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〔SE2:ラフ〕小太郎登場(仮)

【はじめに】
 これは小説ではなく、清書前のラフ(文章構成や表現の巧拙などを度外視し、冒頭から結末までひとまず書き切ったもの)になります。
 〔サイズミック・エモーション〕の最後の主要キャラとして想定していた「小太郎」の登場回です。
初稿:19:06 03/12/03 登場する主要キャラ:みつき、綾、小太郎



 リノリウム張りの床。白一色の壁面。剥き出しの蛍光灯。
 そこで、絵を描く子供──私。
 窓の外には、狭い庭。でも、桜の木も、銀杏の木も、楓の木もある。
 四季折々、豊かな色彩が大好きだった私は、いつもその絵を描いていた。
 赤と緑と黄色と青と茶色と水色のクレヨンを一度に使いながら。

「また絵を描いているのかい?」

 白衣を着た男が、話しかけてくる。
 あの景色が好きだから、と私は答えた。
 あの景色の中で走り回るのを想像すると楽しい、と付け加えた。
 この部屋を出て、あの木を上って遊びたい。
 そうしたら、どんなに幸せかと。

「ここにいるのは、不幸せなのかい?」

 そうじゃないけど。

「いいかい、外に行きたいなんて、つまらないことを考えちゃいけないよ」

 つまらない? どうして?

「もう決まっているからね。君はずっと、ここから出られないんだ」

 そんなのは嫌。外に出たい。

「外の世界はね、いろんなルールがあるんだ。君はそれを知らないだろう?」

 じゃあ、教えて。頑張って勉強するから。

「困ったな……」

 結局、教えてくれなかった。
 外の世界で生きていくために、何が必要なのか。
 誰も、教えてくれなかった。


 目覚まし時計が鳴って、みつきが目を覚ます。

「うー、ヤな夢見たなぁ……」

 寝ぼけ眼を擦りながら、生活感あふれる自分の部屋を見渡して。

「……いやあ、素晴らしきかな我が人生」

 にやり。
 しゅばっとベッドから飛び降りて、目一杯伸びをして。

「っしゃあ、今日も気張っていきましょーか!」

 日常を見せる感じで。起床は午前七時半。
 顔洗って髪整えて自分の弁当作って養父養母の朝食も作って、朝食摂ってトイレすませてきっかり一時間。もちろんサイコキネシスはフル活用。米研ぎながら卵焼いて髪の毛にブラシ入れて歯磨いて……みたいな、同時に何個のことをできるかどうかの訓練も兼ねてる(研究所時代からの日課だったりするが、訓練だの何だのは伏せておくと思う)。
 で、普段ならここまでのことをきっかり一時間で片付けて、午前八時四十分ごろ予備校へ向かうのだが。

「……あれ、みつきちゃん、今朝は早いのね」
「早くないよ、いつもよりちょっと遅いくらい。おかーさんも早くお父さん起こさないと」
「どうして?」
「どうしてって、仕事。市役所。間に合うの?」
「みつきちゃん、GWよ? 役場はお休み」
「…………」
「たしか連休中は予備校もお休みよね。アルバイトでも入れたの?」
「…………」


 昼過ぎ。自宅の近くにある、みつきのバイト先のコンビニ。
 もともと、弁当屋を営んでいたところが十年ほど前に大手コンビニチェーンの傘下に入った格好。ウリは美味しい手作り弁当。プライムタイムは昼の11時から2時、夕方5時から夜8時。大手の看板を掲げている割には個人経営の色が強いので時間の自由が利く。

「……そんな訳で店長、仕事させて下さい」
「日向さんも、ねえ。GWにわざわざ仕事しに来ることないのに……。こないだバイト代出したばっかりなんだし、友達とどこかに遊びに行ってくれば?」
「友達の一人は彼氏と温泉旅行に行きました。もう一人は普段は寮住まいだから、今頃は実家の親元です」
「彼氏は?」
「…………」
「あ、今はいないんだっけ?」
「……ずっといません……」
「そっかー、GWだってのに一人っきりかー」

 家に帰れば家族が居ます、と言いたかったが、言うだけ虚しい気がして黙る。
 うう、虚しきかな我が人生……。

「いいよー、じゃあ働いていって。何時間くらいいけそう?」
「ええと……あんまり夜遅くなりすぎなければ。深夜はできるだけ空けておきたいんです」
「あ、浪人中なんだっけ。受験勉強?」
「いえ、ここ何日かは静かなんですけど、深夜は叫び声が聞こえてくる可能性が高くて……」
「叫び声? 何それ」
「……あ、いえ、何でも」
「うーん、まあ、今から深夜までだと、さすがに働かせ過ぎだからね。とりあえず夜までやってくれるとすごく助かるなー」
「じゃあ、お願いします。シフトに空きがあるんですか?」
「いんや、ベテラン連中ばっかりだけど、常時二人はきっちり詰めてる」
「……?」
「若い女の子がレジに居るだけで売上が何割かは確実に違うもんなの。ギャルは可能な限りプライムタイムに投入すべし。これはコンビニ業界の常識よ? いやー、ありがとうありがとう。GWって若いバイトが来なくてさ」
「……あの、自分で言うのも何なんですけど」
「ん?」
「私にその、お店の花とか客寄せとか、そういうのを期待しても無駄だと思います」
「何で? おばさんは日向さんがうちのバイト連中の中で一番美人だと思ってるんだけど」

