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第2章

2-1:それが俺の正体なんだってさ

 俺はその時、和服を着流しで粋に着こなしつつ、ダブルクラッチ必須の旧型自動車をクーペからダンプまで自在に乗り回し、右手には旧軍の三八式小銃、左手には形式不明の大口径拳銃を携えて、何とも表現しがたい醜悪な姿をしたバケモノどもの群れを片っ端から撃ち殺しまくっていた。
 何だそりゃ意味わからん滅茶苦茶じゃねぇか、と誰しも突っ込みを入れたくなるだろうけど実際に無茶苦茶で、目につく人たちの生活様式や文化レベルも、江戸時代、明治、大正、戦前戦後が入り乱れている。
 そんな文字通りの混沌の中、俺は八面六臂の大活躍を続ける。

 和服のままで舞うように身体をさばいて格闘戦。
 様々な種類の銃を戦況に合わせて自在に使いこなすノウハウ。
 あらゆる自動車をほぼ完璧に乗りこなす運転技術。
 俺はそれら全部を完全に習得していて、縦横に駆使していた。

 ――ああ、こりゃ、夢だ。絶対に。

 少々奇抜な夢でも朝まで気付かず浸り込んでしまうのが常だけど、今回はさすがに夢だと気が付いた。夢の中の自分と、夢を認識した自分との間に意識の剥離が起き、観客席から超リアルな3D映画を見ているような感じになっていく。
 ま、遠からずこうなるだろうとは思ってたよ。現実で何か困難にぶち当たると、それより数段厳しい状況を夢の中でシミュレーションして劇的に成長する、ってのがお決まりののパターンだしな。翌朝の俺はきっと、あんな目に遭っても物ともしないスキルを身につけてるんだろう。

 あんな目、ってのは、つまり。
 十八歳の誕生日に起きた事件のことだ。

 羽織袴で強制的に参加させられた結婚式。爆破される会場。襲いかかってくる米軍の特殊部隊。そこから逃げ出すため大立ち回りして、無免許でロードスターを運転してカーチェイス。挙げ句の果てには狙撃銃一丁でM1エイブラムス戦車三輛と対決するハメになった、とんでもない夜のこと。
 いやはや、冷静に考えると呆れるしかないな。無茶苦茶な混沌っぷりは今見てる夢と大差ねぇじゃん。実は徹頭徹尾、ぜーんぶ夢だったんじゃないのか?

「かっこいいなぁ、お義父さんは強いなぁ」

 激闘の末に強敵を斃し、機関部が壊れて使い物にならなくなった旧式の銃を投げ捨てていた俺の背後から、誰かが声をかけてきた。
 振り向くと、黄色い帽子に白いシャツ、黒い半ズボンとサスペンダー。いかにも昭和の小学生という出で立ちの子供が、目をきらきらさせながら俺を見つめている。
 その子供の顔に、どことなく、父さんの面影があった。

「僕もいつか、お義父さんと一緒に戦うよ、命がけで」
「ダメだ。お前はお前の人生を歩め。そして、人間らしい幸せを掴むんだ。いいか……」
「わかってるよ、いつものアレでしょ? もう聞き飽きたよ」
「聞き飽きたとは何だ。これはな、百年経とうが千年経とうが……」
「はいはい。お義父さんの言う通りにする。でも、お義父さんの手助けをするくらいならいいでしょ? たとえば、お義父さんのための最高の武器を作る、とか」
「……勝手にしろ。全く、お前はもう少し親の言うことを素直に聞け」

 夢の中の俺は、苦笑しつつも嬉しそうに、義理の息子の頭を撫でる。
 手を繋いで歩き出した父子の前に、夢でしか逢えない理想のひとがいる。腰まで伸ばした艶やかな黒髪、すらりと伸びた長い手足、豊かな胸元、抜群のプロポーション。
 そのひとは腕の中に、俺とバケモノの戦闘に巻き込まれて実の両親を亡くしてしまった乳飲み子を抱いていた。
 女の子。そう、俺の母さんにどことなく似た顔立ちの。
 俺はその乳飲み子の頬を撫でようと、左手を伸ばして近寄っていき――。




「……あれ」

 天井に向かって伸ばした左手がスカッと空を切り、目が覚める。
 俺の家、リビング、ソファの上。部屋の電気はつきっぱなし。首を巡らせて壁掛け時計を観ると、時刻は午前二時過ぎ。どうやらテレビでも観ながらうたた寝していたらしい。

「何だよ、ほんとに全部夢だったのか……」

 大あくびを一つ。自分の部屋に戻って寝直そうと、身体を起こす。
 起きられない。
 身体の右半分がやたらと重い。寝相が悪かったのか、麻痺したように感覚があやふや。
 自分の身体を確かめる。胸元から脚の方まで薄手のブランケットで覆われていて、その下はTシャツにパンツ一丁。いつも寝るときはこの格好だから、おかしいことは何もない。

 ただ、ブランケットの下に、何とも言えない感触。
 ひょっとして、これ――いや、間違いない。

 俺じゃない誰かの、人肌の感触。

 青ざめつつ、慌ててブランケットをはぎ取る。

「ぅ、ん……むにゅ……」

 下半身はショーツ一枚、上半身はノーブラでどう見てもオーバーサイズな俺のTシャツだけを来た黒髪ロングの十四歳。下手すると素っ裸よりも三倍くらいエロい格好で俺の下半身に両脚を絡ませ、まだ小さな胸の谷間に俺の右腕を抱きかかえて――。

「ぬわあぁぁああぁぁぁああぁぁぁああぁぁぁあぁああぁああああぁっ?!!」

 思わず大声で叫んでしまった。驚いた結女の身体がビクッと震えて目を覚ますと、胸元から撫で上げてくるように視線を動かして俺の顔を見つめる。

「ああ、起きたのか、沖継……。おはよう……いや、まだ夜中か……」

 呆然としている俺の顔を見つめつつ、ほわ、と控えめなあくびをしながら仔猫のように目元を擦る。やめてくれそういう可愛い仕草をこのゼロ距離で見せつけんな!! まさかとは思うけど俺たちヤることヤっちゃった後じゃないよな? ないよな?!
 俺は寝ぼけていた脳味噌を叩き起こし、戦車と戦ってた時と負けじ劣らじの領域まで思考を加速させる。思い出せ、思い出せ、思い出せ、ここで眠りこけるまで何があった? ええとええと、戦車を潰して、気力を使い果たして倒れそうになって、自衛隊の人が駆けつけてきて、それから、それから――うああ、記憶があやふやだ。疲労からくる猛烈な眠気に逆らえなくてときどき意識を失ってたから。
 そ、そうだ、自衛隊の人たちが家まで送り届けてくれたんだ。ヘリと軽装甲車を乗り継いで、気絶しっぱなしのコノを家に送り届けてくれるって言うんでお任せして、結女に肩を借りながら自宅に戻ってきた。もう二階の自室へ上がる元気もなく、リビングのソファに倒れ込んでそのまま爆睡。
 何もしてない、できるはずがない。大丈夫。落ち着け、落ち着くんだッ。

「すまなかった、沖継。ずいぶん勝手なことをして……」
「? 何の話だよ」
「お前の身体、汗や埃でずいぶん汚れていたから……。寝ている間に蒸しタオルで拭かせてもらった。あと、お前の部屋にも勝手に入ってしまった。替えの下着を探しに」

 そういや今穿いてるパンツって、俺が昨日穿いてたヤツと違う――なななななっ何だとぉー?! おおおおまおまおまっ、ぜぜぜ全部見たの?! 見ちゃったの?!!!

「そんな顔をしないでくれ……。それ以上のことは、何もしてないから……」

 きゅっ。
 結女が、俺の腕を抱く手に、少しだけ力を込める。
 そして、頬を桜色に染めて、柔らかく微笑む。

「あ、あのな、その……沖継、さっきは……すまない。つい、その……自分の気持ちが抑えられなくて、取り乱して、女にあるまじきみっともない真似を……。頼む、嫌いにならないでくれ……。もう、焦らなくてもいいんだ。これからはずっと一緒なんだから……。お前がその気になる時まで、私は、ずっと待ってるから……」

 ギャーいやーやめてぇー!! 恥じらいながら可愛らしいこと言わないでぇー!! 男の欲望を堰き止めている理性のダムがうっかり決壊してしまうぅー!! それなら目の色変えて強引に襲われそうになってた方がまだマシだよぉー!!

「あ、そうだ。夜食も用意しているぞ。昨夜はお前も私も食事抜きで大立ち回りしていたからな。お腹、空いてるだろう?」

 結女の視線を追ってソファの隣のテーブルを見る。ラップのかけられた皿がある。中身はおにぎりとウインナーと卵焼き。男心を鷲掴みする夜食の王様。

「味噌汁もあるんだ。温め直してくる」

 結女が身体を起こす。でも、俺の身体に直接触れていた手や足を離しがたいのか、いかにも名残惜しそうに躊躇って――。
 唇を噛み締め、目を強く閉じる。
 これじゃダメだ、と自分に言い聞かせたんだろうか。
 それでようやく決心できたのか、勢いよくソファから降りて俺に背を向ける。キッチンの方に歩み去る。長い黒髪がその動きにたなびいている様子を見て、後ろ髪を引かれる思いというのはこれのことなんだろうと変に納得。

 ともあれ、やっと右半身が解放。
 俺もようやくソファの上で身体を起こせた。

 でも、この気持ちは、何だろう。
 理屈抜きの喪失感。
 寂しい。物足りない。

 俺の身体も、結女と触れ合っていたかったんだろうか。

 って何考えてんだ俺はダメダメダメそういうこと冗談でも思っちゃダメ!

「……あいでっ。あだっ」

 頭抱えて暴れてるうちに、うっかりソファから転げ落ちる。テーブルの脚へしたたかに頭をぶつけて、近くに置いてあったらしい電話の子機が顔の上へ振ってきた。

『録音、一件です。五月二十一日、午後十時四十八分』

 子機のボタンをどっか押したらしく、親機と通信を初めてしまった。ピーッという電子音と共に留守録メッセージの再生が始まる。

『沖継がこれを聞く頃には、もう朝なのかしら。おはよう、新婚初夜は楽しかった?』

 うちの母さんじゃないか。初夜とかやめてくれよ状況的にも冗談になってないから。

『こっちにも自衛隊が助けに来てくれてな、さっき、ようやく落ち着いた』

 今度は父さんの声だ。ひとつの携帯を中心に、夫婦で顔を寄せ合って電話してる様子が目に浮かぶようだ。相ッ変わらず仲いいよなあんたら、まさにおしどり夫婦。

『話は聞いたぞ。どうやって戦車なんかやっつけたんだか……。つくづくお前は凄いな、沖継。よく頑張った』

 思わず照れて、口元が緩む。父親に手放しで認めてもらえるって、いくつになっても嬉しいもんだな。一人前の男として認めてもらった気になる。

『今から家に帰っても良かったんだが、それじゃ二人の邪魔をしそうなんでな。私たちは他の親戚と一緒にどこかのホテルにでも転がり込むつもりだ』
『むしろ明日からしばらく旅行に行っちゃおうかなー。グァムとかサイパンとか』
『ははは、グッドアイデアだ母さん。地上の楽園を巡る旅と洒落込もう。という訳で沖継、こっちは気にするな。しばらく二人きりの新婚生活を楽しむといい。……近いうちに父子で一杯やろう。お前が一人前になった記念に』

 ピーッ。時間切れ。再生終了。
 父さん、気持ちはわかるけど。十八歳はまだお酒飲んじゃダメなんです。

「やれやれ……。変な気を回さなくてもいいのに」

 結女も聞いていたらしく、苦笑しながらリビングに戻ってくる。両手には味噌汁の入ったお椀。結女には大きすぎるTシャツは襟周りから白い肩が露出しそうになっている上に、キッチンの明かりを背後から受けて身体のラインが完全に透けてしまっていて――。

 俺は慌てて目を逸らす。
 いくら何でも目の毒すぎる。

 い、いやいや、相手は十四歳、中学生、守備範囲外、興味は無い。必死で自分に言い聞かせる。顔が赤いのも心臓がバクバクしてるのも全部気のせいだ。気のせいなんだッ。

「さ、沖継、食べてくれ。冷めないうちに」
「あ……ああ、じゃあ……」

 固辞する理由もないので、二人で食卓について食べ始める。

「……あれ、この味噌汁、母さんの作り置き?」

 一口啜ってすぐ気付く。うちの母さんはやたら料理上手で、出汁の取り方ひとつにしてもそうそう簡単に真似ができないんだ。台所にある同じ材料を使ったところでこの味に辿り着くはずはない。

