Libero
今日は害獣の話をいったん置いといて。
私の営むお店「Libero」について
Libero=イタリア語で「自由」を意味します。
スポーツではサッカーやバレーボールのポジションでもある。
昔、母親から言われてました。
「何でもいいから一番になりなさい。」
「これだけは負けないってものを持ちなさい。」
その為に色々な習い事をした。いや、させられた。
スイミングに少林寺拳法・そろばん
どれも続かなかった。
幼いながらそんな自分が嫌で何かを続けてみたかった。
そんな中で自分から始めてみたいことがあった。
「バレーボール」
当時の川合俊一さんに憧れ始めることに。
自分からやりたいと言い出したが故にどんなことがあっても辞めないことだけを心に決めた。
川合さんみたいなスパイクやクイックを打ってみたい。無我夢中で練習した。その後、それなりに上達していきスパイクやクイックを打てるようになる。その時は自分が川合俊一だと思い込みプレーをしてた。川合さんと同じポジションで。
高校に入り、それなりの強豪校と呼ばれる学校に進学するも強豪故の猛者に出会い、レベルの違いを痛感する。自慢のクイックは負けてないつもりだった。しかし、守備がザルすぎた・・・。
守備ができる奴がうらやましかった。どんなに攻撃ができても自分よりすごい奴はいたし。
そんな時に中学時代の古傷の再発。おまけに腰痛まで。
再起することもできたと思うが取り戻すには時間もかかるし周りのレベルアップには追い付けない。情けないが挫折した。
大学でまたやり直そう。それまでは近所のママさんバレーのコーチをしながらリハビリした。
進学後、迷わずバレー部に入部。今度こそ自分のレベルを上げてレギュラーを勝ち取ると心に決め。門を叩いた。
初日からレギュラーになった(笑) 弱小だった(笑)
それなりの成長はしたと思う、しかし所詮それなりだった。
あの当時バレーボールにリベロってポジションはなかったが私が卒業する頃に守備専門職の「Libero」ができた。
社会人となってからもバレーボールは続けたが仕事の忙しさとともにプレーの機会もなくなっていった。
40代半ばの今となっても憧れるポジションの「Libero」
母親の言う「何かで一番になれ」
だったら、仕事でお家を害獣から守る守備専門のスペシャリスト
「Libero」になったる。
そんな想いを込めて命名しました。
いつも思うが文章が中学生レベル。
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