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ノックアウト

 N中の教務室は、エラい人が横にずらりと並ぶ4年部の雛壇とコの字方にセッティングされている3つの学年部に、1つずつ電話とマイクが設置されていた。やたらと細長いので、「鯨の寝床」なんて呼んでいた。

 朝の打ち合わせは、遥か遠くに座っている教務主任のアナウンスにより進められた。各学年部からの連絡等も、当然マイクを使って行われた。そのため進行が遅くて、次の予定時間に食い込むこともしばしばであった。

 その間は、学年所属による見回りが行われた。朝自習どころか、出鱈目のやり放題の状態が日常化していた。とにかく「座れ!」や「立ち歩くんじゃない!」と叫びつつ、各教室を巡回することになる。

 5月の連休明け。私が見回り当番の時、いつも以上にめちゃくちゃな教室を叫んでは座らせを繰り返していた時、例の5人グループの姿が見えず、いつも馴れ馴れしい男の子が「体育館の男子更衣室に入って行ったのを見ましたよ」と教えてくれた。

 ウンザリした思いで、更衣室に行ってみたら、煙の奥に5人が見えた。思わず最大ボリュームで怒鳴りつけ、体育館のフロアに出した。どいつも酒とシンナーの臭いがした。朝からラリっていることを察知した。

「ずいぶん朝早いじゃねえか」
「なんで室内でブーツなんか履いてやがる」

 バカにされたと思ったのか、1人が殴りかかって来た。軽くよけられるパンチだった。再度来たので、拳ごと手で受け止めて、思い切り押した。彼は、尻餅をついた。その時キレた。他の4人にも、火がついたようだ。そして、素早く前後左右に囲んできた。

 「汚ねえぞ!」と言ったと同時に前の2人が跳びかかって来た。東京で、チンピラ相手からケンカさせられたことを一瞬で思い出して、2人とも股間を蹴り上げた。横から来た3人目も股ぐら押さえて転がり回った。

 これで3人かと思っていたら、急に後ろから後頭部を蹴り上げられた。その一撃で意識が遠ざかっていくのがわかった。アントニオ猪木のプロレス技に「延髄斬り」というのがあったはずだ。なんて、ぼんやりとしている状態で殴られて蹴られて、どこが痛いのかも判別不能になって、仰向けにぶっ倒れた。

 革ブーツの分厚い靴底が、全体重を乗せて口に突っ込んだ時、意識が途絶えた。気がついたら、生徒玄関まで引きずって来られ、ボロ雑巾のように横たわっていた。自分の体だという感覚がなくて、おかしな気分だった。

 ワイシャツは引き裂かれ、ドス黒い血だらけで、一張羅のリクルートスーツもあちこち穴が空いていて、生地もボロボロ。そんな状態でも、明日から着る物がないなあなんて、のんびり考えていた。

 やっと起き上がると、口の中の異物に気づいた。手のひらに吐き出して初めてわかった。ブーツの靴底で前歯5本がへし折られていたことを。舌で探ってみると、前歯の上3本、下2本が無くなっていた。さすがに驚いて、じっと血まみれの歯を見つめていた。

「この仕事、まだやらねばならねえのか?」
「まだガッコの先生になって1ヶ月だよな」

 呟きながら、涙が出た。強烈な痛みが、襲って来た。次第に、体のあちこちから悲鳴を感じ出した。それでも、立ち上がった。これだけ痛めつけられても、どうやら骨は大丈夫のようだ。これは母親似だ。メガネもフレームがひん曲がりつつ、レンズは無事だった。

 そうだ、母さんとの約束を守って辞めるもんかと思い直して、やっと立ち上がった。5本の歯は、左手でしっかりと握りしめた。教務室はまだ打ち合わせ中のようだった。5人の野郎どもは、姿を消していた。

 保健室に直行した。一応傷の手当てをしてもらい、マスクを貰うつもりだった。養護教諭の先生も打ち合わせ中のようだったので、見えるところは、カットバンを貼りまくり、顔を洗った。鏡で見る自分の顔は、腫れ上がり、何度も水で洗っても火照りは治らなかった。ラジオ体操をしてみたが、あちこち痛いものの、大丈夫だと自己判断した。

 校長に呼ばれた。会話するのは、初めてだった。いつも部屋に籠りっきりで、その姿を見ることも、ほとんどなかった。何かねぎらい言葉を話したようだが、覚えていない。話した後、1万円札を2枚差し出した。

 2万円を持ったまま、教務室に戻った。そして、そのまま同じ大学の先輩に渡した。先輩は、ひどく困った顔をした。そして、しばらく考えた末、「君のお疲れ様会をしよう」と言った。嫌だとは、言えなかった。

 20代の教員が多い学校だった。先輩が言ったとおり、その晩は、飲み会が開かれた。会場は、焼肉屋だった。前歯がなのに加え、噛む動作にも痛みが走った。当の本人は、女性に囲まれて、あれこれと優しく世話をされて、気分は上々の体たらくであった。

 そして、新しい服を買おう、歯を直そうとカンパが始まり、集まったお金にあの2万円が加えられて渡された。単純に嬉しかった。何度も何度も、礼を言った。単純にありがたいと思った。しかし、酒の肴になっているのかなという疑念も少しだけ感じた。

 その夜は、肉がうまく食えないので、酒をガブ飲みした。体にダメージを受けていることもあって、自称酒豪はぶっ潰れて、アパートまで送り届けてもらったそうだ。

 1日で、2回もノックアウトされた。こんな経験は、他にはあり得ない話だ。こんな時でも心が折れなかったのは、母の教えがあるからだ。まだ小学生だった頃から、長年に渡り「心へのすり込み」を受けて来た。

「いいかい。もしも、これはと思った仕事に就けたら、簡単に辞めてはいけないぞ。歯を食いしばって、しがみつくんだぞ。」

 この一件は、余計な心配をするので、母には未だに教えていない。長年刷り込まれて来た母の教えは、私にとって「真」だった。自信をもって、人前でも堂々と、断言できる。折れない心は、健在だった。


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