 みつきは心の中で思う。
 店長、見る目なさすぎです。


 で、夜九時前。客足も止まってる。
 みつきと店長がレジのお金を計算中。これが最後の仕事。他のバイトさんは先に帰っていく。おつかれさまでーす。

「おかしいな……日向さんがずっとレジに立ってたんだから、もっと行ってると思ったのに」

 レジで売上を数えている店長が首を傾げる。

「だから言ったんですよ、店長……」
「ううん、GWの初日だからきっとみんな出かけていったんだと思う。ここって住宅街のど真ん中なんだし、そもそも客が少なかったの。平日だったらもっと行ってたはず」
「無駄だと思うんですけど……」
「そういえばみつきちゃん、今ってすっぴんなんじゃないの?」
「すっぴんはありえないですよぉ……。ファンデとリップに、あとはちょっと眉に影足してる程度ですけど、一応やってます」
「それだ」
「何が」
「ちゃんとしてたら絶対大入りだったって」
「ここはキャバクラですか……」

 で、みつきのレジで計算が終わって、さあ帰ろうかということになる。

「……私、帰っていいんですかね」
「どうして?」
「深夜のバイトさん、まだ来てないから。私が帰ったら、店長一人だけじゃないですか」
「ああ、深夜のバイト、大学生なんだけどだらしない奴でね。遅刻することが多いのよ」
「はあ」
「いいから気にしないで、すぐ来るだろうし」

 と、レジの片隅で電話機が無音で点滅を始める。外線電話。店長が事務所の方に引っ込んでいく。
 みつき、いやーな予感がする。
 事務所のほうから店長が戻ってくる。

「……深夜バイトが休み取りやがった」
「ああ、やっぱり……」
「みつきちゃん居なかったら危なかったよ」
「……まさか朝まで働けって言うんじゃ」
「それは言わないよ、亭主叩き起こして当たらせるから。けど、あと一時間だけ手伝って。お願いだから」
「……はいはい、やらせて頂きます……」
「みつきちゃん優しいから好き! じゃあ、店の外の掃除をお願い。昼過ぎからチェックしてないの」
「はいはい……」

 みつき、リザーブスペースに回って、ほうきとちりとり、替えのゴミ袋(コンビニの店舗前に置いてある大きなゴミ箱用)と、煙草の吸い殻回収用のフタつきバケツを持って出てくる。
 ところがそこで、本社のトラックが来て、夜の荷物が入ってくる。コンテナを店に下ろしていく。
 みつき、さらにいやーな予感がする。

「店の中がコンテナだらけだとマズいよね。私、お金の計算とかもまだあるから。検品と商品の陳列でアバウト一時間くらいかな」
「…………」
「みつきちゃん、掃除終わったら手伝って。というわけで労働時間延長二時間よろぴく」
「言うと思いましたよ……」

 で、店長は売上を持って事務所へ、みつきは店の外へいく。設置されてる大型のゴミ箱をが溢れ帰ってちょっと散乱していることに気付く。

「相変わらず汚いなぁ……」

 飲みかけで捨ててるペットボトル。野菜だけ残して捨てられた弁当。おそらく家庭から持ち込まれたであろうでっかい生ゴミ。

「なんかもう……現代生活のイヤな縮図を見てるよーな気分だなぁ……」

 トホホと思いながらも手を汚して片付ける。んが、どうやってもゴミ箱にゴミが全部収まりきらない。ここまで溢れ帰ったことは珍しい。

「新しいゴミ袋が要るほどでもないか……。とりあえず収めきっちゃおうかな……」

 ってなわけで、周囲をキョロキョロ見て、誰もいないことを確かめてから念動力を遣い始める。ペットボトルを潰して、空き缶をぺしゃんこにして、燃えるゴミを圧縮……しようとして。

「……あれ? 抵抗がある」

 念動力に対する抵抗力というのは、大きく分けて二種類ある。
 一つは物質そのものの硬さや大きさ。普通に壊れにくいものは念動力でも壊れにくい。
 もう一つは、意思力。たとえば、50キロのおもりを持ち上げるのと、50キロの人間を持ち上げるのでは、後者のほうがずっと困難になる(持ち上げられたくないと思う場合限定)。念動力も意思の力だから、意思の力で抵抗しうる。これは超能力者でなくても可能。たとえば、生身の人間を直接押し潰そうと思うとみつきでも結構しんどい。自動車を潰す方がはるかに楽だったりする。
 なので、靴だけを持ち上げるとか、空気のカタマリで包み込んで持ち上げるとか、自分の身体(生まれたときから自分の意志に従って動いてくれているので、もっとも素直に念動力を反映させられる物質といえる)を使うなどの小細工が必要になる。

「生き物が捨てられてる……?」

 ゴキブリとかかなと思った。が、どうも違う。そんなに単純な意思力じゃない。もっと強い。
 みつき、途中まで片付けたゴミをもう一回引っぱり出していく。
 で、抵抗の元を見つける。

