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おひさまは今夜も空を飛ぶ(3)

複雑な事情があるみたい


 都内某所、自走式立体駐車場の一角。
 震災によって発生した負債を処理できずに倒産した総合デパートの駐車場だが、後の区画整理で主要道路から離れたことが災いし、放置されたままになっている。カビと埃、排気ガスで汚れた空間には外の光も満足に入ってこない。

 松永泰紀は、今、そんな場所に居た。

 病院になど行ってはいない。もちろん家にも戻っていない。ここで胸の痛みに脂汗を流しながら夜を過ごし、憔悴した顔の色が青ざめるのを通り越して黒ずんできた明け方近くになって、半ば気絶するように浅い眠りへ落ちた。そして、正午を過ぎた頃にようやく目を覚ましたのだった。

 それから、数時間。

「こいつも、違う……。多分、こいつも……」

 松永は携帯電話を取り出してメールを送り、あるいは直接電話をかけ続けていた。それだけ長い間バッテリーが保ち続けるはずはなく、昨夜のうちにコンビニエンスストアで買っておいた急速充電用の電池パックをいくつも使い潰している。
 この携帯は、松永個人のものではない。
 昨夜ゲームセンターで暴れた際、叩きのめした不良の一人から取り上げたのだ。架空の名義で違法契約された飛ばし携帯らしく、パスロックや指紋の認証などのセキュリティは全く働いていなかった。

「……? メールの着信……」

 松永が送ったメールを、携帯の持ち主だった不良からのものだと勘違いした返信だろう。
 それを見た松永は、それ以上携帯を弄るのを止めた。待機モードに入り、液晶画面の光が消える。

「……恵……」

 ぽつりと、呟く。

 暫時の、静寂。

 そして松永は、携帯電話を持つ手に力を込めた。握り潰すように、強く。携帯の外装を成すプラスチックがぎりぎりと嫌な音を立てて──。
 やがて、静かに割れ始めた。


 後に残ったのは、原形を留めていない残骸のみ。
 粉微塵に砕け散ったそれが素手で握り潰されたものだと言って、誰が信じるだろうか。
 さらに、駐車場の出入り口を封鎖するため、幾重にも巻き付けられていた太い鎖。引きちぎられたそこには確かに、人の指の形をした跡が残っていた。



 夕刻。聖メリッサ女学院、高等部。
 夕日で赤く染まった校内に、みつき、綾、瑤子、三人の姿があった。部活動も終わっているから人とすれ違うこともなく、あったとしても、中等部の制服を着た瑤子が一緒だから誰も気に留めなかった。

「高校かあ……。私も通ってみたかったな」

 みつきがぽつりと呟く。校内の景色を見回す眼差しには、憧憬の念が溢れていた。
 高卒認定試験には合格している彼女だが、いわゆる学生生活は全く経験がない。超能力研究所から逃げ出した時点で十五歳だったから、アルバイトをしながら独学を続けるしかなかったのである。
 そうして、ついつい歩を止めがちなみつきの少し先を、綾と瑤子が歩く。

「あの、綾さん。あたし一応、休み時間とか使って自分なりに調べてきたんです。高等部に行って、恵さんのクラスも探してみたりして」

 瑤子が言ってきて、綾が嬉しそうに微笑む。

「いつもながら気が利くわね。聞かせてくれる?」
「はい。松永恵さん、噂通り先週から学校に出ていないそうです。心配してるクラスメイトもたくさんいました。ただ、失踪って話は少し違ってて……。えっと、恵さんって土日や長期休暇には自宅へ戻ってるそうなんですけど、お友達がそっちを訪ねた時にご家族から〝事故で入院してる〟って言われたんだとか。でも、お見舞いは断られたって。面会謝絶なのかって訊いてみたら、そこまで悪くないから安心して、とか何とか」
「……キナ臭いわね。不自然な話」
「あと、部活は陸上部で短距離走の選手だって。あまりタイムは良くないけど、副キャプテンをやってるそうです。生徒会執行部の書記も兼ねてるとか」
「ご苦労様。それだけでもいい手がかりになるわ」

 瑤子の話を元に、三人は校内を歩き回った。陸上部が毎日練習する校庭のトラックを歩き、運動部の部室が集められた棟を訪れ、窓の外から生徒会執行部の部室を眺める。部外者の立ち入りが原則として禁止されている寮の周辺にも足を運んだ。
 そして最後に、高等部校舎の誰もいない教室へ入り、綾は松永恵の席だという机に腰を下ろした。

