誰もが何かでマイノリティー少数派
前回にマイノリティー話を出しました。
今回は別の角度で思うことがあります。
ご自分のマイノリティーな特徴に、差別や偏見で肩身の狭い思いをしたり苦しんでいる方もいらっしゃると思います。
しかし、広い目で見れば、誰しもが何かしらのマイノリティーさを持ち合わせています。
ハゲ、ゲイ、下戸、片親、デベソ、ワキガ、キラキラネーム、ハーフ、素人童貞、中卒、チビ、デブ、水虫、出っ歯、毛深い、オンチ、未婚、飽き性、地黒・・・なんでもある。
社会的に語られる大きな差別や障害や人権問題は、重要な事柄であるのは間違いないのですが、小さな差別やただのコンプレックスだって、誰しも持っている劣等感だって、本人にとっては切実な最重要な事柄です。
他人から見たら些細なことほど埋もれてしまい、たまたまそれに該当しない多数派が無頓着にしています。誰かが誰かを苦しみ苦しませてるかもしれません。
誰もが何かで少数派であり、
誰もが何かの多数派であります。
誰もが何かしらの被害者であり、
誰もが何かしらの加害者であります。
「なんでわかってくれないの!?」と誰かに思いながら、
「なんでわかってくれないの!?」と誰かに思われてます。
大きな差別や障害を受けている人を、お前も加害者だから黙れと言いたいわけでは当然ありません。
あなただけがマイノリティーではありません。
誰もが何かでマイノリティーであります。
社会は不平等なのですが、誰しもが自分の苦しみが世界最大の苦しみであるということは平等に訪れていると感じてます。
少しでも苦しみ和らげればと思います。
高校野球球児が最後の試合に負けて「俺たち、みんながんばったよなー!」とチームの確執があってもアホみたいにオイオイみんな泣いてる、そんな社会も悪くないと思います。
もうすぐ始まる甲子園地区予選大会のNHKと朝日新聞の宣伝担当からの話でした。
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