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Vol.36 ピンク・レディー

70年代の後半に活躍した二人組のダンスアイドルです。
ヒットなどというレベルではなくほぼ社会現象といえる人気で、シングルレコードは出せばミリオン、ヒットチャートも常に一位をキープしていました。
今のようにいくつかのアイドルグループとその系列でヒットチャートが埋まってしまうような時代ではなく、当時は多くのアイドルや本格派歌手がひしめき合い、新人も次々と現れるような厳しいチャート競争がありましたが、そんななかでも頭一つ飛び抜けていたように思います。
そんな絶頂期の78年、紅白歌合戦を辞退し裏番組で勝負して惨敗したことをきっかけに人気は一気に下降し、80年にはほぼ4年間の活動に終止符を打つことになります。まさに70年代後半を駆け抜けた時代を象徴的するアイドルでした。

露出の高い衣装とセクシーなダンスというコンセプトは特に目新しいものではなかったはずですが、ポップな曲調に特徴的な歌詞(攻撃的であったり時事的であったりかなりユニーク)で幅広い年齢層に受け入れられた不思議な存在でした。
いわゆる「作られたアイドル」であって、本人たちの意向よりも制作側の企画と計算が優先されたユニットでした。しかもかなりキワモノ的な位置です。ところがその特殊な振り付けを子どもたちが面白がってマネをしたことがブレイクの大きなきっかけとなりました。
次々とリリースされるシングル曲の振り付けを覚えて学校で友達と踊る、日本中がそんな小学生(しかも男女問わず)で溢れました。

子どもたちの人気はキャラクターグッズ展開でも記録的なヒットを生みます。文房具や食器、おもちゃなどピンク・レディーがプリントされた商品は街に溢れ大きな経済効果すら生み出したものです。
当時は野球選手やアイドル歌手などのキャラクター商品は一般的でしたが、そんな中でもピンク・レディーグッズは種類も数もひときわ多かったように思います。

当時のぼくらの感覚では彼女たちは歌手というカテゴリーを飛び出した存在でした。
その存在感には仮面ライダーやウルトラマンのようなヒーロー(ヒロイン)感すらあって、そのディテールが子どもたちを夢中にさせたようにも思います。ロックバンドのKISSと同じ手法だったのかもしれません。
今回の記事を書くにあたりいろいろ調べていたら、じつは彼女たちは活動の末期にアメリカ進出をしてそれなりの成功を収めたていたという事を知りました。紅白事件以降マスコミにそっぽを向かれてあまり知られていない事実なのですが、そう言われてみればたしかにアメリカ市場には受けいれられそうな切り口かもしれません。

当時のアメリカのピンク・レディーのファンにお話を伺いたいものです。
昨今の日本のエンタメの惨状を救うヒントがあるかもね。

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