レターメイト

幼少期、母が重度の鬱病を患い
祖父母の家によく預けられていたのを覚えている。

大人になってから思うと、母が心を病んだのも当然の環境で、
むしろ良くぞ生きていてくれたと思えるほど、
身内全員が鬱に理解がなかった。
おそらく母にとっては全員が敵だっただろう。

その話は現在まで続く長く暗い話なので、
またの機会にでも書き起こす(かもしれない)。

今回は、その母親が通院する際に
祖父母に預けられていた子供(私)のお話。

祖父母の家には子供向けの玩具もなく、近所に友達もおらず。
小学校に入りたての子供に付き合って遊ぶには老いすぎている祖父母は
私によくVHSで映画やアニメをみせていた。
映像に出てくるタイプライターに憧れがあった。

おそらく当時、同じようにタイプライターが欲しいと思う子供はそこそこ居たのだろう。
大人が使っている道具を子供も欲しがるのは、いつの世も常だ。

ニーズを察した感の鋭い玩具メーカーが
「レターメイト」という玩具を発売したのだ。
タイプボタンはなく、回転スタンプとインクリボンで紙に打刻するシンプルな玩具だ。
フォルムはタイプライターに寄せてあり、十分に魅力的だった。

夕食時にレターメイトのCMをみた私は
祖父母に「コレが欲しい!」とすぐに訴えた。

祖父母からは、健常な母親がいなくて可哀想な子供と思われていたので
それなりに甘やかされており、その週末には買いに行くことになった。

車で街道を走り玩具の取り扱いのある大型スーパーに足を運ぶも、
片田舎に新発売の玩具が売ってるはずもなかった。
玩具の取り寄せはやっていないと断られたので、
クレープを買ってもらいスーパーを後にした。

せっかく街に出たのでにパチンコ屋に寄ると言う祖父母に付き合うことになった。
祖父母は職人だった。
片田舎の職人といえば、酒、タバコ、勝手に出入りする野良猫、
休日のパチンコは生活の一部だった。

当時のパチンコ屋は年齢制限などなかったので、子連れもそれなりにいた。
無料の山ぶどうスカッシュを飲み、一握りもらった玉で遊び、
景品交換コーナーの玩具を品定めするのが楽しかった。

その日に寄ったパチンコ屋でも、いつも通りに景品チェックをしてると、驚いたことに景品にあったのだ。
新発売の「レターメイト」が。

大急ぎで祖父母の打ってる台に戻って景品にレターメイトがあると伝えると、台にタバコを置いて祖母が玉数を確認してくれた。

やたらと博打が強かった祖母は、その日も難なく大当たりを引き、
帰りの車に揺られる私の手には「レターメイト」があった。
今思えば、換金をして家電量販店で買った方が安かろうと思うが、
孫への愛情だったのだろう。

帰宅後、夕飯もそこそこに
開封したレターメイトでその日の日記を書いた。

ボタンの推し具合でインクの転写が濃くなったり薄くなったりして
コツが必要だった。
手書きではなく印刷物が出来上がっていくのがとても楽しかった。

当たり前だが、打った文字は消せないので
打ち間違うとやり直しになった。
紙も専用インクリボンも数が限られているので、
推敲しながら打つのはやめることにした。
翌日からは、片面印刷の新聞広告の裏に手書きで草稿を書き、
本文を確認しながら打った。
ただの日記なのに、よくわからない拘りようである。

替えのインクリボンを買いにお小遣いを握りしめて
隣駅の文具屋まで行ったことも覚えている。

凝り性だが同時に飽き性なので
レターメイト日記も半年と続かず終わったのだが、
あの書き溜めた日記束はどこにやったのだろうか。
それなりの枚数にはなっていたはずだ。

草稿を書き、推敲して、清書印刷と
同じ内容を何度も確認して書いたはずの日記たちは
1文も覚えていない。

思い出せるのは、ダイヤルを回す感触と
「打つ」ボタンを押す時の音だけだった。

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