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「友達」を失うということ

13年。長すぎる友人関係だった。

中学の時、彼からの好意を知っていながらに当時の彼氏に夢中だった私は、都合よく気付かぬふりをしながら、なんなら好意を向けられていることに嬉しさを抱えながら、「友達」と言い張りやり過ごした記憶がある。残っていたメールには、「好きな人は大橋」と言われてるのにも関わらず、他の人の名前を無理矢理に言わせていた。そんなのは中学の話だけれど。
そんな関係が変わったのは高校生になってから。彼の当時付き合ってた彼女からmixiでとつぜんメッセージがきて、喧嘩腰に「彼はあなたのことが好きだったからこんなこと書かないで」と、当時流行ってた紹介文の内容を怒られたことがあった。この時初めてちゃんと彼の気持ちを聞いた。本人からじゃないけれど。その怒られた紹介文の内容は「地元で一番の推しメン」。そりゃあ怒られる。当時はその怒りも理解できず、こちらも喧嘩腰に戦ったことをよく覚えている。ただ、それがきっかけに、友達だと確かめ合うように連絡をよく取るようになった。

その後お互いに別れた私たちは、またしても私の都合で花火大会に行くことになる。今だから正直に言う。告白され待ちだった。だけど、彼は告白はしてくれなかった。その頃、私のアルバイト終わりに家まで来てくれては、公園で1時間くらい話して帰る、そんな日々が続いていた。彼がどう思ってくれていたか本当のところは知らない。だけど、好きだったし好かれていると思っていた。
いつだか満を辞して伝えた「好き」という言葉に、なぜかお断りの言葉が返ってきた。そこからなんとなく気まずくなって連絡することがなくなり、大学生になり、成人式を迎えた。彼は成人式にはこなかったが、その頃には、彼のことを「付き合えなかった忘れられぬ人」とでも呼び始めていた。好きとは言わず大切だと言い、付き合えなくて後悔してる人と呼んだ。私の周りには彼のことを大絶賛する人が多く、「大橋には勿体無い」とか「どうせ付き合えないよ」みたいな言葉をもらうことが多かった。それでも私の中では、変わらず、私のことを好きだった人だし、私を認めてくれている理解者だった。そして、また連絡を取り合うようになる。きっかけは忘れたけど、お誕生日にプレゼントを渡しあったり、半年に一回くらい会うような関係になっていった。
最寄駅から逆方向の家なのにいつも私のお家まで送ってくれる優しい人だった。隣にいると安心する、なんでも話せる唯一無二の友達だった。


さあ、こんな私の恋愛をここに書いてどうなるのか?(笑)
私にもわからないけど、タイトルの通り、そんな彼を「失った」のだ。私にとっては大事件。それを吐き出したかったし、やっと手放せた私の戯言だ。さて、続きを話す。

仮面浪人した彼の卒業と、休学して大学を辞めた私の就職タイミングがなんとなく近かった。その時はコロナ真っ只中で、たまに連絡するような仲は続いていて、本当に他愛もない会話をする昔からの異性の「友達」として成り立っていた。
2年前、彼の配属先が決まった。福岡だった。「遊びに行くね」と言い、「来る来る詐欺だ」と言われ、本当に遊びに行った。そしてなぜか私も移住を決めたのである。その頃就職も決まらず、ずっと立ち止まっている気がしてモヤモヤしていた。動き出さないと今のまま変わらない、それが嫌だったし、彼が近くにいるなら大丈夫そうなんて勝手に思ってた。

結局私は、福岡ではなく五島に移住をする。

ただ、この移住が彼との距離を縮める大きすぎるきっかけになった。私が五島に移住してからは、過去にないほど一緒に遊ぶ機会が増えた。友達という名に甘んじてよく会っていたと思う。ライブに行ったり、映画や遊びに行ったり、飲みに行ったり、お家で飲んで泊まったり。海辺を散歩したり、洋服を買いに行ったり。帰りにコーヒー片手に話したり、パピコを半分ずっこで食べたり。仕事をする隣で好きな本を読んで待ってみたり、得意じゃないお酒を飲んで床で寝落ちしちゃったり、くだらないテレビを見て笑ったり、夜の大濠公園を自転車で走ってみたり。マカロニえんぴつのオススメの曲を流しあったり。それ以上でも以下でもない、けど友達とはちょっと違う幸せな日々だった。絶妙なバランスで成り立っている友情だった。

彼には彼女がいた。だから一応気を使っているつもりだった。一線だけは超えないようにと。

だけど、そんな関係とは裏腹にこの人と一緒にいたいと思う日が増えた。いつ伝えようか迷った。中学や高校や大学の時とは違う。言い出したらもう終わってしまう。そんな葛藤だけ本当にいつもいつもいつも考えていた。だって、これまで重ねてきた友人関係をそんなに簡単には手放せなかった。でも、12年、13年と、言えない日々が続くだけ友達の期間が伸びてしまう。この手を離すのが今よりももっときっと怖くなる。そんなことを考えていた。

