村上春樹とあたしンち
中原昌也についての文章を書いていたら、全体の8割がコピペか引用、残り2割は寿司の射精風景という全く意味不明の怪物が出来上がってしまい、やはり僕にはまだ中原昌也に太刀打ちすることはできなかったと途方に暮れたのち、文章というものが分からなくなった。
そこでバランスをとるために、思いっきり個人的な文章を書くことにする。高低差で脳が破裂すればいいと思う。僕と村上春樹の小説についての話だ。
僕が小説を読むようになったきっかけは、大学3年の冬に村上春樹の『ノルウェイの森』を読んだことである。当時の僕は将来というものについて何一つまともに考えていなかった。おまけに文学部の学生だった。そもそも文学部に入るという選択自体が、人生に対するある種の敗北宣言である。さらに悪いことには大学院に進学することを決めていた。文学部の学生が大学院に進学するというのははっきり言って自殺行為である。ある意味自殺よりもたちが悪い。つまりその頃僕は、人生史上最大に愚かだった。
就職活動の一切を放棄することを早々に決めていた僕は暇だった。そして文学部学生だというのにも関わらず、小説というものをそれまでほとんど読んでいなかった(言い訳するようだが僕の専門は言語学だった)僕は、暇に任せて「文学」でも読んでみようかという気になった。
まずは、今まで教科書で読んできたいわゆる「文豪」の書いた作品。芥川龍之介とか太宰治とか、知識がないのでそのくらいしか思い浮かばなかった。あとヘルマンヘッセなんかも読んだ記憶がある。なぜか夢野久作も。その後「村上春樹」でも読んでみるかという気になった。
僕は日本で暮らす日本人なのに村上春樹を読んだことがなかったのである。
なんか嫌だったからだ。
毎年ノーベル賞の時期になるとニュースに出てきたり、新刊が発売されるたびにニュースになったり、なんとなくキザな「村上春樹」という字面だったり、全てがなんとなく気に入らなかったので読んでこなかった。ところが僕は日本に生きる文学部生なのだ。そいつが「村上春樹」を読んでいないなんてちょっとまずいのではないか。そう思って読むことにした。最初に読んだのは、『回転木馬のデッド・ヒート』だ(余談だがこのタイトルの「デッド」と「ヒート」の間に「・」をそらで打てたのは、僕が長年の村上春樹の読者である証拠だなあと思った)。
なぜ『回転木馬のデッド・ヒート』か?この短編集は決して村上春樹の代表作というわけではない。そんなに一般知名度があるわけではないだろう。僕がこの本を選んだ理由は、当時アルバイトしていた学習塾にあった現代文の問題集に、この小説の序文が収められていたからだ。その文章は妙に印象に残っていた。まどろっこしく、もってまわった言い回し。あまり教科書で読んだことのない類の文章だった。気に入ったわけではないが、なんとなく気になっていた。
読んでみて、思っていたより読みやすいなと思った。ものによっては、結構楽しめた気がした。今にして思えば、ある意味僕は運が良かったとも言えるが、この短編集は村上春樹の小説の中では最も読みやすい部類に入る。全編リアリズムだし、作者の聞き語りという形式も、小説というよりは親戚のおじさんの話を聞いているようで受け入れやすかった。『TVピープル』なんかをいきなり読んで、「このおっさんやっぱり意味不明だわ、ぷー」なんてことにならなかったのは、おそらく幸運だったのだと思う。
そして僕は村上春樹をもうちょっと読んでみようと思った。そこで何の気なしに母に最近村上春樹を読んでいるという話をした。母はすぐに「じゃあ『ノルウェイの森』を読んでみな」と言った。
僕の母はそれほど本を読む人ではない。だから母が村上春樹の小説を読んだことがあったということ自体に少し驚いた。しかし後から考えたら、母が若い時、『ノルウェイの森』は社会現象になった程売れていたので、読んだことがあったとしても何らおかしくはない。
そして僕はAmazonで中古の『ノルウェイの森』上下巻を購入して、読んだ。そこから僕の見る世界は変わった。僕は今まで小説を読んだことはなかったのだと思った。
小説というものがもつ力を僕は甘く見ていた。人の全てを変える力があるとは思っていなかったのだ。こういう感動が、文学作品を読む感動だったのだと僕は知った。僕は何も分かっていなかった。