「……綾、どう?」

 今までついてきているだけだったみつきが、座っている綾へ不安げに声をかける。

「充分よ。松永恵さんがどういう子か、本当によくわかったわ。みつきにも察しはつくでしょう?」
「そりゃ、真面目で人望あって頑張り屋さんの体育会系かな、ってくらいは」
「そう。だったら、不真面目で意思の弱そうな思念波は無視できる。文系かそれに準ずる感じの思念波も省いていい。その上、彼女の残留思念をこれだけ感じ取れたのだから……例えば、これ」

 綾は、机の教科書入れから筆入れを取り出した。

「うっかり筆記用具を忘れた時のために置いてあるものなのだけれど、この中にあるシャーペンはもともと松永泰紀さんのものみたいよ。本当に仲のいい兄妹なのね、ずいぶん大事に使っているみたい」
「へー、そんなことまで……」
「今なら、松永恵さんの居場所は、日本中どこに居ても正確に言い当ててみせるわ。ただ……釈然としないわね」
「ん? 何が?」
「入院の話が嘘なのは、私とみつきが昼間に新宿で恵さんを見かけたことでも確かだもの。案の定、恵さんは今自宅にいるわ。身体もどこも悪くない」
「……へ?」

 思わず素っ頓狂な声を上げたみつきに、綾は軽くウィンクしてみせる。

「はっきり感じ取れたわ。すぐ近くにある一軒家」
「うわ、話のついでで感じ取れるんだ。すごっ」
「当然よ。私を誰だと思ってるの?」
「世界トップクラスのESP能力者です」
「ご名答。……そうだ、あと一つ補足。恵さんの家に松永泰紀さんは住んでないわね。家の中にある彼の気配が希薄すぎるから」

 これに、瑤子が首を傾げる。

「それ、外出したまま帰ってないだけじゃ?」
「その程度ではここまで希薄にならないわ。通っている予備校だって、みつきと同じというなら立川でしょう。わざわざ世田谷から通ってるはずもないし」
「じゃあ、泰紀さんは今、どこに住んでるんでしょうか。浪人中で一人暮らしってこともないだろうし、ひょっとしたらご両親の都合で別居とか……」
「こらこら、瑤子。話がズレてるって」

 みつきが苦笑する。

「家庭の事情を変に勘ぐっちゃ失礼だよ。今は松永さん本人がどこにいるかを突き止めたいだけなんだから、関係のないことはスルーね、スルー」
「あ、そうでした」

 瑤子が小さく舌を出す。

「じゃあ、恵さんの家を訪ねて直に会えばいいだけですよね。それで泰紀さんの話をいろいろ聞けばESPの手がかりが増えて、松永さんも」

 すると、綾が急に顔を曇らせる。

「そう上手く行かないと思うわよ」
「……何でさ?」

 首を傾げたみつきに、綾は迷いを見せつつ。

「これはESPと関係なしに、あくまで私の推測なのだけれど……私たちが警察の先回りをして彼に自首させたいのと同じで、恵さんも何かしら気付いて、彼を捜している最中ではないのかしら」
「だったら、なおのこと恵さんは協力してくれるんじゃない?」
「その可能性は低いでしょう。みつきも見た通り、あの子は一人で事件現場に来ていたわ。しかも学校や友達に嘘をついて。見も知らぬ私たちを頼るくらいなら、もっと親しい他の誰かをとっくに頼っていると思わない?」
「あー、そう言われると……」
「推測ついでにもう一つ。恵さんがしばらく学校に来ていない件も、泰紀さんの事件も、かなり深いところで繋がっているような気がしてきたの。これ、単に松永さんを自首させただけじゃ終わらないかもしれない」
「んー、難しいことはわかんないけどさ、迷ったときは行動あるのみだよ。恵さんが協力してくれないと決まった訳でなしさ、とにかく事情を……」

 突然、みつきが言葉を切る。黙り込む。
 その顔から、表情が消えていく。

「あの、センパイ? どうかしたんですか?」

 瑤子が話しかけても、みつきは視線を宙に漂わせたままでぴくりとも動かない。
 そして、しばらく間があって。

「……叫び声が聞こえた。昨夜のとすんごく似てる。また松永さん絡みかも」

 綾と瑤子が、顔色を変える。

「みつき、詳しく聞かせて。私も遠視するわ」
「ええと、方角的にはあっち……東? 海も近い、かも。なんか輪っかみたいな建物もある……ような気がする。あと多分、クルマが一杯あって……」
「整備工場、中古車センター、大型駐車場……いえ、単純に高速道路や国道かしら?」
「ええと、その……道路っぽい気もする、けど……ごめん、感覚的すぎて自信ない……」