「いや、作ったのは私だが、味が似ているのは当然だろう。そもそも富美子に料理を教えたのは私だからな」

 さらっと結女が言う。富美子はうちの母さんの名前。十四歳の中学生が四十路がらみの主婦に料理を教えるなんてどだい無理だろ――普通なら。

 でも、結女が普通じゃないのは、もう、嫌ってほど知ってる。

 危うく忘却しかけていた疑問が、一気に胸の中で膨れあがってきた。
 俺はいったん、箸を置く。

「……なあ結女。お前さ、この日本って国は俺とお前で作った、とか言ってたよな」
「どうした突然。それが何か?」
「あれって、どういう意味なんだ? 喩え話の類だと思うけど……」
「なぜ変に勘ぐる。言葉通りに取ればいい」
「取れるか。無茶言うな」

 俺は苦笑しつつ、手を振って否定。

「結女くらいの歳じゃ知らないかもしれないけどな、日本って世界最古の国家なんだぞ。神話や伝承によると二千六百年以上昔から、現存してる文献を元にした科学的な研究でも千五百年以上昔から、ずっとずっとずーっと途切れることなく続いてんだ。世界の特異点と言っても過言じゃない。そんなもんどうやりゃ俺たちで作れるんだっつーの」

 結女、これに目をぱちくり。ほんとお前は変なとこで驚くよな。

「ああ、そうか……そんなところから説明しなければならないのか。義則や富美子から、沖継は以前のことをかなり思い出していると聞いていたから……。これまでなかなか話が噛み合わなかった理由、やっとわかったぞ」

 結女はかぶりを振って溜息をつき、俺と同じく箸を置く。

「よし、では、沖継は何も知らないという前提で、何もかも一から話そう」

 おお、これは期待。ようやくまともな話が聞けそうだ。

「その前に、沖継。一つ確認しておきたい」
「? 何を」
「自覚できる範囲でいい。お前の政治信条は右か? 左か?」
「……何だそりゃ」
「昔のことを包み隠さず話すと、まれに烈火のごとく怒り出す人がいる。これまでの経験上、右だ左だと即答するハッキリした者ほどその傾向が強い。そういう相手にはある程度話をごまかすと決めている。私は論争したい訳ではないしな」

 うーん、何となく想像つくような、想像したくないような。

「正直、自分が右か左かなんて意識したこともないよ。多分ノンポリ」
「そうか、では、包み隠さず何もかも」
「あ、でもその、俺は今後もノンポリでいたいので、できれば当たり障りのないよう危ないところは適度にぼかして。話が意味不明になんない程度に」
「……面倒臭いオーダーだな。仕方ない、なるべく配慮しよう」

 助かる。世の中には知らなくていいことがあるもんだしな、うん。

「まず、私たち自身のことについてだ。伊弉諾と伊弉冉は知っているか」
「日本神話の神様か? 日本書紀とか、古事記とか」
「そう。日本列島を作り、天照大神をはじめ自然と風土を司る神々を産んだ親でもある」
「ま、知ってるけど。日本史の授業でもさわりだけ習ったしな。で?」
「つまり、それが私たちだ」

 俺、思わず鼻で笑っちゃう。

「じゃあ何か。俺とお前が伊弉諾と伊弉冉の生まれ変わりだとでも?」
「生まれ変わったことなど一度もない。私たちはおよそ三千年、ずっと生きてる」
「…………」

 いや、ないわ。いくら何でも。

「もちろん、伊弉諾と伊弉冉の伝説がそのまま、昔の私たちを正確に伝承している訳ではないぞ。私の小さな母胎で日本列島を産めるはずもないからな。民族の祖として奉られて神様のように扱われた末、神話ではああいう位置に収まっただけだ」
「まあ、神話や伝説なんて、針小棒大に誇張されてるもんだろうけど……」
「昔はまだ民草も未熟だったのでな。法を整えて公明正大な統治に力を注ぐより、神という偶像に依拠した絶対的な権威を大袈裟に示した方が、何かとやりやすかったんだ。どうだ、思い出してきたか?」

 俺、あまりに呆れてしまい、黙って食事を再開。

「何だその顔は。信じていないのか」

 当たり前だろそんなもん、という意思を目に込めつつ、口の中の食べ物を呑み下す。

「百歩譲って、伊弉諾と伊弉冉にモデルが実在したとこまでは信じてやるよ。けどな、ただの人間が三千年も生きていられるかっつーの。どんなに頑張ってもせいぜい百年程度で死ぬっつーの。医学の発達してなかった古代ならなおさら……」
「沖継。お前、風邪をひいたことはあるか」

 俺の話を遮るようにして、突然訊かれる。

「何だよ。いくら俺でも人の子だぞ。風邪くらいひくよ」
「いいや。遠足に行く日の朝に風邪っぽくて熱があったとしても、家族で映画に行く日曜日に体調が悪かったとしても、ふんぬと気合いを入れるだけで、お前は簡単に病魔を退けられたはずだ」
「うーん、確かにそんな感じだったけどな。体力には自信あるし」
「体力は微塵も関係ない。アレルギー、流行病、食中毒。私とお前はそういうものと全く縁がない。毒ガスや細菌兵器ですら私たちの身体はことごとく無害化してしまう。病気や中毒の類では決して死なないようにできているんだ」
「んな、アホな……」

 いや、でも待てよ。
 心当たりがないわけじゃない。
 たとえば、インフルエンザの流行で学級閉鎖になった時でも、俺だけいつも元気だった。保健所から予防接種の案内が郵送されてくると「沖継には必要ないのにね」と父さん母さんが呟いていた記憶がある。それにあの黒ずくめどもだ。屋内で挟撃を仕掛けてきたくせに、催涙ガスの類を使おうともしなかったっけ。

「一種の特異体質……? でも、それだけで何千年も生きられるはずは……」
「私たちは三つ、特別な力を持っている」

 結女が俺の表情を見ながら、指を三本立ててみせて。

「まずひとつめは、さっき言った通り、病気の類では決して死なないこと。そしてふたつめは、自分で自分の年齢を決められること」
「……え」
「年齢をプラスしていくのは人並みに時間が必要だがな。栄養を摂取しながら細胞を正常に分裂させて体組織を増やすか、あるいは、少しずつ老化で衰えていくのを待たなければならないから。しかし逆に……」
「老化を止める……現状維持は、簡単にできるってのか」
「若返ることもな。新陳代謝しながら余計な細胞を切り捨てるだけだから」
「いや、ははは。無茶苦茶な。んなことできるわけない」
「論より証拠だ。沖継、私の言う通りにしてみろ。目を閉じて、自分の心の中を覗き込むようにイメージし、自分の年齢を変えようと考えながら……」

 結女の話を聞きながら、半信半疑、いや、ほぼ完全に疑いつつも、念のために言われた通りにしてみたんだが――。

 度肝を抜かれた。

 俺の中に、そういうシステムがちゃんとある。

 地球上に存在するありとあらゆる毒素、有害な化学物質、ウイルス、病原菌。そうしたものを徹底的に排除して健康を保つための抗体管理モニター。そして、自分の肉体年齢を操作する一種のインターフェイス。それが瞼の裏に映る――いや、目で見ているわけじゃなく、脳で直接理解していると言った方が正しいのか。それ故に、これが幻の類じゃなく、実行力を持った活きたシステムだと直感的に理解できる。
 いやはや、よく今まで気付かなかったもんだ。やろうと思えば今すぐ、あっという間に幼児の頃まで身体を縮められそうだ。

「待て沖継、実際に若返るな。もし三歳児にでもなろうものなら、今のお前の姿に戻るまで十五年かかるんだぞ。いざという時のために取っておけ」

 結女のその言葉に、俺はシステムを閉じて目を開ける。

「いざという時……?」
「うまく使えば、大怪我を負ってもチャラにできるんだ。さっきも言ったろう、若返る時は新陳代謝しながら細胞を切り捨てると。仮に片腕を切り落とされても、失った細胞は全身の数割に過ぎない。なら、体重が数割少ない状態で五体満足だった年齢まで若返れば、おおむね組織が再生できるという理屈だ。もちろん限度はあるがな」

 なんとまあ、健康と長寿を維持するって意味じゃほぼ死角がないのか。

「……私は本来、二十代半ばくらいの姿を維持していたんだが」

 結女が急に、恥ずかしそうに笑い出した。

「何年か前、ちょっとしたアクシデントで顔に傷を負った。女として魅力に乏しい未熟な身体でお前と再会するか、醜い傷がついた顔で再会するか、選択を迫られて……」

 結女の指が、右目から右頬を伝うようになぞっていく。
 もしそれが傷の記憶だとしたら大きすぎる。女の子には酷だろう。

「つまらない女心だ。笑ってくれていい」

 ――じゃあ、やっぱり。

 毎晩のように夢の中で逢っていた理想のひとは、結女、なのか。
 千年以上の時を連れ添ってきた伴侶の面影を、戯れに思い出していただけで――。

「ただな、一つ、朗報もあるぞ」

 結女が急に、花が咲いたような笑顔を見せて。

「これだけ若返ったからな。顔の他にもいろいろと新品同然だ」
「えーと、何の話……」

 本当にわかんなかったから、そう訊いたんだけど。
 結女はわずかに赤面して、組んだ手を両脚の間に挟んで、しきりにもじもじしながら、ちょっとだけ上目遣いになって。

「お前に“初めて”を捧げるのは、憶えているだけでも、八回目だ」
「…………」
「男の場合は、初めても百回目も身体的には何も変わらないから、以前からちょっと不公平だと思っていたんだが。しかし、その、今の沖継は間違いなく、初めて、と、見なしていい、はずだな。……何だか想像するだけでドキドキしてくるな。こないか?」
「あ、あの、えっと、結女さん?」
「い、いや、お前がその気になるまで待つと言ったんだから、その、いくらでも待つぞ、待つとも。だが、いよいよその時となったら何も遠慮はいらない。どーんと直接入ってきてくれ。そら、女は産まれた時、一生分の卵子を持って生まれてくると言うだろう。私はもう飽きるほど産んだ。それはもう産んだ産んだ。最後の一粒まで使い果たしたんだろうな、千年以上前から一度も孕んだことがない」
「こら結女、待ちなさい、ちょっと」
「当時の人口と今の人口を考慮するに、今の日本人には多かれ少なかれ、私たち夫婦の血がどこかで混じっている可能性がある。計算上はな。私がみんな家族だというのはつまりこういう……あ、い、いかんな、何だか生々しい話になってきた。忘れてくれ」

 忘れたくても忘れられねえよ脳味噌にこびりついちゃったよ。ガキの頃からお世話になってる商店街のおっちゃんおばちゃんが明日から息子や娘に見えてきちまうよ。いやこの場合は孫とか曾孫とか玄孫とかなのか? ダメだ想像が追いつかん。なので今まで通り赤の他人ってことでいいですよね?

「……とにかく」

 結女は咳払いして、妙な雰囲気を断ち切る。

「古代には、私たちと似たような能力を持った者が……老いることのない人間が大勢いたらしい。世界各地にその証拠が残ってる。旧約聖書の創世記をみろ、ノアの洪水が起きる以前の人間はみな、九百歳まで生きていたそうだ。ギリシャ神話もそうだな、クロノス神が王権を掌握していた頃に生きていた金の種族……つまり人間のことだが、これは神に等しい長寿だったという。中国にも仙人の伝承があるな。そして、この日本には……」

 続く言葉を強調するために、結女はわざと一度、言葉を切ってから。

「沖継と、私だ」

 微笑みながら、言う。

「私たちは……老いることのない者は、皆、長寿によってたくわえた知識と、いつまでも若く活動的で病むことのない身体が生み出す活力をもって、精力的に古代の人々を守り、導き、現代につながる文明の基礎を築き上げてきたんだ」

 結女は、冷めつつある味噌汁の碗を手にして、飲み干す。

「改めて言うぞ。この日本という国の原型は、私たち二人で作ったんだ」


2-2:トモダチの意見は大切です

 翌朝。三年五組の教室。

「……てことなんだってさ」

 普段よりちょっと早めに登校してきた俺は、ホームルーム前の時間を利用してコノと拓海に知ってることをほぼ全部話してみた。俺が伊弉諾の原型らしいってこととか、結女も秘密にしなくていいって言ってたんで。
 あ、でもでも、結女のナニがアレだとか、ヤることヤって飽きるほど子供産んだとか、日本人はみんな俺の血縁かもしれないとか、その辺は全力で伏せましたよ。ええ、カンペキに伏せましたとも。たとえ拷問にかけられても言うもんか。

「はっはっは。おいこら沖継、くだらんヨタ話も大概にしろ。殴るぞ?」

 満面の笑顔で拓海が言う。微妙に話を伏せたせいで信じてもらえなかった――なんてことは全く関係ないな。そのリアクションは想定の範囲内。

「あ、あのね、拓海くん、疑う気持ちはわかるけど、でもその、結婚式とか結女ちゃんとか黒ずくめとか戦車とか、そういうのは本当なんだよ。私も朝起きて、沖継くんと会うまで全部夢だと思ってたんだけど……ほら、私の肘にも怪我あるでしょ、太腿の痣も」

 そんなもん証拠にならんだろ、とは思うんだが、もともとコノは冗談でも他人を騙したり嘘をついたりしたことがない。馬鹿正直を絵に描いたようなヤツだ。拓海も当然それを知ってるから、ヨタ話だと決めつけていた笑顔がだんだん固まってくる。

