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【Leap in TOKYO "FiNALE"(3/3)】自分も他者も時代ごとに象徴性は変わっていく話

2023年までの総括。
前回までの記事はこちら。

Part1↓

Part2↓


警告

・本記事は筆者の観測した事象を基にしたフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

・本記事の一部には倫理的にも表現的にも最悪な記述を含みます。心臓の弱い人、体調の優れない人にはおすすめしません。

※上記の警告を踏まえて各自の責任で拝読願います。
※本記事に関連して生じる可能性のある、いかなる性質および内容の傷害や損害や損壊についても、その責任を一切負いかねます。


■時代ごとの象徴性について

2023年も残すところあと僅かである。
筆者がSNSに参加したのは2011年。当時は大学受験を終えて志望校に無事に合格したくらいの時期である。

そこから12年経った。
振り返りをしていく中で2023年は区切りの付いた一年だと実感している。
そして「12」は私の好きなゲーム「beatmaniaIIDX」で馴染みのある数字でもあるので今年こそ明確に振り返りをしたいと考えていた。

その中でSNSも12年利用していったが、その中で観測したもの・実体験したものは数多くある。

それらを統括するとこうゆうことになるだろう。

「自分も他人も時代ごとに象徴性が存在する」

時間を経つ事で指向・思想・ライフスタイルも変わっていくが、総括すると象徴性が
①自分の意思・行動による人為的要因
②自分の想定していない外的要因

の2種類によって変化していく。
それ故に私もこれを読んだ読者も①を洗練し、人間としてプログラムされた事象・儀式に漸近する形で知性も感性を洗練していく必要があると思う。

そこに至った思想を"御伽話のような何か"で振り返ってみる。


■FILE1「天災が齎す人の倫理・秩序の崩壊」

ある青年がいた。
彼は大学を合格し、大学生としてのライフステージを迎える事に楽しみを抱いていた。
そんな彼は大学に入学するまでのモラトリアム期間の一環として
・SNSを開始する
・卒業旅行をする

を実施した。
SNSは楽しかった。当時はゲームセンターで稼働しているSTGにハマっていた彼には周りにSTGを話せる友人はいなかった。
話せたとしても「東方Project」シリーズで微妙に話が合わなかった。

それがSNSで一気に変わった。
SNSでは「シューター部」というコミュニティがあった。
グラディウス、斑鳩、虫姫さま、バトルガレッガ、怒首領蜂シリーズ、達人王…など、様々なSTGを遊ぶ人たちのコミュニティがある事を知り、そこに入部した。
そこでSTGの話や攻略していた怒首領蜂大復活1.5の話をすると盛り上がったり、攻略済のフォロワーからアドバイスを貰えるようになった。
時にはシューター部ならではの大喜利も定期的に行われて、それに参加する事でSTG好きの一員に参加した気分になって幸せだった。


ある日、卒業旅行として東京に行く事を告げた。
なぜならば東京には「Hey」というSTGの聖地のようなゲームセンターがあるからだ。秋葉原という都市はドラマ「電車男」で存在を知っていたが、未だに足を踏み入れた事はなかった。だからこそ足を運びたいし、これまでの受験勉強で我慢していたものを解放したかった。
彼は東京へ旅立った。
浅草でいろいろ回ったり池袋で石田衣良「池袋ウエストゲートパーク」の聖地巡礼をしていた。
東京という都市であっても観光できる場所が数多くあることを知れて楽しかったし、池袋を散策している中で「明日、秋葉原へ向かうこと」を胸に秘めながら楽しんでいた。


そんな中、池袋のサンシャインシティでアミューズメント施設で遊んでいる時に巨大な地震が発生した。

その地震は今までにないレベルの大きさで凄まじい轟音、物が揺れ動く音、振動に襲われた。
大きく揺られる彼の脳内に「秋葉原で楽しむ」という想いは消失し「自分はここで死ぬんだな」という死ぬ事への恐怖と18年間生きていた思い出が走馬灯のように駆け巡った。

