さすらいヒッチレース
ヒッチレースって?
京都大学には、十一月祭、熊野寮祭の他にも吉田寮祭というこれまたトンチキな祭りがある。その名の通り、あのオンボロな寮で開かれる祭りだ。
その吉田寮祭のメインイベントに、ヒッチレースというものがある。知らない場所に飛ばされた後、金なし地図なしでヒッチハイクして、吉田寮まで帰ってくるというものである。もう半年ほど前になるが、それに参加してきた。
エクストリーム帰寮?面白そう!
戦犯:友人
夜八時、友人宅でゴロゴロしていると、友人が声をかけてきた。
「liberator、エクストリーム帰寮参加せんのん」
「え、なんそれ」
「なんかね、目隠しされられて知らん場所に車で連れて行かれて、そこから歩いて帰ってくるやつ。八十キロくらいらしいよ。今日の夜集合」
それを聞いて、突発的に「面白そう」と思ってしまった。サンダルしか持ってきていないが、俺は長距離歩いたことがあるし大丈夫だろう、そうたかを括ったのだ。これもまた、阿呆の血のしからしむるところだろう。
すぐに支度したのち、揚々と出発した。
吉田寮到着!あれ?
家からは十五分ほど歩けば吉田寮に着く。ボロボロの食堂には、すでに二十人ほどがたむろしていた。俺も迷惑にならない位置に座り、ゆっくりすることにする。特にすることもなかったので、使い慣れていないTwitterで今回のイベントについて調べてみることにした。名前は「ヒッチレース」というらしい。友人から聞いたものと違うが、まあ同じようなものだろう。そう軽く捉えていた俺の目に、あるツイートが飛び込んできた。
「3年くらい前に高山でヒッチレースの参加者拾ったなあ」
あれ?高山は行ったことあるからわかるぞ。八十キロなんてもんじゃない。二百キロくらいあるでしょ。
そこでハッとする。そう、ヒッチレースなのだからヒッチハイクで帰ってくるに決まっているではないか。思わず近くにいた寮生らしき人に声をかける。タバコの臭いが鼻についた。
「あの、高山とかに飛ばされるって聞いたんですけど、大丈夫ですかね」
「高山?近い方だね。サンダルじゃん。大丈夫?」
高山で近い方なのか。しかも俺はヒッチハイクをやったことなどない。しかし何を思ったのか、祭りの雰囲気にあてられたのか、口から出た言葉は。
「まあ、大丈夫でしょう!」
これもまた、阿呆の血のしからしむるところなのだ。
ヒッチレース本番
開始
寮祭の開始宣言で吉田寮祭の歌を歌ったり、シュプレヒコールをしたのち、食堂でドライバー割り当ての時間となった。俺のドライバーは、怪しい雰囲気を無料で垂れ流している「ハシさん」という方だった。変人だけど優しい感じの人かな、などと勝手に予想していると、後輩らしき人が通りかかる。
「この人やばい人だから気をつけてね。冬の根室で野宿した人だから」
何を言っているのかよくわからない。早速不安になってきた。
「え、どこに飛ばすつもりですか」
そう聞いても、ハシさんは「さあー」としか言わない。訳がわからないまま、重要文化財級の建物の中を通って車に乗り込む。
同乗者は、寮祭のハイパー委員長、世界を旅する医学部六回生という濃いメンツだった。お互い自己紹介をしつつ、車窓を眺める。車は琵琶湖方面に向かっていた。さっきの人は高山で近い方と言っていたから、遠くても富山とか長野くらいだろう。
「そういえば、高速は使わないんですか」
「使わないよ」
ならそんな遠くには行かなそうですね、と隣の医学部生と笑い合う。しかし気になることがあった。チラッと、速度メーターを見る。そこには百キロと表示されていた。
到着
目隠しをして眠っていると、気づけば朝になっていた。それでも寝足りなくて目を閉じたままでいると、十時くらいになってようやく一人目が降ろされることになった。医学部生が選ばれたが、この人、なんとスマホも予備の金も持っていないらしいのだ。少し不安になるが、俺らもそんな変わらん状況だからいいか、と意味のわからない言い訳をして見送った。
その後も車は山道をひた走る。すごいスピードで蛇行しているので、流石に酔ってきた。視力の落ちた目で外を見て、酔いを覚まそうとする。
「やけに屋根の傾斜がきついな…」そう思ったが、深く考えるのはやめておいた。
