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10年目社会人が会社を辞める話

※2022/3/16 一部加筆修正

こんばんは。今日もお疲れ様です。
このnoteでは、わたしがもうすぐ社会人経験約10年に一区切りをつけるにあたり、とりとめもなく、思いを整理するために投稿する場としようと思います。
※3/16追記:正確に計算すると、わたしは今社会人9年目で、4月で9年勤務したことになり、10年目となります。

初めてで、操作や書き方など、よくわかっていないこともあると思うのですが、よろしくお願いいたします。

まず、自己紹介。
わたしは、現在、外資系コンサルティングファームに勤めるアラサーの会社員です。これまで、金融機関、外資系コンサルティングファーム2社を経験しています。

1社目の話
私は、2013年に、大学を卒業し証券会社へ新卒入社し、リテール営業をやっていました。
当時は、社会人とは何か全くわからず、金融機関に入ったきっかけも、兄弟が務めているから、くいっぱぐれがなさそうだから、あと、なんとなくかっこ良さそうという理由でした。

かっこよさそう、と思った点について、少し掘り下げたいと思います。
大学時代には、ちょうど勝間和代さんの『起きていることは全て正しい』が出版された時期でした。
当時、何もわからずなんとなく意識高い系のイベントに参加していたことから、本屋のビジネスコーナーに頻繁に足を運ぶようになり、そのタイミングで出会った本です。

今となっては、正直内容はあまり覚えていませんが、他にも『勝間和代のインディペンデントな生き方実践ガイド』も続けて読み、そこで『セレンディピティ』という言葉を知り、また『女性は子供を育てるために、年収600万円を目指しましょう』という言葉も胸に刺さった記憶はあります。

自分の地元は最寄りの電車の駅まで、車で10分程かかる田舎で、大企業で会社員をするというイメージを全く持っていなかった私は、勝間さんの本にも影響されて、都会でバリバリ働く女子、いわゆる「バリキャリ女子」に憧れていました。なので、金融機関に入ったら、もしかしたら外資系の企業にも転職できるかな、と当時から少し考えていました。

入社してからは、毎日肉体的にも精神的にも緊張感をもちながら毎日一生懸命働きました。
営業って、足でかせぐ必要もあるので、毎日電車や自転車や車で訪問し、お客さんに証券を買ったり売ったりしてもらうことで、成績が付きます。
1日10件の訪問や、100件以上電話するなど、今思うと大変迷惑なことをしていたな(先輩や上司からの指示ではあったもの)と思います。
もちろん自分自身にも迷惑がかかったというか、結構病んでしまって、回復してきたタイミングで、転職することにし、1社目を退職しました。
それでもしっかり働いていたと思うし、社会のいろはを学んだ大切期間だとも思います。ちなみに、お酒の席で、先輩たちの上着をハンガーにかける、店を出た後にたばこの残りが入っている箱がないかを確認する、等、今振り返るとなんじゃこれ?!と思うタスクも若手の間はしっかりやったし、それが当然だと思っていました。

二社目、コンサルティングファームに入りました。
ラッキーなことに、営業時代に築いた成績(販売金額)が、二社目のパートナーの目に留まり、理由はよくわかりませんが、営業経験しかない自分がコンサルティングファームに入社させてもらうことができました。
とはいえ、営業時代に、その仕事が大変だったため、なるべく早く成績を作って、ステップアップせねばと思っていたので、証券会社時代に営業で成果をだせておいて、本当に良かったと思います。

初めてのコンサルティングファームでの仕事は、お客様先常駐でのシステム構築プロジェク。コンサルスキルもないのに、システム知識もないので、最初は本当に小さい作業からさせてもらってました。
覚えたこともたくさん。エクセル・パワポの使い方や、ショートカットキーはすごく厳しく指導されたので、当時はめんどくさいなあと思っていましたが、今では役に立っています
特に、若手は議事メモを作成する係になりがちなのですが、議事メモは、お客さんやベンダーさんとの協議の証跡として残す意味もあり、当時のマネージャーはとても重視していました。
何を言っているのか意味不明と思いながらも聞こえてきた会話をWordの議事メモフォーマットにひたすらに打ち込みました。ただ、そのままの内容だと、冗長的すぎたり、システムの専門用語を聞き間違えて打ち込んでいたりと、全然ものにならなくて、先輩に真っ赤になるまで、手を入れられました。議事メモがあまりにも書けなくて本当に辛かったので、悩んでいました。でも、それも今思うと、自分が社会人経験が浅かったので、守破離の守を徹底的に学ぶ気持ちで何とかやっていたことが、今となっては役立っているなと思います。
正直、外資系のコンサルティングファームだったので、もう少しグローバルな案件等に関わりを持てるかと思っていましたが、まったくもって日本企業のお客さんでしたので、1年半日本語のみで過ごしました。