『ノルウェイの森』は恋愛小説だった。そして生きることと死ぬことについて、痛いくらいに真剣に向き合った小説だった。それをこんな風に書くことができるということが文学だったのだ。それを初めて知った。
それから僕は、村上春樹の小説を片っ端から読んでいき、また、村上春樹の小説に出てくる海外文学作品なども読んでいった。もちろん『ノルウェイの森』も何度も読んだ。僕は小説を読む人になった。
以上が僕と村上春樹の出会いである。大げさに聞こえるかもしれないが、良くも悪くもこの出会いは僕の人生を変えた。
村上春樹の小説は僕の生きる指針になってしまった。
今なら分かるが、村上春樹の小説は異常である。日本文学においても、世界文学においても、他に類を見ない。何が異常かというと、読んでいる間はその異常さに気づけないことが最も異常である。村上春樹の小説に出てくるような人物は存在しない。内的葛藤もなく、醜い嫉妬心もなく、大して仕事もしていないのに生活に不自由していない、そして爽やかな制御可能の性欲をもっていて、大体においてそれが満たされる。そんな人間はこの世に存在しない。しかし村上春樹の小説を読んでいる間は、そういう人間はこの世のどこかにたくさんいて、そういう生き方が理想的なのだと思う。それは村上春樹の小説がもつ最大の危険性であり、残酷さだと思う。
だから村上春樹の小説をまともに読んでいる間、その人間はまともに生きることができない。目の前の現実は、あらゆる意味で村上春樹の小説的ではないからだ。鼠も、ジェイも、直子も、緑も、レイコさんも、五反田くんも、いるかホテルも、大島さんも、ふかえりも、青豆も、誰も存在しない。一欠片も存在しない。全く当たり前の話だ。しかし頭の狂った人間にまともな話は通用しない。自分が根本的に狂っていることに気づいていないのだからどうしようもない。あとは勝手に破滅する他はない。
村上春樹のせいにするのは間違っているし、そのつもりもないが、大学3年から大学院2年にかけての4年ほどで、僕はたくさんの間違いを犯し、たくさんのものを失った。僕は馬鹿以下の身勝手な恥知らずだった。僕は何かうまくいかなければ、それは世の中が間違っていて、いつか自分にはきっと幸運が巡ってくるとか、村上春樹の小説に出てくるようなパートナーが現れるとかそんな馬鹿なことを考えていた、のではないかと今振り返ると思う。当時の自分は自分がそこまで馬鹿でないと思っているので、そんなふうに考えていないと思っていたが、根本的に頭が一人お花畑に行っていたので、あてにならない。僕は村上春樹的世界と、自分の現実とのギャップに苦しんだ。至極当然のことだが、僕の周囲に村上春樹的な登場人物が存在するわけはないし、僕自身も村上春樹的な登場人物になれるわけはなかった。現実の僕には様々な葛藤や醜い感情が、出血大セールとばかりに毎日溢れてくる。特に大学院生なんてやっていればますます脳は狂う。そんな人間には魅力の欠片もありはせず、魅力的な登場人物に恵まれるはずもなかった。
僕が村上春樹から距離がとれるようになったのは、就職という圧倒的現実と、たくさんの「村上春樹的でない」小説に出会ったからだ。まずもって就職という現実は全てを吹き飛ばすのに十分だった。何も語る必要はあるまい。そして小説。高橋源一郎をはじめとして、中原昌也、町田康、舞城王太郎、ウラジーミル・ソローキン……。村上が嫌っていた日本近代文学も読んだ。志賀直哉、川端康成、三島由紀夫、太宰治……。何だ、面白いじゃないか。村上春樹は変わり者のおっさんかつ、結局は大金持ちの特権階級だったのだと、やっと気づくことができた。
誤解しないでいただきたいが、僕は村上春樹の小説が嫌いになったわけではない。むしろ距離をとることで、改めて、ものすごい小説だったのだと思えるようになった。あんな小説を書ける人は、これまでもいなかったし、おそらくこれからも出てこないだろう。しかし、なかなか再読はできない。特に『ノルウェイの森』を再読することは当分できそうにない。影響されるのが怖いとかではなく、おそらくあの頃のように感動することはもうできないと分かっているからだ。