「……これ、かな……」

 ゴミ箱の底に手ぇ突っ込んで、引っぱり出す。黒いビニール袋。やたら重い。縛ってあるビニールの口を解く。

「なっ……なんぢゃこりゃあっ……」

 引っぱり出したのは、もはや衰弱しきって死にかけている五匹の子犬だった。


「……店長!」

 いきなり事務所にみつきが飛び込んでくる。

「わあ、びっくりした。……って、みつきちゃん。その腕に抱えてるのは」
「うちのゴミ箱に子犬捨てた馬鹿がいるんです! 動かない子もいて……死にかけてるんです! 早く獣医さんに診せなきゃみんな死んじゃうっ……」
「獣医って、こんな時間に……」
「たしか、市内の獣医さんが共同で夜間の診療だけやってるところがあったはずです! 私、行ってきます!」
「……はあ?」

 あっけに取られる店長をよそに、みつきはコンビニ店員の制服を脱いで荷物を手にしてタイムカードを押してしまう。

「ああもう、この子も、こっちの子も、全然動いてないよ……! しっかりしなさい、こらっ! すぐに病院行くから頑張れ、死なないでよ!」
「ちょ、ちょちょちょ、待ってよみつきちゃん、掃除と検品と棚の陳列……」
「やっときましたから! それじゃあ!」

 みつき、ダッシュで出ていく。

「あ、ちょ……ちょっと!」

 慌ててみつきを追いかけて店の外まで出て行くが、みつきの姿はどこにもない。ちなみにコンビニ店が面している道路は長い直線になっていて見通しがいい。

「あれ……?」

 店長の頭上数十メートルを猛スピードでカッ飛んでいくみつき。もちろん店長は気付かない。

「やっときましたって、みつきちゃんが掃除道具持って外に出てから五分も経ってないのに……」

 思いつつ、店長が振り向く。

「……あれ」

 ゴミが綺麗に片付いている。
 店の周囲にもチリ一つ落ちていない。
 店の中に戻ると、検品の伝票は殴り書きながら全部きちんと処理されている。ただ、伝票の周囲に散らばった五、六本のボールペンが謎。もちろん、コンテナの商品は全部きちんと棚に並んでいて、賞味期限切れの廃棄弁当などもしっかり下げてある。

「この短時間で、どうやって……。あ、そうだ、防犯カメラ……」

 防犯カメラはレジの側と店の死角になる奥にあるが、何故かその五分だけ二つとも明後日の方向を向いていた。設置場所は天井だから、事務所から踏み継ぎでも持ってこない限り触ることもできないはずなのに。

「……あの子、魔法でも使ったのかしら」


 しばらくして、八王子の某所にあるペットの夜間救急病院。
 待合室にいたみつきのところに、処置を終えた獣医が出てくる。

「……まだ日があるうちからゴミ袋の中に居たんだと思います。餌も長い間もらってませんね。栄養不足と疲労で相当弱ってました。死にかけてから捨てられたんでしょう。いちおう栄養点滴をしましたから、大丈夫だと思いますよ」

 言いつつ、獣医が一匹の子犬を差し出す。

「へっ? あ、あの……あと四匹……」
「三匹は、あなたが連れてきた時にはもう死んでいました。一匹は処置中に。死因はおそらく酸欠でしょうね」
「…………」
「ゴミ袋に一箇所だけ穴が空いていたんですが、どうも、生き残ったこの子だけゴミ袋を食い破って口先を外に出していたんでしょう。賢いというか、生きる執念というか」
「食い破って、って……ゴミ箱の中なのに。周囲は生ゴミとかいっぱいで……」
「ええ、犬にとっては地獄のような環境でしょうけどね」
「…………」

 みつき、獣医から子犬を受け取る。割と大きい。弱っていてぐったりしている。目もうつろ。
 このちっちゃいナリで、あんなゴミの中で、それでも必死に生きてたんだと思うと胸が熱くなる。

「……でも、生きてて良かったね。生きてる限りは、幸せになれるものだから。頑張ろうね」

 言って、微笑みかけて、ちょこっと頭を撫でると、子犬はすがるようにみつきの旨に小さな頭をもたせかけてくる。

「犬をお飼いになった経験は?」
「……ないですけど、何とかします。せめて、里親を見つけるまででも」
「そうだとしても、最低でもあと二ヶ月程度はあなたが育てなくてはいけませんよ」
「へっ? そうなんですか?」
「一応、簡単に説明しておきます。もう少し大きくならないと判断できないんですが、おそらく、犬種はジャーマンシェパードだと思うんです。歯の状態と大きさから言って生後三週間程度ですから、離乳食の時期なんです。里親に出せるような状態ではないんです」
「そ、そんな生まれたばっかりの赤ん坊なんですか……? 結構大きいのに」
「もともと大型犬なんですよ。成長するとこのくらいにはなりますから」

 獣医が手で示したのは、みつきの腰くらい。
 うわー、でけー。そんなおっきくなったら手におえねー。

「でも、まだ良かったですよ。これより小さかったら素人さんの手ではどうしようもありませんからね。栄養剤を出しておきますから、離乳期用のドッグフードを柔らかくしてミルクと混ぜて与えてあげて下さい」

