腰を下ろしつつ言う。

「ううん、別に。いろんな意味でリッチだなーって」
「リッチだなんて……でも、そうね。私個人の資産も結構増えたのは事実よ。持ち株の配当だけで食べていける程度には利益も出始めたしね」
「ESP能力者が株買うの? なんか反則ぅ……」
「堅いことは言いっこなし」

 綾は人差し指を唇に当て、悪戯っぽく微笑む。

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9,206字
本作は2003年に企画・発案、2004年に小説誌で発表、2006年にノベルスとして商業出版されたものです。 2011年に発生した東日本大震災とは何ら関係がなく、登場人物の発言や行動は00年代初旬の社会的背景を強く反映しています。特に作品のバックボーンとなる中央官庁の描写については、当時取材した内容や入手できた資料に依るところが大きく、現在ではフィクションとしても許容が難しい描写も散見されます。ご注意ください。 .

日向みつきは18歳の予備校生。大きなお節介と小さな迷惑、そして世界規模の陰謀を抱えて、彼女は今夜も東京の空を飛ぶ!

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