やがて地震の揺れが収まった。
従業員の案内で非常口から外に出た。
そこにはブルーシートに敷かれた場所に人々が密集し、テレビとスマホを観ていた。

彼もスマホを見てSNSを確認した。
そこにはSTGで頑張ってるツイートも、好きなイラストをRTする姿もなく、ひたすら大震災の速報でいっぱいだった。

結局、秋葉原には行けなかった。公共交通機関は全て麻痺し、駅へ向かう人でいっぱいだった。

彼はサンシャインシティで用意されたブルーシートと毛布だけが置かれた避難所で雑魚寝する事を余儀なくさせられた。

そこで恐怖に襲われた。
SNSを見ても原子力発電所から爆発が起きた、震源地の周囲にある都市が火の海に覆われた、〇〇の場所で△人が死傷した、というニュースが水のように流れる。
避難所には生気を失った人々がミノムシのように蹲っている。
そんな中で避難所にいながらも痴漢をしようと手を出す不届きものまでもがいた。

彼は母親と妹の3人で東京観光していたが、目の前で痴漢をしようとする人間を見て絶望と憤りを覚えた。
なぜ、こんな天災なのに人の道を外れた事を平然とする輩が出るのか?
そればかりをずっと考えて、家族を守る事しか出来なかった。

結局、地震は余震による断続的な揺れが地震発生の翌日まで続いた。旅行も一日延期せざるを得なくなりずっと地震に怯えながらホテルに引きこもる生活を余儀なくされた。

卒業旅行で得たものは
・秋葉原で遊べたこと
・死を目の前にすると本当に走馬灯が走って目の前をなんとかする思考が停止すること
・天災は良くも悪くも人間の倫理観も秩序をも崩壊すること
だった。

そんな複雑な想いを胸に彼は大学生としてのライフステージに進んだ。


■FILE2「自分への彫刻」

ある青年がいた。
彼は大学三年生として大学生活を謳歌していた。

大学では音楽活動に耽っていた。初心者ではあったが演奏会に出れる程度には演奏ができるようになり、後輩や同期にも恵まれた。
それと同時に彼はSTGを卒業し「beatmaniaIIDX」を始めた。
このゲームはゲームセンターで遊べるDJシミュレーションゲームだった。

シンプルなゲーム性ではあるが様々な遊び方も目標の決め方もできる面白いゲームだった。
その時期から音ゲーマーのコミュニティに少しずつ参加した。
音ゲーマーのコミュニティはシューター部とは異なり、小さなコミュニティが点在している。そんな中で地元の音ゲーマーだったり大学の音ゲーサークルだったり…なきっかけでコミュニティを作り上げるのが違いになる。

そこでも音ゲー上達に向けてフォロワーと話したり、何気ない話をしてバカ騒ぎしていた。そうした時間はとても楽しかったし気分は完全に音ゲーに靡いていた。

一方で、シューター部への繋がりはSTGを辞めてから薄れていき、気づいたらシューター部の部長より解散の通達があった。
それでもSNSにはシューター部の部員の生活を見る事が出来る。
ある日、音ゲーの盛り上がりの合間にシューター部員の様子を見たところ奇妙な投稿を見かけた。


Aはシューター部員の一人である。
STGの攻略をしながらも擬人化に指向を持っている。
シューター部の時代では面白くてストイックな人物だった。
ところがシューター部が解散してしばらく経った後に彼のつぶやきを見たところ大きく変わっていた。


剃刀を用いて左前腕の全域を切傷し、大量出血をしている写真を投稿するとようになった。
いつ、どの周期でやっているのか分からないくらいに切傷はエスカレートし剃刀で切った跡が凹凸のようになり常に大量の血液を床に流し落とす姿になっていた。
思わず声を掛けたが痛みもないし問題ないと言い、彼が剃刀で腕を切り続けるのを辞めなかった。
それどころか今までSTGを攻略していたストイックさも性向を語るユートピアを霧散するかのごとく、腕を切って血を流す事に喜びを見せているようにも見えた。
何度も何度も話しかけても彼は腕を切る事をやめない。
腕を切って出た血液を小さな瓶に流し込んで溜めたり、アルコールを摂取することで切った腕が祭り屋台で出される焼きイカのような酔いによる赤みとドロドロ流れる血を見せたり、腕を切る時だけ語彙力を喪失したり…徐々にエスカレートしている。
それにも関わらず青年以外の誰も彼を止めず、それどころかコメントを残す・いいねをするしかしていない。

青年は自分が狂っているのか、腕を切るのを見て楽しむ人が狂ってるのか分からなくなった。腕を切る事が本当に楽しいことなのか、それを止めることが正しいのか、そういった問題に立ち向かう私が狂っているのか、何が正しいのか、何が間違っているのか、もう分からなくなった。
かつて仲良かった人物に何も出来ない無力さを痛感して泣きたくなった。