そんな時、予定を立てて五島に遊びにきてくれた。一緒にいる時間は本当に楽しくて、今の話も昔の話も、話せば話すだけやっぱり心地よくて。ドライブ中の選曲だって「マカえんがいいんでしょ?」って見透かされたような言葉にキュンとだってした。
その帰りに、きっと一生後悔すると思って、2度目の告白をした。その時彼は長く付き合っていた彼女と別れたばかりで、「別れたばかりだから」と断られた。悲しかった。こんなにも悩んで震えながら伝えた告白の返事が、私との何かではなかったし、私のことをどう思ってるかではなかったから。それでも「ちゃんと考えてほしい」と伝えた。「ちゃんと考えるから返信待ってほしい」と言われた。
彼の誠実な言葉に私はいい子に待ってみたりした。待ってるのが大人だと、彼も悩んで考えてくれているのだと、それくらい大切な存在だと思われていると信じていた。
あれから1年。一度も返事がない。こんなはずじゃなかったと未だに思うし、私が一番恐れていた本当のサヨナラだった。

いつだって背中を押してくれる人だった。少し怖い挑戦も、本当はやってみたいと思ったことも、勇気のいる選択も。好きな本も好きなアーティストも共有して、新曲が出たら「良いよね〜」と共感して。知らない世界を教え合うような人だった。特別喋らなくても、別々のことをしていて隣にいるだけでも、それでよかった。それがとてつもなく心地よかった。突拍子のないことも恋愛のことも否定せずに聞いてくれては、いつも「いいね」、「やろう」「行こう」と二つ返事で返してくれて、付き合ってくれて、笑ってくれる彼に何度も救われてきた。そんな心地良さや彼の優しさにちゃんと気づいたのは移住してきてからの最近だった。
より仲良くなってから知った彼は好奇心が旺盛で、九州バイク1周旅やトライアスロンチャレンジや、突然やり始めた釣りとか、バンドのことや筋トレやサウナの話、会うたびにいろんな話を教えてくれて、いつも刺激をもらっていた。そんな彼の言う「大橋のこと尊敬してる」という言葉に、いつも支えてもらっていたんだと思う。
前向きであったかくて優しくて穏やかで、それでいて物怖じせず進んでいける強さに、たまにお茶目で身軽にどこへでも行ってしまいそうな手の届かなさに、きっととても惹かれていた。
失いたくなかったけど、それ以上に近づきたいと思ってしまった。大好きだった。きっと、ずっと。

この1年、いや、この2年。いやいや、この13年間、何度も何度も何度も願ったことがある。ずっと一緒にいられますようにー。
正直、恋人じゃなくてもよくて、だけどただの友達じゃないもっと違う関係性を望んでいた。でもこれまですれ違ってきたと思ってる私にとっては、彼女と別れて私が近くにいる今しか関係性を更新できないんじゃないかと思っていて、焦っていて。
でも、本当に、ただ、ただ、一緒に居たかった。今更、付き合ったとしても付き合いたての恋人みたいな関係になることはないと思ってたし、なんなら結婚とか、パートナーみたいな、そんな、そういう関係になりたかった。それが似合ってるなんて勝手に、本当に勝手に思っていたんだ。

だけど、13年間、ずっと夢見ていた恋人にも、望んでいた「ずっと一緒に」の願いも、叶わなかった。

人生のフェーズも、大切にしたいものの価値観も、私が望んでいるよりも違っていて、きっともう会えないのかもしれないなと思うと、ふと思い出して悩み込んでしまう自分が突然許せなくなってしまった。
全部のSNSから削除した。それが今の私に唯一できる悲しみを減らす最善策だと思った。彼との関係性に、彼の優しさに、甘えてしまっていた私の唯一できるケジメ。私からは連絡しない。彼が何をしているか気にしない。来ない連絡に期待しない。彼を傷つけるような、悩ませるようなことはしたくない。いつもの私だったら、「なんで?」「知りたい」「納得したい」と相手の気持ちなんて二の次で突っ走ってしまうのだけど、彼だけは、最後くらいは大切にしたい。

マカロニえんぴつの「なんでもないよ、」を聴きながら、書き上げた私の久しぶりの1記事。今、この気持ちをどこかに置いていかないと、一生彼を思い出しながら生きていくことになるんじゃないかって怖くなった。事実と思いは違うから、彼が本当は何を思っていたか私は今でもわからない。でも、歌詞の通り、会いたいとか離さないから離れないでとかそんなんじゃなくて、そんなもんじゃなくて。君といる時の私が好きでした。そんな私を笑ってくれる彼が大好きでした。
この記事が彼に届くことはないのだけど、いつかどこかで私の思いを知ってくれたら嬉しいななんて、最後の期待を胸に秘めて。
大好きな旧友、どうか幸せでいて。


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