「それに、朝のニュースは見なかった? 帝都ホテルで大惨事とか、横浜ベイブリッジの爆破テロとか、どこも大々的にやってたじゃない。新聞でも一面だよ。あの現場に、私たち、居たんだよ。本当に」

 これが決め手になった。拓海の顔が完全シリアスに移行。

「いや……作り話にしては、ずいぶん手が込んでるとは思ってたんだけどな。文明を持つ以前、自然界じゃ圧倒的弱者の人類がどうやって生き延びたのかとか、世界各地で同時多発的に古代文明が発生した理由とか、今でも人類史の謎らしいもんな」

 おお、さすが我が友。何だかんだ言って自分の中でちゃんと話を消化してたらしい。

「ただ、今の話が全部本当だとすると、アダムやイブ、ゼウス、オーディンとかのモデルになった連中も、この世界のどこかにまだ生きてるのか?」
「いや、生き残ってるのは俺と結女だけらしい」
「? 何でだよ、病気とは縁が無くて、寿命も無視できるんだろ?」
「寿命を無視するかどうかは自分で決めるんだぞ、さっき言っただろ」
「あ……そうか、放っておけば、老衰……」
「生きるだけ生きたら眠るようにあの世行きなんて、誰もが望む理想的な最期だしな。他にも、頭をカチ割られたり、心臓を貫かれたり、出血多量で失血死とかもアウト。今の俺を見ての通り生身にゃ違いないし」
「そういえば、北欧神話のアース神族は最終戦争のラグナロクで全滅したんだっけか。アステカ文明のテスカトリポカも、仲間だったケツァルコアトルに殺された……」

 さすが拓海、昔は共に正義の味方を目指した仲間。無駄な知識が豊富でいらっしゃる。

「つまり沖継くんは、不老ではあっても不死ではない、ってことだね」

 コノの解釈は大正解だ。花マルを進呈しよう。

「優秀な指導者の強力なリーダーシップに率いられて繁栄した国は、その指導者がいなくなれば勝手に滅ぶ。社会がまだ未成熟だった古代ならなおさらだ。残るのは神代の伝説だけ……か」
「でも、日本だけは神代の昔からずっと続いてるんだよね。その理由は、つまり……」

 コノと拓海の視線が、俺に注がれる。

「ま、当の本人は、生き神様みたいな実感ゼロだけどな」

 俺は冗談めかしておどけた顔を作る。
 実は、結女の話をどう受け止めりゃいいのか、今もよくわかんないんだ。だからコノや拓海に話して聞かせたって面もある。俺にとって最も身近で客観的な視点を持つ二人がどう思うか、参考までに知りたかったというか。
 そして俺の期待通り、二人も納得しきれない顔をして。

「でもね、沖継くん」
「そういやさ、沖継」

 コノと拓海の声が綺麗に被った。二人は互いに目を見合わせ、拓海くんからお先にどうぞ、いや滝乃から先に、と無言で譲り合う。

 結局、コノから先に訊くことにしたらしい。

「でもね、沖継くん。その話やっぱりおかしいよ。何もかも筋が通らない」
「……いきなり全否定かよ。まあいい、参考までに主張を伺おう」
「だって日本の歴史って、国を運営してきた人たちの記録じゃない。皇家、公家、幕府、政治家、軍人、偉人……ごく一握りの偉い人たちで、だからこそ後生に語り継がれて、記録も残ってる。そこにもし沖継くんや結女ちゃんがガッツリ絡んでるなら、私たち、学校の授業で二人のこと習ってないとおかしいよ」
「いや、そりゃ何か理由があって隠してるんだろ」
「結女ちゃんは隠さなくていいって言ったんでしょ? この通り私たちにもべらべら全部喋ってるし、右とか左の極端な人にも何度か話して激怒させてたんでしょ?」

 ――あ。

「それにね、沖継くんはおじさんおばさんの子供としてずっと育てられてたんだよ。少なくともその間、国の舵取りなんて一度もやってないんだよ。十八年もだよ。沖継くんは居ても居なくても一緒ってことにならない?」
「コノのくせに、なかなか鋭いとこ突くなあ……」
「沖継くんの家にあるアルバムだってそうだよ。おばさんが出産した直後で臍の緒ついてる赤ちゃんバージョンの沖継くんとか、そういう写真ちゃんと残ってたよ」
「合成写真か赤の他人だろ。うちの親ならその程度の真似はやりかねん」
「そんなわけないよ。おばさん言ってたよ。沖継は手がかからない良い子だけど、生まれる時だけはどうしようもないくらい迷惑をかけられた、すごい難産で大変だったって。何時間も噛み締めてた奥歯が三、四本くらいダメになったとか」
「だから、それも作り話……」
「そんなはずないよ。おばさんの顔は、ちゃんとお母さんの顔だったよ」

 自信たっぷりに言い切るコノ。何だよオイ女の勘とかいうヤツか?
 あ、いや、待てよ。あの結婚式場でも母さん自身が「お腹を痛めて産んだのは事実」とか言ってたような気もするぞ。あれ?

「だいたい、普通の神経してたら三千年も生きられないよ。生きているのが途中で嫌になるか飽きるかするよ。人間はいつか必ず死ぬから人間なんだよ。その運命の中で、決まった寿命の中で精一杯生きるからこそ、人生は尊いんだよ」

 珍しい、コノがすげえ深いこと語ってやがる。

「そもそも三千年もずっと生きてきたんなら、沖継くんは何で今までそのこと知らなかったの? 少なくとも結女ちゃんはちゃんと全部憶えてるんでしょ?」

 そういやそうだな。何でだろ。

「結女ちゃんの話、鵜呑みにしちゃダメだよ。沖継くんは沖継くんだよ。三千年も生きてる半分神様みたいな超人じゃなくて、おじさんとおばさんの間に生まれた男の子だよ。きっと一度生まれ変わって、今は別の人生を生きてるんだよ。いろいろ才能に恵まれてるだけで、それ以外は私たちと何も変わらない、普通の男の子だよ。……そうでなきゃ、おかしいよ。そうじゃなきゃ、ダメだよ」

 すがるような目で、コノが必死に訴えてくる。
 こいつはきっと、俺に三千年も連れ添った伴侶がいたんだってことを――俺が求めてやまなかった理想のひとが実在したってのを、認めたくない一心なんだろう。
 正直俺も、そんな長い間連れ添った古女房を持った実感はないんだけどさ。あの理想のひとはあくまで夢の住人だったし、今の結女と本当に同一視していいものかどうか。

「……次、俺の話、いいか?」

 俺が考え込んでいると、控えめに挙手した拓海が話を切り出してきた。

「滝乃とは逆に、今までの話を真実と仮定した上で訊くんだが……。三つめは何だ?」
「三つめ?」
「お前と……結女ちゃんだっけ? 二人だけが持ってるっていう能力。一つは健康、二つめは年齢のコントロール。最後の三つめは?」
「? そりゃお前、有り余る才能っつーか、夢の中のイメトレ能力……」
「いや、そいつは違うだろ」

 その否定によほど自信があるのか、拓海が腕組みして背を反らす。

「だいたい、イメトレだけで強くなれたら誰も苦労しないんだ。人体にある二百を超える骨と、三百以上の関節、六百の筋肉、百億以上の神経細胞。それが理性と本能の元で一つになって一切のムダなく連動していくっていうのは、イメージだけでどうにかなる領域じゃない。痛い思いをして苦しさと悔しさを何度も何度も乗り越えて、その果てに言語化できない微かな感覚をやっと掴んで少しずつ積み重ねていく。強さってのは結局、そういう実践、現実の世界にあるものなんだよ。そこに不純物が僅かでも混じっていたら、本当の強さってものは成立しなくなる。だからこそ、一流の格闘家はその存在そのものが芸術だって言われるんだし……」
「おいこら格闘オタク。何が言いたいのか全然わかんねェぞ」
「だからさ、沖継の才能って、長生きしてきたオマケなんじゃないのか? 過去のお前が血の滲むような思いをして身につけたスキルを思い出してただけ、とか」
「……あ」
「ずっと昔に、沖継が俺と同じくらい古武道や柔術の修練を積んでたとしたらさ、あれだけの組み手ができるのも納得できるんだよ。やたら計算が速いのも記憶力がいいのも、何千年も若いまま生きてたんなら訓練次第で何とかなりそうだ。実際、お前の才能ひとつひとつは人間レベルのものばかりじゃないか。超人レベルじゃなくて」
「そっか、そう言われると……ああ、確かに、そう考えると……」

 昔、父さんや母さんに言われた説明より、はるかに筋が通ってる。
 っていうかあの二人、全部知った上で嘘八百ぶっこいてたのか? どうせ十八歳になったら結婚式やって全部説明するんだしまァいっか、みたいな――おのれちくしょうッまんまと騙されたッ息子は本気で悩んでたのにッ親だからって無条件で信用しすぎたッ。

「ただ、毒ガスやウィルスが効かないとか、自分の年齢をコントロールできるとか、そういうのは文句なしに超人レベル、超能力だよな。普通の人間がどんなに頑張っても絶対に手に入れられない。なら、最後の三つ目は?」
「うーん、何だろうな?」
「は?」
「いや、すまん。俺はその、夢の中のイメトレのことだとすっかり思い込んでた」
「お前らしくもないなあ、その結女って子の話聞いてる時にすぐ気づけよ……」
「あ、沖継くん。あともうひとつ」

 今度はコノが挙手。会話に割って入ってくる。

「あの式場で襲いかかってきた黒ずくめの人、結局何だったの? ニュースでは詳細不明だとかで誤魔化してたけど、本当にアメリカ軍だったの? あんなことした理由は?」
「え、っと……悪い、よくわからん」
「まさかそれも結女ちゃんに訊いてないの?! すっごい大事なことだよ?!」

 うっかりしてた。初めてまともに結女と会話が成立して、言ってることがおおむね理解できただけで何となく満足してしまったので。あと、疲れてたし、眠かったし。

「危ないなあ、大丈夫かなあ……。相手がまだ諦めてなかったらリベンジに来るかもしれないし、もし学校で勉強してる時に戦車がやってきたら……」
「コノ、お前、冴えてるなあ」
「私が冴えてるんじゃなくて沖継くんがボケてるんだよ! 結女ちゃんって今何してるの? 沖継くんの家に居るんだよね? 電話したら出るかな?」
「あ、いや……朝起きたら書き置きがあって、生活用品を買うのに出かけるって」
「はぁ?! 沖継くんバカじゃないの?! 家を出て行くのに気付かなかったのもバカだけど、昨日の今日で結女ちゃん一人にするってのも二重にバカだよ!」

 うわ。コノにバカって言われるのすら初めてなのに、三度も一気に言われた。

「いやはや、普段の沖継なら有り得ないズボラさだな……」
「顔はへらへら笑ってても、心の奥では狼みたいにギラギラしてて、いつもの沖継くんってそんな感じなのに。今日はどうしたの、なんだか牙を抜かれた犬みたいだよ?」
「しかも豆柴。下手するとチワワ」

 ええい何だ何だこいつらは好き勝手言いやがって。

「別に、俺は昨日と何も変わってないよ」
「そう思ってるのは沖継だけだ。付き合いの長い俺と滝乃が言うんだから間違いない」

 眉をひそめて、拓海が上目遣いで俺を見る。

「なあ沖継、お前、ひょっとして……可愛い中学生がいきなり転がり込んできて、しばらく二人で一緒に住むことになって、そんな状況がまんざらでもなくて、内心デレデレしてるんじゃないのか? だらしなーく鼻の下伸ばしてさ」

 はい?
 俺が?
 結女に?
 デレデレ?