 パッシブ・キャリバーの使い方を訓練していないみつきには、それが精一杯の説明である。綾が後追いで遠視を行うには手がかりが少なすぎた。

「ひなたセンパイ、大惨事になったら取り返しがつかないです! 急いで行かなきゃ!!」
「急いでって瑤子、夕方って言ってもまだ明るいんだし、飛んでいく訳には……」
「なら、私の車で行くしかないわ。みつき、ナビ役はよろしくね」

 綾は椅子から立ち上がる。

「……といっても、平日のこの時刻、か」

 舌打ちを、一つ。

「帰宅ラッシュに巻き込まれるのは、避けられないでしょうね。きっと……」




 いくら区画整理が徹底され、道路が広く快適になろうとも、東京が首都である以上は絶対的な交通量が減じることはない。朝と夕刻のラッシュ時にはどうしても往時のような渋滞が発生してしまう。
 案の定、三人が目的地──芝浦埠頭の駐車場へ着いた頃には、すっかり日が暮れていた。すぐ側にあるレインボーブリッジのループ橋もライトアップされ、夜の闇を背にその威容を浮かび上がらせている。

「到着まで一時間以上かかったら、これで当然かぁ……。飛べたら数分だったのにな」

 みつきが綾の車から下りつつ、呟く。
 厳密に言うと、車は駐車場まで入っておらず、その手前に停めてあった。事件現場はすでに警察によって封鎖されているし、通りかかった一般車両も思うように動けず周囲は大混雑。事態収拾に奔走する警察官らの怒声が幾度となく飛び交っている。
 今朝方のゲームセンターに似た状況だが、事件の規模は今回の方がはるかに大きかった。

「ごめんなさい、みつき。最短の道を選んだのだけれど……」
「綾が謝ることないよ、仕方ないってば」

 言いつつ、みつきは事件現場の方に目を向ける。

「んー、ここからだとよく見えないなぁ。現場、どうなってるんだろう……」
「ひなたセンパイ、あたし目には自信あります。夜目も利きますし」

 瑤子が、車の後部座席に座ったままで聞いてくる。

「あ、そうか……お願い」
「はいっ」

 瑤子は車のラグトップを開け、後部座席に立って背伸びをする。それで何とか現場が視界に入った。

「……ひなたセンパイが暴れたあとみたいです」
「はい?」
「ほんとにそんな感じなんですよ。国産じゃないのかな、すごく立派な車……それが四、五台くらいぐしゃぐしゃで。すっごくおっきなハンマーを振り回して叩きつけたような壊れ方なんです。普通の事故じゃこんな風には……うわ、あちこちに血がいっぱいついます。ここだけは全然違いますね、センパイはこんなこと絶対しないから」
「何よ、それ……」
「ええと、それと……あとは」

 瑤子は渋面を作って、

「わざわざオペラグラスとか持ってきて、面白そうに見てる人が沢山……。ニュースを見て集まってきた人なのかな、何考えてるんでしょうか……」

 場所が悪かったというべきか。事件直後にたまたま通りかかったテレビ局の取材車両があって、これが撮影した映像が夕方六時から七時のニュースタイムに間に合い報道されてしまったのだ。

『……この事件に巻き込まれた駐車場の利用者十数名が怪我をしたほか、改造車チームのメンバー三名が骨折などの重傷、二名が意識不明の重体です。警察では暴走族や不良グループの勢力争いとの見方を強めていますが、被害状況から見て爆発物等を用いての計画的な犯行とも考えられ、断定には至っていません。なお目撃情報から、昨夜未明に新宿で起きた傷害事件と同一犯である可能性が高く……』

 つけっぱなしのカーラジオからも、そんな報道が流れ続けている。

「間違いないわ、松永さんよ。さんざん暴れたあと、バイクですぐに立ち去っているわ」

 綾が断言する。みつきと瑤子が話す間に残留思念を読み取ったらしい。

「多分、松永さんはみつきの同類ね。極過型のサイコキネシス能力者。潜在能力としてのアクティブ・キャリバーに目覚めたばかりなんでしょう。無秩序な強い思念波をまき散らしたせいで、酷いノイズになって過去視を邪魔したんだわ。本当にはた迷惑な能力だこと」
「どさくさ紛れに私までこき下ろすなこんにゃろう。……まあ、はた迷惑には違いないんだけどさ」
「あら、ずいぶん冷静なのね。研究所を出て以来、私たち以外で初めて遭遇した強力な能力者なのに。少しは驚くかと思ったわ」
「それはまあ、これだけ松永さんの後を追いかけたらね、想像はしてたよ。潜在的な天然の極過型能力者は結構多いらしいしさ。大事故から無傷に近い状態で生還する人とか、単に偶然だけじゃないって」

