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メモ 〜小島信夫『美濃」について〜

 今度小島信夫の『美濃』の読書会がオンラインであるので、そこで何を話すかということを自分なりに整理しておくため、文章にまとめておこうと思った。それでこの文章を書いている。この文章は、読書会の際にメモ代わりに使う。この文章がnoteにアップされている頃には、読書会は終わっているだろう。読書会の前にこの文章を公開してしまうのは、何か違う気がする。だから読書会が終わってから公開するつもりだ。
 小島信夫の『美濃』は一応小説である。しかしあまり小説らしくない小説である。主人公というか、小説の中心人物は、著者自身の分身とも言える、小説家の古田信次だ。その古田と、彼の周囲の人物との、人間関係、また、彼らと岐阜という地との関係が複雑に絡み合い、独特のリズムで進行していくのがこの小説である。ちなみに「美濃」というのは岐阜県にある市の名前、あるいは地域の名前である。
 僕は個人的に小島信夫の書く小説を愛好している。初期作品の、「小銃」、「アメリカン・スクール」、「馬」など、夫婦、家族の問題の何もかもを描いた『抱擁家族』、その20年後の滑稽悲惨を描いた『うるわしき日々』等である。初期から晩年に至るまで、作風は徐々に変化していく。大作『別れる理由』を境に、小説と、著者の生きる現実との境界が徐々に曖昧になり、様々なものが入り混じった、従来の小説には見られない、独自の世界を生み出していく。
 本作『美濃』が書かれたのは、その著者の転換期に当たる。『別れる理由』が文芸誌『群像』に連載されていたのと同時期に、『美濃』は、『文体』という現在は廃刊になった文芸誌に連載されていた。
 ところで、この文章を書いている現在(読書会2週間前)、僕(筆者)の頭はすごくぼうっとしている。これは明らかに急激に下がり始めた気圧が影響している。という訳で、この文章が読みにくいかとか、おもしろいかといった判断があまりできていない。その辺りはご容赦願いたい。
 『美濃』はどういう小説なのか。小説を読んだら人は何を思うべきなのか。例えば、「小説を読んだよ」と誰かと会話をするとするならば、「何て小説?」とか「おもしろかった?」とかいうふうに会話が続いていくだろう。「小島信夫の『美濃』だよ」、「おもしろかったよ」。
 しかし、『美濃』はおもしろかったか?おもしろかったかもしれない。僕は途中から宇宙遊泳をしているような気持ちで読んでいたので、どのように言ってよいのかわからない。そう、そういえば実は『美濃』を読むのは2回目である。3年ほど前に一度読んだ。しかし、「読んだ」というのはすごく曖昧な言葉で、本当に、どのくらい、どのように「読んだ」かということは、当人にしかわからないし、むしろ当人にもよくわかっていないことも、多いだろう。僕が以前『美濃』を読んだときは、「おもしろい」なんてとても言える状態ではなく、何を言っているのか、何をやっているのかが全くわからず、それでも一応読んでいるようなふりをしていたというのが近い。誰も見ていないし、読んでいなくとも誰も咎めないにもかかわらず、だ。その証拠に、今回読み直して、ほとんど何にも覚えていなかった。覚えていたのはたった一カ所である。「いったい岐阜とは何だ!そんなもの、この日本にほんとにあるのか?」(『美濃』講談社文芸文庫p.117)。
 だいたいこれは小説と言えるのか?真面目に小説を読もうと思っている読者は途中で馬鹿にされていると思うかもしれない。この小説は、小説家古田信次が、篠田という同郷の詩人に自身の年譜の作成を依頼するところから始まる。というより、小説の最初にそういうことが書いてあるだけで、そこから「始まる」という訳ではない。何を言っているかよくわからないと思うが、普通小説が始まるというと、何もないところから物語が立ち上がってきて、「さあ、始まる」というような期待やワクワク感、そして作者の「始めるぞ」という気負いというか、やる気みたいなものが、自然と湧き上がってきはしないか。しかし『美濃』にはそんなものがなく、何かを一から作り上げているというよりは、ずっとしゃべっていた独り言を、ふと気まぐれに録音し始めたくらいのものに見える。だから、小説の始めに書いてあることが小説の始まりという訳ではない。むしろ、小説に始まるとか終わるとか、本当にあるのか?と思えてくる。
 この小説は、著者小島信夫の私生活を描いたエッセイ風のものにも見えるが、小説としての体裁を保つためか、登場人物のほとんどは偽名である。しかし中には本名で登場する人もいたりして、よくわからない。たまに、うっかり(?)、「古田は」とすべきところを「私は」としてしまったりする。主語と述語がかみ合っていないこともある。同じことを3回くらい一つの段落で言っていることもある。だからというか、けっこうめちゃくちゃである。国語の先生は怒りそうだ。同時期に、『別れる理由』の連載をしていたり、『私の作家評伝』(作家遍歴の方か?)という連載もあったりして、多忙で、しんどかったのだろうか。しかしそんなことが、小説に影響しちゃダメだろう、プロなんだから。とも思うが、小島信夫なら、やりかねない。