「ちょっと沖継くんその沈黙は何?!」
「い、いや、いやいや、待てよコノ、落ち着け、今はその、えっと、どう切り返そうかなって一瞬迷っただけで」
「迷った?!  何で! いつもは即断即決でしょ! 頭の回転早い沖継くんが普段の会話で言いよどんだりしてるの見たことないよ!」
「いや、結女に関しては別だろ、そんな簡単には……」

 普通の出会いをしてないし、いろいろ事情も面倒だから――俺はあくまでそういうつもりだったんだけど、コノの表情が凍り付いた時点ではたと気がついた。
 この流れだと、結女は俺の中で特別なんだ、と受け取られても仕方がない。

「あ、い、いやいや、そ、そういう意味じゃなくて、かっ、勘違いするな、だから……」

 おいこら落ち着け俺。何でこんなに舌がもつれてんだ。

「うわ……こりゃマジだ……。そうか、沖継がとうとうリアルの女に惚れたのか。でもなあ沖継、それにしたって中学生はまずいって。犯罪だぞ犯罪」
「うるせえ拓海は勝手に決めつけんな! 違う違うそういう意味で言ったんじゃねえよ! つーかお前ら俺をイジって遊ぶな!」
「何でそんなムキになってるの沖継くん事実無根なら堂々としてよ!!」
「そうだそうだー。滝乃の言う通りだー。目の色変えてる時点でおかしいぞぉー」

 涙目のコノと半笑いの拓海が左右から責め立ててくる。
 何かの罰ゲームかコレは。

「だいたい伊弉諾と伊弉冉って離婚してるはずだよね? 伊弉冉が怪我して死んじゃって、伊弉諾が未練たらたらで黄泉の国まで探しに行って、でも伊弉冉の身体が腐っててウジわいててお前キモいから別れようって」
「うわー沖継お前ヒドいな女相手にキモいとか最低だろ男として」
「俺じゃねえよ伊弉諾だ。そもそも今コノが言ったのは古事記の話だろが。ありゃ別に日本神話唯一の原典って訳じゃないし、むしろ正史とされてんのは日本書紀の方だし、こっちじゃ伊弉冉が死ぬ話は異説扱いで本編ではずっと生きてることになってるし、実際に伊弉諾と伊弉冉を祀った神社では縁結びや夫婦和合の御利益があることになってるし」
「男らしくないよ沖継くん言い訳なんか聞きたくないよ!」
「ええい落ち着けコノ、今のは言い訳じゃなく単なる事実だ。ていうか、そもそも神話は針小棒大で歪曲や誇張をだな」
「つまり、神話のモトネタになった事件があったんだろ?」
「ねェよ! 少なくとも俺は憶えてねェよ!」
「ねえねえ拓海くん、神話のモトネタって言えば、伊弉諾って伊弉冉と離婚して死者の国から戻った直後にきれいな泉で禊して、天照とか月読とか須佐之男とか神様ポンポン産んだよね。あれも由来があるのかな? 沖継くんは昔、女の人だった時期もあったの?」
「そんな訳ないだろ滝乃。俺が思うに、そりゃ隠語だ」
「いん……? 何それ」
「昔の人ってさ、遊郭とかで女遊びしてスッキリすることを、禊だの清めだの憑き物落としだの言ってたんだよ。ついでに言うと、神社と遊郭ははるか昔からワンセット。巫女さんが売春してた時代もあったらしい」
「ええぇー?! 正妻と離婚した直後に女遊びしまくって子供作りまくったってこと?! それが禊の正体なの?! ヒドイよ沖継くんいくらモテるからってそれはないよ!!」
「だからお前ら勝手に決めつけんな俺はそんなことしてねえよ!」
「沖継、それ本当に言い切れるか? 自分が三千年生きてたとして、その長い生涯で一回も女遊びに狂わなかったって、自信持って断言出来るか?」

 ――う。

「ははーん、なるほどね。こんだけモテるくせに何で女関係が潔癖なんだよってずっと思ってたんだが、遊ぶだけ遊び尽くして落ち着いた後だったんだな。納得」

 あ、あれ。何か俺の過去がだんだん捏造されていくんですけど。
 はっ、つまりこれが伝説や神話の正体か! すげえや勉強になった!

「諺でも言うもんね。火のないところに煙は立たず。伝説の元になった離婚劇があったのは確実だよ! だから沖継くんと結女ちゃんは今、赤の他人に違いないよ!」

 どうやらコノは、何が何でも伊弉諾と伊弉冉を破局させておきたいらしい。拓海は俺が詰め寄られてしどろもどろしてるのをニヤニヤしながら眺めることに決めたようだ。
 もう、何を言っても泥沼になりそうな気がしてきた。せめてここに結女がいてくれたら、こいつらのアホ話を訂正してくれたのかもしれないけど。とほほ――。


2-3:満を持しての真打ち登場

「何だかずいぶん賑やかだな。私も混ぜてくれ」

 すぐ真後ろで突然そんな声がして、驚いた俺は慌てて振り返ろうとして机に脚をぶつけて派手にスッ転び、コノは目を見開き口をあんぐり開けて思考停止。拓海は戸惑ってそれぞれの顔を見回してる。
 起き上がった俺の目に映ったのは、言うまでもなく結女の姿だった。何でまたいきなりこんなところに。

「……ていうかおい結女、その格好……」
「あ、気付いてくれたのか」

 ぱあっと花が咲いたような笑顔を見せつつ、結女はその場でくるりと一回転。着ているのは純白のワンピース。スカート状の裾が遠心力と風の流れに乗ってふわりと広がって、成長期の女の子に特有のびっくりするくらい細い脚が露わになる。

「いつまでも沖継のシャツを借り続けられないしな。近くの洋品店に無理を言って店を開けてもらって、下着から何から丸々一式買ってきたんだが、そしたら無性にお前に見せたくなって……。その、どう思う?」

 スカートの裾を両手でつまみ、控えめに持ち上げ、可愛らしく広げてみせる。

「どう思う、って、言われても……」

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 正直、色気はない。全然ない。ほんとにない。
 ワンピースってさ、ある程度まで身体のラインが出ちゃうもんだよな。でも、およそ十四歳相当の結女がちょっと身体のラインを出してみても「それが何?」だよ。成熟した大人の女性の柔らかな丸みや質感なんてあろうはずもなく、女として綺麗かどうか、魅力的かどうかって観点で語るレベルにも達しちゃいない。花開く前の蕾を愛でるとか言うけど、蕾は蕾であって花じゃないんだ。はっきり言えば論外。

 だがしかし。
 すっげぇ可愛い。

 子供や児童と呼ぶほどには未熟でもなく、けれどまだ大人と呼ぶほど成熟もしていない、アンバランスで微妙な年頃に特有の細くて華奢な身体。せいぜい健康美くらいしか感じないはずなのに、どこかほのかに艶めかしい雰囲気を醸し出しているのは何故なんだ。だいたい白いワンピに黒髪ロングの美形って組み合わせが反則なんだっつーの。

 儚くも眩しい、清純という名の幻想が、形となってここに在る。

 こりゃもう美少女代表として世界に出せるな。人によっては危険な年下趣味に目覚めかねない破壊力。かく言う俺も危うく――いやいやいや待て待て待て、俺の理想は断然ボンキュッボンな大人の女性なのだッこんな貧相な青い果実なんかッ。 

「そうか、沖継の目も、それなりに似合って見えるのか。良かった」

 結女が俺の顔を覗き込みつつ満足げに微笑む。しまった本心が顔に出てたッ。

「……チワワだ」

 拓海がボソッと呟くので即座に向こう臑へトーキック。バカめしばらく悶絶してろ。

「でも手間が省けたよ。沖継くん、結女ちゃんに訊こうよ、さっきの疑問」

 コノが俺の肩を叩いて促す。
 そういやそうだな、と思ってさっき話の要点をまとめようとしたら、結女がムスッとした顔で手を伸ばして、俺の肩に乗ってるコノの手をぴしゃっと叩く。

「あ痛っ! ちょ、ちょっと結女ちゃん、いきなり何す……」
「お前にちゃん付けで呼ばれる筋合いはない。だいたい何様のつもりだ、本妻である私の目の前で私の夫の身体に軽々しく触れるんじゃない。愛人風情がこれ以上図に乗るならこちらにも考えがあるぞ」
「……な」

 絶句するコノを冷徹極まりない態度で無視した結女が、俺の方を向いた途端に優しく可憐な微笑みに転じる。その変わり身やめてくれ滲み出る女の情念が怖すぎるからっ。

「さて、沖継。疑問の要点は四つで間違いないか?」
「へ……?」
「ひとつ、私たち夫婦が国家の運営に関わってきたのかどうか。ふたつ、なぜ沖継に過去の記憶が無いのか。みっつ、超能力について。よっつ、昨夜襲ってきた敵の正体」
「結女、お前、いつから俺たちの話聞いてたんだよ……」
「私が昨日、話し損ねたことでもあるからな。放課後、お前が家に戻ってきたら説明するつもりだったんだが……」

 結女がちらりと、教室の壁に備え付けてある時計を見やる。

「この時間なら、実際に体験した方が手っ取り早いか」
「体験?」
「ああ。疑問が氷解するに足る絶好の舞台が、今、開かれたところだ」

 結女が片手に俺のバッグを取り上げ、もう片方の手で俺の手を握る。そして、教室の外へ引っ張られるようにして歩き出す。

「お、おい、沖継。もうじき授業始まるぞ。どこ行くんだよ」

 悶絶から立ち直った拓海が涙目を拭いながら引き留める。そんなの結女に訊いてくれと言い返そうとした俺だけど、それより先に結女が口を開いた。

「そこの益荒男は、タクミ、と言ったか」
「ますら……何?」
「その佇まい、ひとしお鍛え上げた武の男と見た。沖継ともずいぶん親しいようだし、いずれ私たち夫婦を支える身内になってくれれば有り難い」

 その言葉は最後の方でホームルームの予鈴と被ったんだけど、結女は構わず。

「私たちと一緒に来ないか。またとない社会勉強になるぞ。学校をサボタージュするだけの価値はあると保証しよう。どうだ?」

 俺は強制的にサボらされるってことかよ。そうだろうと思ったけどさ。
 拓海は暫し呆気にとられて黙り込んでいたけれど、すぐに表情を変える。

「何だかよくわからんが、面白そうだ。乗ったぜ」

 自分のバッグを手に取り肩に担ぎ上げる。完全にワルガキの顔になってやがんの。後悔しても知らねぇぞと言いたかったが、俺のダチなんかやってる時点ですでに手遅れか。

「ちょ、ちょっと待って、私も行く!」

 取り残されかけていたコノも、慌てて自分のクラスにバッグを取りに戻る。結女が忌々しげにチッと舌打ちしたけど、来るなとは言わなかった。

 で、俺たち四人は学校の屋上へ。

「……ここがその、絶好の舞台なのか?」

 訊いてみたが、結女は首を振る。

「いいや。ここでは迎えを呼ぶだけだ」

 一体どこから取り出したのか、結女の手には携帯電話らしきものが。

「私だ。輸送を頼む。大至急。……ああ、そうだ。征伐だ」

 それだけ言って電話を切り、結女は空を見上げる。
 登校する時にも思ってたんだけど、今日の空はやたら賑やかだ。都心であんな騒ぎがあったせいだろうな、桜の代紋をつけた警察のヘリが比較的低空をひっきりなしに行き来してるんだ。俺たちが見ている間にも、一機が慌ただしく急旋回して――ん? 物凄い勢いでこっちに向かって飛んできてるような?

「……おい、まさか」

 さっきの電話一本で、警察のヘリをタクシー代わりに呼びつけやがったってのか?!

「昨夜、自衛隊が私たちを助けに来てくれたろう。警察、検察、海上保安庁、公安調査庁、内閣官房情報調査室、地方の村役場に至るまで、日本の公的機関は基本的に皆、私たち夫婦の味方だ。要請は最優先で受諾されるようになっている」
「無茶苦茶にも程があんだろオイ……。日本は法治国家で、法律とか命令系統とか、何をするにもそういう縛りがあってだな……」
「男がそんなみみっちいことを気にするな。さ、早く乗れ」

 てなわけで、狭いキャビンに膝を突き合わせた俺たち四人は、日本国民の血税で購入された貴重な燃料を消費しながら空高くへ飛び上がった。

「は、ははは……。何かもうこれだけで、学校サボった元は取ったな……」

 ヘリの中で拓海が乾いた笑いを浮かべる。無理すんな。お前のすぐ横でどうしていいかわかんなくて挙動不審になってるコノともども素直に度肝抜かれて黙ってろ。少なくとも俺は今、お前と無駄口叩けるほど心に余裕がないんだ。

「ところで沖継。新しい稜威雄走はどうだ、気に入ったか」

 いやだから俺は心に余裕が――って、結女の話はちゃんと聞いとかないとマズいか。

「悪い、上の空で聞きそびれた。何だって? イツノオバシリ?」
「ああ。お前の通学鞄に忍ばせておいたんだが。気付かなかったか?」

 意味はよくわかんないけど、何だかすげぇ嫌な予感。
 傍らに置いてあった自分のバッグを取り上げる。

 俺だけじゃなく大抵の男子高校生がそうだろうけど、参考書の類は基本的に学校のロッカーや机の物入れに置きっぱなし。バッグにはせいぜいノートと筆記用具くらいしか入れてないはずなのに、改めて持つと妙に重い。重すぎる。何で今まで気付かなかったんだ。

 とにかくバッグを開けて、中を確かめてみた。
 出て来たのは、見覚えのない本革製のベルトみたいなものと、そして。

「……な、んぢゃ、こりゃ」

 俺の掌二つ分ほどの鉄の塊。
 有り体に言えば、拳銃。
 ご丁寧に、予備のマガジンも二つある。

「昨夜、私たちが乗っていた白い車に積んであったものだ」
「い、っ、いらねえよこんなの! 結女が持ってりゃいいだろ!」
「いいや、それはどう見ても義則が……お前の育ての親が、お前専用にあつらえたものだぞ。ほら、その証拠に、お前の紋を彫り込んだメダルがグリップに」
「俺の紋って……あ、これ源家の家紋? 菖蒲の葉を象った……」
「違う。それは最初期の稜威雄走……古代の剣を象ったもので、沖継ただ一人のためにある定紋だ。なお、稜威という言葉は神聖強力、雄走は刃を意味する」
「……はあ」
「お前のために作られた特別な武器には、昔から稜威雄走の号を付すのが習わしなんだ。時代によっては槍や弓矢だったこともあるが、どれも当代随一の武器職人が心血注いで作り上げた逸品だから、もし現存していれば国宝級の扱いを受けただろう。……嘘ではないぞ? 何なら博物館に行って、日本刀の展示でも見て来るといい。正宗や長船など著名な刀匠の作と伝えられながら、無銘で来歴も謎とされる業物が一振か二振は必ずある。これらは十中八九、稜威雄走になるはずだった失敗作なんだ。それでも安くて数百万、下手をすれば一千万を超える値が付く」
「うはは何だよソレ中二病もここに極まれり」

