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包み隠したいのなら最期迄

 皆、どうして〝本当の自分〟とやらに拘るのだろうか。何故其の〝本当の自分〟を見せられる相手や環境を欲するのだろうか。僕は隠し事や世辞の類、愛想笑いがあまり得意でない。したがって、此方が振り撒く態度は何をも隠しておらず、人間関係を過剰に乱すような言動を少々気を付けて避ける試みを続けている程度のもの。昔からこうであるからして、周囲の〝本当の自分を見せられる対象が欲しい〟との願望を見聞きする場面では疑問符が並ぶばかりだ。

 憶測の域は出ないが、屹度其の人達の深層には意地悪な性根が存在していたり、他者否定や攻撃的な念が秘められていたりするのであろう。誰かに嫌われる事を恐れて。誰かに噛み付かれる事を恐れて。そう云った意識から胸の一部に自生する毒花をひた隠しに生きているのかもしれない。

 然し此の理屈で話を進めるのならば、毒の存在を明かせる対象を探さずとも、最後まで人畜無害な己を演じ切るでもよいのではなかろうか。そう振る舞う水面下で胸中の消毒を進めてゆき、さっぱりと其れを消滅させるとはゆかずとも、独りで背負い続けるにも苦難を伴わない所迄軽減させてやれるのではなかろうか。弱い面、捻くれた面、理不尽に攻撃的な面。僕だって抱えていないといえば虚偽に成る。けれど僕は所謂〝カッコつけ〟であるから、極力表には出したくないし、ましてや是等を誰かに明かしたり、他者と共有したいとの望みは皆無。残念ながら僕は己の経験に基づいた主観でしか物事を見られず、共感能力も著しく低い。なので本当の自分とやらを許されたいとの気を持す人達の意を知れど、真の理解や其処に潜む感情への想像は上手くいかないであろうと思う。

 だからこそ述べられる事なのだが、善人の仮面を被った顔しか知られていない状態であるなら大きな難には座礁しないのではなかろうか。此方も善、友人知人も善。例え表面上であれ、事が穏便に運ぶのなら其れが人間関係の最適解にほど近い物ではなかろうか。尚も意地悪な顔を抑圧する事が苦しいのであれば、自縛など早々に解いてやり、普段より気儘に思う儘に振舞っていてもよいのではなかろうか。この選択を取ったなら敵対視を向けてくる者も存在するだろう。然し同時に、〝本当の自分〟を見た上で愛してくれる掛け替えのない存在に出会い、其の人達と良好な関係を築いてゆけるのではないだろうか。毎度の事ながら是等総ては僕の主観だ。其々に複雑な思いがあって素顔を隠し、善と成れる化粧を施して日々をすり抜ける者が大半であろうとも思う。此の記事で誰かの心を改めさせようとの心算なぞ欠片程も添える気はない。各々、自分の性質に最も合った、なるだけ楽な呼吸ができる人間関係を繋いでゆければ、其れに越した事は無い。


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