それをきっかけにSTGに関わるのをやめて今のコミュニティに戻る事にした。

そこから7年が経った。
青年は社会人として活動する傍ら、趣味を嗜む生活を続けていた。
そんな中で何気ないタイミングでショックを覚えた。

僕は何も知らない。仕事が終わって、車で帰宅して、SNSを見る。
僕は何も知らない。僕は何も知らない。あるフォロワーのツイートが「おすすめ」に表示される。
僕は何も知らない。僕は何も知らない。僕は何も知らない。彼の直近のツイートを目にする。
僕は何も知らない。僕は何も知らない。僕は何も知らない。僕は何も知らない。僕はまだ何も知らない。
何も知らない何も知らない僕は、奇妙な投稿をしていることに気づく。

そこには下半身裸になって肛門を晒し、肛門から鶏卵を産み落とす動画、前腕の古傷を晒す彼の姿が見えた。
彼のヘッダーにはアームカットで出血した血液を小瓶に集めてドロドロになった赤黒い血を桜の花と共に添えた写真が映っていた。
少し追ってみるとアームカットはやめておらず、今でも古傷の上に剃刀で腕を切り刻んで血を流したり抗うつ薬の入った容器に希釈した血液を満たしてた。

そっとSNSを閉じた。それ以降、彼はアカウントを凍結されて行方は分かっていない。


■FILE3「音ゲーマーの終幕」

ある青年は大学時代に近所の小さなゲームセンターでbeatmaniaIIDXの練習をしていた。
時期としては赤段位に向けて頑張っていた時だろう。

そのゲームセンターは常連が多く、友好的な人もいれば黙々と練習する人もいた。
そんな中で内向的だった彼はまがりなりにも交流を深める事が出来て、そこが居場所になっていた。
練習してどんどん上手くなること、レベルアップすることに達成感を覚える毎日でSNSにも投稿していた。

この時期ぐらいだろうか。音楽ゲームで目を疑うニュースが見えた。

音ゲーマーが家族に殺された。

なんでも原因は打鍵音などの騒音によるもので、騒音によって殺意が沸いた家族が音ゲーマーの子供を惨殺した。
殺して、胴体と腕をバラバラに解体されたことが報道されてSNSのTLは阿鼻叫喚していた。
そもそも音ゲーマーのコミュニティも一定周期の炎上がされていたが、ローカルルールだとか色恋のことだとか、そういった話が殆どだった。
それだけに音ゲーマーが騒音によってバラバラに殺された事は出来事としてあまりにも衝撃的だったのだろう。

青年も同じ想いをしていた。けれども、暫く経ったらそのニュースの事を殆ど思い出さなくなった。
そんな日にゲームセンターであるプレーヤーに出会った。
その人は両皆伝で凄く上手い。ライバル一覧に当時のゲームセンターの上手い人をライバル登録していて、そこから実力の高さが伺える。
またbeatmaniaIIDXを模したゲームでも有名で、あるボス曲の差分でも有名だった。

そんな人物だが奇妙な箇所が幾つかあった。
夏なのに冬に着るような服装をしていた。
そんな中で落とし物をしていた事に気づいて青年は声をかける。けれども、殆ど聞き取れないか細い声で言われてその場を去ってしまった。

これっきりその音ゲーマーを見る事はなくなった。

それから暫く経ったのちに彼のSNSアカウントを店員から教わった。
彼の活動を見てみると音楽ゲームに関するツイートが削除されていた。
残ったツイートにはどこかポエムのようなものしか残っていなかった。

------彷徨う。中学や高校の頃学校をサボってた時と行動も思考も同じだ。あの頃から変わったのは---が年老いた事ぐらいだ

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The Queen Is Dead

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僕は白い--を作った お気に入りの--ステッカーも貼った

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そして彼は「さよなら」という言葉を残してSNSから去った。
SNSとは別にブログを運営していたようだ。

青年は何も知らずにそのブログを見た。
そこにあったのはその音ゲーマーは既にこの世にいないことを暗示した内容だった。

詳細は分からない。けれども、そこの奥深くには何か深い業のようなものが潜んでいた事は分かる。

「人生の意義を感じない。死のう。」 その言葉を皮切りにシミュレーションをし、後に何も残さないようにし、遺書には何を書くかを走り書きしていた。

最後のブログの記事には読者に向けて思考をトレースして欲しいと書き残してこの世を去った。

それより前の記事には今でいうIIDX上達論というものをまとめ、深く考えていた考察あふれる記事であふれていた。
けれども、「死」によってその力学が大きく変わってしまった事にショックを隠せなかった。