もちろん村上春樹から離れることができたからといって、突然世界が美しく輝きだし、人生が最高ハッピーになるなんてことはない。むしろ世の中は取り返しのつかないほど腐っており、生きることは今後ますます厳しいものになっていくということが、確信をもって断言できるようになっただけだ。それでもその中でやっていくしかない。ただそれだけの話だ。
僕が村上春樹に狂い、苦しんでいた時のことを思う時、実はそれよりずっと前にも似たようなことがあったのを思い出す。それは中学生の時だ。僕の家には、『あたしンち』という漫画があった。立花みかんという女子高生が主人公で、彼女の家族や周囲の人々との日常を描く話だった。生活の「あるある」、生きることの滑稽さ、ちょっとした悲しみ、そして小さくても確かにある幸せを感じられる優れた作品だった。僕をはじめ、家族はみんな『あたしンち』が大好きだった。同時期に放映されていたアニメもみんなで見ていた。
しかし僕は同時に苦しんだ。何にかというと、主人公の弟の立花ユズヒコにである。僕は彼の生き方に苦しんだ。彼も僕と同じ中学生だった。しかし当時の僕のグロテスクな日常とは全く異なる日常を彼は過ごしていた。僕はとにかく自意識に苦しんでいた。異性はもちろんのこと、同性の友人ともまともに会話ができなかった。自然な会話とは何か?僕はこのクラスでどういう存在なのか?どういう髪型なら当たり障りなく過ごせるか?次の休み時間は誰と会話すれば間がもつだろうか?今日の昼休みはどこでしのぐか?授業中どのような態度でいれば、教師に適度な反抗をすることができかつ、完全にドロップアウトせずに済むことができるか?今にして思えば愚かしい苦悩だが当時の僕は真剣だった。
しかし立花ユズヒコにはそのような苦悩は全く見られない。彼はそれなりに友人に恵まれ、休み時間に一人になることなど決してない。いや厳密にはそうではない。例えば、休み時間に本を読むという行為を「選択」し、自ら一人になることもできる。それは当時の僕にはとんでもない偉業に思えた。異性とも多少はにかみながらも普通に会話をすることができ、あろうことか一部の女子からは好意を抱かれている。運動もまずまず普通にでき、今日の体育の授業でどうやったら恥をかかずにすむかという情けない悩みに苦しむこともない。そしてそれらすべてのことは、何ら特別なことではないかのようだった。彼は極めて、「普通の中学生らしく」過ごしていた。
同じことなのだ。立花ユズヒコのような中学生はこの世のどこにも存在しない。彼は『あたしンち』にそぐわない人間としての醜悪な要素を剥奪された結果生まれた、「普通の」中学生に過ぎない。現実の中学生はもっと未成熟で、もっと馬鹿で、もっとグロテスクだ。それを当時の僕は分かっていなかった。いや、本当にそうなのか。実際はいるんじゃないか?とちょっと思ったが別にいいではないか。その方が当時の僕を供養できる。結局僕は、中学生の時から同じことを繰り返していたのだ。
この文章をどう終わらせればいいか分からなくなってきたが、つまるところ人は成長しないのだ。同じようなことをずっと繰り返して生きる、というのは僕の最近の実感である。僕は思うのだけれど(と油断するとすぐに村上春樹みたいな言い回しが出てくる)、人の愚かさというのは常にマイナーチェンジを繰り返すだけで、本質的にはずっと変わらない。だから誤解しないで欲しいのだが、この文章は今の成熟した自分が過去の未成熟の自分を振り返って「あの頃は若かったな、フッ……」と大人の余裕をかましているようなものではないということだ。僕は現在進行形で社会に適合できていない。そうでなければ一年も休職しない。ただ人生は愚かさの変奏曲に過ぎないということと、それを根本的に解決する何かは存在しないということがよく分かっているのは、昔の自分と違うところかもしれない。あとは一人で生きることは不可能だということ、少なくとも僕の場合は。結局まとまらない。何の意味もない文章だったが、この文章を読んで何かが軽くなったり、村上春樹を読んでみようと思ったりしてくれたら幸いである。
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