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南の島も笑ってる 第10回

書きながら思い出してきました。本当にあの時は苦しかった。
原因は過剰の水分摂取と言っておりますが、暑さで体が弱っていたのかもしれません。
体調不良など気合でどうにかなると思っていた20代でした。

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この縦断ハイクにおいて、エガさんが秘めたる力を発揮した。
この話の冒頭で説明した通り、エガさんは大学時代屈指の軟弱者で通っていた。大阪の風呂屋の息子、絵に描いたようなボンボンだったエガさん。スタート前は自分についてこれるかなと心配していたが、何かにとりつかれたように前へと進む。こちらがついていくのに必死だった。
後に「野宿はしたくなかったから、そらもう必死やった。」と本人は語っていたが、前評判を覆すその剛脚ぶりであった。
人間追いつめられるとものすごい力が出るものである。火事場のクソ力だ。

それに引き換え惨めだったのは俺であった。
消耗戦を予想していた俺は、大量の水を用意し、脱水症状を避けようとこまめに口にしていた。普段以上の頻度で口にしていたのだが、どうもそれが裏目に出てしまったようである。
これまでにも山はぽつぽつと登っていてそれなりに経験はあったのだが、これまでと比較しても尋常でない疲労感である。いつもならきつい山道も一汗かくとペースができてくるのだが、これが全くうまくいかない。苦しくなって水を飲んで紛らわす、そしてまたすぐに苦しくなる。その悪循環に陥っていた。エガさんの体力を心配するどころか、自分がついていくのに精一杯で、なおかつ頻繁に立ち止まる。逆に足手まといになっていたのであった。水分を取らないのもまずいが、過剰な接種も禁物であるというのが、貴重な教訓として残った次第である。

立ち止まって景色を愛でることもなく、写真を撮る余裕もなく、我々は「前へ、前へ」という明治大学ラグビー部の伝統を守り、ひたすら前へ進んでいた。この状況、ひょっとしたら旧日本軍の南方戦線における行軍はこんな感じだったかもしれない。ああ当時の兵隊さん、あなた方は偉大でした。こんなところで英霊に思いをはせることになってしまった。
エガさんが途中、イリオモテヤマネコを見たと言い出した。目の前を小さな動物が横切ったらしい。本当ならなかなかの発見である。有名ではあるが実際の所ところそんなに頻繁に見られるわけではない。
エガさんの見間違いだろうと思ったが、本人は頑なにイリオモテヤマネコだと主張していた。真相は今もって闇の中である。

そんなわけでひたすら歩いていた我々であったが、なかなかゴールにたどり着かないことで次第に焦りが生まれてきた。時刻はもう5時を回っているのに一向に終わりの気配が見えない。
登山地図はざっくりしたものしかないし、GPSも世の中にやっと出だした頃。どこにいるのかがわからない。スマホのアプリでルート追跡できるなどまだまだ遠い未来の話である。俺の疲労もピークに達していた。休む回数が増えていた。ひたすら寝ころびたかった。このままじゃ本当に歩けなくなるな、日が暮れるな。あーあ野宿かと悲観的な気持ちになっていたのである。持参していた宿泊グッズと言えば雨露をしのぐフライシートが1枚だけ。これだけで一晩しのげるのだろうか?

終わりは突然やってきた。
これまでずっと沢づたいだった登山道が沢から離れ、だらだらとした乾いた下り坂に変わっていった。そして気が付くと我々は草ぼうぼうの空き地に立っていたのである。そばに立っていた看板が登山道の終わりを告げていた。時刻は5時半、浦内川河口を出発してからちょうど8時間が過ぎていた。
俺はあまりのうれしさにへたり込んでしまった。草の上に体を投げ出し寝転ぶと、さっきまでの疲れが吹っ飛んでいくようであった。
我々はお互いに抱き合って喜んだ。このテンションはサッカー日本代表がW杯初出場を決めた試合をTVで観ていた時以来である。
さあ、後は集落におりるだけだ。

こうして我々の挑戦はかくのごとく終わりを迎えた。
と締めくくりたいところであったが、そうは問屋が卸さなかったのである。まだまだ続くのであった。

(続く)

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