 正直、みつきもヒマな身の上ではない。めんどくせー。

「あの、その、犬の孤児院みたいな施設とか……そういうのは、どこかにあったりとか」
「あなたのところでは飼えない、と?」
「いえ、うちの親に聞いてみないと解りませんけど、一応訊いておこうかなと」
「残念ですが、無償で捨て犬を預かってくれるような施設はありません」
「繁殖業者さんとか……」
「血統書のない犬ですから、扱い上は雑種も同然です。無理ですね」
「……断言されちゃうんですか」
「もちろん、うちでも引き取れませんから、その場合は……言い辛いんですが、保健所に連れていって廃犬にするしかありません」
「は、廃犬って……」
「いえ、気に病むことはないです。あなたには罪も責任もありませんしね。むしろ、変に犬に同情して飼えもしないのに飼うよりずっと……」
「いえ連れて帰ります育てます絶対ノープロブレムです」
「いいんですか」
「いいに決まってます。任せて下さい」
「死んだ子は、どうします? 何ならこちらの方で保健所に頼んで処分しますが」

 処分という言葉が嫌だなあと思うみつきだったが、しょうがないのでお任せする。
 そして、受付で薬を受け取って、清算を。

「なっ……なんぢゃこりゃあっ……」


 深夜、日向家で家族会議。

「……それで、小遣い全部使い切ったのか」

 と、養父。

「だって……診療代、あんなに取られるなんて思ってなかったんだもん……」

 そういうみつきの膝の上では、子犬が眠っている。

「ペットには国保も社保もききませんからねえ……。それにしても、コンビニのゴミ箱に生き物を捨てていくなんて、どういう神経の持ち主なんでしょうねえ……」

 みつきの隣に座った養母が、眠っている子犬の頭を撫でる。
 と、犬が目を覚ます。
 すると、ひぃんともくぅんともつかないような怯えた声を出して立ち上がって、みつきの身体にしがみついてくる。手足ががくがく震えている。

「こ……こら、この人は悪い人じゃないの。うちの母さんなの」

 言いつつ、みつきが抱き上げてやると、震えなくなって落ち着く。

「あらあら、みつきちゃん、すっかりお母さんだと思われてるのね」
「十八の若い身空でお母さん呼ばわりはやめてくんないかなぁ……」
「でも、実際そんな感じよ。ひょっとしたら、この子、今まで誰にも優しくされてこなかったんじゃないかしら」
「……?」
「子犬をゴミ箱に捨てるような飼い主さんが、この子の親になる犬を大事にしていたとも思えないし。だったら、この子犬の親犬もあまり親としては期待できないと思うわ」
「そんなもんなの?」
「そうよ。母さん、生まれが東北の方なんだけど、たいていの家が犬とか飼っててね。母さんの実家にも犬は居たんだけど」
「へえ、初耳……」
「こう言ったら何だけど、ろくでもない飼い主のところで育った犬はまず間違いなくろくでもない犬なのよ。無駄吼え、かみつき、徘徊、ね」
「……うーん」
「愛情は連鎖するのよ。本当の愛情を受けてこなかった親が、子供に愛情を注げられるようにはなりませんからね。飼い主、飼い犬、その子供……一番上にいる人間がまともでないのに、下まで愛情は注がれないものよ。人間でも獣でも一緒よ、本能だけで親になれるほど子育ては甘くないんですから」
「…………」
「きっとね、みつきちゃんが最初なのよ。心配してくれて、病院まで連れていってくれて、こんな風に抱いてくれてる人は」
「そう……なのかな」

 子犬を見ると、みつきの腕の中でうとうとし始めていた。

「生まれたばっかりで、心細いのに、誰も守ってくれなくて、やっと守ってくれそうな人が現れたと思って安心してるんでしょうね」
「そう……」

 だが、日向家で飼うかどうかというところまでは話が進まない。父親が動物の類は嫌いだと。

「飼い主を見つけて突っ返せ」

 みつきは「でも、そんなろくでもない飼い主のところに返すなんて」と言うが、父親はホンネで「動物に同情するな。大型犬なら飼うのも難しいし、近所の目もある。邪魔だ、面倒だ、と少しでも思うならいっそ殺してやった方がいい。人間の身勝手だと思うかもしれんが、この世はペットを中心に回ってる訳じゃない」と。
 みつきは納得いかないどころか、養父の物言いに少し不快感。だが正論は正論なので何とも。
 ここに、養母が苦笑しながら突っ込む。

「……恭一が飼っていた犬のこと、気にしてるんですか」

 昔、恭一が拾ってきた犬がいた。養父も相当可愛がっていたが、じきに死んでしまった。養父にとってはそれが軽いトラウマになっているらしい。みつき、意外な話に目をぱちくり。

「かあさんは黙ってろ」
「はいはい」

 結局、あくまで一時預かりに。
 連休空けたら同僚とかにも引き取り手がないか訊いてみる、と。
 この時に綾の協力を頼めないかと電話してみますが(過去視とかで追尾できないかと)、