十二時ちょうど、ついに俺の番が来た。車を降りると、目の前には湖が広がっていた。沼沢湖と言うらしいが、聞いたことはない。
「それじゃあ、頑張ってね」
そう言って、ハシさんは颯爽と帰ってゆく。今自分が嬉しいのか、怖いのかすらもわからなかった。周りを見回しても民家は一つもない。
駐車場で、黒のデリカを発見する。こんな田舎だ。この車は他県のものではないだろうと推測して、後ろに回り込んだ。そして固まる。
福島
いや俺、初東北がこれかよ。
兎にも角にも、歩かなければ始まらない。しばらく歩くと、ポツポツと民家が出てきた。
「すみません、京都から拉致されてきたんですけど、ここはどこですか」
などという一生に一度しか発しないセリフを吐いて、なんとか現在地を確認する。どうやら福島の山奥の方のようだ。おにぎりをもらい、どうしようかと思案しつつ歩いていると、早速おっちゃんに声をかけられた。
「にいちゃん、会津若松までなら送るよ」
順調な出だし
信じられない、こんな簡単に送ってもらえるとは。只見川を下りながら考える。まだ初めて三十分も経っていないだろうに。これは、案外余裕なのかもしれない。
会津若松の少し手前、ダイソーで降ろされる。七月も始まったばかりだというのに、かなり暑い。33度はあるのではないだろうか。道端に出て、確かこう、と親指を立てた。
これ、意外と恥ずかしい。運転手の顔がはっきり見えるし、こちらを笑っている人がいるのもわかる。暑さと羞恥心で悶えていると、目の前に車が止まってくれた。
「郡山まで送るよ」
なんと十五分ほどで拾われた。拾ってくれたのは会社員のにいちゃんで、別に変な人という感じはなかった。猪苗代湖でワカサギ釣りをするのが趣味らしい。
「ヒッチハイカー拾うのは初めてなんだよね」
そう言いつつにいちゃんはエアコンを強くする。完全に茹で蛸になっていた俺は、それで息を吹き返した。俺の大学や、にいちゃんの仕事の話を聞くうちに猪苗代湖を通り過ぎて、郡山に到着する。郡山は思ってたより大きい都市で、アスファルトで暑そうな感じがした。にいちゃんによれば、気温は35度らしい。なぜ俺が来る時に限って暑くなるのか。ゆずの歌に身を任せて揺られていると、車は住宅街へと入っていく。すぐにアパートの前に到着した。
「ちょっと待っててね」
そう言ってにいちゃんは自分の部屋に入っていった。どうしたのだろう、といぶかっていると、すぐににいちゃんは出てきた。
「野宿するんでしょ?寒くなるだろうからこれ持っていくといいよ」
そう言って、長袖の服をくれた。俺はその服をキュッと抱きしめて、この出会いに感謝していた。
その後にいちゃんは近くのICまで送ってくれた上に、おにぎりとアメも買ってくれた。何度目かわからない感謝の言葉を述べながら、にいちゃんを見送った。
暗転
意気揚々と、ヒッチハイクを再開する。羞恥心は少し軽減されていた。ここは交通量も多いし、すぐに拾ってくれる人が来るはずだ…そう思っていた。
おかしい。一時間待っても、拾ってくれる人は現れない。いやおかしいのは俺ではあるけれど。炎天下のため、立っているだけで体力もどんどん奪われていく。何か行動しないと。そう思い、とりあえず郡山より南のICを目指すことにした。北のICだと東京方面に行く車は少ないと踏んだからだ。
汗を拭いながら、歩き出した。
そうは言っても暑すぎて4キロほど歩いてへばってしまう。これは無理だ、そう判断して親指を立てると、なんと30秒くらいでアルファードが止まってくれた。
「郡山南まで送るよ」
とてもありがたい。福島第一などの話をしていると、すぐにICに到着する。しかしここでは拾われないと判断してくれたのか、一番近くの安積SAまで送ってくれた。
日はすでに暮れかけている。辺りを見回しても、車はまばらだった。ここでは拾ってくれる人も少ないだろう、そう判断して直接声をかけてみる手段に移行することにした。
話しかけ始めて一時間、そろそろ精神的にキツくなってきた頃、二人組のおっちゃんに声をかける。
「ああ、でも俺らすぐそこの白河で降りるんだよね。その間にSAないしなあ」
ああ、やはりダメか。お礼を言った後に立ち去ろうとすると、おっちゃんは俺を呼び止め、相方に声をかけた。
