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Vol.35 山口百恵

73年に14歳でデビュー、ほぼ7年半の活動で21歳で引退。
シングル盤1630万枚、LPは434万枚を売上げ、映画やドラマでも多くの記録を作ったまさに70年代(あるいは昭和後期)を駆け抜けたスーパースターでした。

武道館での引退コンサートで最後の曲「さよならの向う側」でステージにマイクを置いて舞台裏に下がったというエピソードは、当時を知らない世代でもご存知の方も多いかもしれません。

「中3トリオ」とよばれた初期の活動では、幼さを残す端正なルックスながら大胆で際どい歌詞を歌うという「青い性」の路線で絶大な人気を得ます。今の時代ではちょっと受け入れられないような過激さすらありました。
当然これは本人の意思や意向ではなく制作側(所属事務所やレコード会社)の戦略であっていわゆる大人たちの作り上げたものです。
70年代の芸能界では一般的な手法ですが、やはりここまで成功したのは彼女の資質と才能があってこそであったと思います。
活動の後期には阿木燿子・宇崎竜童夫妻の作品で独特の世界観を作り上げ、また篠山紀信による写真作品も時代を象徴する完成度の高いものを多く生み出し、まさに歴史を作った存在でした。

彼女は「スター誕生!」というオーディション番組の出身で、アマチュアから金の卵を探し出すというコンセプトのもとに世に出ています。
それまでの「スター」というものは(俳優にせよ歌手にせよ)、一般人とは違う特殊なルートを通って特別な訓練を受けた雲の上の存在でした。
それが70年代に入り生活が豊かになりテレビ・ラジオが一般家庭に浸透することで、誰もがスターになることを夢見るようになります。
そんな時代を象徴するような存在が山口百恵だったわけです。

彼女はそういった芸能界の変革期に制作側の都合(資本を投下して回収する)と一般聴衆の求めるもの(時代の流れ)の絶妙なバランスを完成させ、これがその後の芸能界の一つのスタンダードとなっていったようにおもいます。

70年代当時「美人」というのはまだまだ貴重な存在でした(個人的見解です。ごめんなさい)。
山口百恵はずばぬけて美人でしたが、雲の上にいる女優さんというよりも「地元で一番の美人」的な存在感がありました。
リアル感を伴う憧れのおねえさん、とういうところでしょうか。

そんな「きれいなおねえさん」がギリギリのワードで煽ってくるわけですから青少年はイチコロです。
なんだか記憶の深いところに彼女の存在を感じることがあります。
まるで古い知り合いであったかのような。

これって作品としてすごいことですよね。


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