 笑って混ぜっ返してみたんだけど、結女の顔は真剣なまま。

「その銃も稜威雄走の名に恥じないぞ。基本構造こそM1911系の流れを汲んでいるようだが……戦闘証明された信頼性抜群の名銃な上、パテントも失効しているから、日本でもコピーし易かったんだろうな。だが私は、実質的に国内で独自開発されたに等しい手間暇がかかっていると見た。タングステン合金を弾芯とする10ミリ専用弾をオーバーロードで吐き出すため徹底的に改良・調整されていて、その威力は357マグナムなど軽く凌駕するだろう。装弾数は八発。反動が強くて並の人間なら持て余すところだが、沖継の腕力とセンスなら問題ない。おまけにスライド後部には、自己発電装置と自動明度調節機能を備えた小型の光学立体照準器が装備済み。これに類似するモデルは過去に見たことがないから、稜威雄走本体と同時並行で開発されたんだろうな。……威力、命中率、使い勝手、先進機能、信頼性。その全てが高水準で隙がない。これぞまさに新たな稜威雄走、あらゆる敵を薙ぎ倒す必殺の剣という訳だ」
「おい結女。ちょっと落ち着け。俺の話を聞け」
「沖継こそ、今は黙って私の話を聞け。昨夜見ての通り、私もある程度なら戦えるが、女の腕力で扱える武器には限界がある。これからはお前と、その稜威雄走が、私たち夫婦と日本という国の生命線になるんだぞ。その自覚をまず持ってくれ」

 俺、目をぱちくり。
 このゴツい拳銃が生命線ってことは、ええと、つまり。

「お、おい、もしかして俺たち、昨日の夜みたいなドンパチにまた巻き込まれるかもしれないのか? そういう可能性が今後もあるってことか?!」
「昨日くらいならまだマシな方だぞ。襲いかかってきたのはほとんど普通の人間ばかりだったからな。私たち夫婦が本来戦うべきは……真の敵は、文字通りの化物だ」

 俺は一瞬、息を呑む。
 その時脳裏をよぎったのは、米軍のM1戦車を自爆させた八本腕の怪物。そして、夢の中で戦った醜悪な化物どもの姿。

 まさか俺、ああいう手合いと神代の昔から戦い続けてた?
 いやいやそんなバカな。

「あれ……? このヘリコプター、高度下げてる……のかな」

 おっかなびっくり呟いたコノのお陰で、俺は思考の井戸の底から意識を引き上げることができた。確かにこのヘリ、高度を下げ速度を落として着陸態勢に入ってる。

「なあ結女、まさか、降りたその場所がいきなり戦場、なんてことは……」
「それはない。が、護身の備えは忘れずにな。私たち夫婦の行く先は、いつ戦場になっても不思議ではないのだから」
「だ、だったら……!!」

 何で拓海とコノを巻き込んだんだ、と言おうとしたんだけど。
 結女はもともと拓海にしか声をかけていないし、拓海自身も危険のにおいを感じたからこそ面白がってついてきたんだ。そしてコノは、結女が何を言ったところで意地になって無理にでも同行しただろう。結女が二人を騙して巻き込んだ訳じゃない。

 もし、二人を巻き込みたくなかったのなら。
 そのために何かできたのは、俺だけ、だ。

 クソッタレ、いまさら気付いても遅すぎる。さっき鼻の下を伸ばしたチワワなんて言われたけど、残念ながらその通り。昨夜起きたことを自分の中で反芻せず、今朝からすっかりいつもの日常に戻ったつもりになって、微塵も危機感を持ってなかった俺が一番悪い。
 溜息と共に後悔を全て吐き出した俺は学ランを脱ぎ、Tシャツの上に本革のベルト――肩吊り式ホルスターをつけ、稜威雄走とかいう拳銃と予備のマガジンをそこに収める。いざという時はすぐ撃てるようにコック&ロックも忘れない。そのまま学ランを着直せば、俺が銃を持ってることはわからなくなる。いやもう、ひとまずこうするより他になしだ。
 それを見た拓海は何か言いたげだったが、昨夜の騒動を知ってるコノに手で制されて沈黙。そして結女は、何もかも悟った雰囲気で満足そうに微笑む。やれやれ全く気が重い。

 そこでタイミングよく、ヘリがガクンと揺れた。着地の衝撃。

「さ、降りるぞ沖継。愛人と益荒男も。足下に気をつけてな」


2-4:「国会は戦場だ」ってそういう意味じゃねえ!

 ハッチが開き、俺たちは一塊になってヘリを降りる。銃弾飛び交う戦場のど真ん中でも驚かないぞ、くらいの気持ちで。
 でも、そんな俺の目に映った景色は。

「……国会議事堂?」

 あの特徴的な中央塔、真っ白の四角錐が、目の前に聳え立ってやんの。
 コノと拓海は「私、国会に来たの初めて」とか「ガキの頃、一度来たことあるよ。うちの親父と」なんて呑気に言ってるけど、俺はもう顔面蒼白ですよ。だって永田町だよ立法府だよ日本の中枢だよ。ここが戦場になるなんてことは万に一つも有り得ない。つか、銃を懐に隠し持ってる高校生がこんなとこウロウロしてるなんてバレたらどーすんの、間違いなく夕方のトップニュースになっちゃうじゃん。

 冷や汗かいてる俺をよそに、結女がスタスタ歩き出す。真っ直ぐ議事堂の方へ。

「お、おい、まさか中に入る気か?」
「そのために来たんだぞ。傍聴の許可も取ったし、堂々と正面玄関から入ればいい」
「いやいやいやいやそういう問題じゃない、拳銃持った俺が入ってく訳には……」
「問題ない。銃なら私も持ってる。具体的にはシグザウエルP239」
「問題あるだろ大問題だよそれヤバいにも程があるって!」
「公的機関は全て味方だと言ったはずだぞ。銃刀法など私たち夫婦には適用外だ」
「いやいやいやいやだからってお前いくら何でも」
「いいから早く来い。ここでモタモタしていても何にもならないのだから」

 そりゃま、そうなんですけど。

 ――で、数分後。

 いかにも「学生の社会科見学です」みたいな顔した俺たちは、堂々と本会議場に入り込んでいた。傍聴席はいわゆる二階席になっていて、議論を戦わせている議員の皆さんを高いところから見下ろしている格好になる。
 ただ、俺は拳銃持ってることがバレないようにすみっこで小さくなってるから、議論の様子なんて見ちゃいないんですけどね。他の二階席には議会を中継してるらしいテレビ局のカメラもあるし、うっかり撮されたりしたら大変じゃん。

「……何だこいつら。ヤジ飛ばすのが仕事なのか?」

 二階席の縁から下を覗いている拓海が、ウンザリ顔で呟く。
 まあ、気持ちはわかる。俺も声だけはちゃんと聞こえるし。

 本会議場にいる議員、何人くらい居るのかわかんないけど、そのほとんどが議題そっちのけで口汚いヤジを飛ばしまくってるんだ。演台に立った人はエネルギー行政がどうのこうのってまともな話をしてるっぽいのに「声が震えてるぞ!」とか「愛人問題はどうした!」とか「やましいことがあるから声が出ないんだろ!」とかとか。
 俺は政治とか詳しく知らないけどさ。国会議員って選挙で選ばれた一般市民の代表で、その給料も税金から出てるはず。こんなしょーもないヤジ飛ばすためにこの場にいるんじゃないと思うんだけど。それとも、国会じゃこんな程度の低い言い争いを「論戦」とか言うんですかね?

「ねえ結女ちゃん。あれ、どうにかならないの?」

 拓海の隣で真面目に傍聴していたコノも、とうとう辟易したらしい。「だからお前にちゃん付けに呼ばれる筋合いはない」なんて結女が言ってもまるで怯まず、言い様のない苛立ちを込めた声で訴えかける。

「もし本当に、沖継くんと結女ちゃんが日本っていう国を作ったのなら、その……何て言うのかな、発言力? あるんじゃないの? お前ら真面目にやれ、とか言えば、議員さんたちも聞いてくれるんじゃないの?」

 ああ、そっか。コノはそう考えてる訳だ。俺なり結女なりの一喝でこのしょーもないヤジが熄むなら、それは俺たちが日本の始祖だという何よりの証拠になる。それを直に見せて信じさせるために俺たちをここまで連れてきたと。なるほど。
 でも結女は、何を言ってるんだこのバカは、とでも言わんばかりの溜息をついて。

「沖継と私が国の政治に直接関わっていたのは、神武以前になるはるか古代のことだ。だいいち、今の日本は絶対王政や独裁体制ではないぞ。民主主義国家だ。市民の信任を得ていない者が国の行く末を左右するなど、あってはいけないことだ」
「え……」
「もちろん、私たちが国や政治に対して何の影響力も持っていないとは言わない。ただそれは、一にも二にも、敵を征伐することに依る」
「い、意味わかんないよ……どういう……」
「だから、それを説明するためにここへ来たんだ。……沖継」

 急に話を振られて、俺、目をぱちくり。

「そんなにビクビクしてないで、堂々と見てみたらどうだ。あの議会から何か感じるはずだぞ。さあ、よく見てみろ。お前には見えるはずなんだ」
「? 見えるって、何を……」

 戸惑いつつ、拓海のデカい背中の後ろに隠れつつ、今も無意味に踊り続ける議会の様子をきちんと見直してみる。

「……あれ」

 お、かしいな。目の錯覚?
 いや、違う。でも、あれ。えっ?

「どうしたんだ、沖継」

 目を瞬かせている俺に、拓海が話しかけてくる。

「……ショッカーのアジト」
「は?」
「いや、だから。ショッカーの……」
「何言ってんだ、お前」
「…………」

 拓海に冷たくあしらわれてつい口を噤んでしまったけど、でも、俺の目には本当にそう映ってるんだよ。本会議場でふんぞり返ってヤジを飛ばしている議員連中の姿にダブって、昆虫人間、フクロウ男、磯巾着女、そういう風にしか表現できない怪人どもが雁首揃えて座ってる光景がはっきりと。ご丁寧にも戦闘員っぽい量産型まで混じってる。
 これをショッカーのアジトと言わずして、他に何と表現しろと?

「ふ、ふふ……ふふふっ」

 結女が突然、楽しそうに笑い出した。

「安心しろ、沖継。それで正常だ。お前と私にとってはな」
「じゃあ、これ、やっぱ幻覚じゃ……」
「遠慮するな、片っ端から殺ってしまえ」
「………………はい?」
「この光景を見てまだ躊躇うのか? なら、私から先に行くぞ」

 結女はいきなり、ワンピースの裾をがばっとめくり上げる。下に着ていたペチコートが風をはらんで翻り、純白のレースが作る波間の向こうになおいっそう白いショーツがちらっと覗く――いやもとい、太腿にくくりつけてあったホルスターが露わになる。なるほど普段着にワンピースを選んだのは銃を隠しておくのに都合がいいからなのか――なんて感心してる場合じゃねええええええええええ! スライド引くな初弾をチャンバーに送り込むなトリガーに指をかけて銃口を議員連中に向けようとするなあああああああ!!

「何だ沖継、やっぱり自分で殺る気になったのか?」

 間一髪、発砲する寸前に結女の手元を抑え込んだんだけど、ご本人はしれっとそんなことを仰いました。この場所で発砲する意味がまるでわかってねえよコイツ!

「いいから仕舞え! その物騒なものを隠せ!」
「何故だ。それでは戦いようがないじゃないか」
「戦うなっつんてんだよ何考えてんだお前は!」
「それはこっちの台詞だ。敵を目の前にして放置するなど…………」

 結女の手が、俺の襟にかかる。

 ――まずい、崩された。

 そう感じた時には、もう遅かった。

「…………私たち夫婦のすることかッ!!」

 技名、背負い投げ。見事に決まりました。結女選手の一本勝ち。
 いやいや、俺、負けてないから。まさか結女にこんなことされるなんて微塵も思ってなかったし。ある程度警戒してたら体勢崩された時点ですぐ反応したよ、こんなに鮮やかに投げ飛ばされませんよ。ええい不意打ちとは卑怯なり後でもっかい尋常に勝負しろ。

 それと、あともう一つ。
 俺はどうしても結女に言いたいことがある。

 おおおおおおお前なあああああ! 二階席から思いっきり放り投げんじゃねえええええええええええ!! おおおおお落ちるうううううううううう!! ギャーいやー死ぬううううううううううううううううううううッ!!

