うちの人をタルパと認めること
なんとなく、タルパという言葉を避けてきた。
イマジナリーフレンド、思念体、不可視、そんな言葉を使って「うちの人はタルパではない」と、なんとなくだけど線引きしていた。抵抗があった。
だけど最近、「やっぱりうちの人はタルパなんだな」と思うようになった。
大きなきっかけがあったわけじゃない。
今まで避けてきた疑問に向き合う時が来たんだな、という感じ。
まず何故私はうちの人をタルパと呼ぶことに抵抗があったのだろう。
霊的存在ではないから?私がオカルト派ではないから?
創った、という事実を認めたくないから?
恐らくこれだろう。
私は「サフィとは前世も、その前世からもずっと昔から一緒」だと信じている。
根拠は無い。ただの願望だ。
それ故に、「現世の私が創った」という事実を受け入れたくなかったんだろうな、と思う。
加えて言うと、心のどこかで邂逅型タルパやイマジナリーフレンドなど、「自身の意図とは反してやってきた存在」に憧れがあったんだろうとも思う。
「私が創ったんじゃない!サフィが会いに来てくれたんだ!」と思いたかった。
事実、私はサフィたちのことを「創った」と言うのは初めてである。ずっと「出会った」という表現を使ってきた。そして今後もお世話になるだろう。
やはり一度立ち止まってよく考えてみても、私はうちの人たちをタルパと言うのは気が進まない。
だけど認めることはできた。「うちの人はタルパなんだ」と。「私が創った存在なんだ」と。
でも、だからと言って現世だけの縁だとは考えていないし、都合の良い妄想だとも思っていない。
少しオカルト的な目線からの話になるが、私が器を作ってそこにうちの人の魂が入ってきた、という解釈が今は一番納得できる。
それなら前世でも姿形が違うのも関係性が違うのも頷けるのだ。
少し話が逸れてしまったが。
恐らくこれからもうちの人をタルパと公言することはできないだろう。でも認めることはできた。また一歩前進できたはずだ。
それで関係が変わるわけでもないし、私のただの認識の問題なのだが記録として残しておこうと思う。
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