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途中経過のビジュアル表示


電車をホームで待ってると、前の駅を出ました表示があったりします。
これって素晴らしいことです。
私が子供の頃は、こんな表示はありませんでしたので、次の電車はいつ来るのか全く分かりませんでした。前の駅の方を眺めて、揺らめく空気の先を見て、あの電車はこっち向きなのかあっち向きなのか、目を凝らしたものです。
この次電車表示されるようになった時、ものすごく感覚が変わったのを覚えてます。

今の待合室は、銀行でも病院でも番号札があって、後どのぐらい待ちなのか想像できます。
私が子供の頃は、いつ呼ばれるか全くわからない、10秒後なのか1時間後なのか、トイレ行きたくてもいけない不安感がありましたよね。

こんな例え自体も古臭くて、おじいさんの「便利になったの〜」レベルです。
今や何をやっても、メールで自動返信されるし、電気使用量も分刻みで出ます。
自分の行為の外で、どう動いてるかこちらにわかる事は、とても安心感につながります。


一方、宇宙のエネルギーがどう機能してくれてるか、こちらにはわかりません。
例えで、宇宙にオーダーしたものは、レストランで料理を注文したようなもので、テーブルでトークをしながら待つと良いと言われます。
オーダーが通っているか心配したり、シェフがちゃんと作ってるのかどうか確認するのは、宇宙を信頼していない証のようです。
そうですね、わかるんですけどね。
しかし、「シェフが盛り付けに入りました」表示や、セントラルキッチンなどだとリラックスなのが正直な気持ちです。

現代社会に生きていると、自分の外でどう動いてるかビジュアル表示してもらえると、大変ありがたく心強いものなんですけどね。
実感しないところで伝達され、見えないところで機能し、思いがけない形で返ってくる。
これが素晴らしさでもあるんですが、途中経過をビジュアル表示してもらえると理解が深まるのにと思ってしまいます。

自分の解釈とか感覚とかじゃなく、客観的なビジュアル表示。“便利”に毒されてる?
電車のホームでそう考えてしまうのは、後退してるのかなぁ。


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