 みつきは、昨夜に彼と会った雑居ビルの屋上でのことを思い出していた。

「……松永さん、金槌なんて持ってなかった。あの屋上にもそんなものなかった。ううん、壊れた扉のノブを見た時に気付いても良かったのに……」
「ちょ、ちょっと待って下さい、センパイ。じゃあ、松永恵さんのお兄さんって、サイコキネシスをやたらめったら使って人を傷つけてる悪い人なんですか?」
「う、ん……状況だけなら、そうなるけど……」

 頭を掻くみつきに、綾が、

「今は考えすぎないで。状況はあくまで状況。彼については恵さんに直接訊くのが一番」
「それは、そう……だよね。じゃあ、今から来た道を戻って」
「必要ないわ」
「え?」
「そうね、あと三十分。ここで待ちましょう」




 綾の言葉通りに、ちょうど三十分後。
 自宅でニュースを偶然目にした松永恵は、自ら事件現場までやって来た。

「……お兄ちゃん、また、こんな……」

 現場の混乱は収拾の兆しを見せ始めていた。破壊された車両はレッカー移動を終え、溢れ帰っていた一般車両もずいぶんと減っている。
 だが、野次馬の数は今なお多く、警察が張り巡らせた立入禁止を示すテープやパイロン、遺留品の発見現場を示すチョークの跡もそのままだった。

「あ、あの、すみません」

 恵は野次馬をかきわけ現場に近付き、駐車場の入り口で警備に当たっている警察官に声をかける。

「あの、犯人はもう捕まったんですか……?」
「いえ、捜査も始まったばかりですから」
「そう……ですか」
「もしや、何かご存じで?」
「い、いえ、私はたまたま……。すみません、有り難うございました……」

 恵は、警察官から離れていく。
 そして再度、現場の様子を見つめる。

「お兄ちゃん、どうやって……こんなこと……」

 呆然と呟く彼女の目に、涙が滲む。
 けれど、泣いてはいられない。松永泰紀がまだ近くに居るなら、これ以上罪を重ねないように説得し、逮捕される前に自首させなければいけない。

 恵は、松永泰紀が一連の事件の犯人だと知っていた。

 事件がニュースになってから駆けつけても手遅れなのはわかっているが、恵はもう『三日も前から』足を棒にして松永泰紀を探し回っている。彼が居そうな場所は残らず当たってみたし、このくらいしか自分に出来ることは残っていなかったから。

 恵は事件現場の周辺を捜し始める。
 埠頭をあちこち歩き回り、やがて人気のない横道へ。

 すると突然、背後から誰かに肩を叩かれた。

 驚いて、弾かれたように振り向くと。

「……松永恵さん、よね?」

 見覚えのないひとが、そこに立っていた。
 日向みつきだ。

「あのね、松永泰紀さんのことで、ちょっと話を聞きたいんだけど。いいかな?」

 恵の顔から、さあっと血の気が引く。

「し……知りません、私、何も知りません!」

 言うや否や、みつきに背を向け逃げ出した。

「ま、まま、待ってよっ、恵さん!」

 制止の声すら振り切るように、恵は必死で、力の限り走り続けた。──が。

「……っ、あ……えっ?」

 急に、恵の周囲の空気が、重くなる。
 最初は向かい風かと思ったが、一瞬のうちに水の中を走っているような感じになり、最後には足を一歩動かすことすら難しくなってしまった。

「な……何? 何なの、これ……」
「まあその、詳しくは説明できないんだけど……」

 みつきが恵の側に近付いてくる。

「あのね、私、松永さ……泰紀さんと同じ予備校に通ってるんだけど」
「えっ? 警察の人じゃ」
「違う違う。私の方でもいろいろあって、あの傷害事件が松永さんのやったことだって気付いたんだけどね。なんとか止めて、自首させなきゃって」
「え……あ、ほ……本当に……」
「嘘ついてる顔に見える? ……あ、ごめん、今はこっち向けないか。はい」