「ちょっと那須高原まで行きたくなったんだけど、寄り道していい?」
タバコの臭いに顔をしかめながら、後部座席に身を預ける。正直かなりきつい一日だったが、貴重な体験をしているという実感はあった。そう、俺の憧れる沢木耕太郎や石田ゆうすけのような。
初めての野宿
那須高原SAでおっちゃんたちを見送り、辺りを見回してみる。ここはかなり大きいSAで、この時間帯でも車はまだ多くいる。今日後一回くらいは拾ってもらえるかも、そう信じてまた声をかけ始めた。
約二時間、絶え間なく声をかけ続け、好感触な人は何人もいたが拾ってもらえることはなかった。十二時になってようやく諦めがつき、ベンチで寝ることにする。キャンプは何度もしたことはあるが、野宿は初めてだ。寝転がってみると意外と肌寒い。にいちゃんにもらった服を着込んで寝っ転がると、眠りはすぐそこだった。
波乱の二日目
躍進の午前
太陽光が目に差し込み、強制的に覚醒させられる。時計を見ると、四時間半しか寝ていない。かといってこれ以上寝れる気もしなかったので、ヒッチハイクを開始することにした。
初めは快適だったのだが、すぐに日差しがじっくりと背中を焼いてゆく。一向に拾ってくれる人は現れず、ベンチでふて寝したりもした。
親指立て始めて三時間ほど、ようやくエスティマが目の前に止まってくれた。
「これから東京帰るんや」
そう言っておっちゃんは鼻をすんすんと鳴らした。
「今まで何人かハイカー拾ったが、みんな汗くせえなあ!」
申し訳ない。昨日は汗を大量にかいた上に風呂に入っていないのだ。そりゃあ、こんな薄汚いやつを拾う人なんて滅多にいないだろう。
おっちゃんは仕事で東京と福島を往復しているらしく、たまたま昨日に仕事が終わったため今日早く帰れるようになったようだ。幸運に感謝しつつ、もらった汗拭きシートで体を拭く。綺麗になったとは言えないが、ある程度はスッキリできた。
「タバコ吸ってもええか」とおっちゃんに聞かれ、まあ断るのも申し訳ないよなと思い「いいですよ」と答える。間も無くして肺に溜まる臭いが車内に充満し始めた。
目立った渋滞もなく、車は快調に飛ばしてゆく。あれよあれよと栃木県、埼玉県を通り過ぎてついに東京に到着した。首都高の訳のわからない道に辟易しながら降りる準備を始める。タバコの臭いは、もう気にならなくなっていた。
「それじゃあ、頑張ってな。向こうが上野だから」
おっちゃんに深々と頭を下げて、歩き出す。とりあえず家に帰りたかったが鍵は京都だ。幸い友人の家が近くにあるため、そちらにお邪魔させてもらうことにする。
炎天下の中二時間ほど歩き、友人宅へと到着した。待ち望んでいたシャワーを浴びて、洗濯とスマホの充電もしてもらう。将棋を相手飛車角落ちで指してボロ負けした後に、お礼を言って近くのICへと向かう。交通量は多いためすぐに拾ってくれる人が現れるだろう、そう思っていた。
重大な見落とし
友人の柔軟剤のおかげでいい匂いのするようになった服を着て、西神田ICでヒッチハイクを続ける。しかし待てど暮らせど、一向に拾われない。色々考えているうちに気づく。東京は高速が環状に走っているから、京都方面に行く車の割合が低くなっているのではないか。そう分かっても何か対応策を打ち出せるわけもなく、ただ立ち続ける。米津のアルバム曲二枚分くらい口ずさんだ後に、不意にあることに気がついた。
今日は日曜、そして火曜十二時提出の課題がある。パソコンは京都。そして今までふぬけていたため、その課題を出さなければ、落単する。
仏:友人とその母
かといってやはり、何か対応策を打ち出せるわけもない。どこにも行けないまま五時間、東京の友人からLINEが届いた。
「たまたま通りかかったうちの車が支援するのは可能?」
ルール的にグレーゾーンではある。しかし、今は友人に縋るしかなかった。
三〇分ほど経って、乗車する。友達とその親が出迎えてくれた。閉鎖空間に入り、えもいえぬ安心感に包まれる。どうやらかなり大きいSA、海老名SAまで送ってくれるようだ。
「お腹減ってるでしょ、これ」
一本満足バーを頬張りつつ、レースのことや大学のことについて話していると、今回の代償として来年もレースに参加することになってしまった。どうして。