「東京に帰るのはGW明けよ。今? 九州の湯布院。お湯で身体がふやけそう」
「みつきも来ない? バイト代全部出せばなんとかなるでしょ、宿泊費は保つから」

 涙ながらに電話を切る。お金ないよ。くそう……。こっちを見つめる犬がうらめしい。

 「しょうがないのね……まあ、なるべく早く帰れるよう彼にも話してみるけれど、期待しないでね」


 翌朝、犬に顔舐められて起こされるみつき。
 新聞紙を敷いた段ボールに入れてたのにひょこひょこ出てきている。
 コンビニのバイトに行こうとすると、母親に抱かれた子犬が相当むずがります。
 どうするアイフルの犬のようにつぶらな目で悲しみを訴える子犬。

※著者注:執筆時の時代を感じますね!

 鬼だ、鬼になるんだ日向みつき、とか思いながらバイトへ出勤。


 結局、鬼になりきれずバイト先まで子犬を連れてきた。
 店長にも経緯を説明。
 店長は犬のことより、昨夜のみつきの離れ業のことを訊きたがりますが誤魔化します。
 ここに綾登場。家まで行ったらバイト先だと言われてここへ来た。
 バイト先の店長、いきなり綾にバイトの交渉とか始めるが当然無視。
 綾、実に不機嫌な顔。

「あんた、九州だったんでしょ?」
「彼に話したら、進行してるプロジェクトの都合で実は東京に戻りたかったとか言われてね……」

 不満たらたら。で、犬をにらみつける。犬、怯える。……この子に罪はないでしょうが。

「犬一匹いるかいないかだけで、いろいろ変わってくるものね。……命ってそういうものだけれど」

 で、店の中を軽く透視。

「……この近所に、犬を飼っている家がありませんか?」
「歩いて捨てにきている……この近くに住んでいる人間よ、間違いないわ」

 で、店長がはたと思い出す。少し離れた場所に犬を飼ってる家があった、と言い始めます。
 無駄吼えとかでうるさくて近所でもあまり快く思われていない。
 でも、子犬が生まれたなんて話は聞いたことないけど……。


 子犬を連れて、その家まで言ってみるみつきと綾。
 割と大きな家。玄関先に犬小屋がある。でもカラッポ。
 ぴんぽーん。出てこない。
 留守かなぁと思って帰ろうとすると、幼稚園児くらいの小さな子供を連れた母親が帰ってくる。
 母親は二の腕に包帯を巻いている。

「私、向こうのコンビニで働いてる者なんですけど……」
「知りません」
「ねえ、ママ、あの子犬、死んじゃったベティの……」
「違うのよ、たっくん。ママ、みんな死んじゃったって言ったでしょう?」
「でも……」

 この母親、しらんぷりして家に入ろうとする。
 みつき、ちょっとブチギレする。

「……店の防犯カメラにあなたの顔が映ってたんですけどね、お母さん」
 嘘八百だったが、ギクッとなって振り返る母親。


 家の中にとりあえず通されたみつきと綾。母親はお茶を淹れている。

「……この子犬、うちの子?」

 子供が聞く。みつきは少し考えて、まだわからない、と説明する。
 みつき、子犬が欲しかったのかと聞くが、子供は否定する。

「謝りたかったの。死んじゃって、僕は何もできなかったから、ごめんねって」

 子供、手を伸ばす。
 だが、母親が戻ってくる。子供はむりやり子供部屋に押し込んだ。

「困るんですよ、こんなことされると」

 母親が言う。
 曰く、自分も犬を飼ってみたかったし、子供の情操教育にもいいかと思って犬を飼い始めた。彼女の夫が警察関係者だったのでシェパードの子犬だったらタダで手に入ったらしい。夫も仕事で留守がちだし(久瀬のことを省みて、官僚さんが大変なのは知ってますけどね……とか言うか?)その頃は子供もいなくて寂しかったので、犬を大事に大事に育てた。なのに乱暴な犬に育ってしまったのだと。家具やらなんやらの傷を指差して言う。
 しかも生後一年を越えてしまったので大きくて手に負えない。そうこうしているうちに子供も生まれて、散歩にも連れていけないからオモテにつないだままにしていた。

 みつき、それって甘やかしてダメな犬にしちゃっただけなんじゃないかと思う。

 その母親は続けて、警察関連の訓練学校に預けたら少しはマシになるんじゃないかと思って犬をあずけた。で、一ヶ月後くらいに行ってみたらたしかに従順な犬になっていた。が、家に戻ってきたらやっぱり乱暴な犬になる。しかも、訓練所でどこかのオスと交尾したらしく、五匹も子供を産んだ。けがらわしいと思いつつ、子犬は可愛い。撫でてあげようと思って取り上げると母犬に噛まれた。十針も縫う大怪我だったという。

 綾、飼い主と思っていない人間に可愛い我が子を抱き上げられたらそうなるに決まってる、とか思う。

 で、人を噛むような凶暴な犬はもういらないと保健所に連れていった。が、犬を破棄するのにはそれなりにお金がかかる(ここ、まだ調べてないので、保健所が無償で引き取るようなら、なんか他に理由を考えます)ので、お金が惜しくなってやむなく捨ててきた。