「なんのおッ!!」

 空中で伸身のまま身体を捻ること二回転半。ズダンッ! と小気味良い音を立てて見事に着地。全身をバネにして衝撃を和らげたので、俺の脚は接地した場所から微塵もブレない。これがオリンピックの体操競技なら金メダル確実。
 ただ悲しいかな、ここは国会議事堂の本会議場でありまして。

「な、なんだ、学生……?」
「何をしてる?! 本会議中だぞ!」
「衛視を呼べ! つまみ出せ!」

 議席のほぼ中央を貫いてる通路のど真ん中へ降ってきた俺を見て、議員の皆さんは騒然。テレビカメラも一斉に俺の方を向く。そりゃそうなりますよねほんとすみません。
 俺は自主的かつ極めて迅速に、スタコラサッサとこの場を逃げ出そうとしたんだけども。

 席を蹴って立ち上がった一人の議員さんが、俺の行く手を遮るように立ちふさがる。

 年齢は六十代か七十代くらいかな、背広姿の男の人。俺の目にはガマガエルみたいな醜悪なバケモノの姿がダブって見えてるんだけど、それを差し引いてもびっくりするくらい人相が悪い。男の顔は履歴書だとか、三十路を過ぎたら自分の顔に責任を持てとかよく言うけど、この人よっぽど悪いことしてきたんだろうか。

「き、貴様……まさか、源沖継……?」

 え。このガマガエル、もとい議員さん、何で俺のことご存じなの?

「ぬうううッ!! ここで遭ったが百年目ッ!!」

 議員さん憤怒の表情。マジで怖ぇ。ヤクザも裸足で逃げ出すぞこの眼光。大股で歩み寄りつつ右腕を勢いよく振り回して――る、その数秒くらいの間に。

 本当に、人間とガマガエルを混ぜ合わせたバケモノになっちゃった。

 しかもデカい。横幅だけで二メートル、体高は三メートル近くある。当然ながら着ていた背広はビリビリに裂けて、振り回してた右腕も丸太みたいにデカくてぶっとくなって。
 そいつを俺に向かって、躊躇無く、力一杯、叩き付けてきた。
 俺は咄嗟にバク転を数回、全速力で後退をかけて躱したんだけど、空振りになったガマガエルの腕は勢い余って他所に命中。

「うわああっ!」
「ぎゃあっ!」

 備え付けの議席がコナゴナに砕け散り、そこに座っていた議員さんが二人ほどフッ飛ぶ。車に撥ねられた方がまだマシなんじゃないのかって勢いだ。
 でも、犠牲者はそこで終わらない。ガマガエルはギャゴォとかグブグゲェとか何とも表現しがたい怒りの咆吼を上げつつ、二度三度と攻撃を繰り返してきた。俺にとってはこれを避けるのはそう難しいことじゃないんだけど、周囲にいるフツーの国会議員の皆さんが大ピンチ。

「な、なな……何だあれはっ!」
「怪……獣?」
「バカな、有り得ない、こんな……!!」

 とか何とか呟いてるヒマがあったらガマガエルの側から全力で逃げて欲しいんだけど、なにせ政界は五十代でも若手って言われる世界だ。咄嗟の判断や動体視力や反射神経なんてとても期待できないんで――いくら巻き添えを避けるためとはいえ国民の代表を片っ端から蹴ったり突き飛ばしたりしてほんとごめんなさい悪気はないんですみなさんを守るためなんです信じて下さい。
 そのうちに、ガマガエルは焦りとも怒りともつかない気配を発散し始めた。これじゃ埒があかねえ、とでも思ったんだろうか。グギャゴオオォオッ、とこれまで以上に大きな声で吠え、後ろ足で仁王立ち。全身にぐっと力を込める。

 身体中のイボイボから、霧状の何かを吹き出し始めやがった。

 まさかあれが心安まるラベンダーのアロマだなんてこたァないだろうし、やっぱ何かしらの必殺技かな。毒攻撃とかさ。俺には効果ないはずだけど、議員の皆さんは――あっ、さっそく何人か息苦しそうにしてるじゃん、顔色変わってるじゃん、死にそうじゃん。
 俺は咄嗟に学ラン脱ぎ捨て、稜威雄走をホルスターから抜く。テレビ局のカメラが視界の片隅にちらっと映ったけどあえて見なかったことにする。もうね、ここまできたらしょうがないって。うん、しょうがない。



 ばきゅーん。



 覚悟を決めて放った弾丸はガマガエルの眉間へ見事に命中。片目と頭蓋骨の上半分を粉砕してもなお留まらず、後ろの壁まで突き抜けていった。正直ビビった。いくら何でも威力ありすぎ。拳銃ってより小型のキャノン砲だぞオイ。
 でもでもでも、それよりもっとゾッとしたのは、ドタマをカチ割られたガマガエル。普通だったら即死してるはずだろうにまだ生きてて、手足をバタバタさせながら気色悪い唸り声を上げてんの。しかも、頭からぶちまけられた血の色がさ、赤じゃないの。青とも緑ともつかない気色悪い変な色。

「グエエェェエェ、グエエェエェエェ、グエエェエェエェ」

 うるせえなこのカエル野郎はいい加減死んでくれよマジ気持ち悪すぎる。トドメ刺しとこ。ばきゅんばきゅんばきゅーん。よし、今度こそ動かなくなった。安らかに眠れ。

「うわあああっ野戦指揮官どのぉ――――――っ!!」
「馬鹿な、あの御方が敗北するはずは……!!」

 周囲にいた他の議員――俺の目には化物や怪人に見えている連中が、一斉に我を忘れたように騒ぎ始めた。このガマガエルってそんなに凄いヤツだったの? ぶっちゃけ瞬殺でしたけど?

「おのれ! 友愛の精神を持たぬ野蛮人めッ!」

 騒ぎまくってる怪人の一人、いかにも見た目が宇宙人っつーか具体的にはリトルグレイそっくりのヤツが意味不明なことを叫びながら俺の方に襲いかかってきた。人間業とは思えない跳躍力で三、四メートルくらい飛び上がりつつガマガエル同様に変身を遂げ、手に握った光線銃みたいなものを俺の方に向ける。



 ばきゅーん。



 あ、いや、その。先に撃ったのは俺の方ですハイ。だって宇宙人が襲いかかってきたんだから反射的に眉間ブチ抜いちゃってもしょうがないじゃん。うっかり射殺しちゃっても地球人じゃないならセーフだよね? ね?

「食らえ必殺!! ミラクルコズミックアンフィニパワーアターック!!」

 次に突撃してきたのは、中身がスッカラカンのドラム缶。これじゃ何発撃っても効きそうにないな――と思った瞬間にひらめいた。ダッシュして間合いを詰め、ドラム缶の表面にくっついてるビー玉みたいな不自然なパーツを狙って思い切り殴りつける。
 プチッ。潰れた。死んだ。もうぴくりとも動かない。
 いくら何でもショボすぎる。必殺だのミラクルだの口先ばっかじゃねえか。

「扉を塞げ! テレビ局のカメラを潰せ! 事実を隠蔽するのだ!!」
「誰一人ここから逃がすな!志半ばで政権を手放す訳にはいかん!!」
「このままでは我らが宗主様に二度と顔向けできんぞッ!!」

 仙人みたいな白ヒゲ、骸骨剥き出しの死神、醜悪な人造人間によく似た怪人が三人一緒になって、遠くの方で陰に隠れて叫びまくっていた。それに応じて若手議員が次々と全身タイツのダサい戦闘員に変貌して、甲高い気合い声を発しながら暴れ始め――たと思った次の瞬間には二階席からシグザウエルを撃ちまくる結女によって片っ端から射殺されていく。このナイスフォローにビビった仙人と骸骨とフランケンが泡を食って物陰から飛び出してきた。はい、俺の射界にいらっしゃいませ。



 ばきゅん。ばきゅん。ばっきゅーん。



 よし。これで大物っぽい化物や怪人はあらかた片付いた。こうなったらもう乗りかかった船だ、悪そうなヤツは片っ端から殺っつけてくれる!

「ま、待って! ノーサイド! ノーサイドにしましょう!!」

 今度は猪八戒モドキかよ、上等だこんちくしょうめ覚悟しやがれ!

「待て沖継! そいつは敵に操られているだけだ!!」

 猪八戒、もとい、豚っぽい顔してるだけの太り気味な議員さんに銃口を向けたところで、二階席から結女の大声が飛んできた。うわあヤバかった危うく撃つところだった。

「背後の影を見ろ! 本体はそっちだ! よく見て戦え!」
「そ、そうか、納得!」

 議員さんの背後でウネウネと蠢いている不自然な影――見た目は鰻か泥鰌の類に見えるけど、そいつに狙いを合わせ直そうとして。

「……うわたっ」

 殺気に気付いて攻撃中断。影の中からブーメラン状の武器が三つも四つも飛んできた。そんなにスピードはなかったので前後左右へ踊るようにステップを切って全部避けたけど、ちらっと見た限り、ブーメランの縁には物凄く鋭利な刃がついていた。あんなのがもし当たってたらタダじゃ済まな――あ、ブーメランを投げてきた影の方に戻っていってグッサリ刺さった。めっちゃ痛そう。ていうか死んだっぽい。アホかこいつ。

「いいぞ沖継! その調子でガンガン攻めろ! 手加減するな!」

 二階席から結女が援護射撃ともども発破をかけてくる。その隣にいる拓海とコノはただただ呆然。何が起きてるのかわからなくて現実感ないんだろうな。俺だってそうだし。
 だって、右を向いても左を向いても化物だらけなんだぜ。厚化粧の山姥、妙に局部のデカい半人半馬、存在感が稀薄な透明人間、水泳用ゴーグルと競泳パンツを穿いたオバQ、某大手ゲームメーカーに怒られそうな見た目の二足歩行トカゲもどき。それらを何も考えずに片っ端から撃って蹴って殴って殴って蹴って撃って、そんな中で現実感を保つとかどだい無理ッス。

 んで、三分くらい経ったころ。

「ぜーはー、ぜーはー……」

 肩で息をしながら、汗だくになった額を手の甲で拭う。

 予備弾倉は二つとも使い果たし、稜威雄走に残った弾の数は二発だけ。でも、俺に襲いかかってくる化物の類は一匹もいなくなっていた。本会議場は文字通りの死屍累々。幸いなことに普通の人間は――テレビ局のカメラマンとか普通の議員さんとか、大半は無事だったみたい。
 頑張った甲斐はあった、のかな。多分。

「ん……? 何だ、この光……」

 議事堂のあちこちで、奇妙な光の粒子が舞い上がる。
 どうやら、化物どもの亡骸が分解されてるらしい。俺や結女の銃撃を受けてあちこちに撒き散らされた変な色の体液まで、ぜーんぶ光の粒子に変わっていく。
 気付いた時には、さっきまでの激闘がウソみたいに、何の痕跡もなくなっていた。

「……君は、一体……」

 議長席に座ってる人が話しかけてきたけれど、どう答えりゃいいんだか。俺は笑ってごまかしつつ「すみません、お邪魔しました」なんて口走り、稜威雄走をハンマーダウンしてホルスターに仕舞うと、最初に脱ぎ捨てた学ランを拾い上げ、今度こそ本当にスタコラサッサと逃げ出した。ダッシュした勢いを殺さず机に飛び乗って跳躍、壁を蹴って駆け上がり、元居た二階席へひらりと舞い戻る。
 すると、結女が俺と入れ替わりに、二階席の縁から議事堂の方へ身を乗り出す。

「たった今、この国を脅かす敵を征伐した。そう言えば納得してもらえるか」

 国産みの母たる伊弉冉を自称する少女が、落ち着き払った優しい声でそう告げると、議員さんのうち何人かがハッとしたような顔をした。
 結女はそれを確かめてから、鷹揚に言葉を続ける。

「何の心配もいらない。今起きたのは、皆に一切関わりのない別世界の出来事だ。夢でも見たと思って忘れてくれ。そして、己が為すべきことを……この国の全ての民草のため、誇りある大切な仕事を続けてくれ」

 相変わらずコイツは無茶言いやがる。要するにそれ、お前らゴチャゴチャ言わず黙って仕事してろってことじゃん。いくら何でもムリだってば。

 でも、理解できない出来事を目の当たりにした人間がどういう行動を取るかと言えば、それ以前までやってきたことを愚直に続けるより他にないんだろう。しばらく本会議場がざわついた後、一人の議員さんが立ち上がって原稿片手に演台へ戻っていく。テレビ局のカメラもそちらの方へ向き直る。

「で、では、改めて……我が国の急務でありますエネルギー行政の改革について……」

 それはもうまるっきり、従前に見ていた光景のプレイバック。
 ただ違うのは、俺と結女が強制的に半分近くまで削減してしまった議員の数。そこではもう、聞くに堪えない無意味なヤジを飛ばす者は一人もいなかった。

「……以上、ご報告申し上げます」
「本案に対し、討論の通告がございます。発言を許します」
「党を代表して、ただいま議題となりました法案に関し……」

 議論されている内容はよくわからないけれど――いや、政治だの行政だのって分野を高校生風情が完全に理解できる方がおかしいのか。ただ、建設的で無駄のない、真剣なやりとりが続いていることだけは何となく伝わってくる。

 国会が正常化して、本来の機能を取り戻した?