そこから音ゲーマーがバラバラに殺された事を遠い事案として見ていた自分はおかしかったことを実感した。
何かの拍子で音ゲーマーは消えうるし、そこに対して何か手を出すことは出来ない事を覚えた。

しばらくゲームセンターへ通うのをやめて青年は学業やサークル活動へ没入するようになった。


■FILE4「電子で生まれた信頼の落とし穴」

青年は社会人になった。
社会人になり研修を重ねる事で会社の同期が生まれた。
同期はとにかく活発的で連休やちょっとした休暇に旅行に行く間柄になったのだ。LINEグループで企画したい人が企画を持ち寄ってそれを楽しむ。
それも仕事を覚えたてで忙しかった自分にとって楽しかった。

それと同時に青年は音ゲーマーとして活動が4年を超えた。
長く過ごすと個人的な内容についても話せる友人も増えた。

そんな人たちと個別で遊びに行ったりSNSで秘密のアカウントを作って、秘密のやり取りをすることもあった。
秘密のアカウントを作るといっても当初は作る事も運用する事も深く考えていなかった。
青年Bともここでも繋がっている。

彼は学生時代に青年Bと仲良くなった。
Bは音楽ゲーマーとして活動する傍ら、ギャルゲーをこなしたりガジェットに精通したり…と多岐にわたる活動をしていた。
そんなBはアウトドアでの活動に目覚め、更には欲しかった車を購入してからは活動範囲が広がった。

Bはコミュニケーション能力に長けていて、同じ車をもって同じ趣味をもっている友人と引き合わせる事もしてくれた。
それによって交流の輪は広がったし、今でもBに感謝している。

Bと知り合って7年、青年とBは特別な関係だと思っていた。
けれどもBに異変が起きる。

Bには好きな芸術家がいる。
その芸術家は独特なタッチ・雰囲気を醸し出す著名な人物で、1年の数回に展覧会を催す形で交流を図る事が出来る。

Bはロミオとジュリエットみたいな存在であっても芸術家と良い関係になろうと奮起し自己投資にも力を入れるようになった。
Bは音ゲーマーとしては殆ど活動していないし、芸術家のみならずかつて交流を深めた人物であっても秘密のアカウント経由でやっかみを言うフレネミーと化していた。

けれども青年は何かを頑張って輝き続けていたBの成功を陰ながら応援した。
青年とBは互いに違った道を歩んだが、それでもSNSのいいね・リプライによって関係性は続いていたし日々の中で苦しんでいる事も理解している。

けれども恋心が強まれば強まるほど芸術家のファンに対する弁慶っぷりが加速し、またBがかつて頑張っていたコミュニティに属する人々・新たな試みに対しても否定的な対応を取り続ける。
その姿に青年は少しずつ相容れなさが生まれてきた。

そんな中で青年は音ゲーマーとして偉業を達成した。
それを見たBは祝福してくれて、Bは今目指している目標に向けて更に頑張ろうとなってくれた。

青年は嬉しかった。今までは誰かの背中を応援し、自分には何も魅力もない人間だと自負していた。
そんな自分でも誰かのためになっている事に対して喜びを覚えた。

なので、その一年は彼の成長を陰ながら応援していた。
過去にやってしまった部分も愛情の裏返しで起こったものだと目を瞑って、Bの成功だけを応援した。

けれども何も変わらなかった。
変わらないどころか、ある芸術家の陰気な部分を見て覚めたという。
そしてBは水面下で別の女性と交流する事を告げた。
諦めるのではなく、水面下で両方動くリスク分散という選択を取った。

青年はがっかりした。
あれだけ応援していた相手が諦める、当たって砕けるのではなく、どっちつかずの判断を取ったことにショックを覚えた。
それと同時に青年の努力をこんな形で利用されたことに憤りすら覚えた。

その同時期くらいだろうか。Bきっかけの知人のフレネミーを受けることになった。
頼んでもいない本名、勤め先を勝手に暴露し、それを知っているとございな反応をするフレネミーである。そのくせ自分は底辺だと予防線を張って、僕は弱者男性ですと言い張って自分の取った行動を正当化しようとしている。
はっきり言って卑怯者だ。