「どうせもう、ほとんど死にかけてましたし」
「母親から引き離されて餌もあげてなかったらそりゃ死にかけます」
「でもね、仕方ないじゃないですか。私の気持ち、わかるでしょ?」
「……わかりません」
「大事に大事に育てたのに、ずっと裏切られてきたんですよ?」
「…………」
「シェパードって、凶暴な犬なんですよ。可愛いのは子供の頃だけで……」
「可愛いんだったらこの子もちゃんと育てたらどうですか」
「だって、死んでたし」
「この子はまだ生きてます」
「どうせ、あの犬の子供だったら乱暴な犬になるじゃないですか」
「…………」
「本当に、困ってるんです。近所にも迷惑かけて……。大変だったんですよ、うちも」

 言いつつ、主婦はみつきに封筒(お金)を渡す。

「お願いだから、私が犬を捨てたことは黙っていて」

 こんなお金出せるなら、最初からちゃんと保健所に連れていけとか思う。

「主人の仕事の関係上、あまり変な噂が立つと困るのよ。ご近所で噂になるのも困るし」

 だったら近場のコンビニなんかに捨てにくるなこのノータリン。

「お願い、町内会で噂になったりしたら、私、どうしていいか……」

 結局自分が可愛いだけかよ。
 でも、言葉にならない。ムカムカしすぎて。
 金なんか受け取る気はない。突っ返してさっさと帰る。犬は連れ帰る。

「……きょ、脅迫なんかしたら訴えますからね」

 溜息をついた綾はしれっとお金を受け取っていく。これでいいのでしょう? と。


 みつき、綾と一緒に日向家に帰ってくる。

「みつきちゃん、どうだった?」
「……別に」
「だと思った。……あ、みつきちゃん、犬のしつけの本買ってきたわよ、誰かにあげるにしても、どこに出しても恥ずかしくない最低限のことはちゃんと教えないとね」
「…………」
「あとね、トイレのトレーニング用の道具も一式あるから。ちょっと早いかなと思ったんだけど、うちの庭じゃ大型犬なんて狭くて飼えないし、貰い手が見つからなかったら家の中で飼うしかないから。一応、電気の延長コードとか、家の中でこの子がかじったりしたら危なそうなものは片付けておいたからね」
「……おかーさんって、いいおかーさんだよね、本当に」
「はい?」
「ううん、何でもない」

 そして、みつきの自室。子犬のしつけの本を読んでいる。
 子犬が構ってほしくて、一生懸命みつきのベッドに上がろうとする。

「あ……こら、ダメ。上がっちゃダメ」

 叱られると、すぐに憶える。「これでいい?」という風にベッドの脇でみつきを見つめる。

「……もう憶えたの? そうそう、それでいいの。えらいね」

 頭を撫でると、嬉しそうに手を舐めてくる。

「ものすごく賢い子じゃない……。お母さんもきっと賢かったんだね」

 嬉しそうにしっぽ振る。

「さ、そろそろ頃合いかしらね」

 綾が立ち上がる。みつき「ほえ?」って感じ。

「あの馬鹿な女、放っておくつもりなの?」
「だってあんた、お金受け取って……」
「それとこれとは話が別でしょうに」

 実にさわやかに微笑んで。

「……そのワンちゃんだって、親の仇を討ちたいと思うのだけれど」

 解っているのかどうか、子犬は嬉しそうに「わんっ」と吼えた。


 深夜、ダメな主婦の家。
 主婦が寝室で寝ている(夫は出張)と、風を感じて目が覚める。窓が開いている。
 おかしいなと思いつつ、窓を閉めようと起きるが、ベッドから降りようとしたところで金縛りにあって動けなくなる。主婦、軽いパニックに陥る。
 そこに、窓の外から子犬が歩いてくる。もちろん床じゃなく、宙に浮いている。
 主婦の鼻面すぐ側まで来て、じっと主婦の目を見つめる。

「……よくも、親と兄弟を殺してくれたな」

 頭に突き刺さるように聞こえてくる野太い声。
 仕方なかったとか言い始めるが、犬が歯を剥いて唸り始める。

「ふざけるな。自分の都合ばっかり振りかざして……」

 ポルターガイスト現象よろしく、寝室の家具や調度品が浮かび上がる。

「お前が俺たちにやったのと、同じようにしてやろうか」

 布団がまきついてくる。ひーとかひえーとか声にならない叫び声。
 半狂乱になって家中転げ回る。

 さて、どこまでやるかですが……。
 まあ、台所の刃物が襲いかかってくるくらいは当然だとして。
 家中の家具が浮かび上がって、家が基礎からがたがた揺れ始めるとか。
 床板や天井引きはがすくらいやってもいいかと思うんですが、やりすぎか。
 まあ、ここらへんは筆に任せます。

著者注:ラフではたまにこういう「未来の自分に丸投げ」的なことを書きます。とりあえず最後まで話が通ってることが最優先。

 で、母親が腰を抜かして失禁して身動きできなくなったところで。
 子供が入ってきます。
 母親、半狂乱ながら、息子に入ってくるなと叫びまくる。
 母親、必死になって子供の前に出る。ナイフ持って襲いかかる。
 んが、弾き返される。為す術なし。
 へたりこむ母親。

