見出し画像

今のこんなダサいわたしを写真で残したいと思った。

7月終わり。コロナで自分の思うように進まない毎日と、今までではあり得なかったほどの時間を持て余した約3か月。25歳の誕生日を経て、(暇すぎて)写真を見返してはため息をつく毎日。

突如、「いまのわたしを写真に残したい」と思い立った。と同時に、最近目を引く写真を撮ってる大好きな後輩にLINEを送った。

画像1

思ったらすぐ動く。わたしの良いところ。結婚式という業界柄、そしてWEBマガジンを運営していた過去も相まって、写真を撮る人が周りにたくさんいる。でもその中でも彼にお願いしようと思ったのには、ちゃあんと理由がある。
ガンガン生きてる!ってわたしを、いい距離感で知っていたからだ。

周りを引っ張って、まっすぐ一生懸命に必死に生きてた自分。今となってはそんなことすらできないどころか、どこに進めばいいかわからず迷いながら、誰かに呆れられながら、動けない自分に苛立ちながら、それでも進めない残念すぎるダサい自分。でもそんな自分であるにもかかわらず、自分で自分でを諦めたくないとも思っていて。そんな葛藤の中のわたしを、過去とのギャップも含めて残したかった。それには、ともに挑んできた仲間より、依頼をする関係の方より、プロカメラマンより、学びはじめた後輩がいいと直感的に思った。

最初、「東京を離れるかもしれない」というわたしの言葉に、5年間インターンをしていた株式会社CRAZYのオフィスでの撮影を提案された。

画像2

ちょうど、オフィス移転する話を聞いていたので、きっとCRAZYでもよかった。でも、わたしのイメージは、いろんな人がいて色んな考え方の中で、雑多に混じってる、そんな写真。その雑踏の中で揉まれてる感じ。

今思うと、CRAZYでもよかったかもしれない。何より大好きだった場所。そこを卒業したわたしと、これまでのCRAZYとその変化も含めて表現するにはうってつけだったかもしれない。でも、そのときのわたしは

「CRAZYはキレイすぎる。」

と思った。言葉にするのが難しい。でも、CRAZYではない。それがわたしの感覚だった。

そのあと電話をしてもらってイメージを伝えて、場所は渋谷・代官山に決まった。

もう一生この表情はできない

「もうこんな風に笑えないな」となんとなく見返してて思った写真。この写真と再会したことが写真撮ってもらうことをお願いする大きなきっかけとなった。

画像3

当時の彼が、はじめての旅行の時に撮ってくれた写真。
もちろんと言ってはなんだが、今でも当時の彼のことを大切な人だと思ってる。引きずってるなんて言葉では収まらない。彼には本当に大切にしてもらった。こんなことをnoteに書くのもどうかと思うが、本当に大好きで仕方なかった人。でも、彼といた時のわたしは、彼に寄りかかりすぎていたのかもしれないなとも思う。こんなに安心しきった、愛されてるってわかってる、1人で立てない弱さを感じる写真。今のわたしから見ると、当時20才のわたしは、弱さと同時に女の子であることを武器にしてるある種の強さも感じるのだ。迷いがない。真っ直ぐな愛情。

この写真の日から色んなことがあった。喧嘩もたくさんしたし、別れ話も1度や2度じゃなかった。でも嬉しいこともつらいことも全部共有して過ごした約2年間のおかげで、わたしは彼なしでは生きていけなくなっていた。1人では立てなかった。そして突然来たお別れに、わたしはただただ強くなるしかなかった。

そんな昔のわたしの写真を見て、

表情が変わった(いい意味でも悪い意味でも)。
もうこんな風には笑えない。

そう思って、なんだか自分のすべてがダメになってしまったように感じていた。

今の自分の顔もとっても大好きだ

今の自分は劣ってるみたいな気持ちを持ったまま迎えた当日。朝、少し前に書いたnoteも読んでもらって、できるだけ"今の"思いを伝えた。

撮影はとにかく楽しくて、だんだん感情を出せるようになった。その過程も含めて本当にいい時間を過ごさせてもらった。

そうして出来上がった写真。







画像4

画像5

画像6

画像7

悲しそうな顔も、つらそうな顔も、間違いなく今の私だし、この表情たちが撮れるだろうと思って頼んでた。
でも、やっぱり、全データを見て思ったのは、安心して笑ってる自分が好きだということ。

画像8

画像9

5年前とはたしかに変わった。でも、今のこの笑顔も、これまでの色んな出来事を受け入れて進んできた今の私にしか出せない笑顔で、いい笑顔だ。

もう一つ意図してなかったいいことが起こった。
今まで意外と無頓着だった大橋優奈という存在を第三者的な目で認知することができたのだ。写真という媒体を通して、自分で好きじゃないところやコンプレックスかもしれないと思えるところを明確に自覚できた。インカメだと(あんまりしないけど)、無意識に自分の好きな角度で写ろうとするし、嫌いな部分は隠れるように写る。むくんだ顔もぽちゃっとした二の腕も、口を閉じて笑えないところもなんとなく嫌だなぁという気持ちはあったけれど、その気持ちを自覚してちゃんと見ることでなぜか愛おしく今のわたし!と受け入れられた。

思いつきの撮影。好きなところも好きじゃないところも見えた時間。撮影前から、撮影中、写真が届くまでの時間、そしてこうやって言葉に変えて残すことも含めて、いい体験をつくることができました。

葛藤や虚しさや悲しさや絶望、そして希望を含めたこんなにも複雑に絡み合う感情たちを丁寧に掬ってもらって写真に収めてくれた友人に感謝してます。本当にありがとう。

画像10

photo by @tact.photo

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?