 『美濃』あたりの小島信夫の作品は、難解と言われている。その理由は先ほども述べたように、いろいろとめちゃくちゃだからだ。推敲しているのか?とも思う。締め切りが来たからイヤイヤ書いた、なんてことも普通に書いてあるし。
 しかし、読書会をするので、そんなことばかりを言ってはいられない。もうちょっと深く読まないと。しかし深く読む。深く読む!すごい言葉じゃないか。深み、深さ、とはなんだ?本当にあるのかそんなものは。浅い読み、深い読み。じゃあ、深いっぽい感じで。この小説は自己と生まれ故郷とを追求する、といった主題があるかもしれない。まあそんなことは文庫の裏表紙にも書いてあるのだが。小説の中で作者はたびたび、自分が誰なのかわからなくなった、というようなことを書いている。登場人物にも言わせているし、地の文にも書いてある。岐阜も美濃もなんかよく分からなくなったというのも書いてある。岐阜は日本そのものなのではないか、みたいな。錯乱であるか?しかしそこまでは行っていない。なんだかすごく奥歯が痛くなってきた。これも気圧だろうか。錯乱というか逆ギレに見える。逆ギレという言葉は曖昧だ。通常なら、キレている人がいて、キレられている人がいて、その構図がなぜか急に逆になるというのが、逆ギレだと思うが、最近は急に理不尽に怒られることも、逆ギレと呼んでいるような気がする。多分気づいている人も多いと思うが、僕はこの文章自体を小島信夫の文体を意識して書いている。でもいい加減にカッコつけて書いていると思わないでほしい。同じような戦法でないと、掴めないと思ったのだ。僕は僕なりの真面目な理由で、やり方で、この文章を書いている。
 この小説にはいろいろなものが漂っている。明確に書くというよりは、気化して漂わせているという感じだ。しかし文章は明確である。抽象的なことについて書いている訳ではない。どこで何が起こったかということを、異様に生真面目に書いていると言ってもいい。しかしにも関わらず、この小説は掴みどころがない。どこまでも続いているし、どこにも続いていない。この小説は突然終わる。それもおそらく、媒体となっていた文芸誌『文体』が廃刊になったからだ。おそらく雑誌が終わらなければ、まだまだ書いていただろうと思う。もちろん、書籍化するにあたって、最終章は、終わりっぽくするために加筆してある。それはきちんと本に書いてあるし、最終章だけ他の章に比べて長いことからも分かる。
 この小説は毒ガスみたいなものかもしれない。気化したものを僕たちは気づかないうちに吸ってしまっている。それで頭がぼーっとする。そうなったらまあ、読めているということでいいのではないだろうか。ともかく、最後まで目を動かして行を追い、手を動かしてページをめくれば、それで本は読んだということになる。何も情報を得なくたっていい。『美濃』を読んだ人に聞きたいが、この小説を読んで覚えていることはありますか?僕はほとんど何も覚えていない。いろんな人がいろんなことをしていて、そしてなんとなく「不和」のイメージが常に漂っている。生きていくということはつまり人間関係なんだということが、改めてわかりました、とも言えるかもしれない。
 『美濃』という小説は、小説には初めと終わりがあるということを常識だと考えている人には、受け入れがたい小説かもしれない。最初と最後があるだけだと考えた方がいい。でっかい川に、ある程度の距離をとって杭を置いて、「はい。ここからここまでの水の感じを眺めてください。水ですね」、それだけのものかもしれない。小説的な始まりと終わりを否定した小説家は、他に中原昌也がいる。始まりと終わりに必然性がないという点は共通しているかもしれない。しかし、彼の場合は一つ一つの作品が極端に短く、終わりも無理やり引きちぎられるようである。彼の作品はその断面を楽しむようなところがある。しかし小島信夫の場合は、偶然目に見えるところに流れが浮かび上がってきて、「あ、なんか出てきた」と思って追いかけていると、二手に別れたり、また地面に潜ったりしながら、ある地点でふっと地面に消える。それでやれやれと家に帰る。そういうもののような気がする。
 けっこういろいろなことを書いてきた。このままでは埒が明かないようにも見えるが、もうすぐこの文章は終わる。なぜなら4000字書いたら終わろうと途中で決めたからだ。とりあえずここに書いた文章を元に、読書会に臨もうと思う。楽しい会になったらいい。と言っても、この文章が公開される頃には、読書会は終わっているのだが。最後まで読んでくれた皆さんに感謝します。どうもありがとうございました。

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