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【女子学生へ】「ノブレス・オブリージュ」ドーピングへの警鐘

 平成最後の東京大学入学式の祝辞が話題になっていますね!
 私がいた頃よりも母校は確実に前を進んでいて、それが卒業生として何より嬉しいです。
 上野千鶴子先生の祝辞を読んで、ツイッターにもいろいろ呟いたんですが、文章できちんと書きたいなと思ったのでnoteにも書きます。伝えたい内容としてはこの連ツイやこの連ツイと同じです。

 上野千鶴子先生の祝辞は、東大の学生のうち、特にマジョリティである男子学生向けだと感じました。
 私は、2割しかいない東大の女子学生に向けて、少し補足をしたいのです。
 ちょっとだけ自己紹介すると、地方公立からガリガリ勉強して東大文系に入学、某官公庁に就職した後民間に転職して、そろそろ好きなことやろっかと人生の転換はかってる社会人5-6年目の元東大女子です。


 初めに、私はこの祝辞を超肯定的に受け止めた派です。
 自分自身のことを振り返っても、新入生の時、私は「東大に入ったのは自分の努力のおかげ」「がんばったら報われる」と大なり小なり思っていました(それを大学を卒業する頃になっても同じように考えていたのはどうしようもなく私の愚かさなのだけれど、ここでは割愛)。
 だからこそ、入学式の段階でこうやってガツンと言われた今年の新入生が羨ましい。反発を覚えたのだとしたら、どうか冷笑的にならずに、4年間かけてその意味を考えてほしい。
 受験戦争って超苛烈だよね。一日10時間20時間勉強するのなんてなんかもう当たり前だし、机の上の狭い世界に向き合ってひたすら文字と向き合わないといけないし、天才なんてゴロゴロいるし、たぶん私もう一回やれっていわれたら無理ですって断る。
 でもせっかくその苛烈な受験戦争を抜け出たのだから、一旦落ち着いて、机の上よりも広い世界に目を向けてほしい。
 きっとそこはめちゃくちゃカラフルで、えげつなくて、今までよりも楽しいはずです。

 さて、ここからが本題なんだけど、上野先生の祝辞を超肯定的に受け止めたうえで、私は少し補足したいのです。自己肯定感が低い東大生に向けて。
 自己肯定感が低い東大生って、私の周りだと女子に多いので、この記事の冒頭には「女子学生へ」とつけました。きちんと書くと「自己肯定感の低い女子及び男子学生へ」って感じです。
 一応東大女子を念頭に書くけど、よければ他の学校の子も読んでください。ただ、私は東大しか知らないから、この記事が他の学校の子にも当てはまるかは分からない。
 東大女子って自己肯定感が低い子が多いな、というのが、私の周りの狭い世界を観測していて実感したことです。
 自己肯定感って、「勉強ができる私」「努力ができる私」がすごいって気持ちではないよ。
 弱くても努力ができなくても私は私で生きてていい、っていう気持ちだよ。
 弱くてもだらしなくても誰の役に立たなくても私は生きてていいんだ、という、自己を肯定する気持ちです。「勉強ができるから私は肯定される」は自己肯定感じゃないからね。
 ちなみに18歳の頃の私は、機能不全家族とか諸々重なって、「努力しないと自分は生きていてはいけない」「社会の役に立てなければ自分は生きている価値がない」と超自然に無意識に思っていました。怖いね!


 どうして東大女子には自己肯定感が低い子が多いのだろう。
 完全に独断と偏見になりますが、1つには、上野先生が祝辞でもおっしゃっていたように

 男性の価値と成績のよさは一致しているのに、女性の価値と成績のよさとのあいだには、ねじれがあるから

 が一因だと思います。
 学力という点で大部分の男性に脅威を与えうる=社会で一般的に女子に求められる「可愛い」という価値の条件を満たしていませんから。
 あとは、勉強に全精力を注いでオシャレや恋愛経験のスキルを積んでこなかった負い目とか。
 「そんなに勉強ができるなら男の子に産まれれば良かったね」という幼い頃の親戚の言葉とか。
 そもそも、自分という存在が家庭で認められるためには、学校で良い成績をとって親にとっての「良い子」になるしかなくて、生存戦略として勉強してたら東大入っちゃったパターンとか。
 色々理由はあると思うけど、東大女子って不気味に自己肯定感が欠落してる子が多数いるな、というのが正直な私の実感です。
 「私はそうじゃない」という子はおめでとう!どうかそのまま真っ当な自己肯定感を礎に、ノブレスオブリージュを達成してください。

 で、自己肯定感が欠落している状態に、「東大生だからノブレスオブリージュを果たさなきゃ」って麻薬みたいな快感です。ドーピングです。
 だって「頑張らなければ自分には価値はない」と思って頑張って東大に入った子にとって、「東大に入ったからにはノブレスオブリージュを果たして社会に貢献しなければならない」って救いの言葉だもの。
 「自分には価値はないけれど、社会に貢献する限り、価値のない自分でも生きてていい」って思考回路に繋がるもの。
 それは、欠落した自己肯定感には向き合わないまま、ドーピングで突っ走ることです。

