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ケセラセラ

(武田砂鉄のそもそもそれって) 第328回 元○○ - 日本経済新聞 (nikkei.com)

日経新聞のコラムを読んで感想。

ケセラセラという言葉が昨年流行った。
それは日本レコード大賞を受賞した、Mrs.GREEN APPLEの話である。
しかし、ケセラセラという言葉を聞いて、私は「今更この言葉?」なんて感じていた。なぜならば、この言葉は私の母親が好きな言葉で、私が中学生くらいの頃に、学業や友達関係が上手く行かず落ち込んだ私に対して、時々言ってくれた言葉だからだ。
しかし、若者達にとってはこの言葉は新しい言葉に聞こえるようで、まさに隔世の念(俺もどうやら人生を一回りしてしまったようだ)だった。そんな感想を噛みしめた昨年のレコード大賞だった。

ケセラセラはWikipediaによるとスペイン語で「なるようになる(Whatever will be, will be)」という意味、との事。当時の時代背景はベトナム戦争。それは私の両親の世代が青春を謳歌した時代に流行歌として日本でも流行ったものだった。

冒頭に戻るが。コラムニストが腹の中で叫ぶ『元〇〇がデシャバルナ←勝手にnon AI要約』に対して、なんとなくそんな事を思い出した。

元〇〇の人が、違う仕事に変わると言う事は、それ以降は全く違う問題解決を行う事になる。それは現〇〇の人にとっても同じ事である。
元〇〇の人と現〇〇の人では、本人を含めてなにもかも変数が違う。故に問題定義も課題も解決策も全く別物になる。結果、起きる出来事も培われる実績や経験も全く別のものとなる。
なので、全然違う問題解決と向き合わざるを得ない、現〇〇に対して先輩面して何かを発言するのはナンセンス(先輩面するのはもってのほか)なんだよね。(なんの問題解決にもならない)

『それぞれの持ち場でがんばれ』

仕事が変わったんだったら、「それぞれの持ち場でがんばれ」って言い切って、それまで積み重ねた成功体験や実績など記憶の彼方に葬ってしまえ。そして全く新しい大脳新皮質で、新しい戦場で仕事に向き合えばいい。

という事を思い。「ケセラセラ」が頭に思い浮かんだ。


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