「……これで、ようやく、同じだ」

 ごつい声。

「この後、お前は……私の母に何をした?」
「私を、守ろうとしてくれた母に、何をした?」
「……よく思い出せ」

 子犬、近付いてくる。
 母親、堪えきれずに失神。
 そして、子供に向き直る。

「おかあさん、ころしちゃうの……?」

 子供、震えながら。

「ぼくも、ころされちゃうの……?」

 返事なし。

「ごめんね……そうだよね、なにもしなくて……助けてあげられなくて、ごめんね……」

 で、空に浮いていた子犬が急に床へ飛び降りる。ぽてぽて近付いてくる。
 で、子供と子犬がじっと見つめ合う。

「えっ……」

 ひどく優しい声が聞こえる。

「気にしないで、って……許して、くれるの……?」

 子犬が、子供の顔を舐める。

「お母さんが……大変な時に、何も、できなかった……お互い様だから……」

 子犬が、じっと、子供の顔を見つめていた。
 そして、子供が子供なりに決意した顔で。

「……うん、頑張る。……頑張ろうね」

 で、子犬は再び空に浮いて去っていった。


 で、この家の屋根の上にいたみつき、子犬を回収。
 少し離れた場所から遠視しつつ指示を出していた綾と合流。

「ああいう展開になるとは思わなかったけどね」
「失神させるほど怖がらせるのは、まあ、予定通りですけれど」
「ねえ、綾。こういうこと言っちゃ、アレなんだけど……」
「?」
「あの主婦さ、自分の身も省みずに子供守ろうとかしたわけじゃない? あのときさ、結構見直したんだけど……結構いいお母さんじゃない、って」
「そうね」
「なのに、さ……。どこでどう間違えば、あんな……」
「犬は犬、人は人なのよ」
「?」
「命の重さは等価ではないのよ。理屈で言えば、自分の息子と同じように犬に接する方が異常なのだから。人間は結局、自分の都合で動物の命を弄ぶことしかできない。オモチャ同然に犬を扱ったところで罪にはならないのだし、子供に接するのと同じようには愛情を注げやしないわ。それだけのこと」
「そんなねえ、あんた……」
「あら、みつきは、今夜の夕食は肉も魚も口にしなかったの? 豚も牛も、魚だって可愛いものよ」
「……そ、それとこれとは……」
「なら、究極の選択。この子犬と私が死にかけていて、片方しか助けられないとしたら、みつきはどっちを助けるかしら」
「子犬」
「……例えが悪かったわ。瑤子とこの犬なら? ご両親なら?」
「だから、そーいう話と一緒にするなって……」
「本質的には同じことよ。……同じことだけれど」

 綾は、子犬に手を伸ばす。頭をそっと撫でる。

「矛盾があろうと何だろうと、私たちはあの主婦の犬の扱いに憤りをおぼえて、ささやかながら母犬の仕返しをした。もう彼女は気軽にペットを飼おうとしないでしょうし、みつきはこの子をちゃんと飼ってあげればいい。……それだけでいいじゃない。ね」
「……ま、そうなんだけどさ」

 車に乗る。

「そういえば、みつき。とっさのこととは言え上手い演出だったわね」
「何が?」
「ほら、怯えた子供のこと。この子犬を床に下ろして。あれで一気に場が和んだ気がしたわ」
「あ、ううん。あれ私じゃないよ。この子が怯えたのかどうか知らないけど、急にサイコキネシスを拒絶したっつーかなんつーか……うっかり取り落としたって感じ」
「は?」
「あんたこそ、あの時、あの子に何て言ったの? 私の方にはテレパシー回ってこなかったけど」
「いえ、私は何も……」
「だって、この子犬とあの子供、なんか会話みたいなことしてたよ?」

 みつきと綾、しばらく顔を見合わせる。
 で、子犬に目を落とす。

「犬って、超感覚使えたっけ?」
「いえ、可能性があるとしたらあの男の子の方だけれど……恐怖心のあまり偏性肥大とか。でも、犬は犬だもの。脳の構造だって違うのだから、テレパシーが繋がっても会話なんて成立するはずがないわ。原始的な感情や欲求の感知がせいぜい……の、はず……だけれど」

 子犬、不思議そうに二人を見上げている。

「……まさか、ね」


 GW明け。天気のいい公園で定例会。
 サンドイッチに魔法瓶のお茶。あと、おもちゃのボールほか犬のおもちゃ。

「……そんなことがあったんですか」

 子犬と遊びながら瑤子が言う。

「うん、うちで飼うことになった。餌代も私のバイト代から出すからって言ったら、お父さんも了承してくれて。私の部屋がこの子の部屋になっちゃってるんだ」
「……良かったですね。この子にとっては幸せだと思います。センパイと一緒なら」
「なんじゃそりゃ……」
「ね、君もそう思うよね?」

 瑤子が言うと、しっぽふりふり、実にタイミング良くワンと吼える。

「あーあ、私も東京にいたら良かったです……。お手伝いできたのに」
「しなくていいって、こんなこと。……あ、久しぶりに四国に帰省してたんでしょ? 実家はどうだったの?」

