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【interview04】ターニングポイントは自ら行動することで掴んだ陰から光へ

2019年入社 坂田 陽平

産まれる瞬間まで気づかれなかった自分の存在。兄の影から始まった人生のスタート。

34年前に双子の弟として約1,700gの未熟児で生まれ、実の兄の出産が終わるまで双子ということは両親はもちろんお医者様も誰も知らずに産まれてきました。

「兄の影に隠れて産まれるなんて、すでにこの時点から影の薄い人生でしたね。」

双子の兄とは性格も興味のある分野も正反対であり、幼少期も人前に立つことも得意ではなく、学業も決してよくありませんでした。

だから影の薄い子という印象がとても強く、 心の中では「光のある子」になりたいと心のどこかでずっと思っていました。

コンプレックスがあったからこそ気づいた、好きを伸ばすことの大切さ

中学に進学してからも学業は全然得意ではなく評価は1・2が多い生徒でした。だから担任の先生からも「なんでできないの?」と言われることもあり、勉強ができないことがコンプレックスになっていたのです。

後に教員を目指すきっかけになるのですが、「苦手を克服するより得意を伸ばすことが何よりも大事だと」気づいたのが自分のコンプレックスをいかに克服していけるか?と思うきっかけになったのは良い経験ですね。

幼少期からコンピューター分野など自分が興味があることを人に教えることが好きだったので、情報の教員を目指したのですが、いざ就活となった時にリーマン直後で採用枠も少なく夢を諦めざるを得ない状況だったので、教員にはなることは叶いませんでした。

自分の場所はココ!と決めつけず、チャンスは逃さない!

今まで3度ほど行動することによって変われたことがあります。

1つめは教員という道を諦めて就活をする時になります。改めて「自分の得意はなんだろう、世の中には教員以外のもっと面白い世界があるかもしれない。」と気持ちを切り替えてシステムエンジニアになり、後に企業の新人教育も担当しました。

2つめは、今の奥さんとの結婚ですね。当時「1人で死ぬのは嫌だ!」と強く思うことがあり、好きなゲームのコミュニティを通じて今の奥さんと出会いました。仲良くなっていくうちに直接会いたいという想いが強く、その日の夜に夜行バスで奥さんの住む地方に向かっていたのです。そして、想いを伝え3年前に見事ゴールインできました。先日、子供も産まれ、本当に幸せです。

3つめは、代表の金子からのTwitterのDMです。当時、なんとなく転職を考えていたタイミングでDMをいただきました。

すぐに返信をして渋谷の当時のオフィスでお会いしたのですが、初めてお会いした印象はTwitterで発信しているままの印象で、当時働いていたSESの環境や構造を新しくしていくということにとても共感したのを覚えています。

「ゴミなんて作っているんじゃないカス!」と当時の上司に言われたこともあり、自分の居場所はここだけではないし、もっと活躍できる場があると思っていたタイミングに代表の金子に会えて本当によかったです。

気づいたらその場で転職を決め、即決で働くことを決めてましたね。

時には人に頼ること。そしてGiveを返していきたい。

今はメディアの配信のwebシステムを担当しています。前職とは違い覚えることもたくさんありますが、好きなことができるので勉強は全然苦にならないですね。また、先日子供が産まれたのでリモートをメインで業務を行いながら、子育てと仕事のバランスもよくできているのも嬉しいです。

将来は、自由に仕事ができ、色んな人が集まり繋がる場のコワーキングスペースをつくりたいと思っています。

今の奥さんや代表の金子との出逢いを通じて「自分だけではできないことも多い。」ということを学びました。誰かに助けられて、そして自分の本当に合う環境や働き方などを得ることで、自分らしくいられる場があると思っています。

リベロエンジニアは「1人ひとりのエンジニアが楽しく働き、自己実現ができる世界」を目指していますが、よくも悪くも「自由!」です。面倒な人間関係や上下関係もありません。

こんな環境にしたい!を作り出せる会社だからこそ行動変化できる人には良い環境だと思います。

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