「充分だ。ここで私たちがすべきことは、もう何もない」

 結女も満足げに頷いて、議事堂に背を向け、歩き出した。
 俺、拓海、コノの三人も、その後に続く。


2-5:夢は必ず叶うと言うけれど

「この日本という国は、絶え間なく敵の……異世界からの干渉を受けている」

 帰りのヘリの中で、結女が話し始めた。

「時代によっては高天原、冥府魔道、地獄などと呼称していた時期もあるが、その正体は実のところよくわかっていない。これまでの経験上、実体のない幽霊のようなものの集合体だと解釈して間違いなさそうなんだが、何せ目に見えないからな。我々に敵対するモノ、としか言い様がないんだ。……もちろん、実体のない者が現世に直接干渉することはできない。故に連中は、自らの手足となる化物を生み出す。現世の人間に接触し、高度な智恵、特殊能力、あるいは偏った思想などを植え付けて……」
「それが、沖継に殺られて消滅した化物議員の正体ってわけかい?」

 拓海が先読みして言うと、結女は「うむ」と頷いて。

「そうして敵の尖兵となった者は、もはやこの世の人間ではない。異世界の価値観と判断基準に基づいて行動し、敵に都合よく社会を改変、混乱に陥れようとする化物と化す。これも時代によって、ヒルコ、鬼、妖などと様々に呼ばれてきたが、ここ半世紀ほどは魔人で通じている。実情にも一番近いからな」

 そういう総合的な名称なら、俺個人はヴィランと呼びたいところだけどな。すんなり通用すんのはこの中じゃ拓海だけか。結女の話を邪魔しちゃ悪いし黙っとこ。

「魔人は、どんなところにも出現する可能性がある。お前たちの身近にも素知らぬ顔をして紛れ込んで、普通の人間を気取って生活しているかもしれない。……そら、さっき見たヤジの応酬のように、誰が見たって道理が通らないことを恥も外聞もなくやってのける人間に心当たりはないか?」
「えっと、うちのお母さんがパート勤めしてるお店の課長さん、すごい気分屋でいつも理不尽なパワハラ繰り返してるんだけど、そういうことじゃなくて?」

 うわ、コノがまたアホなことを突然言い出しやがった。
 と思ったら、結女は意外にも「可能性はある」と大真面目に切り返す。

「そういうロクでもない人間は、まともな上司や同僚から相応の扱いを受けて閑職に追いやられるはずだ。普通はな。しかしそうでないなら、もしかすると魔人かもしれない。何かしらの任務を帯びて、巧妙かつ狡猾に日本を混乱に陥れているのかも」
「いやいや、ご家庭の主婦にパワハラする程度で世の中が混乱するもんかよ」

 我慢できずに突っ込んじゃった。
 と、結女は咎めるように俺を睨み付けてきて。

「可能性、と言ったはずだぞ。さっき見たように、議会の多数派になってくだらないヤジを飛ばすだけでも国の動きは滞る。それと同じだ。とある主婦に繰り返し嫌がらせを行い、ストレスのどん底へ叩き落とせば、家庭の不和が原因でご亭主にも影響が出て……」
「微々たるもんだろそんなの。ちょっと仕事が手につかなくなるとかさ」
「もしご亭主が経済界の要人やその関係者なら、数千万の人々の生活にダメージを与えることと同義になる。たかがパワハラと侮るなかれだ」
「んな無茶苦茶な。それじゃもう何でもアリじゃん」
「その通り、何でもアリなんだ」

 結女の顔は、もう、本当に大真面目。

「ある時は総理大臣の暗殺を企てたかと思えば、ある時は幼稚園バスをジャックしようとしたり。またある時は、河原でひたすら小豆を研いでいたこともある。魔人の行動から敵の目的を読み解くのは至難の業なんだ。私たちにできることはただ一つ、魔人を見つけ次第、実力をもって問答無用で排除することのみ」
「……ついさっき、俺とお前がやったように、か?」
「ああ。そうすれば世の中は正常な姿に戻る。ごく自然にな。ささやかな幸せ、昨日と変わらぬ平和な明日。人々が願うことは古今東西、不変なものなのだから」

 これを聞いた拓海が、目の色を変えた。

「じゃあ、君と沖継が持ってる三つ目の超能力って、つまり……」
「? 何の話だよ、拓海」
「沖継、お前さっき、ショッカーがどうのこうの言ってたよな。事前にわかってたんだよな? こいつら普通の人間じゃないぞ、って」
「……あ」

 結女が微笑んで「そこの益荒男は頭も切れるらしい」と満足げに言う。

「日本という国が世界最古の国家として存続している理由はつまり、そういうことだ。私と沖継が敵の存在に気付き、三千年以上の長きにわたって歴史の裏舞台で戦い続け、可能な限り敵の影響を排除してきたがゆえ」
「で、でも、沖継くんはそんな、三千年も戦ってた記憶なんかないし……」

 思わずコノが口を差し挟む。
 それがコノにとって最も解せない点だろうから。

 でも、結女は平然として。

「沖継は、二十年ほど前に一度、死んでいたはずだったんだ」

 ――ごめん、俺の勘違いだった。

 平然と、じゃない。

 口調こそ淡々としてはいるけれど、顔には出ていないけれど。かすかな声の調子で、言葉尻から伝わる微妙なニュアンスで、本当は思い出したくもないことなんだってすぐに察しが付いた。

「二十年前、沖継は敵との交戦中に致命傷を受けた。かろうじて意識はあったから若返りによる復活を試みたんだが、頭に負った大きな傷はどんなに若返っても回復しきれなくてな。数年にわたって生死の境を彷徨って……。正直私も、もうダメだと何度も思った」
「何だよ、奇跡でも起きたのか」

 現在ただいまピンピンしてるしな、俺。

「奇跡ではない。医療技術の進歩に救われたんだ。ちょうど日本でも、体外受精と代理出産のノウハウが確立した頃だったから」
「……なぬ?」
「これはもう、賭けだった。私も沖継も、ゼロ歳以前へ年齢を下げた経験はなかったのでな。受精卵の状態まで戻れるのかどうか、それが母胎に着床するのかどうか、無事に生まれてくるのかどうか……。そして何より、以前の記憶と人格が沖継に蘇るかどうか。いや、蘇らなくても構わない。どんな形でも沖継が生きていてくれるのなら、それで……」

 組んだ両手を握り締め、辛い記憶を血を吐くような話し方で伝えてくれる結女に、俺はその時初めて、ほんの少しだけ申し訳ないと思った。
 何も憶えてなくてごめん、と。

「出来ることなら、私が自らの胎で沖継を産み直してやりたかったんだがな。沖継を失った私に対して、敵はここぞとばかりに刺客を差し向けてきて……。おおかた、邪魔な存在を消すチャンスだと考えていたんだろう。自分の身を守るだけで精一杯だったんだ。だから私は富美子に……義理の娘に頼んだ。今の沖継にとって、富美子は義理の娘と言うより、母親だと言った方がしっくりくるだろうが」
「お、おい、ちょっと待て、おい」
「結果的には、何もかも上手くいった。いや、沖継の記憶はまだ不完全だが、いずれきっと、全てを思い出してくれる。それは私の願いでもあり、沖継の復活に尽力した全ての人たちの願いでもある」
「…………」

 沈黙していた俺たちに、結女はわざと笑顔を作って。

「疑問の答えは、これでだいたい揃ったんじゃないか?」

 ああ――そうか、確かにそうだな。
 少なくとも俺の中では、もうほとんど疑問は残ってない。

 まず、俺と結女が日本の国家運営に関わってきたのかどうか。基本的には敵の走狗となった魔人を斃すことだけに専念していて、国の舵取りそのものにはノータッチ。そういや日本書紀でも、伊弉諾と伊弉冉は途中からパッタリ登場しなくなるんだっけ。
 次に、なぜ俺に過去の記憶が無いのか。二十年ほど前に頭を大怪我して死にかけて、受精卵の状態まで戻って生まれ直したからだ。俺の母さんはそういう意味じゃ間違いなく生みの親だけど、でも血は繋がってない。十八歳の誕生日まで一切合切を伏せていたのも、俺が十二分に戦えるまで成長するのを待ってたんだろう。
 そして、超能力について。ひとつめが完璧な健康、ふたつめが年齢の操作、そして最後に、普通の人間と魔人を判別する目。俺がごく平凡な高校生をやってる限り、どの能力も自覚しようのないものばかり。今まで周囲に敵が寄ってこなかったのも、下手に刺激して過去を思い出させたくなかったからか。もちろん、結女が孤軍奮闘して敵の注意を惹いてたとか、親戚連中が影ながら守ってくれてたとか、そういう理由もありそうだけど。
 最後に、昨夜襲ってきた奴らの正体。主犯格は爆炎の中に消えた八本腕の虫魔人で、米軍の特殊部隊や戦車はそいつに利用されていただけ。あの魔人が洗脳や精神操作の特殊能力を持ってたと仮定するだけで、昨夜のあの異常極まりない状況は簡単に説明がついちまうもんな。結女が米軍それ自体を「威力が高くて使いやすい武器」と称したのは、まさに適切な表現だったわけだ。

「……ん?」

 あれ、ちょっと待てよ。

「なあ結女、もう一つだけ疑問があるんだけど」
「何だ?」
「俺とお前の超能力って、そもそもどうやって手に入れたものなんだ? あ、いや、違うな……誰から与えられたんだ?」
「その口ぶりなら、もう気付いているんだな。いや、それとも思い出したか?」

 結女が、嬉しそうに微笑む。

「私たちの能力は、極東の支配を目論んだ敵から与えられたものだ。魔人を識別する目も、本来は味方を識別して同士討ちを防ぐ目的で使用される」
「つまり、俺とお前は魔人の同類……? 敵から見たら裏切り者……?」
「そうだ。だから連中は、私とお前が、この日本という国と日本人が大嫌いなんだ。連中の予定では今頃、極東の島国など世界地図から綺麗さっぱり消え失せていたはずなのだから」

 おいおいおいおいおい。マジか。マジなのか。
 悪から生まれて反旗を翻すなんて、もう、ンもう、これ以上ないド王道じゃん。

 つまり俺は生まれた時から、いや、生まれる前から――。

「沖継、くん……?」

 口元を押さえて考え込む俺の顔を、コノが不安げに覗き込んでくる。
 でも俺の方は、コノの顔なんてもう、見えちゃいなかった。

「……お話の最中、失礼します」

 ヘリの副操縦士がコクピットを離れて、俺たち四人のいるキャビンの方へ顔を出す。そして、タブレット端末らしきものを結女の手元へ差し出した。
 それを見た結女は、ふふんと鼻で笑って。

「なるほど、さっそく燻り出されたわけか」

 どうかしたのか、と俺が訊くよりも先に、拓海が結女の手元を覗き込む。

「何だこれ……? 全国ネットのテレビ局のキャプチャー画面?」
「私たち夫婦の支援者から送られてきたものだ。さっきの国会での騒動、どの局も一切報道していない。速報を打った様子もない。それに……ああ、新聞社も同様か。号外を刷ろうとか、夕刊の一面を差し替えようとか、そういう話すら出ていないようだ」
「あれだけの騒ぎだもんな。報道規制みたいなのがあって当然か」
「いいや益荒男よ、それは統治する側の発想だ。メディア側の発想ではない」
「? 悪い、よくわからないんだけど」
「統治する側……たとえば政府や官憲だが、彼らはこの国と民衆を思えばこそ、無用な混乱を避けるためにある種の情報を封じ込め、拡散しないようコントロールしようとする。これは道理に適う。しかしメディアは根本的に立ち位置が違うだろう。この国と民衆を思えばこそ、事実をありのままに報道しようとする。国会議員の中に人ならざる化物がいて国政を歪めていた、その事実を他局に先んじてスッパ抜こうとする。そうすれば視聴率も取れるし民衆のためにもなるはずだとな。それこそがメディアの本能であり、存在意義だと言ってもいい」
「うーん、まあ、正論に聞こえるな。わかるよ」
「なら、その前提でテレビ局や新聞社の報道姿勢を振り返ってみろ。国会での戦闘から今までのわずかな間に、統治する側の規制圧力が及ぶとはとても考えられない。皆も知っての通り、現場のカメラマンは間違いなくあの戦闘を撮影していたんだからな、映像はとっくに本社に届いているはず。これが放映されない理由は一つしかありえない」
「放送局が、スクープの放送を自粛してる……?」
「しかも各社足並みを揃えた上でな。メディアの存在意義を自ら放棄しているも同然、全く道理に合っていない。躊躇や逡巡の類としても度が過ぎる。つまり……」
「……敵か」