すぐに海老名SAに到着する。見渡した感じ、那須塩原よりも大きそうだった。
「足柄とか、岡崎とかが大きいSAだからそこらへんで降りるのがいいかもね。じゃあ、私たちはここから見とくから」
非常にやめていただきたいが、乗せてもらった手前拒否するのは忍びない。気合を入れて、通りかかった人に声をかける。
「あの、すみません」
「いえ、結構です」
かなり、強い口調で言い返される。こちらが不躾なお願いをしていることはわかってはいるのだが、心臓がキュッと窄み、背中を氷が滑り落ちる感覚があった。友人達に見られていることも相まって、思わずトイレに駆け込んだ。
しばし深呼吸したのち、道路脇で名古屋方面と書かれたノートを掲げることにした。こちらの方が、精神的負担は少ない。
なんと十五分後、声をかけられる。「名古屋までなら行けるよ」
「ありがとうございます、じゃあ、岡崎SAまでお願いします」
親子の運転する車に、意気揚々と乗り込んだ。
深夜特急
今日は那須塩原から岡崎まで進むことができた。もしかしたら、明日の午前に到着できるかもしれない。
「うなぎパイあげるよ。で、そのレースは一番早く帰った人が勝ちなの?」
父親の方に尋ねられる。レースの概要を、記憶から引っ張り出した。
「いえ、一番面白かった人が勝ちです」
「へえー、それじゃあ、今から面白い話するたびにうなぎパイ一個あげるよ」
やめていただきたい。
苦闘の末5個パイをゲットし、満足して寝ようとする。助手席の息子はすでに寝ているようだ。睡眠不足だからすぐに寝れるはず、そう思ったが、なぜか一睡もできなかった。
「あれ、岡崎SAないじゃん」
ふと、運転席から声がかかる。交通情報を見たときはあったはずだが。
「じゃあ次のSAで降ろしてください」
そのときはまあ大丈夫だろうと、軽く考えていた。
しばらくして、豊田上郷SAという場所で降ろされる。時刻は午前二時、車もほぼいない。さっさと眠れそうな場所を探して、米津のUndercoverを聴いて眠りについた。
三日目
停滞
午前五時、昨日と同じく目が冴えてきた。うなぎパイを必死に頬張って、ヒッチハイクを再開した。社用車が多いため、かなりここで留まることになるかもしれない。そう覚悟はしていた。
六時 眠くなり、ベンチで三十分ほど寝る
八時 社用車が多くなり、半ば諦めつつ脇に立ち続ける
十時 空腹に耐えきれず、予備の金でファミチキを頬張る
十二時 精神がおかしくなり始める。ここから電車で帰れることを知り、
諦めようとする。
どうしてこんなしょうもないことをしているのか。腹が減り、思考がネガティブになってゆく。脳への栄養が足りてないだけで気分が落ち込んでゆくのは不思議なことだった。さっさと諦めたらいいではないか、と。
なんとはなしに、Twitterを開いてみる。友人に頼まれ実況していたツイートに、あるリプがついていた。どうやら俺は東名高速道路にいるらしく、京都方面に行く車はないらしい。今から逆方面のSAに移動し、新東名道路の岡崎か刈谷に行けば拾われるのでは、とのこと。
岡崎か刈谷なら近いし、すぐ拾ってくれればまだチャンスはあるのではないか。力が湧き上がってくるのを感じる。さっきまであんなにネガティブになっていたのに、すぐに元気になるのもまた、不思議なことだ。エネルギーの足りない体で、それでも走り出した。
諦め
上りのSAに移動して、ヒッチハイクを再開した。指を差して笑ってくる若者も、不審な目を向けつつ通り過ぎてゆくパトカーも気にならなくなっていた。いや後者は気にした方がいいのかもしれないが。移動して三十分もしないうちに、耳に訛りのある声が届いた。「岡崎?近いね、乗るといいよ」
乗せてくれたのは親子で、親がブラジル出身、息子は沖縄の大学生らしい。今日は平日なのになぜこんなところにいるのか。俺が言えたセリフではないけれども。
「俺もブラジルでヒッチハイクしたことあるよ。トラックの上に自転車載せてもらったもんだ」
よくわからない思い出話を聞かされながら、買ってもらったサンドイッチを頬張る。なぜか高速を降りて道に迷ったりしながらも、すぐに岡崎SAについた。岡崎SAは今まで通ったSAの中でもトップクラスに大きいように感じる。ここならまだ、希望はあるかもしれない。意気揚々と、京都方面と書かれたノートを掲げた。
