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コンコルド(北区新琴似)

ゲーセンノートであるレタスノートから札幌市北区のゲームセンターlettuce702であった出来事を綴ったりしておりましたが、札幌市にあったゲームセンターを自分の記憶から辿っていくコーナーを作ってみました。これから気が向いた時に少しづつ更新したいと思います。

第一回目は札幌市北区新琴似にあったコンコルドというゲームセンターです。このゲームセンターはネット上に全く情報が無く、コンコルドという同名のパチンコ店が石狩市や北区周辺に存在したため、それらとの関係を少し探ってみましたが、そちらも私が調べうる範囲では全く情報はありませんでした。

あった場所も私の記憶が曖昧ですが新琴似4番通り沿いの新琴似8条9丁目1番地か2番地のどちらかにあったと思います。現在はこのようになっていました。

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ここには後に「ハイテクセガ新琴似」やレタスの系列店である「レタス新琴似店」が入りますが、この建物近辺にあったと思われます。

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その隣には現在は閉業されていますが小林商店というローカルスーパーがありまして、こちらの以前の建物のテナントの一つだったかもしれません。営業期間もはっきりせず、インベーダーブームの1978~1979年には既に存在しており、ストリートファイターIIに端を発する格闘ゲームブームが起こる1991年には既に無かったと記憶しています。1980年代中ごろには閉業したのではないかと思われます。

ここで当時小学生の私は親戚の叔父さんにゲームセンターに行きたいとせがんで親に内緒で連れて行ってもらっていました。当時は子供向けの漫画雑誌である「コロコロコミック」では「ゲームセンターあらし」が連載されており、当時の小学生はゲームセンターで遊びたいとの思いを募らせておりましたが、ゲームセンターの治安の悪さから小学生がひとりで足を運べるようではありませんでしたし、小中学校の校則では禁止されていました。

よく言われる過去のゲームセンターは不良のたまり場であったという言葉がガッチリ嵌るほど、この「コンコルド」というゲームセンターは治安が悪かったと記憶しています。叔父さんに連れられて今では風営法の規制があるため考えられませんが、深夜帯に入店し当時のゲームを堪能したものです。

その当時よくプレイしたのはやはり「ゲームセンターあらし」の影響で、スペースインベーダー(1978年 タイトー)でした。

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当時の喫茶店ではブームが終わった後もかなりの店で導入されていたため、外食する時は親に喫茶店で食いたいとせがんで、ついでにスペースインベーダーをプレイしたものでした。

子供文化としておもちゃやお菓子のオマケなどにスペースインベーダーがモチーフのものが多く取り扱われたのに、当の小学生はゲームセンターに保護者同伴でないと立ち入れないため、ゲーム自体を全くプレイできなくて、代替としてLSIゲームなどを遊んでいました。

ゲームセンターあらしの影響で漫画中でよく出てきたギャラクシーウォーズ(1979年 ユニバーサル)もここでよくプレイしていました。

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主人公あらしの必殺技である「炎のコマ」が初めて使われたのがこの作品で、子供心に初めて実機を見た時はかなり興奮しました。

このコンコルドにはスペースインベーダーとギャラクシーウォーズがたくさん入っていた記憶があります。当時はあまり業務用ゲーム基板の種類が少なかったため、同じ基板がたくさん入っていたりしました。それこそインベーダーハウスと銘打って、スペースインベーダーしか無いゲームセンターもあったようです。

また、ここには確かシェリフ(1979年 任天堂)もありました。

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8方向ダイヤルスイッチという特殊デバイスを使ったゲームで、敵を単発ショットで撃つという意味ではインベーダーの流れを汲むゲームではありますが、敵が4方向から迫りくる斬新なシステムで、任天堂らしい独創性を強く感じるゲームでした。

このゲームは後に余市町の親戚の家に遊びに行った時に、いとこと一緒に深夜に親の目を盗んで家を抜け出して、シェリフしか置いてない商業施設に付随している怪しいゲームコーナーで遊んだ思い出の作品でした。

コンコルドの治安はかなり劣悪だったため、ひとりでは絶対行けなかったし、補導員や私が通っていた小中学校の先生も頻繁に見回りに来ていたので、自宅から近いにも関わらず閉業した時期も分からないくらい足が遠のいていました。

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