見出し画像

雑記帳No.11~1992年11月15日 クイズゲーム 「地獄の管制塔の恐怖」

lettuce702店長です。

1980年代後半はゲームセンターに遊びやすいクイズゲームが登場し、皆でできる軽いゲームという枠組みの中でちょっとしたブームになっていました。それまでもアメリカ横断ウルトラクイズ(1983年 タイトー)早押しクイズハイホー(1987年 日本物産)がありましたが、前者は専用筐体のため出回りは悪く、後者は下ネタや脱衣要素が多く一般的ではありませんでした。

そんな中、アドベンチャークイズカプコンワールド(1989年 カプコン)が発売されたのを皮切りに、クイズゲームが他メーカーからも多く発売されるようになりゲームセンターの中で多く見かけるようになりました。

この雑記帳の書き込みにもクイズゲームについて言及されていますが、当時のlettuce702でもクイズゲームは盛んにプレイされ、当時流行っていた格闘ゲームの合間に息抜き的にプレイされる方が多かったものです。誰かがプレイを始めると周囲のプレイヤーが集まってきて、問題に対する答えを分かる人が教えたりして協力プレイ感覚でわいわい遊ぶことが常態化していました。

当時のゲーセンでは「○番!○番!」とかギャラリーから答えを教える声が響き渡っていましたが、

「2番!2番!2番!」

「ブー!(ゲーム内の不正解音)」

と、自信満々に間違った答えを教える人が居たりして、そんな人のことを常連が『地獄の管制塔』と呼んで笑いあったりしていました。そしてそんな方は間違った後はクイズゲームのギャラリーから静かに居なくなったりするのですが、またギャラリーに復帰して間違った答えを連発して笑い話のネタにされるのでした。

格闘ゲームでもこの呼び名が適用されることもあり、ストリートファイターII(1991年 カプコン)では『ピヨり』と呼ばれる一定時間行動不能になる状態が分かりにくかったため、周りのギャラリーが

「ピヨったぁー!」

と大声で知らせるも実際はピヨっておらず、釣られて近寄ってきた相手に手痛い反撃を与えるということもありました。このようにゲーム内でウソの情報を教えることも同様に『地獄の管制塔』と呼ばれ、その呼び名の面白さと共にこの後常連の間でよく使われることになります。

クイズゲームに話を戻すと、この書き込みにもあるように点数のカウンターストップを狙ったりするマニアックなプレイをする者も現れたりしており、最終的にlettuce702の店内で行われていたのは、問題部分を段ボール等で隠して4択の選択肢のみを見てゲームを進めるという縛りプレイでした。ゲーム内の問題数が当時は3000問くらいで、ジャンルを絞ればこのプレイも十分可能で、この方法でゲームをクリアする者も現れたりしました。

この後は問題数10000問のものやクイズ以外の要素を織り込んだもの、ネット対戦の要素が導入されたクイズマジックアカデミー(2003年 コナミ)にその系譜は移っていくことになります。

クイズゲームは当時のlettuce702では誰かがプレイを始めたらギャラリーが多く付いて答えを教えあうと言及しましたが、その中には実際にお金を払ってプレイしている人の直接の知り合いではない方も混じっており、それを機に知り合いの知り合いが仲良くなったりして、lettuce702の常連の輪を拡大してくれることに貢献してくれたゲームでした。

この書き込みが掲載されている雑記帳は【雑記帳No.11その2】です。

よろしければサポートお願いいたします!困窮に喘ぐGAMERS BAR lettuce702の諸経費として使わせていただきます!