 突っ走ってそのまま自分に合う職場に就職できた子はいいんですよ。いや、良いのか分からないけど、ドーピングしたまま走り続けられるから。
 怖いのは、ドーピングして、自己肯定感が欠落したまま、モンスター満載の職場に就職した場合です。
 しかも怖いことに、「社会的責務が高い」「社会への影響力が大きい」とされる、社会の制度作りに関わる職場って、激務でブラックなことが多いんですよ。霞が関然り、外資系然り。
 欠落した自己肯定感をノブレスオブリージュでコーティングした人って、そういう激務ブラック系の職場を志望する傾向にあります。
 で、新卒女子だと、それに加えて「若さ」「女性」という足枷が加わります。
 どうして「若さ」「女性」が足枷になるのかはここでは割愛しますね。それこそ上野千鶴子先生の本を一冊でも二冊でも読んでくれ。
 「若さ」「女性」の生き辛さに加えて、東大生の場合、「俺が社会の厳しさを教えてやろう」系のめんどくさい上司にエンカウントする確率が結構高い。
 なんかもう書いてて嫌になってきたのでこの辺にしておきます。
 言いたいのは、ノブレスオブリージュでドーピングしたまま社会人になると、自己肯定感の欠落に付けこまれて尊厳を搾取されやすいよ、ってことです。

 自己肯定感が高ければ、ブラック企業に入っても、ハラスメントされても、理不尽な強要をされても、戦ったり逃げたりすることができます。
 「こんな職場ふざけんじゃねえ!」って怒りが湧いてきます。守るべき自分の命を第一の判断基準にして行動することができます。
 でも自己肯定感が低いと、セクハラやパワハラやその他諸々の尊厳の殺人に直面した時に、戦ったり逃げることができません。


 自己肯定感が低いから「私の努力が足りない」「うまくかわせない私が悪い」と自分を責めて、
 ノブレスオブリージュドーピングがそれに輪をかけて「社会に貢献できないなんて自分はダメな人間だ」と自分を責めて、
 なんかもう心から吹き出しつつける血にも気づかないまま、逃げることもできずに、ボロボロになっちゃう。 

 だから私は、自己肯定感が欠落したまま東大生になってしまった貴方に、ノブレスオブリージュより先に自己肯定感の回復をお勧めしたいです。社会に出る前に、ぜひ。
 大学内にあるカウンセリングを利用するのも良いし、自分で本を読むのもお勧めです。
 私が読んだ本だと、こういった本でまず自分の認知が歪んでないかチェックするのも手っ取り早いです。

 読んでないけど、書評みた感じこの本も結構よさそうでした。

 買わなくてもいいから。前者は駒場図書館に蔵書あったし、後者も検索したら東京23区の公立図書館にいくつかあったから。大学生活お金かかるよね、買わなくていいから。
 ネットだと自己肯定感系って情報が玉石混交なので、できたら本を1冊手に取ってみるのがお勧めです。図書館を有効活用してください。


 ここまで書いておいてあれだけど、大人の端くれとしては、東大生かどうかに関わらず、学生さんにノブレスオブリージュの重荷を負わせたくないという気持ちが正直なところです。甘いかな。どうだろう。
 社会に出たら、お金持ってる大人も、スキル持ってる大人も、酸いも甘いもかみ分けた経験のある大人が山ほどいて、まず学生よりも私たち大人自身がノブレスオブリージュの言葉を辞書で調べるべきでは、って正直思います。
 まあでも学生さんもいつか大人になるんだから、若いうちから種をまくのも大事なのかな。ごめんここはまだ頭が整理できてないです。
 ただ、ノブレスオブリージュって大事だけど、大事だけど、あんまり思いつめすぎないでねって言いたい。
 社会に出て、それなりに貯金ができて、何かしら仕事上のスキルや経験を身につけて、セクハラやパワハラに合ったらその場で「ふざけんな!」って言い返せて、そのぐらいになってから真剣に考えるので十分だと思うよ。ノブレスオブリージュなんて。

 私は、自分自身も友達も、割と自己肯定感が欠落したまま、ノブレスオブリージュで心をドーピングして激務の職場について、心と身体がボロボロになったクチで、
 私はたまたまラッキーだったからぎりぎりのとこで逃げて今生きているけど、友達のなかには亡くなってしまった子もいて、
 もう「社会のために頑張んないと」「皆のために頑張んないと」ってボロボロになっていく若い子を見たくないんです。

 ていうか、東大を出ただけで、勉強ができるだけで、「私は恵まれない人々を助けることができる」と考えることもまた、東大生の傲慢だと思うのです。
 恵まれない人々を助けるためには、まず自分の足場をしっかり固めることが必要で、つまり安定した自己肯定感を手に入れて、仕事のスキルを磨いて、まずそれからってことです。


 ここまでいろいろ書いたけど、きっと東大生の大半は「自己肯定感があって」「自分は能力が優れていて」「勉強ができない人は努力が足りなくて」「これからも勝ち抜いていこう」と考えている人が多数派なんだと思います。
 だから上野千鶴子先生の祝辞に反発する学生も多くて、その時点で上野先生の祝辞は大成功だと思います。
 ただ私は、東大生の中だと少数派かもしれない、「自己肯定感が低くて」「自分には社会に貢献する義務があり」「その義務を果たせないと自分には価値がない」と考えている学生に対して、警鐘を鳴らしておきたかった。
 たまたま私の周りにはその少数派の方が多くて、そのほとんどは女子だったから。


 上野千鶴子先生と、上野先生に祝辞を任せた東京大学に喝采を送って筆をおこうと思います。当ったり前のことしか言ってないけどね!
 早くこの祝辞が話題にもならない、当たり前のこととして受け止められる社会が到来しますように。

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