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Vol.02 シティポップ(前編)

もともとそんな言葉はなかった

70年代の日本の音楽カテゴリを表す言葉としてここ最近は定着していますが、当時はそういった表現はなかったと思います。
過去の文化の再評価にあたって使われるようになったものですが、でもこの言葉、とても的確な表現だなあと感じます。
この音楽シーンの本質や背景をシンプルかつ充分に説明している。

ちなみにこれは和製英語で、欧米ではJ. Boogieとか、J. Rare Grooveなどと呼ばれています。一部ではCool Japanの元祖のような解釈をされて、最近ますます注目されているようです。
その頃の日本の音楽はほとんど欧米には紹介されていませんから、彼らにとってはちょっとした発見であり、まさにCool!なんでしょうね。

2017年にテレビ番組「YOUは何しに日本へ?」でアメリカ人男性が大貫妙子の”Sunshower”(77年)のオリジナルLPを探しにわざわざ日本まできたという様子が紹介され、日本国内の若い人たちにも「ガイジンさんがあんなに熱心に探しにくる日本の音楽ってなんなんだ?」と話題になる、というちょっとおもしろい現象までおきています。


シティポップの定義

これはおおいに見解の分かれるものですので、おもいきりあっさりめにまとめます。

それまで歌謡曲や演歌が中心だった日本の音楽界に、"はっぴいえんど"(’69~’73)や"シュガー・ベイブ"('73~’76)というバンド(とその派生的ミュージシャンたち)が、洋楽的センスを持ち込んで新たな音楽ジャンルをつくりあげたというもの。

細野晴臣、大瀧詠一、松本隆、山下達郎など、その後の日本の音楽シーンに多くの影響を与えたミュージシャンたちが、作詞・作曲・演奏をすべて自分たちでおこなう「シンガーソングライター」の存在を広め、当時の若者たちに衝撃を与えました。またその洗練されたサウンドはCMソングにも多用されることになり、商業的にも成功することができました。
日本がどんどん豊かになりライフスタイルも国際的になってきた70年代という時代と見事にマッチしていたわけです。

ところで、当時こういった音楽には「ニュー・ミュージック」という呼び名がありましたが、これはシンガーソングライターであればフォークだろうとロックだろうと、なんでもかんでもひとくくりにしたもので音楽ジャンルというにはやや問題があったように思います。
アーティストにとってはあまり心地のいい言われ方ではなかったかもしれません。
吉田拓郎とサンハウスが同じジャンルっていうのはあまりにも…ねえ。
なので、より的確なカテゴライズとして「シティポップ」という言葉が使われ始めたように思います。

「東京的なもの」への憧れ

70年代、ぼくは埼玉で育ったのですが、同じ関東地方にありながらもそのころの東京はずっと遠いところに感じていました。
子供だったからというのもありますが、当時都会と田舎には歴然とした「格差」みたいなものがあり、テレビでみる「都会人の生活」はなんだか現実離れしたものですらありました。

シティポップのアーティストたちはこの「東京的なもの」をテーマなりテイストなりにして(そうすべき価値がその頃の「東京」にはあった)、そういった「東京へのあこがれ」のような部分をくすぐる、まさに「シティポップ」を生み出していたわけです。

余談ですが、当時のフォークソングの世界では「東京出身」はマイナス要素になるということで、なぎら健壱さんは東北出身を偽っていた、という逸話があります(ほんとかな)。

次回へつづきます。


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