【劇場版レヴュースタァライト】滑り台シーン改変の意味について
※この記事はネタバレを含みます。
先日劇場版レヴュースタァライト2回目を見てきました。様々な方の考察を事前に拝見させていただいたこともあり初回より深く味わうことができました。非常に理解が深まったと感じるレヴュースタァライトですが、それでもまだ気になる点は多々あります。その一つが華恋とひかりが約束を交わす、滑り台のシーンです。
滑り台のシーンはアニメ版と劇場版ではっきり描写が異なっているシーンであり、気になった方も多いのではないかと思います。アニメ版の滑り台シーンは滑り台という装置を巧みに使い、華恋とひかりの表情・動作の描写も手が込んでいてとても印象的な約束のシーンです。何故改変する必要があるのでしょうか? しかし調べてみてもどう辻褄が合うのかという考察(別の人の回想だから説・キリンの舞台装置だから説など)はあるものの、では何故わざわざ改変されたのかということまで具体的に述べられているものはあまり見つけられませんでした(記憶が霞んでいる・他のシーンに対して強くなり過ぎないようにしているという考察がありました、その面もあるかとは思います)。そこでこの記事では滑り台シーン改変の意味、意図について少し考えてみたいと思います。
改変部分の確認
まず改変された部分の描写を確認します。アニメでは滑り台をまわりこんで階段を上り、お手紙を書くと言って泣く華恋をひかりが引っ張り上げて「舞台で会おう」という約束(運命)を交わします。一方劇場版では地上で向かい合ったまま同じやり取りがなされる、より淡泊でニュートラルなものに変化しています。
「改変」と言っていますがこの改変はどのような性質のものなのでしょうか。劇場版で何かが付け足されたわけではなく、むしろアニメ版で描かれたものが「描かれなくなった」ことは非常に注目すべき点であるように感じます。この部分を考えるにあたっては劇場版がどうなっているかに向き合うだけでなく何が描かれなくなったのかを考えることが重要です。
小さな塔 : 舞台としての滑り台
レヴュースタァライトという作品の中で塔は非常に重要な意味を持っています。舞台少女が目指すものであり、特に劇場版では「今こそ塔を降りる時」に代表されるように塔が舞台としての意味を持っていることは明らかです。作中では様々な塔のモチーフが出てきますが、滑り台も高い部分ほど細くなっていますしこれも塔の一種であると考えることができます。
その上で滑り台のシーンを考えます。劇場版では華恋という人物がより深く掘り下げられました。聖翔を卒業した後は無数に存在する新たな舞台を目指していくことになるわけですが、それまでは劇団アネモネでの主演など様々な舞台に立ってはいるものの目指していた舞台はただ一つ、ひかりちゃんとの約束の舞台であって華恋は長い時間をかけて一つの塔に登っていたのです。だとすれば幼い二人の約束は「二人で星を摘みに行こう」という地上での約束であったはずです。今回の劇場版では塔を降りることに大きなテーマ性があったわけですから、約束の段階で二人が塔の上にいては都合が悪いと考えることができます。
描かれなくなったもの
改めて描かれなくなったものが何なのか考えます。劇場版では地上で二人が会話していますが、特に手紙を出すことを了解されて泣く華恋→「舞台で会おうね」という約束の部分に関しては二人がそもそも映っておらず、情景描写に二人の声が流れるだけになっています。アニメ版でこの部分に相当する描写はひかりが華恋を滑り台に引っ張り上げる描写です。これはひかりによって華恋が舞台に引っ張り上げられるという意味を読み取るのが自然です。しかし劇場版ではそれが描かれていないのです。
劇場版をご覧になった方なら、二人の交わした約束は単に華恋がひかりによって舞台少女になったという以上の意味があることがお分かりいただけるかと思います。ひかりは華恋によって一度諦めかけた舞台をもう一度二人で目指すことになるわけですし、華恋が一方的に手紙を出すという非対称な関係ではあるものの実際には双方にとって重要な意味のある、より対等な約束だったはずなのです。
以上を踏まえれば、アニメ版のままの描写で解釈が限定されてしまうのを嫌ったのではないかという想像(邪推)ができます。劇場版で深められる二人の関係性、劇場版のテーマでの筋を通すため滑り台のシーンはより広い意味を持たせた約束のシーンに変わっているのです。
まとめ : 対等な関係、地上で交わした約束
・滑り台は小さな塔 : 舞台
・ひかりが華恋を引っ張り上げる描写の削除
・より対等な地上での約束としてのシーンに変更 → 劇場版での整合性向上
スタァライト、供給多すぎて色々見逃してそうな気もしますが、滑り台シーン改変について自分なりに軽く考えてみました。ここまで読んで下さりありがとうございました。
おまけ
最近はまひるちゃんを推しています。まひるちゃんだけは演技らしい大袈裟な身振り手振りや分かりやすい力の誇示をほとんどしないしそもそもその必要がない、ナチュラルに演技として成立する個性と確かな実力を持って独り立ちした舞台女優だと感じるからです。新国立も普通に受かりそうな雰囲気だったし。「自分は強いんだ」と主張する必要の無い強者、強い。
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