トイレ学を振り返って
家を建てる時、棟梁さんから「和風にする?洋風にする?」と問われ、「和洋折衷で」と答えました。扉は、全部引き戸にしてもらいたかったからです。棟梁さんのアイディアにより、15畳の主寝室のベッドの置かない掃き出し窓の近くに、3畳の小座敷が埋め込まれました。
また、車庫の上の中2階には、床の間を備えた8畳の和室を配置してもらいました。小座敷は、ママゴトやお店屋さんごっこのスペースになり、階段数段上がってすぐの座敷は、小さい子の夜泣き避難場所として重宝しました。
それ以外は、バリアフリーのフローリングなので、開け放たれた戸をくぐり抜けて、我が子3人は、追いかけっこを満喫しました。逃げるルートはいろいろあるので、かくれんぼもできました。ドアだと危険だと判断し、オール引き戸にした、好ましい結果でした。
さて、デザインではなく機能としての和洋折衷便器はないものでしょうか。昔は、どこに行っても和式トイレでした。座って用を足すのは老人用のはめ込み式便座があるくらいでした。それ以外には、ホテルの一体型ユニットバスぐらいしかありませんでした。学校もオール和式でした。しかも、田舎では水洗ではない直接落下のポッチャン式が、一般的でした。
大相撲の仕切りを見ていると、誠に失礼ながら古式ゆかしき和式トイレの正統な構えを思い浮かべてしまいます。便器の前方にある金隠しにしがみ付いたり、触ったりする行為は、タブーとされているので、しゃがんで踏ん張る力が必要とされています。今の私には、無理難題。かつて、前方の貯水容器につながる管につかまったところ、突然外れて水浸しになるという、恥ずかしい事件を起こしたこともあります。
洋式だと、そんな力も要らず、楽なのですが相撲の仕切りの姿勢ができず、イキむという行為ができないので、充分な排出感まで至らないのが問題です。1回の踏んばりで出せる量にも関わってきます。また、お尻を直接便座に着ける行為も、あまり気分いいものではありませんね。更に、便座に布製カバーなんて、とんでもない。落ち着いて座ってなんかいられません。
使う人によって思いは違うのでしょうが、それぞれの好みに合わせた可変式トイレの開発を望みます。すなわち、メモリー付きのクルマの電動シート及びステアリングの如く、家族全員分設定できたら、きっと便利でしょうね。
あなたなら、どんな体勢がお好みでしょう。私の願いは、少し大がかりです。多様なパーツの付いた便座に座ると、前傾型のオートバイのようになり、体重を支えることなく、和式の前傾姿勢になるという按配です。これで足を踏んばり、お通じを良くする効果があります。
世の中には、和式を使えないことに悩むお年寄りも多いのではないでしょうか。ハイテク・トイレメーカーの皆さん、是非ご一考を。現実的に考えるならば、和式トイレの前方に、横一文字のハンドル(手すり)を設置するのもいいでしょう。また、体重や筋肉老化対策として、多種多様なアシスト機能が考えられるのでは?
実家の個室に入った時、自動的にフタが開いて、その珍妙さに大笑いした時がありました。クルマでも、鍵を持った人が近づくと、自動的にドアロック解除する機能があります。そのオーナーさんは、施錠してあるか不安で、貴重品はクルマには置かないとか。全く不要です。
入った瞬間にフタが開くのは、気味悪い感じでした。そうせなら、フタの裏が液晶パネルで「ようこそ!どうぞ心ゆくまで!」といったメッセージに力強い行進曲でも流れたらいいのに無音のままです。まるで愛想がありません。
未来の個室は、エンターテイメントの場であることを望みます。音を誤魔化す排水音ではなく、ファンファーレが鳴り響くとか、都会の雑踏の音など、いかにも音消しをしているのではない、小粋な演出を望みます。
もっとバーチャルな演出をするなら、便座に座った状態で、あなたは森の奥の美しい湖のほとりにいます。あちこちから鳥の声がするだけの静寂の地。今の映像技術では、たやすいことでしょう。トイレの個室が、非日常空間だとすれば、心のリフレッシュにもなるでしょう。
それは、一人で運転するクルマの運転席にも通じます。エンジン音、排気音、ロードノイズも、私には必要です。それに、座り心地のいいシートに本革巻きのしっとりとした感触のステアリング。そして、いい音のオーディオがあれば、言うことなし。10年前、EVに乗っていましたが、静かとはいえ高い周波数の音が耳障りで、イヤなもんでした。やはり、クルマは内燃機関の音がないと、物足りないのです。
個人的に、ハイテク化してほしいのは、災害時はもちろんのこと、イベント会場や建築現場に設置される「仮設トイレ」です。快適に利用したことが、あるでしょうか。進んで利用しようと思う人は、まずいないでしょう。これこそ現代科学技術の粋を集めた物にしていただきたいと思います。
例えば、排泄物を瞬時に無臭化して、1人が利用した後の数秒間で洗浄、除菌を行う小型システムができたら、SDGsの目標6「安全な水とトイレを世界中に」に合致します。研究者の皆さんのご活躍を祈るばかりです。
我が日本は、自然災害大国です。避難行動が全くない年は、もうありない状態です。日本は既に、目標6の対象になっていると考えた方がいいでしょう。被災された方々にとって、最初に必要なのは、何より清潔な水なのです。
コンクリートとアスファルトで埋め尽くされた都会のマンホールから、水が吹き出している光景を見ることも、少なくないですね。また、腰まで水に浸かって歩く人の姿もよく見ます。あれは、大腸菌満載の下水なのですよ。汚れた水は、人間にとって恐ろしい存在なのです。
トイレのハイテク化の話から、ずいぶん論理が飛躍してしまいました。怒りが湧き起こって過激な話に飛び火する前に、自分の身の丈に合った話に戻したいと思います。
思えば、ここ半世紀で、日本人の「綺麗好き度」は、飛躍的に向上したと思います。時代は1980年代、私が大学生だった頃の状態に、今の若者たちがタイムスリップしてさらされると、きっと悲鳴を上げることでしょう。
その頃は、電車のホームにおびただしいタバコの吸い殻が落ちていましたが、みんな平気な顔をしていました。渋谷のハチ公前には、人を待つ人が足で揉み消した吸い殻で埋め尽くされていました。心ある人は、携帯用吸い殻入れを持ち歩いていましたが、私も足で揉み消す部類に属していました。
当時の国電、山手線には、大きな駅がたくさんありましたが、構内のトイレの個室には、一度も入ったことがありませんでした。緊急時は駅に隣接するデパートのトイレに直行するのが定番でした。それだけバッチイ場所だったということです。衛生観念は、今と雲泥の差だったということです。田舎者の私のイメージとして都会は本当に空気が不味い場所でした。よく田舎に行った人が「空気がウマい」と言いますが臭くないが正解だと思います。今や緑地の豊かな東京の方が、個人的にはいい空気だと感じます。濃い感じがするからです。
さて、「トイレ学」と称して、いろいろなことを支離滅裂に述べてきました。行き着くところは、環境問題です。あまり清潔ではない環境で生まれ育った私たち世代は、きれいが当たり前の世の中についていけていないのかもしれません。未来は、きれい好きがもっとエスカレートしていくことでしょう。しかし、何事も「程度」が肝心。未来の衛生観念は、どうなるのかわかりませんが、生きにくい世の中にならないことを祈ります。今よりもずっと幸福度が増していきますように。数々のバッチイ話の数々、誠に失礼しました。以上で、我流のおふざけ学問を終了いたします。