 みつきが言い、恵の戒めを解く。
 恵はゆっくりと、みつきの方を振り向いた。

「お願い、話、聞かせて。悪いようにはしないから」

 そして、見つめ合うこと暫時。

「……お願い、です、お兄ちゃ……助けて……。全部、私のせいで……私の……」

 恵はみつきにすがりつき、ぼろぼろと泣き始めた。
 今まで、誰にも話せなかった。一人で何とかしなければならないと必死だったから。
 助けてくれるかもしれない誰かが現れたというだけで、張り詰めていた緊張の糸はあっけなく切れてしまったのだった。




 それからさらに、数刻。世田谷の住宅街。
 松永恵の自宅前に、綾のワーゲンが停車している。その車内にはもちろん、みつき、綾、瑤子の三人が乗っていて、恵が出てくるのを待ち続けていた。

「どう、恵さん。何かあったかしら」

 玄関先に恵の姿が現れ、綾は車の窓を開ける。

「いろいろ探してみたんですけど、うちには、これくらいしか……」

 恵は窓越しに一枚の生写真を差し出す。松永泰紀が中学生だった頃のもので、彼の友達らしい見知らぬ少年と、小学生だった恵、三人の笑顔が写っている。

「お兄ちゃんの誕生日に招ばれた時のものですけど、古い写真だから、参考には……」
「いいえ、充分よ。有り難う」

 綾が写真を受け取る。

「これ、後で返しに来るべきかしら」
「……いえ。見つけた以上、処分しますから……」
「じゃあ、貰うわね。……安心して。あとは任せて。泰紀さんを説得できたらすぐに連絡するから。待っていて」

 綾は、車のエンジンに火を入れる。
 発車直前、後部座席の瑤子が慌てて口を開いて、

「……あ、あのっ、恵さん……。その……」

 躊躇いながら恵に話しかける。
 けれど、その後の言葉が続かない。

「あの、何て言ったらいいのか……えっと」

 これを見た助手席のみつきが、

「……瑤子」

 静かに声をかけ、小さく首を振って見せた。

「あ……はい、センパイ……」

 瑤子は一度、口を噤む。
 けれど、何かを決意して、言葉を紡いだ。

「あの、あたし……あたしたち、きっと、絶対……。だから、安心して待ってて下さい」

 そして、車が動き出す。
 あっという間に、恵の前から走り去っていった。

「あの眼鏡の人が、お兄ちゃんと一緒の予備校で……うちの制服を着た子が、その後輩……それから、あの綺麗な人。探偵だとか言ってたけど……」

 この数刻の間に自分が知っていることは全て話したのだが、今思えば、それらはすべて自分の身の上話でしかなかった。あるいは過去の思い出話。松永泰紀が今どこにいるのか、推測できるような情報が含まれていたとは思えなかった。
 本当に任せて良かったのか。不安だけが残った。




 その頃、走り出した車の中で。

「綾、どう? あれでいけるの?」
「私を誰だと思っているの? みつき」

 綾は言うが、その顔は全く笑っていない。

「あれだけ手がかりをもらったのよ、松永さん本人も今度の元凶も、たとえ地球の裏側に居たって探し出してみせるわ。それより……」
「何よ」
「松永さんと、恵さんだけど」
「とっくに気付いてる。そこまで鈍くないよ。だから最初から言ってたでしょ、私は。そんなの関係ないんだって。絶対に止めなきゃ。少しでも早く」
「……そうね」

 その会話を聞いていた瑤子は、何を話しているのかと不思議そうに二人の顔を見る。

「あの、ひなたセンパイ? 綾さん?」

 だが、二人の顔は険しく、それ以上訊けなかった。

「瑤子」
「へっ? あ……はい、センパイ」
「私、今、すっごく機嫌が悪いの」
「あ、はい……わかります。あたしもですから」
「手加減できなくて、やりすぎちゃうかもしれないから、その時は頼むね」
「……はいっ」
「綾も、おねが……」
「黙って、みつき。……見つけた」

 綾が言い、軽く舌打ちをする。

「まずいわ、松永さんと例の男の距離が近すぎる。もうじき接触するのかも」
「う、うそ、マジで?! 急がなきゃ! っていうか急げ、急ぎまくれ!!」
「言われなくても……」

 綾は、運転中だと言うのに目を閉じる。

「目一杯飛ばせば、まだ間に合うわ。捕まってて」

 そうして、狭い住宅街の中でアクセルを全開。カーブの度にタイヤが滑り、アスファルトに白煙が上がる。空いていると思えば、路側帯や歩道にも躊躇無く入り込む。赤信号も無視する。
 けれど、絶対に事故は起こらない。誰にも迷惑はかからない。

 綾が目を閉じて、集中している限りは。

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