 俺が呟くと、結女は静かに頷いて。

「昨今、マスメディアの腐敗は目に余るものがあったが、これで証明された。テレビ局も新聞社もことごとく魔人の手に落ちているのだろう。早急に征伐しなくては」
「ちょ、ちょっと結女ちゃん、また沖継くんにさっきみたいな危ないことさせる気なの? やめてよ沖継くんも疲れてるはずだし誰か他の人とかに代わってもらって」
「コノ、うるさい」

 俺はぴしゃりと言ってコノを黙らせて、結女の方を向く。

「行こう、結女。メディアの影響力は大きすぎる。大勢の人たちが敵の思惑通りに踊らされるなんて絶対に許せない。一刻も早く対処しないと」
「よく言った、沖継。そうでなくては」
「ただ、その前に補給を受けたい。予備弾倉を最低でも四つ、できれば六つは欲しい。それと予備の拳銃も。なるべく小さいのがいいな。あと、拳を保護する革手袋。弾切れの時、格闘戦になった時の用心だ」

 これを聞いたコノは顔を青くして「ま、待ってよ沖継くん!」と言いかけたが、結女がそれに被せるように「お安い御用だ、早速手配する」と答え、さっきの携帯電話――近くで見たら市販品じゃないなコレ、結女専用の情報端末なのかな――を取り出す。

「沖継くん正気なの?! 止めてよ待ってよそんなのダメだよ絶対ダメ!」
「コノは学校に戻れ。急げば四限の授業に間に合うだろ」
「い、嫌! 沖継くんがどうしても行くのなら私も……!!」
「悪いけど足手まといなんだ。自分の身も守れないヤツが近くにいたら、その分だけ俺と結女は危険にさらされる。それに、いつも必ずお前を助けられるとは限らないんだ。また昨晩みたいな目に遭ったら今度こそ死ぬぞお前」
「で、でもっ」
「いいから言う通りにしろ。拓海は……」
「俺も降りるよ。滝乃と一緒にな」

 俺にとっては予想できた答えだけど、結女は驚いたような顔で携帯端末から顔を離す。

「銃弾が飛び交う戦いなんて専門外だ。足手まといって意味じゃ俺も滝乃と大差ないだろ。それに、俺が目指してるのは……」
「総合格闘技の頂点だ、この身体は化物と戦うために鍛えてる訳じゃない。だろ?」

 俺は拓海の言葉を先読みする。
 中学時代までの拓海は、俺と一緒に正義の味方を目指していた。今と違って四六時中一緒に行動してたからな。町のチンピラどもが揉め事を起こした時は二人して首を突っ込み、成り行き次第じゃ大立ち回りも厭わなかったんだ。
 ただ俺と違って、拓海のヤツは高校に進学してしばらく経った頃、一切そういう真似を止めた。その理由を尋ねた時の当時の拓海の返事こそ、俺がさっき言ったヤツ。オリジナルでは「化物と戦うために」のところが「素人と喧嘩するために」だったけどね。

「日和見やがって、と言いたいとこだけどな。あの時やらかしたガチの大喧嘩、また繰り返したくないからな。お前の夢を諦めてまでつきあえとは言わないよ」
「……悪いな、沖継。昔の俺なら喜んで乗ったんだろうけど」
「いらねーよ。昔のお前じゃ役に立たん。俺よりはるかに弱かったくせに」

 うるせえバカ、と言わんばかりの拓海のジャブが飛んできて、俺は紙一重でその拳を掌に受け止める。
 殺気なし、予備動作なし。普通の人間なら一発で昇天しかねない重さと速さを兼ね備えたとんでもないジャブだった。国会議事堂でドンパチやってる最中ですら感じなかった悪寒が、俺の背筋をゾクッと震わせる。
 ついでに結女も、拓海の拳を見て目を白黒させていた。コイツも修羅場を潜ってきてるんだから、拓海の凄さは一目で充分察しがついたんだろう。

「惜しいな……。それほどの腕の持ち主なら……」

 確かにな。拓海なら稜威雄走も余裕で扱えるだろうし、実戦慣れすりゃ相当な戦力になるだろう。でもムダだよ。ちょっとやそっと説得した程度で心変わりするタマじゃない。

 そうして俺たちを乗せたヘリは、手近にあった高層ビルの屋上にあるヘリポートへ寄り道をする。コノと拓海を降ろすために。そして、敵の手に落ちたテレビ局へカチコミをかける前の補給を受けるために。

「…………」

 ハッチはとっくに開いてるのに、コノはなかなかヘリを降りない。席を立ち、タラップの一段目に足を乗せたところで歩を止めたまま。その後に続くはずだった拓海も降りられずに、困ったような顔を俺の方に向けてくる。
 コノが今、何を考えてるのかは、充分わかってる。わかってるんだけど。

「なあ、コノ」

 俺は、コノの寂しげな背中に声を投げる。

「心配すんな。俺はちゃんと五体満足で戻ってくるから」

 わざと、そう言う。
 コノが一番心配してるのは、きっとそこじゃない。いや、もちろん俺の無事を案じてくれてはいるんだろうけど、そんなの二の次だ。わかってる。わかってるんだけどさ。

「……うん。気をつけてね」

 首だけ振り向かせて、作り笑いを浮かべたコノが、ヘリを降りていく。
 あいつもそんなに鈍感じゃないし、そういうことで納得してくれ、という俺の意思を汲んでくれたんだろう。ありがとうな。そして、ごめん。こればっかりは譲れないよ。

 そうさ。
 拓海が譲れないモノを持ってるように、俺だって――。

「なあ、沖継」

 拓海のヤツまで、ヘリの降り際に俺の方を振り向いてきた。
 呆れたような、けれど俺を咎めるような、そんな顔で。

「正義の味方ゴッコも、大概にしとけよ」
「は……?」
「前も言ったろ。お互いもう、ガキじゃないんだ」

 捨て台詞を残して、ヘリを降りていく。

 そう、捨て台詞。
 間違いなく捨て台詞だった。
 何て言い草だクソッタレ。

 怒鳴りつけてやろうかと思ったが、そう思った時にはもう、拓海の姿は視界から消えていた。俺はつい、さっきまで拓海が座っていたシートに軽く蹴りを入れてしまう。

「? どうした、沖継」

 俺の隣に座ったままの結女が、不安げに訊いてくる。

「男同士の話だよ、結女には関係ない」

 そう言ったのと、俺の第六感が何かの気配を感じ取ったのは、ほぼ同時だった。

 誰かが、このヘリの方へ駆け寄ってくる。

 まさかコノが戻って来たのかと思ったけど、違った。開けっ放しのハッチからキャビンに入ってきたのは、背広を着た三十代半ばくらいの見知らぬ男――あ、いや、訂正。顔に見覚えがある。そうだ、たしかこの人は。

「中川のおじさん? 何でこんなところに……?」
「やあ、沖継くん……いや、もう沖継様とお呼びすべきでした。結女様もご無沙汰しております」

 中川のおじさんは父さんの部下で、同じ職場で働いているらしい。飲み会の五次会とかで家にも何度か来たことがある。酔っ払った父さんが「俺の後を継げるのはコイツだけなんだよォ、期待のホープなんだよォ」とか紹介してくれたっけな。

「沖継様は、河守主任が……お義父様が何の仕事をしていたか、ご存じではなかった?」
「へ……? えっと、ベアリングとかモーターとか、そういうのを作ってる……」
「民生向けにはその通りです。ですが、うちの社にはもうひとつの顔がありまして」

 中川のおじさんが、手に持っていた大きなアタッシェケースを床に置き、開く。
 そこにあったのは、稜威雄走の予備弾倉と、結女の拳銃の予備弾倉。

「警察や自衛隊へ納入する拳銃類を、ライセンス生産しております。沖継様の御佩である稜威雄走も、義則主任を中心とする私どもプロジェクトチームが十年弱の歳月を費やして製作したものでして。どうでしたか、実戦での使い心地は」
「え……あ、えっと……」
「弾薬、動作、安全性、トリガーのキレ、グリップの握り心地などなど、もし何かお気づきの点がありましたら、些細なことでも構いません、遠慮無く私どもにお申し付け下さい。主任に代わって私どもが……」

 中川のおじさんは、そこで一瞬言葉を切った。結女の顔をちらっと見たような気がしたんだけど、気のせいか?

「……私どもプロジェクトチームが、即座に対応・改良に当たらせていただきます。今後ともよろしくお願い致します」
「挨拶はいい。それより、頼んだものはこれだけではないはずだが?」

 結女がぶっきらぼうに言うと、中川のおじさんは即座に「もちろん、用意してございます」と、アタッシェケースの二重底を開いてみせる。
 さっき俺が注文した通りの小型リボルバー、革手袋。それから、リップクリームみたいな小さな筒状のものがたくさん。安全ピンみたいなものがついてるところを見ると、手榴弾の類なのかな。結女がついでに注文したんだろう。

「それと、ご要望としては伺っておりませんが、防弾・防刃効果のあるベストも持参しております。お使いになりますか?」
「私と沖継には不要だ。身体の動きが妨げられて、かえって危険が増す」
「これは、出過ぎた真似を……」
「いや、心遣いには痛み入る。ありがとう。普段の仕事に戻ってくれ」
「恐縮です。……最後に僭越ながら、我が国全ての民草を代表して、一言だけ」

 中川のおじさんが、俺の顔をじっと見る。

「私ども一同、沖継様がご復活なさる日を、一日千秋の思いでお待ちしておりました。どうか存分にご活躍なさいますよう。そして、この日本の未来を……あるべき平和と安定を取り戻して下さいますよう、よろしくお願い致します」

 中川のおじさんは、もう、いい歳をした大人なのに。
 それなりに地位も立場も築いてるはずなのに。
 そんな人が、高校生男子にしか見えない俺に向かって、深々と頭を下げてきた。
 しかも、目元にうっすらと涙をためて、だ。

 真剣なんだ。この人は。

 いいや、昨夜からずっとそうだ。俺が出会った大人たちは一人残らず真剣だった。父さんと母さんも、結婚式場にやってきた親戚連中も、助けに来てくれた自衛隊の人も。

 戸惑いながら半笑いで混ぜっ返していたのは、俺だけだったじゃないか。

 今思うと、何て失礼なことをしてたんだろう。俺がすべきだったのは、大人たちと同じくらい真剣に向き合うことだったはずなのに。

 なあ、拓海。これのどこが正義の味方ゴッコなんだよ。文字通りの全身全霊で、命がけで取り組む価値のあることだろ。今から俺が足を踏み入れようとしてる世界に比べたら、お前の方こそケンカゴッコやってるようなもんじゃないのかよ。それをまあ何だオイ。大人になったフリしてすっかり小さくまとまりやがって。
 望まずして得た大きな力で、より大きな悪を斃す――お前だってそういうの憧れてただろ。それがマジで実現するんだぞ。しかも、周囲のみんなから期待される形でだ。こんな光栄なこと他にあるか? 拓海のアホめ、歳食ってから後悔すんじゃねえぞ。いや、バンバン活躍してガンガン結果出して、近いうちに必ず後悔させてやる。やっぱ正義のために戦うことこそ男の本懐だよな、俺も沖継と一緒に行けば良かった、ってな。

 俺はやる。俺にしかできないことなんだ。
 拓海がどう思おうと知ったことか。

「……気持ちはわかるぞ、沖継」

 中川のおじさんがヘリを出て行って、ハッチが閉まり、発進のためにローターの回転数が上がり始めて騒音が増していく中、ぽつりと結女が言う。

「あの益荒男は、間違いなく逸材だった。目を見ただけでわかる。どれほど厳しい修練を積んできたか想像もつかないが、この時代にあれほどの豪傑はそう居ない。しかも、沖継とあれほど親しい間柄だとは……。天の配剤とはまさにこのこと。これからの戦いを共にできれば、お前もきっと心強いだろうに」

 黙って考え込んでた俺の顔色を見て、何かを察した。そんな感じの話し方なんだけど。

「なあ結女。まさかお前、俺が拓海とタッグ組みたがってるとか勘違いしてないか?」
「違うのか?」
「ちげー。全然ちげー。そんなこと考えてねえよこれっぽっちも」

 俺は前髪を掻き上げ、両手で頬を軽く叩き、気持ちを引き締める。
 そして、おじさんに持って来てもらった武器と弾薬を身につけていく。
 残弾少ない稜威雄走には新しい弾倉を差し替え、予備弾倉は二つずつポーチに入れてベルトにくっつけて、予備のリボルバーは背中側の腰へ差す。その上で、それぞれ咄嗟の時には考えなくても取り出せるよう、実際に何度か触って取り出し、手と身体の感触に覚え込ませていく。

「もはや、私が言うべきことは、何もなさそうだ。……頼りにしているぞ」
「おう」

 ニヤリと笑って、サムズアップ。
 胸の底からドバドバ湧いてくる喩えようのない高揚感に、目眩がしそうだった。

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