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夜のお台場、オーベルジーヌ。

思い立ってnoteというものを始めてみた。140字に収まらない考え事とか、思ったことをただただ書いていこうかなと。

先日、こんなニュース記事を見た。

ぶっちゃけ内容はどうでもいい。いや、どうでもよくはないけど、ある単語を見た瞬間に頭の中にあまりにも鮮明に思い浮かんだ景色、空間があった。その記憶はずっと頭に残って離れなかった。皆さんもそんなことありませんか。ある単語とか食べ物、匂い、音とかで条件反射のように、それでいて嫌になるくらい鮮明に思い出してしまう体験。ついでに言うとそれって大体嫌な思い出、ほろ苦い思い出だったり、割とどうでもよい事だったりしませんか。今回の話題も例に漏れず、ちょっとほろ苦い思い出の話。

この記事はM-1グランプリの裏話の記事で、M-1当日のお弁当は豪華だという記述があった。叙々苑弁当とかオーベルジーヌとか、、、

オーベルジーヌ。

あぁ。思い出した。これまで忘れていたというか、普段の日常会話ではまず使わない単語なので記憶の割と深いところに埋もれていた。

オーベルジーヌ。前述の記事には、出前で有名なカレー屋さんと説明がある。ただ単にそのカレーがおいしかったとか、そんな話じゃない。自分がオーベルジーヌを食べた場所、置かれていた状況、その時の気持ち、もちろんその時の味覚も、何もかもがまとめて記憶されてて、振り返ってみたくなった。

1年前くらい、お台場で1ヶ月くらいアルバイトをしていたことがある。お台場にあるビルとビルの間に球体が挟まっている建物でアルバイトをしていた。当時はテレビマンになりたくて就職は東京ですることを心に決めていて、お試し期間のような形で就職先(の予定だった制作会社)にアルバイトとして働いていた。特番スタッフのため、期間限定。テレビの裏側って怖いイメージがあったけど、好きならなんでも我慢できると思っていた。ウイークリーマンションを借り、五反田から東京テレポートまで通う生活が始まった。

甘かった。

実に甘かった。大学生という身分に甘えて、ちやほやされて、ちょっと口が立つだけで自分ができる人間だと勘違いしていたのかもしれない。働き始めてすぐに心が折れた。経験十分のテレビマンが己の時間を最大限に削って、一つの特番のために尽力する。大学生アルバイトの自分にも容赦はなかった。ろくに説明もなく、初体験の事をそれなりのレベルで要求される。ついていくのに精一杯だった、というか完全についていけてなかった。今回はオーベルジーヌの話をしたいので詳しくは書かないが、とにかくこのアルバイトの期間中で、見事なまでに心が折れた。早く本番が来て苦しい期間が終わってほしい、関西に戻りたいと思う毎日だった。

そんなアルバイト期間も終盤、特番の制作も大詰めになっていた。深夜まで残ることも多くなり、自然とフロアの人達で出前を取り、みんなで晩御飯を食べる機会が増えていた。ある日の晩御飯の時間、いつもより若いスタッフが多く残ってて、5人くらいで輪になって晩御飯を今か今かと待っていた。扉が開いて、カレーの匂い。「オーベルジーヌ!?」自分と一番年が近い女性スタッフがテンション上げて叫んだ。容器を開けると、カレーと、白米、それに茹でたじゃがいもとバターがついてきた。ココイチとかすき家のカレーとは違う、由緒正しい洋風な香りがした。出前なので容器はただのプラスチックだが、見た目のチープさを完全に補って余りあるほどの上品さを醸し出していた。自分の舌は安っぽいので細かい味わいはわからなかったが、出前のカレーのレベルの味は明らかに超えていた。じゃがいもが茹でたてのようにホクホクで、バター付けて食べたり、カレーつけて食べたり。出前なはずなのに気分はちょっとした洋風レストラン気分だった。温かい食べ物って大事。人の心をほぐしてくれるよね。

オーベルジーヌを食べながら、先輩スタッフのいろんな話を聞いた。溜まりに溜まった仕事の愚痴、今までの経験、将来の夢。教員免許を取り、あえて教師にならずに青森から上京してきた人。前職は葬儀屋だった人。怒鳴られすぎて過呼吸になった人。本番まであと少し、頑張ろうって。励ましあった。忙しい毎日でコミュニケーションもとることがなかったけど、最後の最後にオーベルジーヌが自分と他のスタッフを繋いでくれたように思えた。自分の弱さとか甘さ、業界の厳しさに打ちのめされて心が折れた苦い1ヶ月の、ほんのわずかな救いは間違いなく、あの夜お台場でみんなで食べたオーベルジーヌだった。

本番が終わったらすぐに関西に戻り、自分のリセットのために日本海と太平洋を同一行程で見るとかいう無茶な旅をしてみたり、なんとなく有馬温泉に泊まったり、とりあえず実家に帰ってみたりした。そしてお盆明けからまた就活を最初からやり直して今の勤務先に内定を頂く、というのが後日談。この東京の経験がなければ今の自分はいないし、すごい苦い経験だけど成長はできたような気がする。いい思い出だった、と言えるまでの消化はまだできていないから、しばらくは苦いままの思い出として自分の中に残るのだろう。

東京もこの時を最後に行ってない。就活で何度も通って好きな場所もたくさんあるけど、お台場周辺はちょっと嫌かなあ。この期間に使ったものとか通った場所は基本苦い味が付いている。五反田も、東京テレポートも、ダイバーシティも。しばらく苦いままだろうなぁ。

皆さんもそんなことありませんか。ある単語とか食べ物、匂い、音とかで条件反射のように、それでいて嫌になるくらい鮮明に思い出してしまう体験。自分は、オーベルジーヌ、夜のお台場。次に食べる時はひとりじゃなくて、やっぱり大人数で、いろんな話をしながら食べたい。ぜひその時は、笑い話で。

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