 瑤子が微妙な顔をする。

「……相変わらず親御さんと仲悪いんだ」
「いいはずないです。GWなんて苦痛なだけでした」

 そしてもう一回、東京にいたら良かった、と瑤子が繰り返す。
 みつき、溜息。
 子犬が心配そうに瑤子の顔を覗き込む。

「……君、あたしのこと心配してくれてるの? 大丈夫だよ、大したことないから」

 苦笑しながら顔を近付ける。
 子犬、瑤子の頬を軽く舐める。

「なんか、この子、さっきから……。賢いんですね。人の会話がわかってるみたい」
「まさか」

 みつきと綾が紅茶をすすりながら同時に否定するが、瑤子がボールをぽんと放る。
 子犬、それをぼけーっと見てる。

「君、取ってきてくれないかな」

 子犬、ボールをくわえて瑤子のところに走り寄ってくる。

「ほら」

 と、瑤子が言うが、みつきは笑う。

「ああ、それは私がこないだ教えただけ。餌あげるときのマテとか教えるついでに」

 ところが、綾が顔色を変える。

「みつき、この犬、今何歳だって言ったっけ?」
「えーと、こないだ虫下し飲ませたばっかりだから、たぶん生後一ヶ月弱?」
「ちょっと……賢すぎない? この子……」
「でも、こんなもんじゃない? いろいろ調べたんだけど、シェパードってふつうでも上下関係しっかりしてる上に賢いから、主人にあれこれ命令されたほうが気が楽なんだって。だから今、家じゃすごい教育ママになってるもん、私」
「それにしたって度を超えてるわよ……」
「……将来は名犬確実かな?」
「このまま育てば末恐ろしいわね、実際……」
「そっか……でも、良かったかも」
「?」
「本に書いてあったの。シェパードって成長したらすんごく大きくなるし、歯とかもめちゃめちゃ鋭いらしくて。ちょっとじゃれただけでも飼い主は手にケガしちゃったりするらしいよ。性格的には穏和で優しい犬種だって言うけど、それでも、しつけが足りなかったら絶対に誰かに迷惑かけちゃうじゃない。この子自信が嫌がらない限りは、しつけとか訓練とか、やりすぎて困るってことはないしさ」

 言う間も、みつきは幼犬用のガムを使って子犬を遊ばせている。

「極論だけどさ、自分の力がどのくらいか知らなくて、そのまま大人になったら危ないしね。毎日毎日、しっかり訓練してさ。うっかり事故になったとか、そういうことがないようにしないと」
「それ、自分のこと?」
「へっ?」
「私の思い過ごしかしら」
「……何のことだか」

 しばらく、会話が途切れる。

「……たしか、シェパードって、もともとは軍用犬よね」

 綾が話しかけて、瑤子が頷く。

「みつき、あなたもしかして、この犬に自分を重ねてない?」
「…………」
「生後まもなく親に捨てられて、それで研究所に……。似たような生い立ちしてるものね、あなた」
「…………」
「私もそうだけれど、元は軍事利用を前提とした実験や訓練を強いられてきたのだから。でも、あの頃の時間がなければ、あなたも私も自分の力をもてあまして、今頃どうなっていたか……」
「…………」
「あなた、今でもたしか、毎朝一時間くらいはサイコキネシスの訓練やってるんじゃなかった? 一度に複数のものを動かすとか、研究所で何年もやってきたことを……。まかり間違って力を暴走させないように、コントロールの訓練だけは絶対に欠かさずに……」
「……朝方の忙しい時間帯に、必要に迫られてやってるだけだよ」
「そうなの?」
「考えすぎだよ、綾」

 いつからか、みつきの手が止まっていた。
 子犬が心配そうにみつきの顔を見上げている。

「……何でもないよ、心配しないで」

 苦笑して、子犬の頭を撫でる。

「大丈夫、幸せになれるように、ちゃんといろいろ教えてあげるからね。ね、小太郎」

 子犬──小太郎が嬉しそうにわんっと吼える。

「……小太郎? それ、その子犬の名前?」
「そう」
「ちょっと、そんな名前……」
「ああ、シェパードだから外国人の名前つけろって? お母さんにも似たようなこと言われたけど、この子は日本で生まれて日本で育つんだから日本人じゃない。帰化してるようなものでしょ? だから、小太郎でいいの」
「そうじゃなくて。……メスでしょ? この子」
「へっ?」

 瑤子が子犬を抱き上げて、おなかから脚の間を探ってみる。

「……女の子です」

 みつき、ぽかーん。

「……今まで知らなかったの?」
「なんで気付いたのよ、綾」
「私を誰だと思ってるの?」
「……あ、ESPなんだ……」
「というか、飼い主なんだから気付きなさいよ、みつき……」
「今から名前変えても間に合うかな……」
「さあ、本人に訊いてみたら?」

 みつき、奈々子とか優子とか雅美とかいろいろ話しかけてみる。が、返事なし。
 最後に、

「……小太郎」

 と言ったとたん。

「わんっ」

 と、嬉しそうにしっぽを振って答えた。

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