3社目
自分が、大学生の頃に描いていた会社員生活に一番近いところで仕事をすることができた3社目。大ボスはアメリカ人になり、同僚の国籍も様々。
1社目の飲み会での文化(同僚の上着をハンガーにかける云々)がギャグですか?と思うほどの変化がありました。飲み会の話続きではありますが、自分の歓迎会で料理を上司のために取り分けようとしたら、本気で直属の上司に「うちはそういう文化はないから」とはっきり言われたことが印象的でした。それが良い刺激でした。
3社目は自分で働き方も自分で調整でき、出社・退勤時間もほぼ完全フリーで、自分のやるべきことをやっていれば、評価してもらえる。服装規定もなく、勤務場所ですら、自由です。責任はありますが、私は、自由だと感じました。こちらの方が最初の2社よりも自分に合っていると感じました。
会社と一口に言っても、全然違う。何をやるかも大事ですが、働く環境は自分へ大きな影響を及ぼすなと感じました。

この会社では同僚とかなり仲良くなり、3社目で初めて、同僚が、友達になりました。これもとても嬉しかったです。
上司や先輩が自分を若手の部下や後輩と考えず、あくまで同僚と考えている人が多かったことも自分の中では大きかったです。
こういう会社で働けて幸せだと思っていました。

ここまでは、私の今までのキャリアのざっくりとした話なのですが、なぜ今回10年間の会社員生活に、一旦終止符を付けようと思ったのかを描きたいと思います。

本当にやりたいことは
実は、私は幼少期から、物を描いたり作ったりすることが大好きで、美大に進学しようと思っていた時期がありました。しかし、アトリエで自分よりももっと絵の上手い人を目の当たりにし、自立した女性になって働いて稼ぎを作らなければと思った私は、絵の方向ではなく、英語を伸ばして、それを使った仕事をしたほうがよいと考えるようになりました。
今思えば、本当に危うい選択だった思いますが、経験を積んでいろんな社会人スキルを得られた、という点においては、絵に進まなくて良かった点もあるなと思います。

そうして大人になった自分は、この数年でコロナの状況下でオフィスはクローズし、友人と会うことも難しくなり、どんどん自分の余暇の時間が増えました。その時間の使い道として、自分の好きな絵を描き始めました。
それとほぼ同時くらいのタイミングで、かなり仲の良かった同僚複数人が会社を去り、自分が心を打ち明けられる同僚もいなくなりました
そうすると、会社の環境をとても大事に思っている自分自身は、もはや仕事をするだけで、仲の良い同僚とのコミュニケーションがないですし、ちょうど自分が担当していたプロジェクトでの担当期間も長くなり、仕事の内容にも疑問を感じ始めました。仕事は楽しくなくなってきていました。

美大受験
2021年秋、私の描いた絵を見た知人から、「美大受験したら?」とSNSメッセージをもらいました。
その時、なぜか急に、そうしたい!と強く思う気持ちが出て、そこから美大受験の道のりが始まりました。美術学院に入学し、毎日夜に絵を描く日々。土日もできる限り絵に時間を割いて、かなりギリギリの生活をしていました。それでも、楽しかったです。私にとって絵を描くのは楽しいから。
そして、絵を描くことが全く苦にならない自分自身に気づきやっぱり絵をこれからも描いていきたいなと確信しました。
美大は仕事の関係で、1つしか受験しませんでした。そして、結果は不合格でした。
悲しかったのですが、それ以上に「私は美大に行けないことよりも、仕事が楽しくないことが問題なのでは」ということに気づきました。
そう、もう既に仕事が楽しくないと感じ始めてから、1年ほどたってしまっていたのです。

頭と魂のつながり
受験が終わったので、時間もあるし、ゆっくりできるはずなのに、なぜかどんどん体調が悪くなり、1週間に何度も、急に涙が出てくるとか、胃が痛いとか、頭が痛いとか、いろんな症状が出てきました。
自分の中では「働かなきゃ」という気持ちと「もう無理だ」と思う気持ちが交差して、結構つらかったです。
そこで、私のことをよく理解している知人に話をきいてもらったところ、「休んだ方が良いんじゃない?」とのアドバイス。実は他の人からも「休職したら?」とか、「円形脱毛症になっているよ?」とか、結構自分がやばめの段階にいることを知らせるようなことを耳にするようになりました。
このまま会社にいても、体調が良くなることもないだろうし、いっそのこと一度退職して休み、その後回復したら自分のすきなことをやった方が良いな、と思い、今回退職することになりました。
ここでの学びは、以下の通りです。

頭ではやった方が良いこと、というのは現実世界にあると思いますが、本当の心の声、魂がやりたいと思っていることは、自分が一番知っています。だから、それに気づけたら自分から発信して、「○○がやりたい」という方が良い。それだけで、人生は既に好転に向かうと思います。それをサポートしてくれる人はきっと周りにいるはずだから。

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