二時間後、不意に後ろから声をかけられた。
「にいちゃん、どこまで行くの」
ついに来た、そう早とちりして、勢いよく振り返る。
「京都までです」
「そうかあ、乗せてあげたいけど俺ここで降りるからダメなんだ。あとね、京都に行く人らはここでは休まないね」
この人は何を言っているのか。言っていることがすぐには飲み込めない。
「トラックだったら、まだチャンスあるかもね」
何が何だかわからないまま、トラックが拾ってくれそうな場所に移動する。ここでダメなら、今日のペースから判断するに明日の午前に帰ることは叶わない。お願いします、そう念じて、ノートを掲げ続けた。
小雨の降りしきる中、十五分程度が経過した。視界の隅から、警備員がこちらに近づいてくる。嫌な予感がして、咄嗟に目を逸らす。が、もちろん意味などなかった。
「ここは危ないから、別のところでやってね」
ここは、うろつき回った結果一番いいと思った場所だ。ここ以外ではトラックに拾われることはないだろう。ということはつまり、俺はもう帰れないということじゃないか。落単、確定だ。
人間万事
そう思うと、気が楽になった気がした。もういいじゃないか、ゆっくり帰ろう。再び一般車目当てにヒッチハイクを始める。天は俺を嘲笑っているのか、五分ほどで目の前に車が止まった。諦めたらツキが回ってくるなんてひどいじゃないか。
「刈谷までならいいよ」
夫婦に後部座席へ案内され、深くシートに腰掛ける。ピュレグミを食べつつもう慣れてしまったヒッチレースの話をすると、こう返された。
「一番面白い人が優勝ならさ、今から身包み剥がしてほっぽり出してあげようか」
一瞬ヒヤリとしたが、すぐに冗談ということがわかる。絶望している人間にそんなことを言うのはやめていただきたい。
刈谷まではそれほど時間はかからない。自分が環境問題に取り組む学部に行こうと考えていると言うと、そこから環境の話になった。夫の方はかなり関心があるらしく、話は弾んでゆく。まだ話し足りないまま、刈谷SAに到着した。
「そういえば充電大丈夫?」
「あ、もうぎりぎりです」
「ちょっとでも充電しとけばよかったねー、それじゃあ、これで充電器でも買って」
そう言ってなんとはなしに一万円札を渡してくれた。一瞬呆然とする。
「え、いや悪いですしこんなになくても買えますよ」
「いやいいんだよ、研究頑張ってってことで」
もう俺は受け取るしかなかった。SAで充電器を探すが、あいにく売ってはないようだ。とりあえず拾ってもらおうと、レースを再開しようとするが、そこで気づく。急いで息も絶え絶えの携帯で運営に電話した。
「お金もらったんですけど、このお金使って公共交通機関で帰るのはルール的にどうでしょうか」
「あ、オッケーです、おめでとうございます」
思わずガッツポーズする。さらに都合のいいことに、ここは歩いて出られるSAだ。迷わずに走り出した。
通行人に道を尋ねながら、(たぶん)最寄駅の豊明駅に到着する。6キロほどあった気がするが、今はどうでもよかった。名古屋駅で乗り換えて、新快速で京都へと向かう。今まで待っていた時間に比べたら、なんの苦にもならない。車窓に映る夜景はひどく美しかった。
ヒッチハイカーの誕生
京都に着いて、しばし考える。このまま歩いて帰るか、ヒッチハイクするか。正直もうヒッチハイクなどしたくなかった。睡眠不足のせいか、足に疲労が溜まっているがもう気にはしない。二条まで歩いて、そこから走り出した。
寮では友人が待機しているはずだ。あいつに騙されて参加したこの企画だが、なんだかんだいろんなことを学べた。最初は殴ってやろうかと思っていたが、今は感謝したい。遠くに友人を見つけ、駆け寄って言う。
「ただいま」
後日談
友人宅で課題をやり遂げ爆睡した後、昼過ぎに起床する。その時に食べたラーメンの味を俺は忘れることはないだろう。
そして友人は俺を騙したわけではなく、本当にヒッチレースではなくエクストリーム帰寮だと思っていたらしい。来年はこいつも参加すべきだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?