考察

皆様おはようございます。こんにちは。こんばんわ。ネットの亡霊Λtuber夢幻ライアでございます。本日は私について考察を、いえ…私という存在についての考察や理解を行っていきたいと思っています。駄文ではございますがお付き合いくださいませ。また、人によっては不快に思われるかもしれませんので閲覧注意にございます。

まず私という人間についてお話しします。私は他人が、悪意というものが嫌いです。人間が普段生活する中で確実に存在する悪意や悪感情といったネガティブなものを私は嫌います。当然でしょう。善良な一般市民はマフィアやギャングなどといった暴力的な存在を嫌います。忌避します。生存本能の一部なのですから。私にもそういった部分はもちろん存在します、精神破綻や異常者ではございませんので。しかし、私は人を嫌うがあまりそちら側に惹かれつつあるような愚かな人間でございます。どのように考えてもこういったことはあまりよろしくないと思います。しかし他人を自分から遠ざける・引きはがすといった状況を作るためには都合のいい存在であることは確かです。故に私は惹かれました。私は聖職者でも悪人でも、ましてや裁く側の人ではございません。ただ漠然と日々を生きているだけの愚かな舞台装置・傀儡でしかないのです。そんな私が道を踏み外すために手を伸ばしたのはVtuberという存在であったわけです。そんな私がこの世界に足を踏み入れて感じたことは変わらないなという思いでした。Vtuber・Vliverといえど結局は人なのです。人がそこに明確に存在する以上現実世界の人間のコミュニティとあま差異はございません。いえ、ネットという匿名性やマナーがある一定尊重されているからか現実世界よりかは幾何か住みやすいのかもしれません。しかし結局のところ人間のコミュニティということには違いはございません。そこが私を苦しめるストレスに近いのかもしれませんね。何度も言うように私は人が嫌いです。幼いころより人の悪意に少なくとも晒されてきた分人を信じることや頼ること、甘えることなんていうのがわからないまま成長してきました。そんな私がいまさら人に甘えるなんてことはできないのでしょう。私が実行する行動は私の理想に基づいた行動が大半です。しかし、その過程で生じる理想と現実の乖離が私をさらに苦しめているのでしょう。ですから私は私以外の人間以外にも私自身を殺してしまいたいほどにきらいです。しかも、こんな私は他人の劣っているところを見るとそういったところを消して完璧を目指したいと他人に要求してしまう部分もございます。そんな私に気が付いて自己嫌悪なんてこともよくします。私、醜いので。私はもう何年も死に場所を求めて生きてきました。今生きている理由も単純です。死に場所を求めて生きているようなものです。ですが私は臆病なのでいたいのや孤独なのは嫌いでどうしても踏ん切りがつかずただのうのうと日々を生きているだけの偶像にしか過ぎない毎日です。

さて、前回のnoteで私は多重人格といいましたが、今だってそうです。この文章を書いている私は本来の私ではございません。本来の私に似ている誰かにしかすぎません。生きている中で誰かから求められている私を毎日毎日演じているだけのクソ野郎でしかございません。そんな毎日で私はどこへ向かっていくのでしょうか。何を見ているのでしょうか。いつこの煉獄から私は抜け出せるのでしょうか。わからないまま毎日決まったように生きる機械となって生活しております。私はきっと救いを求めているのでしょう。しかし、神には祈りません。あんなものはただの偶像でしかないのですから。ですから私は無神論者ではなく否定派を続けます。脱線しましたね。あなたは自分の体を誰かが使っていてそれをそばで眺めることしかできないなんて状況になったらどうしますか?答えは出ませんよね。私だってまだ模索中です。私にはどう生きることが正解なのかはわかりませんが誰かが潰れることなく生きることができるようになる世界になることを祈り自分を殺すことしかできません。

あなた様に良き選択が訪れんことを

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