Bきっかけでこういった人物を引き寄せる事になり、けれどもその人物には青年の仲の良い人物と繋がりを持っている。
きわめて面倒くさい状況になってる音ゲーマーのコミュニティに深く冷めてしまった。

じゃあ会社の同期とはどうか?
この時期になると周りの人らは結婚したり子供を持ったり家を持ち始める。
自由にいた頃は結婚がすべてではない、自由を謳歌する、少子高齢化が~と言っていた人物も気づいたら結婚していた。

そこからもう昔のような旅行も気軽に飲みに行く事も減ってしまい、繋がりはキャリアを積む事によって希薄になっていった。

自由に発言し、自由に表明していった先には一定の友情と成果を生む一方で時間によってライフステージの変遷という形で否が応でも繋がりが薄れる。
この事に寂しさを覚えた。
同時に趣味で深くつながった人物と間接的に酷い仕打ちを受けて深く絶望してた。

けれども、そんな残酷な事は初めから分かっていたのかもしれない。

日本では暗いニュースが常に続き、政治的なこと、殺人に関すること、スキャンダルに関すること、これが人物が変わる形で徐々に発生している。

SNSには暗い事は本当は存在するし人間の道から外れた事をする人物もいる。
そういったものはスキャンダルという形で常に発信され、クリーンとございと言っている人物が気づいたら取り返しのつかない事態に陥っている話を何度も見た。
人間が人間の腕をマチェーテで切り落としたり、指や舌を叩き落としたり、ホームレスの人物をリンチして殺害したり、死に様を音楽表現の一端として引用したりと残酷な事は日本の裏側で散見している。
が、それは日本でも違った形で違ったベクトルで行われている。

その一つがSNSだった。SNSは救いの部分もあるかもしれないが残酷な部分だってある。
そのことを青年は気づいてからSNSの利用を辞めた。


「12年のインターネットで見えたもの」

以上がある青年の御伽話のような何かである。


私は学生から社会人、社会人になって色々活動していった。
その年の中で私も、そして他者も年を取る事に変わっていく。

身体的・精神的にも変わっていくが、一番はその時代ごとの象徴性というのが変わり、言動・SNS・実生活の振舞で可視化される所にあると思う。

これはSNSに限った話じゃないが、趣味の友人もマッチングアプリも仕事の社内政治も、振り返ると「価値観を確認しあう場所」だった。
その時々の価値観を確認し、その時期の価値観がマッチングした相手と交流を深めていき、より高みを目指す事になる。

マッチングした人物同士でそうなる一方で、マッチングしなかった人物もいる。その人はその人で別のベクトルに進むが、過去と比較して象徴性の格が上がる事も下がる事も往々にしてある。

それが正しいことか正しくないことか?それを裁定する人はどこにもいない。決めるのは未来の自分でしかないからだ。
そんな力学の中で自分も他者も各自が担う「象徴性」によって盆栽の剪定をするくらいしか出来ないのかもしれない。
その延長線上にあるのが多分にライフステージの変遷・知性のアップデートでありライフスタイルの変化だと思う。

その中で自分の力で成長したり劣化する事もあれば、他者の存在・外的要因によって成長したり劣化する事もある。
この力学がある中で変えれるのは自分の力しかない。

つまり、自分の生き方をレベルアップしていく「振動数の高い人」になるのが大切である。
仕事でも良いし、趣味でも良いし、そこから過去の自分よりも高みを目指した人間になる事こそ社会で全うする上で重要な方針だと感じた。

誰かを守ったり応援する人生も素晴らしいと思う。けれども、そこには限界があり、時に間違えることもある。人間である以上はそうなるのは仕方のない事かもしれない。
だからこそ、常に自分の軸を見つめて高みを目指す事が結局は自分を守る事にもなるし進化を促すものだと思う。


そういった発見をSNSを通じて理解できたのは良い時間だったかもしれない。
良い事も悪い事もあったが、それをひっくるめて勉強になった12年間でした。

きっとがむしゃらに動いた中で大切なものに出会えるし、長くて不安定で残酷な社会の中では強い体幹を作って前に進む力こそ求められる時代かもしれない。


ここまで読んでくれてありがとうございました。
よいお年をお迎えください。


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