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日本最大の劣悪精神病院への入院。

3度目の自殺未遂から目を覚ますと、そこは牢獄だった。鉄格子、硬く閉ざされた扉、コンクリートの床、床に敷かれた布団、和式便器とちり紙、そして監視カメラ。他には何もない。留置所よりも劣悪だ。

「あぁ、ここが保護室か。」

直感的にそう思った。精神病院の閉鎖病棟には、保護室と呼ばれる部屋がある。特別観察室とも言われるその部屋には、重症の患者や自他に危害を加える可能性のある人間が収容される。自分の入院した病院では「がっちゃん部屋」と呼ばれていた。ドアががっちゃんと閉まれば、2度と自力で外に出ることは出来ないからだ。

状況を理解してからは、激しい息苦しさに気が付いた。オーバードーズした炭酸リチウムの影響で、リチウム中毒の症状が出ていた。あまりにも苦しくて大声で看護師を呼び続けたが、誰も来ない。保護室は病棟とは隔離されており、外に声は聞こえないのだ。ああ、地獄とはこういう場所のことを言うんだな、と思った。

暫くすると医者が来て状況の説明を受けた。そこで書類に書いてあったある文言に、強い衝撃を受けた。

推定入院期間6ヶ月

こんなところに6ヶ月も入院すると思うと、気が遠くなった。普通、退院というのは患者の容態を見ながら決めるものだ。しかしこの病院は違った。入院時に患者の治療プログラムが組まれ、入院期間が決まる。

そしてそれから1週間もの間、リチウム中毒の影響により自分は幻覚を見続けた。大きなクジラが泳いでいたり、家族が脱走の手伝いをしてくれたり、自分の側にずっと女の子がいたりと…
この幻覚は何本も映画を見たかのようにリアルでストーリーのあるものだった。また機会があれば詳しく書きたい。

幻覚症状が収まった2週目からは、本当の地獄だった。保護室には何もないからだ。何かを持ち込むことも出来ない。退屈というものは死ぬことよりも恐ろしい、そう強く実感した。本当に何もない。気が狂いそうだった。歌を歌ったり、筋トレをしたり、床に爪で絵を描いたりして過ごした。

そんな保護室から、1日に1度だけ出れる機会がある。それが歯磨きだ。保護室には洗面台なんてものはないため保護室の外にある洗面台を使う。初めて保護室から出れた時、自分は真っ先に窓の方へと向かった。病棟は3階だったが、躊躇なく飛び降りて脱走しようとした。それほどに保護室の生活は過酷だったからだ。だが当然、窓は数センチしか開かなかった。保護室から脱走することは、100%不可能だった。

週に3回入浴もあったが、これも酷いものだった。保護室の患者は閉鎖病棟の患者とは別の浴室がある。しかしそれは風呂とはとても呼べなかった。浴室にはまずシャワーがない。どうやって体を洗うのかと言うと、浴室の真ん中に棺桶くらいの大きさのアルミの浴槽(?)があり、そこから洗面器でお湯をすくって体を洗う。つまり風呂というよりはお湯を浴びるだけだ。はっきりと断言出来るけれど、刑務所よりもよっぽど酷い。人権の無さをつくづく感じた。

3週間が経ち、ようやく保護室から出れることになった。とにかく退屈で陰鬱で気が狂いそうな保護室から出れることは、退院するかのように気が楽になった。だが、病室に案内された自分はまたしても衝撃を受けた。なんと10人の大部屋だ。しかも、驚くべきことに、各ベッドの仕切りになるものが全くない。カーテンすらもない。プライバシーは一切ないわけだ。だがそれでもベッドで寝れることは嬉しかった。本を差し入れてもらえることもかなり助かった。携帯や電子機器は持ち込み禁止だったが。何よりも嬉しかったのがおやつの存在だ。週に1度、おやつが買えた。特に羊羮は美味しくて何度も購入した。

保護室から出れても閉鎖病棟の生活はやはり過酷だった。この病院は日本有数の依存症専門病院だった。そのため患者の多くは違法薬物や刑務所の経験があり、刺青がびっしりの患者も多かった。最初は怖かったが、皆良い人ばかりで、その点だけは恵まれていた。何も出来ない保護室とは異なり、病棟の患者は治療プログラムに参加することになる。だがそのプログラムは読書、トランプ、講演会など… なんの意義も見出だせなかった。このプログラムで快復出来るとはとても思えない。「ハイヤーパワー」という謎ワードも度々出てきて、宗教のようだった。そして特に苦痛だったのが食事の時間。合計80人の患者が、狭い食堂に詰められる。周囲の人間にすぐぶつかってしまう。そして食事そのものも酷いものだった。不味いだけではなく、レパートリーが貧しかった。何度も同じものが出る。

ある日、事件が起きた。グラウンドでのレクリエーションの時間が終わり、みんなが病棟に戻ろうとしたときだ。「脱走ーっっっ!」看護師長が思い切り叫んでいた。見ると、グラウンドを全速力で走り抜け、柵を登っている患者がいた。柵は背丈よりも高い上に、有刺鉄線が張り巡らされている。それでもその患者は、ものすごいスピードで柵を越えていった。脱走は、命がけだ。何故ならば捕まれば間違いなく保護室に入り、そして退院は延びる。それでも脱走を図る者がいる。それほどに劣悪な環境なのだ。

結局、2ヵ月で退院することが出来た。依存で入院していたわけではないので早かった。以前入院していた精神病院がホテルに思えるほど、この病院の生活は苦しかった。

この病院には何年も入院している患者も多くいる。依存症になったら、このような病院とダルクのような施設に何年もずっといることになる。

安易にブロンなどの薬を濫用している中高生は、その覚悟が出来ているのだろうか。

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