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「直感を頼りましょう」


「直感を頼りましょう」
「疑いの心があると人生が上手くいきません」

これって不思議なんですけど、高次元の方に言われると、そうだよな〜って思うんですけど、地球人に言われると、危なっかしいな〜って感じてしまいます。
これで幸せになれる!って直感で壺を買ってしまう霊感商法の心理状態と同じです。
周りの人の声を聞いてしまうと、疑いの心が出てきてしまうので聞きません。
フワッとしたスピリチュアルに生きてると、人生のドツボ(壺)にハマります。

じゃあどうすればいいの?となるでしょう。
どうしたらいいんでしょうね。
どこかで、「直感」が「私の直感」になってないでしょうか。
「宇宙の直感」になってると良いのではないでしょうか。
「私の直感」だと、どうしても自分の都合の良いような考えが含まれてしまいます。
社会の常識に振り回されて苦しくなっているので、自分の直感を大事にするのは良い考えだと思いますが、結局その「自分の直感」も社会の常識の背景の上でのことです。
「私の直感」なんてものは、アイドルメンバーのうちの誰を推しにするか位で役に立ち、大抵は今まで培ってきた社会常識の成れの果てから逃れられないことが多いでしょう。
「私の直感」なんて「社会の直感の亜種」じゃないですかね。
その自意識を超えて、「宇宙の直感」になって考えると宇宙の流れに沿えると思います。


私たちは、神に赦されたい認められたいと思ったりします。
(わかりやすいので神と表現します)
そして、何か順調にいったら都合よく「赦された」と思ってしまうものです。
赦しを請われた神の気持ちを想像してみましょう。神は常に愛というか宇宙のエネルギーを注いでます。神からすると「別にあんただけ助けたわけじゃない、だけどあんたがそう設定するんだったらそれでいいんじゃない?」という事かもしれません。
赦しを請う私たちは、常に私たちの視点です
「私の直感」は常に、狭い「私」が主語です。
それである限り、何を選択して何が起きても狭い範囲での出来事にしか過ぎないのかもしれません。

直感を頼る前に、「私の直感」になってないかを見直すことがいいかもと考えてしまいます。

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